吉備国際大学短期大学部

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吉備国際大学短期大学部
学園本部正門
学園本部正門
大学設置/創立 1967年
学校種別 私立
設置者 学校法人順正学園[注 1]
本部所在地 岡山県高梁市伊賀町8
北緯34度47分47.1秒 東経133度37分14.5秒 / 北緯34.796417度 東経133.620694度 / 34.796417; 133.620694座標: 北緯34度47分47.1秒 東経133度37分14.5秒 / 北緯34.796417度 東経133.620694度 / 34.796417; 133.620694
キャンパス 高梁キャンパス(岡山県高梁市)
岡山キャンパス(岡山県岡山市
学部 幼児教育科(廃止)
保健科
研究科 幼児教育専攻(廃止)
メディカルビューティー専攻
ウェブサイト 吉備国際大学短期大学部公式サイト
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吉備国際大学短期大学部(きびこくさいだいがくたんきだいがくぶ、英語: Kibi International University Junior College)は、岡山県高梁市伊賀町8に本部を置く日本私立大学である。1967年に設置された。大学の略称は吉備国、吉備短、順短[注 2]、KIUJC、JJC[注 2]。 この項目では本学の前身として2009年度まで存在していた順正短期大学(じゅんせいたんきだいがく、英語:Junsei Junior College)についても述べる。2016年3月に課程休止。

概観[編集]

学園本部前にある順正女学校創建碑
(伝・三島中洲撰文、明治38年8月設置)

1885年福西志計子が設立した順正女学校(現・岡山県立高梁高等学校家政科)の跡地に、順正短期大学として1967年新設された短期大学である。旧称(現在の運営母体の学園名)である「順正」も同女学校より継承されたものであり、その名称は福西が理想とする人材の指標として掲げた四字熟語である「温」(おんじゅんていせい。穏やかかつ素直にして、誰の目にも明らかに正しいこと)に由来し、その原意(正出典)は『孟子』の「以順為正 妾婦之道成」(順《すなお》を以て正しきを為すは妾婦《しょうふ》[注 3]の道なり)ないしは『礼記』の「君子は情に帰ってその志を和げ邪僻の気は身体の中におかず、知覚肉体すべて順正の道によって本義を実行せしむ」にある[1]とされる。それは、本学の設置を望んだ地元・高梁市に在する旧順正の卒業生および、それを受けて本学を設置した者たちによる「名を戴き理念を受け継ぐ」という思いからの事であるとされる。

本学設立のきっかけとなったのは、昭和41年(1966年)岡山県当局の主導で行われた高梁高等学校伊賀町校舎の廃止である。これに対して、地元・伊賀町および頼久寺町、さらには福西の教え子たちともいえる順正女学校・順正高等女学校・高梁高等女学校・高梁高等学校家政科と連綿と歴史を紡いで高梁の地に根を下ろしてきた「順正の卒業生」たちが反発。彼女らは自らが慣れ親しんだ伊賀町から学び舎の灯が消える事を嘆き、その悲痛を高梁高校同窓生および高校周辺地在住市民による市民運動という形で高梁市に申し入れた。市は伊賀町校舎の跡地活用として様々な模索をしてきたが、最終的には彼女らの陳情を受諾し、伊賀町に教育機関を設立することを決定する。

しかし当時の市財政では県の補助をもってしても公立教育機関の設立は困難であったため、当時の高梁市長であった鈴木雄祥は岡山県・広島県の各地で教育機関を設置させ、運営実績のあった加計勉に誘致を打診する。加計は「順正の卒業生」たちの願いと、それを汲まんとする市長および市当局の熱意、さらには市にそれだけの事をさせた福西の遺志とそれを絶やさなかった教え子たちの存在に感じ入って、高梁市の要請に応える事を決意。高梁市と共同出資の形で「学校法人 高梁学園」[注 4]を設立。順正女学校跡地に共学校である「順正短期大学」を新設させた。この新設校が当時の女子高等教育機関としてポピュラーであった短期大学とされたのも、その学校に「順正」の名を遺したのも、福西が業績を打ち立てた順正の地に他ならぬ福西の理想とした女子のための高等教育機関を、と旧順正の卒業生たちが加計に対し陳情した結果だった。この設立時における歴史の流れから、本学および後述の順正高等看護福祉専門学校および吉備国際大学は福西を準学祖として推戴している。

