ベティ・デイヴィス (歌手)

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ベティ・デイヴィス
Betty Davis
出生名 ベティ・グレイ・メイブリー
Betty Gray Mabry
別名 ベティ・デイヴィス
Betty Davis
生誕 (1944-07-26) 1944年7月26日
出身地 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
ノースカロライナ州ダーラム
死没 (2022-02-09) 2022年2月9日(77歳没)
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
ペンシルベニア州ホームステッド
ジャンル ファンクR&Bソウルロック
職業 歌手、シンガーソングライター、モデル
担当楽器 ボーカル
活動期間 1964年1979年2019年
レーベル コロムビアJust SunshineアイランドLight in the Attic
共同作業者 マイルス・デイヴィス
チェンバース・ブラザーズ

ベティ・デイヴィス[1]英語: Betty Davis、本名:ベティ・グレイ・メイブリー英語: Betty Gray Mabry)、1944年7月26日2022年2月9日[2])は、アメリカ合衆国シンガーソングライターモデル。彼女は物議を醸す性的指向の歌詞とパフォーマンススタイルで知られており、トランペット奏者のマイルス・デイヴィスの2番目の妻だったことでも知られる[3]。「ティナ・ターナーのリアルな感情を妥協なく表現する態度、デヴィッド・ボウイの未来派のファッションセンス、マイルス・デイヴィスの流行を生み出す才能を組み合わせた、非常に華やかなファンクの歌姫」とも表現される[4]

生い立ち[編集]

ベティ・グレイ・メイブリーは1944年7月26日、ノースカロライナ州ダーラムで生まれる[5][6]。彼女は10歳の頃に音楽に興味を持ち、リーズビルの農場に滞在している間、祖母から様々なブルースミュージシャンを紹介された[7]。12歳のとき、彼女の最初の曲の1つ、「I’m Going to Bake That Cake of Love」を書いた[8]。家族はペンシルベニア州ホームステッドに転居したため、父親のヘンリー・メイブリーは製鉄所で働くことができ、ベティはホームステッド高校を卒業した[9]。ベティは、父のエルヴィス・プレスリーのようなダンスを見たのをきっかけに、芸能界入りを決めた[7]

経歴[編集]

彼女が16歳のとき、ベティはホームステッドを離れてニューヨークに向かい、叔母と一緒に暮らしながらファッション工科大学 (FIT) に入学。1960年代初頭のグリニッジ・ヴィレッジの文化とフォーク・ミュージックを吸収した。彼女は、若くてスタイリッシュな人々が集まるおしゃれなアップタウン・クラブであるセラーの常連客たちと付き合うようになった。彼らはモデル、デザインの学生、俳優、歌手と多民族的でアートに関心がある者たちであった。セラーで彼女はレコードを演奏し、人々とおしゃべりをした。当時FITで一緒に学んだファッション・デザイナーのスティーブン・バロウズの友人であり、彼の初期の「ミューズ」でもあった[10]。彼女はモデルとしても活動し、『Seventeen』『エボニー』『グラマー』といった雑誌に写真が見開きで載った[11]

ニューヨークで、彼女はジミ・ヘンドリックススライ・ストーンなどのミュージシャンたちと出会う[12]。彼女の音楽的キャリアの種は、ソウルシンガーのルー・コートニーとの友情を通して蒔かれた。ルー・コートニーは、彼女の最初のシングル「The Cellar」をプロデュースしたといわれているが、そのレコードの実在は疑問視されている[13]。彼女はフランク・シナトラの編曲を書いたドン・コスタと契約を結んだ[7]。ベティ・メイブリー名義で、彼女は1964年にドン・コスタのDCPインターナショナルレーベルのために「Get Ready For Betty」と「I’m Gonna Get My Baby Back」をレコーディングした[13]。同じ頃、彼女は「Roy and Betty」という共同名で、ロイ・アーリントンとのSafice Recordsのシングル「I’ll Be There」をレコーディングした[14]

