二階堂 (鎌倉市)
二階堂 | |
---|---|
![]() 永福寺跡 | |
北緯35度19分30.77秒 東経139度33分57.83秒 / 北緯35.3252139度 東経139.5660639度 | |
国 |
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都道府県 |
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市町村 |
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地域 | 鎌倉地域 |
面積 | |
• 合計 | 1.66 km2 |
人口 | |
• 合計 | 2,713人 |
• 密度 | 1,600人/km2 |
等時帯 | UTC+9 (日本標準時) |
郵便番号 |
248-0002[3] |
市外局番 | 0467 (藤沢MA)[4] |
ナンバープレート | 横浜 |
二階堂(にかいどう)は神奈川県鎌倉市鎌倉地域にある大字。住居表示未実施区域[5]。郵便番号は248-0002[3]。
地理・歴史[編集]
地名の由来は、源頼朝が奥州合戦後の凱旋の際、中尊寺大長寿院の二階堂を模して、当初に永福寺という二階堂(=二階建ての建物。当時、二階建ての建物はかなり珍しく、いわば「非常に立派な建物」を意味した。)を建立したことに由来する。建久3年(1192年)11月25日に本堂が完成し、落慶供養が行われた(永福寺は応永12年(1405年)の後に廃絶)。
戦国時代には小坂郡(小坂郷、おさか — )[6]二階堂郷となされ、豊臣秀吉の小田原征伐の際に当地を掌握しようとしていたことが、「豊臣秀吉禁制」の宛書に記されていることからわかる。
江戸時代に入り正保国絵図や元禄内国改定図では「二階堂村」一村として記されているが、いつの頃からか西御門、浄明寺、十二所が同じ大倉の谷に存在するとして「谷合(やつあい)四ケ村」と称された。
明治22年(1889年)の市町村制により東鎌倉村の大字、明治27年(1894年)に鎌倉町、昭和14年(1939年)から鎌倉市の大字となって現在に至る。小名として四ツ石小路、東御門、杉ケ谷、西ケ谷、亀ケ渕、向荏柄、稲葉越、熊野谷、杉本小路などの地名が残る。
世帯数と人口[編集]
2018年(平成30年)1月1日現在の世帯数と人口は以下の通りである[2]。
大字 | 世帯数 | 人口 |
---|---|---|
二階堂 | 1,158世帯 | 2,713人 |
小・中学校の学区[編集]
市立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる[7][8]。
番地 | 小学校 | 中学校 |
---|---|---|
全域 | 鎌倉市立第二小学校 | 鎌倉市立第二中学校 |
交通[編集]
道路[編集]
施設[編集]
寺社・旧跡[編集]
その他[編集]
著名な住民[編集]
- 二階堂氏
- 三浦光村
- 北条教時
- 川端康成(ノーベル文学賞日本人初の受賞者作家・文化勲章受章・鎌倉市名誉市民) 1937年(昭和12年)38歳の時に鎌倉市二階堂325に移り住む。
- 蒲原有明(詩人)
- 深田久弥(作家)
- 三浦光子(女優)
- 平山郁夫(画家。鎌倉市名誉市民)
- 星野椿(俳人)
関連項目[編集]
参考文献[編集]
- 奥富敬之 『鎌倉史跡事典』 新人物往来社 1999
- 三浦勝男編 『鎌倉の地名由来辞典』 東京堂出版 2005
脚注[編集]
- ^ “平成28年(2016年)版鎌倉の統計”. 鎌倉市. 2018年2月22日閲覧。
- ^ a b “鎌倉の人口と世帯数(地域・町丁・字別)”. 鎌倉市 (2018年1月26日). 2018年2月22日閲覧。
- ^ a b “郵便番号”. 日本郵便. 2018年2月22日閲覧。
- ^ “市外局番の一覧”. 総務省. 2018年2月22日閲覧。
- ^ “鎌倉市の町名称及び住居表示の実施状況”. 鎌倉市 (2017年2月7日). 2018年2月22日閲覧。
- ^ 鎌倉郡の地名
- ^ “鎌倉市の市立小学校通学区域”. 鎌倉市. 2017年7月6日閲覧。
- ^ “鎌倉市の市立中学校通学区域”. 鎌倉市. 2017年7月6日閲覧。
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