設立時より附設教育機関(附属専門学校)として順正高等看護福祉専門学校(通称:順正高看)[注 5]を持つ。のち1980年代から1990年代にかけて国際社会の到来を予感したがゆえの全国における国際大学が設立される時代の趨勢により、加計(高梁学園)は1990年に順正短期大学の隣地へ、実質的な上位校として吉備国際大学を設立させた。以降、同大学と本学は一体的な運用が成され、2010年における運営母体の組織改革をもって吉備国際大学に併合されて同大学の短期課程となる。また、この組織改革によって「順正」の名は運営法人の名となった。のち2014年に学生の新規受験受付を停止。2016年に、順正としての伝統を併設校である順正高等看護福祉専門学校と上位校である吉備国際大学に譲り課程を休止。跡地および設備は引き続き上記の関連両校によって校舎・学舎として管理されている。(下記も参照)

大学全体[編集]

往時は1学科3専攻からなっていた。高梁市の本部ほか岡山駅前にもキャンパスが存在した。

建学の精神(校訓・理念・学是)[編集]

教育理念は「学生一人ひとりのもつ能力を最大限に引き出し引き伸ばし、社会に有為な人材を養成する」である。また、上述した順正女学校の名称由来および理念もまた校是として継承するとされている[2]。これは運営法人である順正学園全体の教育理念・校是でもあるため、上位校の吉備国大および附設校の順正高看も同じ理念を掲げている。

教育および研究[編集]

保健科をベースに美容・健康・歯科衛生に関する専攻があった。ほか、保育者を養成する幼児教育科が存在した(指定保育士養成施設)。

アメリカイギリスブラジル中国での研修が行われていた。

学風および特色[編集]

  • 2008年3月に財団法人短期大学基準協会における第三者評価の結果、「適格」認定を受けている。
  • 歯科衛生士養成所としての課程は修業年限が3年制ではなく2年制となっている。
  • 中国地方で唯一の通信教育課程を置く短大となっている。
  • 2009年現在、学生の過半数が下宿生となっている。

沿革[編集]

略歴[編集]

学校法人高梁学園・順正短期大学として1967年岡山県高梁市の現敷地に附設校である「順正高等看護専門学院」(現・順正高等看護福祉専門学校)とともに開校する。

1990年には隣接する敷地に4年制大学「吉備国際大学」(通称・吉備国)が開校。同学園による系列校(実質的な上位学校)ということもあって様々な人的な交流関係が始まる。また、同学園・同一敷地内の系列校という事情から施設の共用も行われており、順正短大の1号館は同時に吉備国の1号館でもあった。これらの歴史的な流れによって、2010年に学校法人名の改称(高梁学園から順正学園となる)と共に学園組織の改組が行われたのを機に、当大学名も改称されて吉備国際大学の短期大学部という扱いに変わり、名実共に吉備国際大学と一体になった。

年表[編集]