彼女のプロになってからの最初のギグは、チェンバース・ブラザーズのために「Uptown (to Harlem)」を書いたあとだった。彼らの1967年のアルバム(『ザ・タイム・ハズ・カム』)は大成功となったが、メイブリーは彼女のモデルとしてのキャリアに焦点を合わせた。彼女はモデルとして成功したが、仕事に飽き飽きしていた。「やるのに頭脳が必要なかったので、私はモデルの仕事は好きではなかった。モデルは見栄えが良いだけでやっていける」[15][16]

1968年にヒュー・マセケラと関係があったとき、コロムビア・レコードのためにいくつかの曲を録音し、マセケラがアレンジを行った [17]。そのうちの2つはシングルとしてリリースされた(「Live, Love, Learn」、「It’s My Life」)。マイルス・デイヴィスと彼女の関係は、マセケラと彼女が別れた直後に始まった。彼女はマイルス・デイヴィスのアルバム『キリマンジャロの娘』(彼女へのオマージュ曲「マドモアゼル・メイブリー」が含まれる)のジャケットに写り、サイケデリック・ロックとその時代の華やかな服のスタイルにマイルスを導いた[4][12]。1969年の春、ベティはコロムビアの52nd St. Studios(ビリー・ジョエルの『ニューヨーク52番街』のタイトルの由来にもなったスタジオ)に戻り、マイルスとテオ・マセロがプロデュースする一連のデモトラックを録音した。これらのセッション中に少なくとも5曲が録音され、そのうち3曲はベティのオリジナル、2曲はクリームクリーデンス・クリアウォーター・リバイバルのカバーだった。マイルスはこれらのデモ曲でベティのアルバム契約を確保しようとしたが、コロンビアもアトランティックも興味を持たず、2016年にシアトルLight in the Attic Recordsが編集した『The Columbia Years, 1968–1969』でリリースされるまで保管庫に保管されていた[18]

マイルスとの結婚が終わった後、ベティはモデルとしてのキャリアを追求するために、1971年頃にロンドンに引っ越した。彼女は英国にいる間に曲を書き、約1年後、サンタナと一緒に曲を録音するつもりでアメリカに戻る。代わりに、彼女はラリー・グラハムグレッグ・エリコポインター・シスターズタワー・オブ・パワーのメンバーを含む西海岸のファンク・ミュージシャンのグループと一緒に自分の曲を録音した[4]。自分自身ですべての曲を書き、アレンジした[19]。彼女の最初のアルバム『ベティー・デイヴィス』は1973年にリリースされる。続いて1974年には『ゼイ・セイ・アイム・ディファレント』をリリース。1975年の『ナスティー・ギャル』でメジャー・デビューとなった。3枚のアルバムはいずれも商業的に成功しなかったが[4]ビルボードのR&Bチャートで2つのマイナーヒットを記録。1973年に「If I’m in Luck I Might Get Picked Up」が66位、1975年に「Shut Off the Lights」が97位に入った[20]

デイヴィスは、彼女の恥も外聞もない性的な歌詞とパフォーマンスのおかげで、歌手としてカルト的な人物であり続けた。彼女はヨーロッパで成功を収めたが、アメリカでは性に積極的なペルソナのためにテレビ出演を禁じられた[21]。彼女のショーのいくつかはボイコットされ、楽曲も宗教団体やNAACPからの圧力のためにラジオで放送されなかった[22]カルロス・サンタナはベティを「不屈の精神で、飼いならせなかった」「音楽的にも、哲学的にも、肉体的にも、彼女は極端で魅力的だった」と回想した[23]

引退[編集]

1976年アイランド・レコードの別のアルバムを完成させた(33年間放置され、リリースされていなかった)。日本で1年間過ごし、修道僧たちと時間を過ごした。

1980年、父が亡くなり、ペンシルベニア州ホームステッドで母と一緒に暮らすためにアメリカに戻ることになる。彼女は父の死とそれに続く自身の精神疾患を克服するのに苦労する。彼女は当時「挫折」に苦しんでいたことを認めたが、ホームステッドにとどまり、キャリアの終わりを「受け入れ」、静かな生活を送った[24]

