ノート:ヨーロッパにおける政教分離の歴史/過去ログ9

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ブロック依頼検討の動議/硯箱[編集]

取り下げMoon.riseです。「Moon.riseにとって硯箱さんとは対話し得ない」「Greenland4さんにとって硯箱さんとは対話し得ない」ことが、確認できたと考えています。 すでに私にとって「編集合戦にしないこと自体を断念させられる」か「硯箱さんを方針違反者としてブロックする」という二つに一つだと考えています。

取り下げ私はこれまで、ごく真面目にこちらのノートページでの議論に参加してきたと思います。 私の信用に免じて、以下提案にお付き合いいただきたいものです。

  • 1.今このノートページで行なわれている、あらゆる話題の議論を一時中断してください。
  • 2.硯箱さんに対するブロック依頼検討の動議を出します。処置--Moon.rise会話2017年6月20日 (火) 16:01 (UTC)

利用者:Greenland4さん、利用者:121.107.209.16さん、利用者:TENさん、利用者:Susukaさん、利用者:Yuukin0248さん、利用者:ジャム・パンナさん、興味の有無はあるかもしれませんが、乗り掛かった舟とお付き合いをお願い申し上げたいです。

利用者:ぽてからさん、利用者:雅ハルカさん、利用者:大和屋敷さん、お忙しいかもしれませんが、一度この時だけ、お立ち寄りお願いできますか。

私の行ないたいことはシンプルです。正式のWikipedia:投稿ブロック依頼を提出することを念頭に、この場このノートページで、投稿ブロック依頼と同条件の「模擬投票」を求めます。 実の所、Wikipedia:投稿ブロック依頼/硯箱2017年3月26日 (日) 22:07 (UTC)がこれまでに提出され、「ブロックは見送ります」という結論で失敗しております。 当時はこのノートページでこの版[1]にあたる状況で、ノートページでの議論がまとまったとはいえず、議論続行でよいのではないかとされました。

私は今回、この時に、このノートページの議論参加者一同の「まとまった賛成意見」をもって、次段階で正式のWikipedia:投稿ブロック依頼を提出したいと考えております。

皆様、Wikipedia:投稿ブロックの方針を再度ご確認ください。Template:BLをご用意ください。 私が挙げる理由はこれです。Wikipedia:投稿ブロックの方針#コミュニティを消耗させる利用者利用者の行動のルールを、複数の別の利用者からたびたび説明されても理解しようとしない利用者は、コミュニティを消耗させる利用者として、理解できると思われるまでの期間ブロックされます。 このページでは、これを挙げる理由については不要と考えて特に述べません(説明を求められれば、述べます)。

また逆に、Moon.riseばかりが冷静ではないという可能性が、理論上はあると思います。 『 反対対話可能です。硯箱さんのこれまでの意図が、あれは○○、これは○○と説明できます。Moon.riseさんGreenland4さんに説明いたします』という方の登場を、祈らないわけでもありません。

審議[編集]