  • 同年9月:保育科、当時の厚生大臣によって正式な保母(現在の保育士)養成学校に指定される。
  • 1969年 11月 保健科が文部大臣より歯科衛生士学校として指定される。
  • 1974年 保健科を教職コース・看護コース・歯科コースに分離。
  • 1976年 保育科を幼児教育科に名称変更。
  • 1977年 保健科看護コース、廃止。
  • 1978年 歯科コースを歯科衛生士コースに名称変更。
  • 1980年 保健科の「コース」を「課程」に名称変更。教職課程・歯科衛生士課程、誕生。
  • 1988年 保健科を専攻分離
    • 保健専攻
    • 歯科衛生専攻
  • 教職課程は「保健専攻・教職課程」に。「保健専攻・健康情報課程」誕生。歯科衛生士課程は「歯科衛生専攻・歯科衛生士課程」となる。また、幼児教育科も課程設置。「教育福祉課程」と「国際情報課程」に分離。
  • 1989年 保健科に新たな課程が設置される。
    • 保健福祉専攻:当時の厚生大臣によって正式な介護福祉士養成施設(養成学校)に指定される。
  • 1990年 歯科衛生専攻の歯科衛生士課程が名称変更。「歯科衛生専攻」として一本化。
  • 1995年3月 幼児教育科の「課程」を廃止。「幼児教育科」として一本化。
  • 1998年 専攻科幼児教育専攻を設置。学位授与機構の認定を受ける。
  • 2002年 保健専攻を健康美学デザイン専攻に名称変更。
  • 2007年 保健科健康美学デザイン専攻を改組。
    • 美容デザイン専攻:美容師の養成過程として設立。なお美容師養成専攻を持つ短大は中学地方では初となる試み。美容デザイン専攻を主機能とした岡山駅前キャンパスを設立。
    • 健康科学専攻:従来の健康美学デザイン専攻の機能を移動。従来の、課程選択制度を廃止し、資格取得カリキュラム選択制となる。これにより教職課程および健康情報課程が廃止される(27年続いた課程制度の完全撤廃)
  • 2008年 幼児教育科に通信教育部を置く。
  • 2010年4月1日 大学名を吉備国際大学短期大学部に改称。吉備国際大学に併合される形になったが、同時に運営母体である高梁学園が順正学園に改称されたため「順正」の名前は残ることになった。歯科衛生専攻をデンタルビューティー専攻に、健康美学デザイン専攻をメディカルビューティー専攻にそれぞれ変更。
  • 2011年保健科総合美容専攻を開設
  • 2011年保健科メディカルビューティー専攻募集停止。
  • 2014年学生募集停止。
  • 2016年順正学園(高梁学園)設立50周年(1966年の校舎譲受を設立起点に定めているため)

基礎データ[編集]

所在地[編集]

  • 本部キャンパス(岡山県高梁市伊賀町8)
  • 岡山駅前キャンパス(岡山県岡山市岩田町2-5)

象徴[編集]

旧順正短期大学時代のカレッジマーク(正しくは校章)は備中山城がある臥牛山(小山・大山)の山麓に位置することから2葉の松葉をモチーフとしている。松葉の葉先を向かい合わせに三日月状に配し、その中央に「學」の文字をあしらったものであった。(順正松葉と称する事もある)

上記のデザインから安直に「三日月がデザインされている」と思われがちであるが、よく見ると月に見える松葉部分の両端には、松葉である事を示す葉の節(ふし)があり、また「学」文字部分の真下にあたる月部分の辺の中央が途切れているため、月ではなく松葉である事が如実に見て取れる。なお、実質上の連携学校である順正高等看護福祉専門学校(通称:順正高看)も同様のマークを校章として使用している。ただし順正高看の場合、順正短大側では「学の旧字」をあしらっていた部分が「フォントを同じくした『順正』の二文字を縦書きしたもの」をあしらったものに変わっている。

2010年の大学名称の改称で吉備国際大学の一部となったことから、カレッジマークも吉備国際大学のそれへ統合された。一方で順正高看の校章は引き続き「順正松葉」である。

教育および研究[編集]

組織[編集]

学科[編集]

  • 保健科
    • 総合美容専攻
    • 健康科学専攻(廃止)
    • 歯科衛生専攻:募集は2010年度まで
    • 保健福祉専攻:募集は2008年度まで
    • 美容デザイン専攻:募集は2010年度まで
  • 幼児教育科
    • 通学課程(廃止)
    • 通信教育課程

専攻科[編集]

  • 幼児教育専攻(廃止)
  • メディカルビューティー専攻 (通信制)

別科[編集]

