マイケル・マンスフィールド

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マイク・マンスフィールド
Michael Joseph Mansfield.jpg
アメリカ合衆国上院議員
モンタナ州選出
任期
1953年1月3日 – 1977年1月3日
前任者 ザレス・エクトン
後任者 ジョン・メルチャー
第12代 上院多数党院内総務
任期
1961年1月3日 – 1977年1月3日
前任者 リンドン・ジョンソン
後任者 ロバート・バード
アメリカ合衆国下院議員
モンタナ州第1選挙区選出
任期
1943年1月3日 – 1953年1月3日
前任者 ジャネット・ランキン
後任者 リー・メトカーフ
22nd 駐日アメリカ合衆国大使
任期
1977年6月10日 – 1988年12月22日
大統領 ジミー・カーター
ロナルド・レーガン
前任者 ジェイムズ・ホジソン
後任者 マイケル・アマコスト
個人情報
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
政党 民主党
配偶者 モーリーン・マンスフィールド
専業 歴史学教授
宗教 ローマカトリック
署名
兵役経験
部門 アメリカ海軍
アメリカ陸軍
アメリカ海兵隊
最終階級 水兵
二等兵
上等兵
戦闘 第一次世界大戦

マイケル・ジョーゼフ・マンスフィールド (Michael Joseph "Mike" Mansfield, 1903年3月16日 - 2001年10月5日) は、アメリカ合衆国政治家ニューヨーク生まれのモンタナ州育ち。モンタナ大学卒業。所属政党は民主党。愛称はマイク(Mike)。

1953年に初当選後、1977年の任期満了をもって引退するまでの24年間にわたって上院議員を務め、そのうち1961年から1977年までの16年間は多数党院内総務を務め、上院民主党の大物として活躍した。この16年という任期はアメリカ史上最長であり、現在でも破られていない記録である。また知日派としても知られ、1977年から1989年までの長期にわたって駐日大使を務めた[1]。日本駐在中は、来客に対しマンスフィールド自らがコーヒーを入れることで有名だった。これは、当時の日本社会では「お茶くみ」は女性の役目として固定化されていた事の是正を促す狙いがあった。

マイク・マンスフィールド

経歴[編集]

マンスフィールド研修[編集]

マンスフィールドは、駐日大使退任後も日米関係の維持・向上に関する活動に携わった。1994年には米国連邦議会で自らの名を冠した「マイク・マンスフィールド・フェローシップ法」を成立させ、米国連邦政府職員を日本政府中央省庁に1年間派遣する国際交流研修制度を創設した。[2] [3]

脚注[編集]

  1. ^ 最後期には、当時の竹下内閣から勲一等旭日桐花大綬章を授与された。
  2. ^ [1] 人事院年次報告書
  3. ^ [2] マンスフィールド財団

外部リンク[編集]

アメリカ合衆国下院
先代:
ジャネット・ランキン
モンタナ州選出下院議員
モンタナ州第1選挙区

1943 - 1953
次代:
リー・メトカーフ
アメリカ合衆国上院
先代:
ザレス・エクトン
モンタナ州選出上院議員(第1部)
1953 - 1977
同職:ジェームズ・E・マレー, リー・メトカーフ
次代:
ジョン・メルチャー
党職
先代:
アール・C・クレメンツ
ケンタッキー州
上院多数党院内幹事
1957 - 1961
次代:
ヒューバート・ハンフリー
ミネソタ州
先代:
リンドン・ジョンソン
テキサス州
上院多数党院内総務
1961 - 1977
次代:
ロバート・バード
ウェストバージニア州
受賞
先代:
ロナルド・レーガン
シルヴァヌス・サイアー賞
1990
次代:
ポール・ニッツェ