  • 取り下げ 依頼者票。硯箱さんのこれまでのコメントを見れば「今回だけ文章が読めない」ということは考えられません。過去の議論を読めば、そのようなごまかしが幾度も繰り返されてきました。また、私は「私としてはGreenland4さんが来てくださればこれからの議論、とくに後顧の憂いはないと思っており、Greenland4さんがまとめやすい形で決着していただければ問題ないです。--硯箱(会話) 2017年6月14日 (水) 13:28 (UTC)」これを全く信用しません。以前にも自主的休憩を宣言したり取り消したりされておりましたが、しかし移動合戦を行ない、保護依頼への直接陳情[2]を行なうなど、Wikipedia:腕ずくで解決しようとしないを確信的に無視しています。もし、この問題を放置して、差し当たりこちらの主ページの改名手続きが行われれば、再び硯箱さんによる編集合戦・移動合戦・Wikipedia:記事の所有権に違反する私物化が行われることを確信します。--Moon.rise会話) 2017年6月20日 (火) 09:58 (UTC)処置--Moon.rise会話2017年6月20日 (火) 16:01 (UTC)
返信 (Moon.riseさん宛) すみません、急展開過ぎてついていけません。せっかくある程度方向性が見えている議論を完全に中断して別の話題に移動する意味もわかりません。また中断の指示をMoon.riseさんから受ける理由もわかりません。ブロック依頼のシステムを正直良く把握していませんが、出すのならばそれはブロック依頼で議論すべきではないでしょうか。記事のノートでその記事についての会話ができないのは理解不能です。申し訳ありませんが、ブロック依頼の話題しかできないのであれば関与する意思を持ちません。--TEN会話2017年6月20日 (火) 11:43 (UTC)
返信 大和屋敷としましては当記事が「キリスト教思想史における国家論の歴史」→「キリスト教国家論の歴史」として自立し、あらためて『政教分離の歴史』というtitleが無罪放免、完全に開放されたことを確認しましてから、いちから起筆する予定ですので、現状でグダグダになっておりましてもさほど問題意識を感じているところではありません。それはさておき硯箱氏の編集検討への参加態度、他の編集参加者に対する暴言、および編集に対する誠実さには重大が疑義を抱いており具体的な論点を持っております。その点につきましてはご報告させていただきます。--大和屋敷会話2017年6月20日 (火) 12:56 (UTC)
返信 (TENさん宛) これまでのログ(こちらのノート)を元に、ある程度簡潔な報告コメントを用意しますので、多少の作業お時間をください。おおむね 2016年12月23日 (金) 05:36 (UTC)より、硯箱さんと(その時点の議論参加者)での対立と空回りが続いています。--Moon.rise会話2017年6月20日 (火) 13:04 (UTC)
返信 (TENさん宛) 報告の節を下に作りました。元々の経緯が膨大なので、抜き出しも簡潔とは呼べないような見た目です、それは申し訳なく思います。「せっかくある程度方向性が見えている議論を」というのは、残念ながら違って、Moon.riseとGreenland4さんにとっては「方向性が見通せなくなった」ということだと思います。「ブロック依頼で議論すべきではないでしょうか」というのは、私は違うと思います。ブロック依頼で「ノートでの議論はどうでしたか? 依頼者が攻撃のために勝手に出したのではありませんか? コミュニティの消耗ということでは、コミュニティの見解はどのような具合でしたか?」ということが話題になるのを見ております。「記事のノートでその記事についての会話」というのは、現状、硯箱さんとのコミュニケーションをどうするかが、こちらの主ページをどうするかに直結するということ。つまり扱うべき話題そのものと考えます。--Moon.rise会話2017年6月20日 (火) 14:42 (UTC)
返信 (Moon.riseさん宛) 一体何が言いたいのかわかりません。あなたとGreenland4さんの間で「方向性が見通せなくなった」と言う見解が成立したら(そうは見えませんが)他の参加者も自動的に方向性が見通せなくなったことになりブロック依頼以外の話を中断しなければならないのですか?あなたは以前、議論が進んでいた時に
  • Greenland4さんが「竜頭蛇尾」というご指摘をされてから約22時間、Susukaさんが「先に本記事の立項目的・守備範囲を合意するべき」といわれてから約20時間、 Greenland4さんが「記事名は「政教分離の歴史」に巻き戻すということでよいと思います」という見解を出して下さってから約8時間しか経過していません。