  • なし
取得資格について[編集]
資格
  • 介護福祉士:保健福祉専攻にて取得できた。専攻廃止後、養成機関としての機能と歴史と同窓生管理は隣接する順正高等看護専門学校側に移している。
  • 保育士:幼児教育科にて取得できた。
受験資格
  • 歯科衛生士:歯科衛生専攻にて取得できた。
  • 美容師:美容デザイン専攻にて取得できた。
教職課程
  • 幼稚園教諭二種免許状:幼児教育科にて取得できた。[注 8]。なお、専攻科幼児教育専攻では一種免許状を取得するための道があった。
  • 中学校教諭二種免許状(保健体育):健康科学専攻にて取得できた。2007年度より従来の「保健」より変更。
  • 養護教諭二種免許状:健康科学専攻にて取得できた。

附属機関[編集]

  • 図書館

廃科後の後継機関[編集]

以下の専攻における資格取得・人員養成や研究成果に関しては、併設関連校が成果内容を引き継いでいるため、廃科後の現状ではそちらで学ぶことができる。

  • 保健科保健福祉専攻 → 順正高等看護福祉専門学校 社会福祉課程 介護福祉科
  • 保健科健康科学専攻 → 吉備国際大学 社会科学部 スポーツ社会学科
  • 幼児教育科・幼児教育専攻科 → 吉備国際大学 心理学部 こども発達教育学科

学生生活[編集]

部活動・クラブ活動・サークル活動[編集]

学園祭[編集]

  • 吉備国際大学本体と合同の学園祭「伊賀祭」が毎年、概ね11月に行われている

大学関係者と組織[編集]

設立に関与した者[編集]

  • 加計勉:設立者。学祖。初代理事長。学長。
  • 鈴木雄祥:設立当時の高梁市長。加計勉に順正短大の誘致を打診する。
  • 福西志計子:直接の関わりは持たないがルーツとなる者として準学祖推戴されている。

大学関係者一覧[編集]

歴代学長[編集]

※学長歴任者のうち3代目以降は就任より1年前後の期間において「学長代行」という肩書で職務を遂行している。

氏名 就任時期 略歴・備考
初代 加計勉 1967年 - 1970年 学校法人高梁学園理事長・総長。
加計学園理事長・総長および岡山理科大学学長を兼務
第2代 森沢磊五郎 1970年 - 1973年 美作短期大学教授。
本学教授、本学副学長を歴任。
順正高看校長を兼務
第3代 河辺要太郎 1973年 - 1975年
第4代 日比野三成 1975年 - 1979年
第5代 簡野正一郎 1979年 - 1991年 順正高看校長。1985年まで兼務
第6代 富井通雄 1991年 - 1999年 岡山県立病院 院長
第7代 大藤眞 1999年 - 2004年 岡山大学医学部教授
第8代 倉田和四生 2004年 - 2006年 関西学院大学教授・社会学部長
吉備国際大学副学長
高梁の郷土史を研究。留岡幸助福西志計子らの伝記研究に尽力。
第9代 山部正 2006年 - 2011年 本学学長退任後、2013年まで順正高看校長職に就く
吉備国際大短大部移管時の学長
順正短期大学の学長としては最後の着任者
吉備国際大学短大部学長としては初代かつ唯一となる短大部学長単職の着任者
第10代 松本皓 2011年 - 2015年 岡山大学医学部教授
順正高看校長
吉備国際大学学長を兼任
第11代 眞山滋志 2015年 - 2016年 神戸大学名誉教授
吉備国際大学学長を兼任
課程休止時の学長

施設[編集]

岡山駅前キャンパス(課程停止前当時)

キャンパス[編集]

高梁キャンパス[編集]

  • 使用学科:幼児教育科・保健科
  • 使用専攻科:幼児教育専攻
  • 使用附属施設:図書館
  • 交通アクセス:JR西日本伯備線備中高梁下車。バスを利用する場合は、備北バス「高梁市内循環線」に乗車の上、「順正短大前」バス停留所で下車。
  • 設備:学生食堂・国際交流会館ほか

岡山キャンパス[編集]