1979年のデイヴィスの最後のレコーディングのトラックは、1995年の『クラッシン・フロム・パッション』と1996年の『Hangin’ Out in Hollywood』の2枚の海賊盤アルバムでリリースされた[25]。1995年にベストアルバム『Anti Love: The Best of Betty Davis』もリリースされた[26]

2007年に『ベティー・デイヴィス』 と『ゼイ・セイ・アイム・ディファレント』が、 Light in the Attic Recordsから再発された[27]。2009年に、レーベルは『ナスティー・ギャル』と1976年に録音された彼女の未発表で4番目となるスタジオ・アルバムを『イズ・イット・ラヴ・オア・デザイア』と改名し再発した。両リイシューには豊富なライナーノーツが含まれており、彼女の最後のバンドメンバー(ハービー・ハンコックチャック・レイニーアルフォンス・ムゾーン)によっておそらく彼女の最高の作品であると考えられている彼女の4枚目のアルバムが33年も棚上げされ、未発表のままだった理由の謎に光を当てた[28]

2017年、フィリップ・コックス監督の『Betty Davis: They Say I’m Different』というタイトルの独立したドキュメンタリーが発表され、彼女の人生と音楽のキャリアへ再び関心が寄せられた。コックスがデイヴィスを追ったとき、彼は彼女がインターネット、携帯電話、そして車もない家の地下室に住んでいるのを知った。「彼女は富や驕りを持った女性ではありませんでした。必要最低限のもので生活していました」とコックスは語っている[24]

2019年、40年以上ぶりの新曲「A Little Bit Hot Tonight」をリリースした。彼女の友人であり共同プロデューサーであった音楽民族学者のダニエル・マッジョが演奏・歌唱を担当[29]

2022年2月9日、ペンシルベニア州ホームステッドの自宅でのため死去、77歳没[3][30]

逸話など[編集]

1966年、モデルとして、ベティは19歳の先輩であるジャズ・ミュージシャンのマイルス・デイヴィスと出会う[31]。彼は最初の妻でダンサーのフランシス・デイヴィスと離婚し、女優シシリー・タイソンと付き合っていた。ベティは1968年の初めにマイルスとの交際を開始し、同年9月に結婚した[31]。結婚した年のうちに、彼女は彼の音楽に影響を与えることになる時代のファッションとポピュラー音楽の流行を彼に紹介した。マイルスは自伝の中で、ベティがサイケデリック・ロック・ギタリストのジミ・ヘンドリックスファンクのイノベーターであるスライ・ストーンを自分に紹介することで、音楽への更なる探求の種を蒔いたことを認めた[17]。マイルス・デイヴィスのアルバム『キリマンジャロの娘』のジャケットにはベティが写っており、彼女にちなんで名付けられた曲(「Mademoiselle Mabry」)が収録されている[32]

マイルズは自伝の中で、ベティは「若すぎてワイルド」だったと述べ、結婚の終焉を早めたジミ・ヘンドリックスとの関係について彼女を非難した[33]。ベティはこの事件を否定し、「彼がそれを書いたとき、私はマイルスにとても腹を立てていた。ジミと私にとって無礼だった。マイルスと私は彼の激しい気性のために別れた」と語った[23]。彼女を姦淫の罪で告発した後、彼は1969年に離婚を申請した[34]。マイルスは『ジェット』誌に、離婚は「気質」の罪で得られたと語った。 「私は結婚するような類の男ではない」と彼は付け加えた[35]。ヘンドリックスとマイルスは、ヘンドリックスが死ぬまで、レコーディングを計画していた。マイルス・デイヴィスへのジミ・ヘンドリックスと特にスライ・ストーンの影響は、フュージョンの時代を先導したアルバム『ビッチェズ・ブリュー』に顕著である。彼はこのアルバム・タイトルを『Witches Brew』としたかったと言われているが、ベティはタイトルを変更するように説得した[36]

ベティ・デイヴィスはミュージシャンのエリック・クラプトンと軽くデートをしたが、彼女は彼とのコラボレーションを拒否した[19] [37]

1975年、恋人であるロバート・パーマーが、ベティのアイランド・レコードとの契約を結ぶのに協力した。その後まもなく、彼女はアルバム『ナスティー・ギャル』をリリースした [37]

