ノート:奈良新聞

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奈良新聞の歴史について[編集]

他の編集者の方々のご教授に従い、奈良新聞の歴史を投稿するにあたり、まずはノートページにて、以下の通り提案させて頂きます。

「歴史」の内容については、奈良新聞HPの記載している沿革が、奈良新聞のこれまでの歩みがより細かく、忠実に伝わる内容となっているため、ウィキペディアへの投稿(差替え)を提案させていただきます。 投稿させていただくにあたり、ウィキペディアの方針(中立的な観点検証可能性独自研究は載せない)に則していない部分があるか、他の編集者様に事前確認頂きたく存じます。 掲載にはそぐわない内容などございましたら、修正や削除のご教授を頂けたら幸いです。 なお、Wikipedia:自著作物の持ち込みに従い、著作権を侵害するものではないことを証明するため、奈良新聞公式サイトの沿革ページに、「※ウィキペディア上に掲載されている奈良新聞の歴史は、弊社により当ページの内容が投稿されています。」という文面を既に掲載いたしております。 また、投稿後もCC-BY-SAおよびGFDLの定めるところにより、他の編集者が自由に書き換えることを妨げることはできないことも承知いたしております。 以下、歴史に関する投稿内容案となります。

  • 1946年10月 「大和タイムス」(現・奈良新聞)創刊。初代社長に今西丈司氏。
  • 1947年11月 「奈良県年鑑」第1号発行。
  • 1951年12月 株式会社に改組。自社印刷開始。
  • 1952年11月 本社工場および本館全焼、天理時報社朝日新聞大阪本社の協力で1日も休刊せず新聞発行を続けた。
  • 1953年4月 本社新社屋完成。
  • 1955年1月 田中治郎氏、2代目社長に就任。
  • 1961年8月 「奈良県紳士録」刊行。
  • 1964年11月 広芝義賢氏、3代目社長に就任。
  • 1965年9月 原田兵次郎副社長により「社是」制定。
  • 1965年11月 広芝社長夫妻が、天皇陛下主催の秋の園遊会に招かれる。
  • 1969年2月 新工場完成し、高速輪転機の導入。
  • 1972年1月 「政経懇話会」発足。第1回講師は福島慎太郎・共同通信社長。
  • 1972年4月 大和タイムス社社友会発足。
  • 1973年4月 広芝社長夫妻が、天皇陛下主催の春の園遊会に招かれる。
  • 1973年8月 共同通信社と正式契約し、受信を開始。
  • 1974年6月 紙齢10000号を迎える。
  • 1974年11月 京都新聞社神戸新聞社の推薦で、共同通信社に正式加盟。
  • 1974年12月 高速度輪転機を増設し、16ページの一連印刷が可能となる。
  • 1975年6月 題字を「大和タイムス」から「奈良新聞」と改題し、社名も奈良新聞社に。
  • 1975年10月 会長に広芝義賢氏、4代目社長に城家幸信氏。
  • 1975年11月 生活情報誌「ならリビング」創刊。
  • 1976年4月 奈良新聞印刷株式会社設立。
  • 1976年5月 広芝義賢氏、5代目社長に就任。
  • 1977年4月 東京支社が日本プレスセンタービル内に移転。
  • 1978年9月 奈良公園飛火野で、本社主催の第1回芝能開催。
  • 1981年3月 株式会社奈良新聞企画設立。
  • 1981年12月 本社主催で第1回奈良春日・大仏マラソン実施。
  • 1982年4月 県立橿原体育館で本社主催の大相撲奈良場所興業。
  • 1983年7月 奈良の政治、経済、文化などを本音で語り合う「現代奈良研究会」発足。
  • 1984年4月 論説室を設置。
  • 1984年8月 「阪奈政経文化懇話会」が発足。
  • 1985年7月 「奈良新聞記事審議委員会」が発足。
  • 1988年4月 カラー・オフセット輪転機を導入。
  • 1988年7月 高円宮さまが「阪奈現代邦楽演奏会」にご出席のため来県し、本社をご見学。
  • 1989年8月 本社主催で第1回県民カラオケ歌謡大会を開催。
  • 1990年1月 元旦号紙面が132ページで全国一。
  • 1990年6月 会長に広芝義賢氏、6代目社長に渡辺忠夫氏就任。
