和布刈神社
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| 和布刈神社 | |
|---|---|
|
拝殿 背後は関門橋 | |
| 所在地 | 福岡県北九州市門司区門司3492 |
| 位置 |
北緯33度57分39.30秒 東経130度57分44.20秒座標: 北緯33度57分39.30秒 東経130度57分44.20秒 |
| 主祭神 | 比賣大神・日子穂々手見命・鵜草葺不合命・豊玉日賣命・安曇磯良神 |
| 社格等 | 県社 |
| 創建 | 伝仲哀天皇9年(200年) |
| 例祭 | 旧暦1月1日(和布刈神事) |
| 地図 | |
和布刈神社(めかりじんじゃ)は、福岡県北九州市門司区門司3492(和布刈地区)に所在する神社。別名「速門社」(はやとのみや)、「早鞆明神」。旧社格は県社。
歴史・沿革[編集]
社伝で伝えられる限りでは神功皇后の三韓征伐後奉祀されたもので仲哀天皇9年(200年)創建とされる。古くは「隼人明神」とも呼ばれた。
海峡の守護神として崇敬を集め、建武3年(1336年)足利尊氏、応永年間(1394年 - 1428年)大内義弘、天正3年(1575年)仁保常陸介などによる諸社殿の修築造営が伝えられている。現社殿は明和4年(1767年)小倉藩主小笠原忠総の再建によるものである。
祭事・神事[編集]
門司港駅前にある和布刈神事像
- 神社名となっている「和布刈」とは「ワカメを刈る」の意で[1]、毎年旧暦元旦の未明に三人の神職がそれぞれ松明、手桶、鎌を持って神社の前の関門海峡に入り、海岸でワカメを刈り採って、神前に供える「和布刈神事」(めかりしんじ)が行われる[2]。和銅3年(710年)には神事で供えられたワカメが朝廷に献上されているとの記述が残り、福岡県の無形文化財にも指定されている[3]。以前は「神事を見ると目がつぶれる」といわれ、拝観する人はいなかったが、戦後から解禁になっている。松本清張の小説「時間の習俗」の冒頭はこの神事から始まり、全国的にも知られるようになった[4]。
施設[編集]
- 「宗氏(そうし)はかつて対馬国を支配した守護・戦国大名。参勤交代で3年に一度江戸に出仕することとされ、海路を利用中、和布刈神社に立ち寄り航海の安全を祈願し海中灯篭を寄進した。」
- 小笠原氏 灯籠寄進
- 飯尾宗祇句碑 - 「舟みえて霧も追門(せと)こすあらしかな」
- 室町時代の連歌師飯尾宗祇は60歳の1480年(文明12年)9月、滞在中の周防(山口県)の大名大内政弘のところから連歌の守護神とされていた太宰府天満宮の参詣へ旅立った。この旅の途中で平家一門の菩提を弔っている阿弥陀寺(現在の赤間神宮―下関市)に立ち寄った。この時の連歌の会で詠んだ句を刻んだ句碑がここに建てられている(1915年(大正4年)建立)。
- 松本清張(文学碑) - 「神官の着ている白い装束だけが火を受けて、こよなく清浄に見えた。この瞬間、時間も、空間も、古代に帰ったように思われた。」(小説「時間の習俗」より)
- 高浜虚子が1941年(昭和16年)に門司を訪れた際に読んだ句碑(1956年(昭和31年)設置、早鞆稲荷の鳥居脇)がある。「夏潮の今退く平家亡ぶ時も」
- 供養塚 「日本の民間信仰である古神道において、祈願祈念や感謝や慰霊の記念として、自然のままの岩や祠(木造や石造)や石塔などの碑であり、古神道に由来する観念として、荒ぶる神にならぬよう祀ったものである。古神道の根幹をなす、万物に神や命が宿るという観念から塚を建立し慰霊し感謝や祈願を込めて祀ったものである。」
文化財[編集]
和布刈神社を舞台とした作品[編集]
アクセス[編集]
ギャラリー[編集]
脚注[編集]
- ^ “和布刈神社御由緒”. 和布刈神社. 2019年3月10日閲覧。
- ^ “和布刈神事”. 北九州市. 2019年3月10日閲覧。
- ^ “和布刈神事”. 北九州市. 2019年3月10日閲覧。
- ^ “和布刈神事 クロスロード”. 福岡県観光連盟. 2019年3月10日閲覧。
- ^ “【市指定】和布刈神社文書 9通 附 近世文書 1通”. 北九州市. 2019年3月9日閲覧。
外部リンク[編集]
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