その後[編集]

2017年に『Betty: They Say I'm Different』というタイトルのドキュメンタリーが製作された[38][39]

実写・アニメーションTVシリーズの『Mike Judge Presents: Tales from the Tour Bus』はデイヴィスの物議を醸すキャリアに焦点を当てたエピソードで2018シーズンを終えた[40]

ベティ・デイヴィスの曲は『オレンジ・イズ・ニュー・ブラック』[41]、『Girlboss ガールボス』[42]、『Mixed-ish』[43]、『ハイ・フィデリティ』などのテレビシリーズでも取り上げられている[44]

ディスコグラフィ[編集]

スタジオ・アルバム[編集]

アルバム レーベル US

R&B

オーストラリア [45] 備考
1973年 『ベティー・デイヴィス』
Betty Davis
Just Sunshine

Light in the Attic (2007年リイシュー)

- - プロデュースはグレッグ・エリコ
旧邦題『褐色のファンキー・クィーン』
1974年 『ゼイ・セイ・アイム・ディファレント』
They Say I’m Different
Just Sunshine

Light in the Attic (2007年リイシュー)

46位 - プロデュースはベティ・デイヴィス
旧邦題『ファンキー・ベティ』
1975年 『ナスティー・ギャル』
Nasty Gal
Island

Light in the Attic (2009年リイシュー)

54位 96位 プロデュースはベティ・デイヴィス
旧邦題『悦楽の女王』
2009年 『イズ・イット・ラヴ・オア・デザイア』
Is It Love or Desire?
Light in the Attic - - 1976年に録音

シングル[編集]

シングル レーベル US

R&B

備考
1963年? "The Cellar"? 不明 プロデュースはルー・コートニー上記通り実在するか不明
1964年 "Get Ready for Betty" / "I’m Gonna Get My Baby Back" DCP プロデュースはドン・コスタ
1968年 "It’s M yLife" / "Live, Love, Learn" Columbia プロデュースはジェリー・フラー
1973年 "If I’m in Luck I Might Get Picked Up" / "Steppin in Her I. Miller Shoes" Just Sunshine 66位 プロデュースはグレッグ・エリコ
1973年 "Ooh Yea" / "In the Meantime" Just Sunshine
1974年 "Shoo-B-Doop and Cop Him" / "He was a Big Freak" Just Sunshine
1974年 "Git in There" / "They Say I’m Different" Just Sunshine
1975年 "Shut Off the Lights" / "He Was a Big Freak" Island 97位

コンピレーション・アルバム[編集]

2016年 『コロンビア・イヤーズ 1968-1969』

The Columbia Years 1968-69

Light in the Attic 1968年から1969年に録音され、2016年にリリースされたトラック。プロデュースはマイルス・デイヴィス&テオ・マセロ[17] [18]

非公式[編集]

  • 『クラッシン・フロム・パッション』 - Crashin’ from Passion (1995年、Razor & Tie) [46] / Hangin’ Out in Hollywood (1995年、Charly Records)[47] – 1979年録音のコンピレーション[25]
  • Anti Love:The Best of Betty Davis (2001年、MPC Limited) – コンピレーション[48]
  • 『ディス・イズ・イット!』 - This is it! Anthology (2005年、Vampisoul) - コンピレーション[49]

脚注・参考文献[編集]