  • 1991年9月 本社主催で第1回奈良県シルバーカラオケ歌謡大会を開催。
  • 1993年3月 代表取締役に渡辺忠夫氏就任。
  • 1993年6月 取締役オーナー(CEO)に西島謹二氏が就任し、慢性的な赤字体質の脱却を目指し、抜本的な改革を断行。
  • 1993年7月 西島CEOの主導で改革委員会発足。橿原支社の営業拠点化、生駒支社の廃止、東京支社移転、地ダネ主義の徹底など次々と営業部門強化に向けた大幅な体制改革を実施し経営改善。
  • 1994年4月 上場企業の県内支店と地元企業の交流目的に「なら21クラブ」発足。
  • 1994年6月 西島CEOの営業部門強化への体制改革により、3月期決算で3800万円の営業利益。これまでの赤字経営を脱却。
  • 1994年9月 熟年世代の生きがいづくりと、地域の監視役として「奈良新聞シニアクラブ」発足。政治家の不祥事告発に成果。
  • 1995年3月 固定資産税問題に詳しい西島CEOの問題提起で「怒りの固定資産税」連載、後に第2回坂田賞(海外研修)と、第38回日本ジャーナリスト会議奨励賞を受賞。
  • 1995年5月 政治家の不祥事対応に「政治改革特別取材班」発足。
  • 1995年6月 取締役会長(CEO)に西島氏。
  • 1995年8月 西島CEOの発案で、本紙の読者サービスの一環として、記事下に旅行広告を掲載するため株式会社奈良新聞ツーリストを設立、同時に日本最大の旅行業代理店JTBと特約店契約する。
  • 1995年12月 マルチメディア事業部を新設、奈良県初の総合情報をインターネット・ホームページで配信開始。
  • 1996年5月 阪神大震災500日目に、西島CEOが個人として現金3000万円を日赤兵庫県支部に寄付。
  • 1996年11月 創刊50周年記念祝賀会に、高市早苗滝実前田武志辻第一各衆院議員、吉田之久服部三男雄各参院議員と、柿本善也知事ら政財界、文化人ら約1000人を招き盛大に行う。同時に地域に貢献した3氏に第1回奈良新聞文化賞を贈る。
  • 1997年6月 西島CEOによる経営改革が一段と進み、3月期決算で創業以来最高の22億7000万円の売上計上、営業利益は7700万円。
  • 1998年2月 毎日新聞が本社厚生文化事業団の震災義援金報道。これを受けて会計の適正処理と、西島CEO個人が被災地に3000万円寄付していたことを公表。世間に誤解を与えたとして西島会長が辞任、渡辺社長も代表取締役を辞任。代表取締役に甘利治夫氏。日本新聞協会(会長・小池唯夫毎日新聞社長)が本社を除名。
  • 1998年6月 元電通幹部や社内から新たに取締役5氏が就任。渡辺氏は退任して関連会社取締役に。
  • 1998年7月 西島CEOが手掛けていた東京支社の移転が実現し銀座に。
  • 1998年10月 朝日新聞社京都新聞社共同通信社の推薦により日本新聞協会に再加盟。
  • 1999年3月 前会長の西島CEOが、日赤奈良県支部長の柿本善也知事を通じ、現金700万円を兵庫県災害対策本部に寄付。西島CEO個人の寄付総額は3700万円。
  • 1999年10月 西島CEOの発案で本格的ホームページ制作会社、株式会社奈良新聞コミュニケーションズ設立。
  • 1999年11月 甘利代表が、天皇陛下即位10年記念京都茶会に招かれる。
  • 2000年1月 甘利代表が、皇居で行われた歌会始に招かれる。
  • 2001年11月 甘利代表が、天皇陛下主催の秋の園遊会に招かれる。
  • 2002年4月 「県警問題」取材班が第9回坂田賞(海外研修)を受賞。
  • 2002年7月 紙齢20000号記念式典。
  • 2003年4月 本社が郵政公社総裁表彰、甘利代表が皇居で天皇陛下に拝謁。
  • 2003年10月 呼称変更に伴う機構改革で局制を廃止。
  • 2004年1月 福井新聞社の協力で「拉致被害報道写真展」を開催。
  • 2005年6月 鍵田忠兵衛・奈良市長の不祥事報道で、議会が不信任決議。市長選で再出馬した鍵田氏落選。
  • 2006年4月 創刊60周年キャンペーン広告(電通・西島知宏氏制作)で、TCC賞新人賞受賞。
  • 2006年6月 創刊60周年を機に、自社印刷を終了し外注印刷に。題字を変更し女流書家紫舟氏に、社章を電通にデザインを依頼。紙面もカラー面を増やし、大幅に刷新。