  • 使用学科:保健科美容デザイン専攻
  • 使用専攻科:なし
  • 使用附属施設:なし
  • 交通アクセス:JR山陽本線岡山駅下車。

[編集]

  • 「たかはし寮」と「歯科岡山寮」と称した学生寮があり、いずれも女子を対象とした寮となっている。

史跡[編集]

順正記念館(順正寮跡)と石碑
改修前の順正寮跡
順正寮跡
1895年11月築、1896年3月28日供与。[3]
高梁市頼久寺町の順正学園敷地内に在する。半洋風型和風(擬洋風)建築。県指定重要文化財。岡山県初の女学校舎である。[4]
順正短大旧校舎・旧図書館。また岡山県立高梁高等学校の元・伊賀町分校旧校舎でもあり、元は順正高等女学校(順正女学校)の学校舎。現在は順正学園および高梁市によって管理されているが、老朽化のため管理内容は建物の保全にとどまり、現在は校舎としての使用は控えられている。
順正女学校を設立した福西志計子によって設立・建設された同校の校舎であり寄宿寮。福西はキリスト教信徒であり、順正女子校もその理念を持って設立されたが、当時の高梁では急速に広まるキリスト教に地元の警戒が強まったため、その反発をかわして教育の理想を貫くべく洋風校舎の建築を避け、あえて和風の外観を持つ校舎を建築した。しかし、破風上部の丸窓を意識したガラリ窓や玄関を覗き込むような菱組天井、随所の上げ下げ窓など、あらゆる箇所に洋風設計の名残を残している。なお、先ほどから幾度も述べているように順正短大そのものは旧順正女子校とは経営母体が違うため、ミッション系の学校ではない事に注意すること。
2015年から管理者である順正学園により復元改築が行われ、2016年4月30日に工事が完了。順正女学校を設立させた福西志計子らを記念するための順正記念館として供与されている。[5]

対外関係[編集]

他大学との協定[編集]

アメリカ[編集]

カナダ[編集]

イギリス[編集]

オーストリア[編集]

ポーランド[編集]

ブラジル[編集]

フィリピン[編集]

中国[編集]

台湾[編集]

韓国[編集]

姉妹校[編集]

系列校[編集]

系列福祉施設[編集]

社会との関わり[編集]

  • 本短大卒業生が「野崎教育賞」を受賞している。

卒業後の進路について[編集]

就職について[編集]

  • 全学科・専攻ともそれぞれの分野を活かした職に就いている人が少なからずいるものとみられる。

編入学・進学実績[編集]

  • 吉備国際大学本体ほか系列大学への編入学がある。

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ 設立時は学校法人高梁学園
  2. ^ a b 順正短期大学時代より使用。現在は「順正学園の短期大学部」の意。
  3. ^ ここに言う「妾婦」とは、苦難を自ら己の物として立ち向かう女性に対する謙譲ないしは尊敬を交えた敬称の事。妾とは主に従僕として仕える下女の事であり、現在に言うとは多少意味合いが異なる事に注意。資料や訳書によっては「以順為正者 妾婦之道成」(順を以て正しきを為す者は、妾婦の道を成す)としている場合もある。
  4. ^ のちの順正学園
  5. ^ 設立時は順正高等看護専門学院
  6. ^ 在学者数は女子45人となっていた。
  7. ^ 在学者数は33人(うち男子1人)となっていた。
  8. ^ 通学課程・通信教育課程ともに同じであった。

引用[編集]

  1. ^ 高梁市史(旧版) p.1011
  2. ^ 「順正」の由来(学校法人順正学園)より
  3. ^ 『福西志計子と順正女学校 山田方谷・留岡幸助・伊吹岩五郎との交友』(著・倉田和四生 / 刊・吉備人出版 /2006年12月16日 初版発行)巻末資料「順正女学校略年譜」より
  4. ^ 順正寮前案内看板より
  5. ^ 順正記念館(旧順正寮)の開所式を行いました。- 学校法人順正学園

参考文献[編集]

関連項目[編集]

外部リンク[編集]

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