  1. ^ ベティー・デイヴィス」「ベティ・デイビス」の表記もある。
  2. ^ Paul Sexton. “カルト的人気を誇るファンク・ロックのパイオニア、ベティ・デイヴィスが逝去。その功績を辿る”. 2022年6月9日閲覧。
  3. ^ a b Pareles, Jon (2022年2月10日). “Betty Davis, Raw Funk Innovator, Is Dead at 77”. The New York Times. https://www.nytimes.com/2022/02/10/arts/music/betty-davis-dead.html 2022年2月10日閲覧。 
  4. ^ a b c d Betty Davis - オールミュージック
  5. ^ “Betty Davis obituary”. The Times. (2022年2月10日). https://www.thetimes.co.uk/article/betty-davis-obituary-hvmrnr66j 2022年2月11日閲覧。 
  6. ^ Mervis, Scott (2019年7月22日). “Betty Davis, a funk icon living in Homestead, releases first song in nearly 40 years”. Pittsburgh Post-Gazette. http://www.post-gazette.com/ae/music/2019/07/22/Betty-Davis-interview-funk-legend-Homestead-Miles-A-Little-Bit-Hot-Tonight/stories/201907220086 2019年7月22日閲覧。 
  7. ^ a b c Maycock (2005年2月). “Betty Davis: She's Gotta Have It”. MOJO. 2022年2月10日閲覧。
  8. ^ McDonnell, Evelyn (2018). Women Who Rock: Bessie to Beyonce. Girl Groups to Riot Grrrl. New York: Black Dog & Leventhal. ISBN 978-0316558877. https://books.google.com/books?id=F91KDwAAQBAJ&q=%22I%E2%80%99m+Going+to+Bake+That+Cake+of+Love.%22&pg=PT296. "She penned her first song 'I'm going to bake that Cake of Love' when she was 12 years old." 
  9. ^ Tiller (2022年2月10日). “Betty Davis, Funk Pioneer, Dies Aged 77”. Dig!. 2022年2月10日閲覧。
  10. ^ Mahon, Maureen (2020). Black diamond queens : African American women and rock and roll. Durham. ISBN 978-1-4780-1019-7. OCLC 1141516276. https://www.worldcat.org/oclc/1141516276 
  11. ^ Betty Davis”. Soulwalking.co.uk. 2012年6月10日閲覧。
  12. ^ a b Crowhurst, Anna-Marie (March 7, 2018) "Forgotten Women: The taboo-smashing queen of funk", Stylist.co.uk. Retrieved February 10, 2022
  13. ^ a b "Betty Mabry: 'Get Ready for Betty'", On the Record, November 8, 2011. Retrieved February 10, 2022
  14. ^ Charles Waring, "Betty Davis RIP", Soul&Jazz&Funk, February 10, 2022. Retrieved February 10, 2022
  15. ^ Wang, O., liner notes to They Say I’m Different, Betty Davis, Just Sunshine – JSS-3500, LP, 1974.
  16. ^ Wang, O., "The Music and Mystique of Betty Davis—Read the Liner Notes to the Funk Singer’s Debut LP", vinylmeplease.com, June 22, 2017.
  17. ^ a b c Patrin, Nate (2016年7月15日). “The Columbia Years 1968-69”. Pitchfork. https://pitchfork.com/reviews/albums/22111-the-columbia-years-1968-69/ 2022年2月11日閲覧。 
  18. ^ a b Minsker (2016年6月28日). “Lost Betty Davis 1969 Sessions With Miles Davis Released” (英語). Pitchfork. 2022年2月10日閲覧。
  19. ^ a b Dremousis (2007年5月31日). “The Soul Singer in the Shadows”. Esquire. 2022年6月9日閲覧。
  20. ^ Whitburn, Joel (1996). Top R&B/Hip-Hop Singles: 1942–1995. Record Research. p. 104 
  21. ^ “Her Act Too Spicy For U.S. Tastes; Betty Davis Finds Success In Europe”. Jet 50 (4): 57. (April 15, 1976). https://books.google.com/books?id=dcADAAAAMBAJ&q=betty+davis+miles+davis+jet&pg=PA57. 
  22. ^ Mahon, Maureen (June 15, 2011). “They Say She's Different: Race, Gender, Genre, and the Liberated Black Femininity of Betty Davis”. Journal of Popular Music Studies 23 (2): 146–165. doi:10.1111/j.1533-1598.2011.01277.x. 
  23. ^ a b Spencer (2010年9月4日). “Miles Davis: The muse who changed him, and the heady Brew that rewrote jazz”. The Obserrver. 2022年6月9日閲覧。
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  29. ^ Betty Davis releases first new song since 1979”. Thewire.co.uk (2019年7月24日). 2020年2月18日閲覧。
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外部リンク[編集]