  • 2007年4月 創刊60周年年間キャンペーン広告で、電通・西島知宏氏制作の啓発広告がTCC賞(第3位)、後にOCC賞も獲得。
  • 2007年6月 新取締役に西島知宏氏ら3氏就任。
  • 2007年11月 一連のキャンペーン広告(西島知宏氏制作)で、日本アドバタイザーズ協会主催の第47回消費者のためになった広告コンクールで、全国第3位の地域広告賞を受賞。
  • 2008年3月 西島CEOの奔走で、奈良市法華寺町の土地2590平方メートルと、鉄骨4階と3階建て建物1900平方メートルを、本社新社屋として取得。
  • 2008年7月 奈良市三条町から法華寺町の新社屋に本社を移転。祝賀会を奈良ロイヤルホテルで盛大に開く。
  • 2009年8月 旧本社の解体整備終了、コインパーキングとして営業開始。
  • 2009年10月 奈良新聞企画、奈良新聞コミュニケーションズなど関連会社が、新本社に移転入居。
  • 2010年7月 奈良日日新聞社と業務統合[1]
  • 2010年12月 平城遷都1300年記念事業として、県内初のフルマラソンとなる第1回奈良マラソンが、奈良春日・大仏マラソンと合同で開かれ、全国から約1万8000人のランナーが参加。大会会長は荒井正吾奈良県知事、副会長に甘利治夫代表らが就任。
  • 2011年9月 奈良市の山本清前議長の議長選買収工作をスクープ。山本氏が議員辞職した。
  • 2011年10月 前田武志国土交通大臣と吉川政重大西孝典高市早苗、各衆院議員、前川清成参院議員、荒井正吾奈良県知事らを迎え、創刊65周年記念祝賀会を盛大に開催。野田佳彦首相から直筆の祝辞と色紙が届く。
  • 2012年10月 西島CEOの発案で不動産売買・仲介を目的に奈良新聞不動産株式会社設立。
  • 2012年11月 第1回歴史フェスティバルを県立橿原公苑で開催。 
  • 2013年10月 リビング布&キルトフェスタを開催、73のブース出展。
  • 2014年3月 「小学生新聞」を春休みなど長期休暇の前に創刊、市町村を通じ全小学生に配布。後に「なら中高生新聞」の創刊につながる。
  • 2015年6月 クーポン広告を主体とした「ならリビングクーポン」を創刊。
  • 2015年6月 県の「ならムジークフェスト」の一環として、中田ヤスタカきゃりーぱみゅぱみゅらを招き、橿原神宮で事業展開、来場者5000人を超える大盛況となった。
  • 2015年6月 奈良新聞不動産株式会社が、本社西側の土地1300平方メートルを取得し、乗用車40台分の駐車場が拡張された。
  • 2015年9月 最終面にも「奈良新聞」の題字をつけ、共同通信配信の世界や全国のニュースを掲載したほか、県内ニュースを充実し、大胆な紙面改革を実施した。
  • 2016年6月 橿原市に賃貸で入居していた中南和支社が、土地取得から事務所建設まで、すべて西島CEOの手で田原本町に、創刊以来初めてとなる自社ビルを建設し、新築移転した新事務所で業務を開始した。
  • 2016年10月 高市早苗総務大臣と奥野信亮馬渕澄夫各衆院議員、堀井巌佐藤啓各参院議員、荒井正吾奈良県知事、福山正喜共同通信社長らを招き、創刊70周年記念祝賀会を盛大に開く。記念事業として全国の奈良ファンらの応募で、奈良の魅力を再発見し全国に発信するプロジェクト「奈良遺産70」(審査委員長は奈良県出身でロックバンド『TOKIO』リーダーの城島茂さん)を発表。
  • 2017年4月 人間国宝の北村昭斎氏をはじめ奈良の伝統工芸作家の作品を一同に集めた「奈良工芸の粋展」を大乗院庭園文化館で開催。
  • 2017年6月 新取締役に元キリンビール株式会社役員の鈴木健介氏。経営戦略室長に就任した鈴木氏が、社内改革を進める。
  • 2017年9月 奈良新聞不動産株式会社が、新たに本社西側の土地約1200平方メートルを取得し、さらに駐車場が拡張された。奈良新聞グループの土地合計は5146.27平方メートル(1556.7坪)。
  • 2017年11月 奈良県大芸術祭の一環で「万葉ロマンフェスティバルin藤原京」を開催。約2万人が来場。
  • 2018年6月 本社主催で「皇室ゆかりの地を撮る!フォトコンテスト」を実施。入賞作品を東京駅や大阪・あべのハルカス、県内百貨店などで巡回展示。

