梶原 (鎌倉市)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ナビゲーションに移動 検索に移動
日本 > 神奈川県 > 鎌倉市 > 梶原 (鎌倉市)
梶原
—  町丁大字  —
湘南深沢駅 駅舎
梶原の位置(神奈川県内)
梶原
梶原
梶原の位置
座標: 北緯35度19分56.84秒 東経139度31分9.73秒 / 北緯35.3324556度 東経139.5193694度 / 35.3324556; 139.5193694
日本の旗 日本
都道府県 Flag of Kanagawa Prefecture.svg 神奈川県
市町村 Flag of Kamakura, Kanagawa.svg 鎌倉市
地域 深沢地域
面積[1]
 - 計 1.75km2 (0.7mi2)
人口 (2018年(平成30年)1月1日現在)[2]
 - 計 6,268人
等時帯 日本標準時 (UTC+9)
郵便番号 247-0063[3]
市外局番 0467 (藤沢MA)[4]
ナンバープレート 横浜

梶原(かじわら)は神奈川県鎌倉市深沢地域にある大字。現行行政地名は梶原一丁目から梶原五丁目と大字梶原。住居表示は一丁目から五丁目は実施済み区域、大字梶原は未実施区域[5]郵便番号は247-0063[3]湘南モノレール江の島線湘南深沢駅を挟んだ東西の地域である。

地理・歴史[編集]

平安時代中期に編纂された倭名類聚抄に鎌倉郡内の七郷の一(梶原郷)として記録がなされており、律令制下の国郡郷制だったと考えられる。現在の梶原よりも広く、深沢地域をほぼ指していたと比定される。

尊卑分脈によると鎌倉景通がここに住み梶原氏を称し、その息子景久が住んだとされ、梶原氏出自の地とされる。景通の玄孫である景時の墓と伝えられるやぐら深沢中学校の校庭に存在する。一方、新編鎌倉志では鎌倉景正が居住した旧地に同族の梶原氏が居住したと記録されている。

戦国時代には後北条氏の支配下になり、松山衆太田豊後守の知行地となる。小田原衆所領役帳では116貫22文と記される。永禄年間に須崎郷に、新編相模国風土記稿では小松郷に属するとされる。

寛永10年(1633年)より天領となる。

昭和23年(1948年)から鎌倉市の大字となる。昭和58年(1983年)2月7日の住居表示に伴い梶原一丁目-五丁目となった。

世帯数と人口[編集]

2018年(平成30年)1月1日現在の世帯数と人口は以下の通りである[2]

大字丁目 世帯数 人口
梶原 197世帯 447人
梶原一丁目 368世帯 846人
梶原二丁目 845世帯 2,115人
梶原三丁目 567世帯 1,382人
梶原四丁目 312世帯 708人
梶原五丁目 384世帯 770人
2,673世帯 6,268人

小・中学校の学区[編集]

市立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる[6][7]

大字・丁目 番地 小学校 中学校
梶原 200~243、249~251
268~278、321~1930
鎌倉市立富士塚小学校 鎌倉市立深沢中学校
1~199、244~248
252~267、279~320
鎌倉市立深沢小学校
梶原一丁目 全域
梶原二丁目 全域
梶原三丁目 全域
梶原四丁目 全域
梶原五丁目 1~12番、13番1〜9号
13番11号・14〜18号
17番1〜12・14号〜35号
13番10号、13番12〜13号
14〜16番、17番13号
鎌倉市立御成小学校 鎌倉市立御成中学校

交通[編集]

鉄道[編集]

施設[編集]

寺社・旧跡[編集]

その他[編集]

参考文献[編集]

  • 奥富敬之 『鎌倉史跡事典』 新人物往来社 1999
  • 三浦勝男編 『鎌倉の地名由来辞典』 東京堂出版 2005

脚注[編集]

[ヘルプ]
  1. ^ 平成28年(2016年)版鎌倉の統計”. 鎌倉市. 2018年2月22日閲覧。
  2. ^ a b 鎌倉の人口と世帯数(地域・町丁・字別)”. 鎌倉市 (2018年1月26日). 2018年2月22日閲覧。
  3. ^ a b 郵便番号”. 日本郵便. 2018年2月22日閲覧。
  4. ^ 市外局番の一覧”. 総務省. 2018年2月22日閲覧。
  5. ^ 鎌倉市の町名称及び住居表示の実施状況”. 鎌倉市 (2017年2月7日). 2018年2月22日閲覧。
  6. ^ 鎌倉市の市立小学校通学区域”. 鎌倉市. 2017年7月6日閲覧。
  7. ^ 鎌倉市の市立中学校通学区域”. 鎌倉市. 2017年7月6日閲覧。