今出川清水

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今出川清水(出合清水)
今出川湧水(出合清水)
所在地 広島県安芸郡府中町石井城一丁目2番街区
北緯34度23分59秒 東経132度30分35秒 / 北緯34.399836度 東経132.5098度 / 34.399836; 132.5098 (今出川清水(出合清水))座標: 北緯34度23分59秒 東経132度30分35秒 / 北緯34.399836度 東経132.5098度 / 34.399836; 132.5098 (今出川清水(出合清水))
成因 湧水
淡水・汽水 淡水
プロジェクト 地形
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今出川清水(いまでがわしみず)は、広島県安芸郡府中町石井城一丁目2番街区にある湧水である。1985年昭和60年)名水百選[1]の一つに指定されている。また、府中町指定の名勝にも指定されている[2]

名水百選選定時から2012年まで、環境庁への届け出時のミスで出合清水(であいしみず)とされ、120m離れた先に存在する『今出川湧水』との名称の取り違えが明らかになった[3][4]

この項目では、今出川清水・出合清水など周辺部にある湧水についても合わせて触れる。

概要[編集]

水源は水分峡から浸透した地下水という説と[5][6]、太田川水系府中大川支流「榎川」の扇状地扇端部の伏流水との説がある[1]

記録に残っている範囲では、『安芸府中村社寺堂古跡帖』(1712年)や『安永七年総社八幡差縺覚』(1778年)、『芸藩通志の付図』(1825年)、『芸州厳島図会』(1842年)、『芸州府中荘誌』(1932年)などに記載がある[3]。以前は、同様の湧水が周辺に多く存在したが、農業の衰退により一部を除いて消滅した[7]。2011年には海田酒販組合が、水源とされる水分峡の地下水をペットボトルに詰めた『水分峡のうまい水』を3600本製造し販売した[8]。また、同じ水源とされる湧き水で、近くにある『田所明神社』(北緯34度23分56.8秒 東経132度30分35.5秒 / 北緯34.399111度 東経132.509861度 / 34.399111; 132.509861 (田所明神社(田所屋敷跡)))の『田所神水』は飲用することが出来る[補足 1]

今出川清水[編集]

別名『東川』[9][10][補足 2]。名水百選選定時から2012年まで『出合清水』とされていた。

古くから近隣住民の生活用水として大切に管理されており、石造の貯水池は湧出口から順に飲料水用、食料品の洗浄水用、洗濯用に区切られ整備されている。水天宮を祀り今も大切に管理されている[11]

1974年の新聞に、1950年頃に水道が引かれるまで、地域の住民が洗顔や洗濯、米とぎなどに清水が使われ、近くの子供や主婦が、敷石がツルツルのためよく転落したことや、おしめ替えの時にすぐに洗濯することで3組で足りたと、記録が残っている。また、1974年頃は清水を利用する20軒あまりが共同で月に1回、水替えや泥さらいを行っていた[12]

以前は飲料水としても使われていたが、周辺部の宅地化の進行や道路整備により水量が減少したほか、1988年(昭和63年)以降の水質調査で大腸菌が検出[5][6]、1990年夏に基準の200倍の大腸菌が検出され『煮沸して飲んでください』の看板設置[13]1993年平成5年)以降、教育委員会により『この水は飲めません』と看板が設置された[5][6][13]

2010年以降、名水再生の活動が活発化し、2010年にはマツダ工業技術短期大学校が、ブラシによるコケや汚れの清掃および濁り水のくみ出しが[5][14]、2011年には地域住民による守る会が結成され、ポンプにより水をくみ出した後で、底の清掃を行った[6][15]

芸藩通志』に古歌として

安藝の國府、出合清水に今出川 温品あらしいつもはげしき — 頼杏坪ほか編、芸藩通志

と詠まれている[16]

出合清水[編集]

出合清水(今出川湧水)
今出川湧水(出合清水)
所在地 広島県安芸郡府中町石井城一丁目9番街区
北緯34度23分56.4秒 東経132度30分39.2秒 / 北緯34.399000度 東経132.510889度 / 34.399000; 132.510889 (出合清水(今出川湧水))
成因 湧水
淡水・汽水 淡水
プロジェクト 地形
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別名『出井清水』[17][10][補足 3]。名水百選選定時から2012年まで『今出川湧水』とされていた。

