クアトロ・デ・フェベレイロ空港

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クアトロ・デ・フェベレイロ空港
Aeroport-4-de-Fevereiro-Chegadas LWS1962.JPG

IATA:LAD-ICAO:FNLU

LAD/FNLUの位置(アンゴラ内)
LAD/FNLU
LAD/FNLU
空港の位置(アンゴラ)
概要
国・地域 アンゴラの旗 アンゴラ
所在地 ルアンダ
種類 軍民共用
運営者 アンゴラ共和国軍
標高 74 m (234 ft)
座標 南緯08度51分30秒 東経13度13分52秒 / 南緯8.85833度 東経13.23111度 / -8.85833; 13.23111座標: 南緯08度51分30秒 東経13度13分52秒 / 南緯8.85833度 東経13.23111度 / -8.85833; 13.23111
滑走路
方向 ILS 長さ×幅 (m) 表面
05/23 NO 3,716×45 舗装
07/25 NO 2,600×60 舗装
リスト
空港の一覧

クアトロ・デ・フェベレイロ空港(2月4日空港 : Quatro de Fevereiro Airport)もしくはルアンダ国際空港はアンゴラの首都ルアンダにある国際空港TAAGアンゴラ航空が拠点としている。空港名の由来はアンゴラ独立戦争の始まった日が1961年2月4日であった事に因んでいる。

歴史[編集]

同地での空港建設はアンゴラを植民地支配していたポルトガルによって1951年に開始され、1954年に完成、開港した。その時点でアントニオ・サラザールによるエスタド・ノヴォ体制で大統領を務めていたフランシスコ・クラヴェイロ・ロペスにちなんでクラヴェイロ・ロペス空港と名付けられた。当時は南アフリカ共和国で白人政権によるアパルトヘイト政策が続けられ、1960年代に次々と独立したブラックアフリカ諸国は南アフリカ航空機の領空通過を拒否していたため、アフリカ大陸西岸の迂回ルートを余儀なくされる南アフリカ航空にとってポルトガル領内の同空港はヨーロッパ方面への重要な寄港・給油地となっていた[1]

1975年に植民地戦争とポルトガル革命によってアンゴラが独立した後、翌1976年にアンゴラ政府は同空港の名称を旧植民地の支配者から独立戦争にちなんだ現行のものに変更した。

就航航空会社[編集]

海外航空会社

航空会社 就航地
フランスの旗 エールフランス パリ
ナミビアの旗 エア・ナミビア ウィントフック
ナイジェリアの旗 アリクエア ラゴス
イギリスの旗 ブリティッシュ・エアウェイズ ロンドン
ベルギーの旗 ブリュッセル航空 ブリュッセル
エチオピアの旗 エチオピア航空 アディスアベバ
アラブ首長国連邦の旗 エミレーツ航空 ドバイ
コンゴ共和国の旗 エクアフライト ポワントノワール
スペインの旗 イベリア航空 マドリード
ケニアの旗 ケニア航空 ナイロビ
オランダの旗 KLMオランダ航空 アムステルダム
モザンビークの旗 LAMモザンビーク航空 マプト
ドイツの旗 ルフトハンザドイツ航空 フランクフルト
モロッコの旗 ロイヤル・エア・モロッコ カサブランカリーブルヴィル
南アフリカ共和国の旗 南アフリカ航空 ヨハネスブルク
ポルトガルの旗 TAPポルトガル航空 リスボン
トルコの旗 ターキッシュ エアラインズ イスタンブル(アタテュルク)

国内航空会社

利用客数[編集]

  • 利用客は経済成長に伴って年々増加しており、2009年度は約180万人[2]を記録した。

脚注[編集]

  1. ^ 1976年当時の南アフリカ航空の路線網より、[1]
  2. ^ Over 2 million passengers processed at Luanda airport, Angola, in first half