と言う理由で議論をスローダウンするように主張しています。今回Greenland4さんの最後の書き込みからあなたがブロック依頼以外の議論を停止するよう要求するまで2時間未満です。正直意味がわかりません。私の視点で今の出来事を説明すると①昨日まで普通に記事のあり方について議論していた⇒②会社に行って帰って来た⇒③ブロック依頼以外の議論ができなくなっていた。です。スローダウンと元々の議論の流れへの復帰を願います。
私の見解は以前も書きましたが「せっかくコメント依頼で議論に新たな参加者が入ったのに、硯箱さんと反対論者の対立と言う枠組みに落とし込んでしまっては過去ログの膨大な議論を繰り返すだけです」です。--TEN会話2017年6月20日 (火) 15:49 (UTC)
返信 (TENさん宛) 「他の参加者も自動的に方向性が見通せなくなったことになりブロック依頼以外の話を中断しなければならないのですか?」「2時間未満です。正直意味がわかりません」おっしゃる通りです。分かりました。スローダウンと、この節の(いや差し戻しということはないですので)取り下げ処置を、させていただきます。--Moon.rise会話2017年6月20日 (火) 15:57 (UTC)
  • 反対 記事のノートでこういう審議をすること自体に反対です。十分話し合ったし、もう多数決に入るフェーズってことじゃないですか?上のGreenland4様の提案の表のように意見を表にする→賛成者の少ない案は消す→残った案をブラッシュアップしてまた表にする→賛成者の少ない案は消す、という多数決を繰り返せば、最後には結論が出ます。全員が完全に納得いくのは無理でも、ベターな記事にはなりますし、共同作業ではそこが落としどころじゃないでしょうか。このテーマで全員が完全に意見を同じにするのは無理です。多数決をして、それでも硯箱様が「自分は納得してない」と記事を勝手に戻したらブロック依頼でいいと思いますけど。でもその時も、ノートでプレ審議はしないで直接ブロック依頼をした方がいいと思います。なんか晒刑みたいです・・・(硯箱様の行動に問題点があると思うなら、コメント依頼の方にまとめてください。)硯箱様がGreenland4様に任せると言ったんですから、自分の意見は議論の参考程度と思っていると思うし、説得しようとせずに「参考になります」でいいと思います。--ジャム・パンナ会話2017年6月20日 (火) 15:26 (UTC)
  • コメント ブロックに足る理由が十分にあると考えられるなら、それはWikipedia:投稿ブロック依頼の案件。その前段で「どういう行動が問題か、改善を促したり第三者の意見を求める」ならWikipedia:コメント依頼の案件です。提出された内容とこの下のセクションをざっと見た限りは、現時点でオープンであるWikipedia:コメント依頼/硯箱で「仕切り直し状態における問題点」を整理し、第三者に意見を求める形が正解かと思います。少なくとも、このノートで扱うべき案件ではありません。--アルトクール会話2017年6月20日 (火) 15:46 (UTC)
返信 (アルトクールさん宛) コメントありがとうございます。「少なくとも、このノートで扱うべき案件ではありません」そのようにしていきます。--Moon.rise会話2017年6月20日 (火) 15:53 (UTC)
あら、あっけないですね。こういう為になす提案は遠慮して欲しいですね。--大和屋敷会話2017年6月20日 (火) 18:34 (UTC)
返信 「為になす提案」というお言葉が正確には分からなかったのですが(検索もしてみましたが)、「遠慮して欲しいですね」ということははっきりしたお言葉だと思います。受け止めさせていただきます。--Moon.rise会話2017年6月21日 (水) 00:04 (UTC)
  • コメント これ以降、利用者による行為ならばWikipedia:コメント依頼Wikipedia:投稿ブロック依頼へお願いします。ここは記事の改善に向けての議論をする場です。その議論が記事の改善に値するかを考えてお願いします。--Yuukin0248会話2017年6月21日 (水) 05:26 (UTC)
  • コメント 上記の議論についてですが、決して無駄ではなかったと思います。多くの方に発言をいただいて活発な議論となっていることについて、非常に感謝しておりますので、できましたら、このようなささいなことにより議論から離れられることなく、再び議論をみなさんで再開できればと思ってます。また、Wikipedia:コメント依頼/硯箱で自身から発言することは控えていましたが、仕切り直しとしてご活用いただければと思います。--ぽてから会話2017年6月21日 (水) 22:32 (UTC)