今出川清水の南東側120m離れた位置にあり、周辺部には古代安芸国国府があり、総社跡や田所屋敷跡(田所明神社)などに隣接し、今出川清水などと共に聖なる水として、お供えされた[18][19]。以前は、『芸州厳島図会』に描かれた通りの大きな清水で、当地にあった岩盤が洗い場の機能を果たしていたが[19]、何度も水害により埋もれ、そのたびに掘り起こされたが[19]、その後、水の逆流で埋められ[19]、現在のような小さな清水になっている。

『芸藩通志』に、先の古歌の他に

あきの國出合の清水、鷲の森 阿弥陀がみねに いつくしま山 — 頼杏坪ほか編、芸藩通志

と詠まれている[20]

名称の取り違いの判明[編集]

2012年10月に、近くに在住する大学名誉教授の調べで、約120m離れた所にある『今出川湧水』との名称の取り違えがあることが判明した。『芸藩通志の付図』(1825年)や『芸州厳島図会』(1842年)、『芸州府中荘誌』(1932年)を確認した結果、取り違えの事実が判明した[3][4]

『安永七年総社八幡差縺覚』の「一、御殿の前に井戸がある。この井戸を出井の清水と言い、その脇に今出川という川がある」との記述[21]より、出合清水と今出川清水が別個に存在すること[補足 4]

『芸藩通志』の府中村の地図や[23][24]、『安芸郡和庄村より矢賀村迄道筋袖控』の地図[25]に西側に今出川、東側に出合清水の記載があること。『芸州厳島図会』の絵図に田所宅(田所明神社)の東側、および総社の南側に「居出井清水」の記述があり、出合清水の位置が確認できること[26][27]。『芸州府中荘誌』の『今出川は石井城坂本氏の下の泉なり』[16][補足 5]などの記述。周辺住民への聞き取りや、1974年に発行された中国新聞の記事に「通称東川。”いまいで川”とも記述されている」[12][補足 6]の記述があることなどが確認された[3]

同年7月に開催された審議会で参加7人で確認された。今後、町史や案内板の訂正を予定している。取り違えた理由として、1978年に発行された町史に写真付きで間違えて掲載されたことより、それを元に報告したことが名称の取り違えの理由と思われている[3][補足 7]

11月17日に、町内の施設で『出合清水名称訂正説明会』が開催された[29]

交通[編集]

  • 広島駅下車 広電バス大須経由温品四丁目行「本町四丁目」下車 徒歩5分
  • 出合清水までは市街地の隘路のため車で進入することはできない。また、近隣に時間貸しの駐車場はない。

補足[編集]

  1. ^ 位置的にも、今出川湧水・出合清水の中間にある
  2. ^ 『安芸府中村社寺堂古跡帖』に
    一 同 今出川 但シ東ノ川とも村ニテ申候
    —、安芸府中村社寺堂古跡帖
    と記述がある
  3. ^ 『安芸府中村社寺堂古跡帖』に「一 清水 出井と申候又出合とも申候」と記述がある
  4. ^ 『神武天皇聖蹟誌』でも、今出川清水と出合清水の双方の記述があり、出合清水の解説で「當社の御池に御座候」と記載[22]、次の列に記載された今出川清水の解説で「仝」(同じの意味)と記載されているので[22]、双方とも存在する事が確認できる。
  5. ^ 2012年現在でも今出川の北側に坂本宅は存在する
  6. ^ 説明会での配付資料[28]には、6月23日掲載とあるが間違い。
  7. ^ 『安芸府中町誌 通史編』50ページに、間違えた写真と共に『図1-21 出合清水(石井城)』と記述されている

参照[編集]