脚注[編集]

  1. ^ この統合に伴い、奈良日日は日刊紙を再休刊し週刊紙となる。奈良日日は一度2005年に休刊→2006年復刊しており、県域紙が奈良新聞1紙となるのはそれ以来である

以上。--Narasan会話) 2018年10月17日 (水) 00:44 (UTC) 脚注補記--222.230.124.1 2021年11月1日 (月) 06:43 (UTC)[返信]

  • コメント正直なんというか、百科事典の記事としてみたときに、内容が多すぎないかな、というのが正直な印象です。身もふたもない言い方ですが、私個人は現行の歴史節の内容で私は十分と考えますし、より細かい歴史を知りたいのであれば奈良新聞のWebサイトなどで確認するでしょうし、ともあれ現状のページの内容では不足で、奈良新聞Webサイトをコピペして同一に保たなければならない理由が見えてこないのです。また、Wikipedia:削除依頼/奈良新聞で提示されている「奈良新聞社は「新規事業」を立ち上げる為に、ホームページの沿革、会社概要、事業内容を新しく致しました。上記に関しては海外事業を視野に入れ、英語、ベトナム語の翻訳作業をしております。Wikipediaについても当社の情報が古い内容になっていますので、当社ホームページの内容に訂正致したくお願いする次第です。」などの記述は奈良新聞社の事情をウィキペディアに押し付けているようにも読め、率直に言ってウィキペディアの編集者として気持ちのいいものではありません。
具体的に1件だけ指摘すると、「2017年4月 人間国宝の北村昭斎氏をはじめ奈良の伝統工芸作家の作品を一同に集めた「奈良工芸の粋展」を大乗院庭園文化館で開催。」「2017年11月 奈良県大芸術祭の一環で「万葉ロマンフェスティバルin藤原京」を開催。約2万人が来場。」のあたりは、こういうイベントを主催なり企画されるのは新聞社としてよくあることかと思いますので、そのたびにこうした記述が追加されるのかと考えると「いらないよなぁ」と思ってしまうのが正直ですし、そのほか見ても、「百科事典の記事として、奈良新聞の歴史に不可欠な記述か」と考えると、そう思えない記述が多すぎるように思えます。その点から、いくらライセンスの問題をクリアしていただいて投稿されたとしても、ほかの人によって取り除かれても仕方がない内容なのかなぁと考えております。
色々と記載しましたが、Narasanさんがお考えになる点は「これらの歴史に関する記述はすべて奈良新聞の歴史を知るにあたり描くことのできない要素ばかりで一部分たりとも省くことができない」とお考えなのか、そうではなく他の編集者と議論する余地があるものなのか、その点をお教えいただければと思います。--VZP10224会話2018年11月11日 (日) 12:56 (UTC)[返信]
  • コメント 恣意的で微細な記述が過量で、可判読に障り、詳細は外部リンクで奈良新聞ウェブサイトへ誘導で充分である。相当期間で現状の改修無くば適宜整理。--222.230.124.1 2021年11月1日 (月) 06:43 (UTC)[返信]
上記VZP10224氏の問いから数年経過も奈良新聞社は応答放置の現状、自己宣伝過剰記載からばっさり編集を予定。--222.230.124.1 2021年11月1日 (月) 07:51 (UTC)[返信]