  1. ^ a b 環境省選定名水百選 今出川清水(いまでがわしみず) - 環境庁
  2. ^ 出合清水 - 府中町教育委員会
  3. ^ a b c d e 府中の湧き水、名前違い判明 - 中国新聞 2012年10月17日
    『「名水百選」府中の湧き水 出合清水 実は今出川だった 町史に誤記 案内板訂正へ』 - 中国新聞 朝刊 2012年10月17日 24面
  4. ^ a b 広報ふちゅう 2012年10月 20ページ (PDF) - 府中町
  5. ^ a b c d 『名水研究 地域おこしへ 府中の「出合清水」テーマ マツダ短大 住民と連携 清掃も』 - 中国新聞 朝刊 2010年5月18日 22面
  6. ^ a b c d 『名水「出合清水」再生へ 府中の住民 きょうから一帯清掃』 - 中国新聞 朝刊 2011年7月23日 22面
  7. ^ 『安芸府中町誌 通史編』49ページ・50ページ
  8. ^ 『水分峡の水に郷土愛を詰め 海田酒販組合』 - 中国新聞 朝刊 2011年11月16日 26面
  9. ^ 『安芸府中の文化 第3集』13ページ
  10. ^ a b 『安芸府中町誌 資料編』336ページ
  11. ^ 『錦川鯉の名水賛歌 広島版 VOL.3』 6ページ
  12. ^ a b 『心の歳時記 水恋い 水神の命脈いまも 生活の変化で薄らいだ信仰』 - 中国新聞 朝刊 1974年6月23日 11面
  13. ^ a b 『錦川鯉の名水賛歌 広島版 VOL.3』 8ページ
  14. ^ 広報ふちゅう 2010年7月 3-4ページ (PDF) - 府中町
  15. ^ 広報ふちゅう 2011年10月 9ページ (PDF) - 府中町
  16. ^ a b 『芸州府中荘誌』172ページ
  17. ^ 『安芸府中の文化 第3集』12ページ
  18. ^ 今出川湧水 - 府中町
  19. ^ a b c d 『錦川鯉の名水賛歌 広島版 VOL.3』 ページ
  20. ^ 『芸州府中荘誌』171ページ
  21. ^ 『安芸府中の文化 第6集』23ページ
  22. ^ a b 『神武天皇聖蹟誌』26ページ
  23. ^ 『芸藩通志 第二巻』483ページ
  24. ^ 『安芸府中町誌 資料編』67ページ
  25. ^ 『安芸府中町誌 資料編』70ページ
  26. ^ 『芸州厳島図会 上巻』442ページ・443ページ
  27. ^ 総社跡 - 府中町
  28. ^ 出合清水・今出川清水の名称(位置)訂正説明資料2 (PDF)
  29. ^ 名水百選の湧き水訂正を説明 - 中国新聞 2012年11月18日
    『名水誤称で経緯を説明 府中町教委 看板訂正「慎重に検討」』 - 中国新聞 朝刊 2012年11月18日 21ページ

参考文献・サイト[編集]

文献[編集]

  • 『安芸府中の文化 第3集』(編集・発行 : 府中町重要文化財保護協会)昭和44年3月発行
    『安芸府中村社寺堂古跡帖』(1712年発行)に関する記述あり
  • 『安芸府中の文化 第6集』(編集・発行 : 府中町重要文化財保護協会)昭和47年3月発行
    『安永七年総社八幡差縺覚』(1778年発行)に関する記述あり
  • 『安芸府中町誌 通史編(第一巻)』(編集 : 府中町誌編修委員会、発行 : 広島県安芸郡府中町)昭和54年3月31日発行
  • 『安芸府中町誌 資料編(第二巻)』(編集 : 府中町誌編修委員会、発行 : 広島県安芸郡府中町)昭和52年9月10日発行
    『安芸府中村社寺堂古跡帖』(1712年発行)、『芸藩通志』(1812年)、『安芸郡和庄村より矢賀村迄道筋袖控』(江戸末期)に関する記述あり
  • 『芸藩通志 第二巻』(復刻版)(編集者 : 頼杏坪 他、発行所 : 国書刊行会)昭和56年1月25日発行
  • 『芸州厳島図会 上巻』(復刻版)(編集者 : 福田直記、発行者 : 宮島町)昭和48年12月13日発行
  • 『芸州府中荘誌』(復刻版)(編集者 : 菅原守、発行所 : 默平堂書店)昭和47年発行 ASIN B000J9GKQA
  • 『錦川鯉の名水賛歌 広島版 VOL.3』(著者 : 錦川鯉、発行所 : KN企画)2003年発行 ISBN 4-9901527-2-7
  • 中国新聞』(中国新聞社)各バックナンバー
  • 『神武天皇聖蹟誌』(広島県)1941年発行

サイト[編集]

関連項目[編集]

外部リンク[編集]

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