Greenland4さんの6点の提案[編集]

コメント過分なお言葉の数々、痛み入ります。私の提案がもし受け入れられるのであれば、本記事のうち、
(1)「1 政教分離における歴史学的視座」(約9万3,000バイト)→削除
(2)「2.2 古代のキリスト教思想(〜500年)」(約3万7,000バイト)→記事「初期キリスト教」へ移動
(3)「2.3 キリスト教普遍世界(500年〜1500年)」(約28万8,000バイト)→記事「中世ヨーロッパ」へ移動
ということになって、単純計算でも42万バイト程度がサイズダウンすることになります。本記事にのこるのは14万バイト程度です。ただし、
(4) 記事名は「政教分離の歴史」を維持
というのが、条件になります。これに古代・中世に関しては「前史という形で要諦のみ」の言及を付加し、国王至上法、いくつかの宗教戦争、アウクスブルク和議、ナント勅令、ウェストファリア条約などを取り上げながら、
(5)合衆国憲法制定(1787年)、フランス革命(1789年)、ナポレオン法典(1800年)、ドイツ国制の政教分離(1803年)、あたりまでを射程に入れる
ということでよいと思います。スタートをどこに置くかということですが、
(6)1510年代(マキァヴェリ『君主論』1513年、ルター『95ヶ条の論題』1517年)から書き起こす
のが、いちはやく本題に入ることができ、それぞれ後世におよぼした影響も大きいので執筆者にとって加筆・執筆しやすく、また、読者にとってもインパクトの強い歴史事象から説明された方が頭に入りやすいのではないかなと思い、あらためて提起いたします。それに、フランス政教分離法、トルコ革命、日本国憲法の政教分離規定などに関する記述を「後史」のようなかたちで付加してもよい(ただし、必須でない)というあたりで合意がとれればよいと思います。日本には日本の「政教分離の歴史」があるという指摘もその通りなのですが、その場合は「政教分離の歴史 (日本)」などというかたちで新規立項するというのが紛れがなくてよいでしょう。これについては、以前の自分の見解をいくらか修正いたします。そのあたりも、合意できればと思います。なお、硯箱さんはこの件について深く研究され、ひじょうに深い知識をお持ちです。身軽になった本記事に引き続き加筆されることを期待し、お願いもしたいと存じます。合わせて、専門的な話や込み入った議論は冒頭に置くのではなくて、なるべく「注釈」「補説」のようなかたちで末尾に置かれることをお願いしたいです。特に「<ref group="注釈">」は、経験上、かなり重宝いたします。記事本文は中高生も読むことを考えて平易に、注釈のなかでは「政教分離における歴史学的視座」のなかのさまざまな論究のように、かなり専門的な内容でもOKだと思います。
上記6点について、合意形成を図りたいと思います。議論参加者各位の御意見を求めます。--Greenland4会話2017年6月14日 (水) 23:55 (UTC)

コメントこんにちは。Moon.riseです。Greenland4さんの6点のご提案はどれもすばらしい内容のご提案だと思いますが、ちょっと待ってください。スローダウンのお願いをさせていただきたいです。 Wikipediaの参加者で、2~3日に1度のペースで議論参加の書き込みをされる方がいらっしゃっても、私はその頻度に問題があるとは思いません。 このままでは、その頻度の方を置き去りにしてしまいます。

Greenland4さんのご提案は、「記事名は「政教分離の歴史」を維持というのを条件」とした上での6点のご提案だとお見受けいたします。 果たして、記事名は「政教分離の歴史」を維持という所まで、このノートでの合意は進んでいるものか、早すぎないかという疑問があります。 Greenland4さんが「竜頭蛇尾」というご指摘をされてから約22時間、Susukaさんが「先に本記事の立項目的・守備範囲を合意するべき」といわれてから約20時間、 Greenland4さんが「記事名は「政教分離の歴史」に巻き戻すということでよいと思います」という見解を出して下さってから約8時間しか経過していません。 最短の8時間で見たならば、硯箱さん以外の方のコメントは見受けられません。

念のために先に申し上げますと、私はおそらくGreenland4さんのご提案に大きく賛同できる者だと思います。 「改名した場合」「行なう場合には慎重に考えられるべき」とすでに2017年6月13日 (火) 18:18 (UTC)時点で申し上げています。 元より、「政教分離の歴史」という記事名に対して書かれてきた記事内容について、後から記事名だけ変えてみれば、記事内容にとって差し支えがあるのは自然なことです。 ですがはたして「記事名は「政教分離の歴史」に巻き戻すということでよい」となるかどうか、 あるいはもう少し小さく求めても「改名議論を脇において、先に本記事の立項目的・守備範囲を合意するべき」となるかどうか、この合意はまだ怪しい所です。

  • タイトルについてはGreenland4様に賛成で (ジャム・パンナ(会話) 2017年6月13日 (火) 12:54 (UTC))
  • 記事名は「政教分離の歴史」としつつ、整理を優先するというのが今の私の考えです (硯箱(会話) 2017年6月14日 (水) 13:28 (UTC))
  • みなさんのご協力があれば政教分離原則の成立史、という内容の記事に出来るかもしれません (ぽてから(会話) 2017年6月14日 (水) 03:46 (UTC))
  • 今はまず、いわゆる「政教分離」に関する事項の抽出と整理を優先することは出来ないでしょうか (Susuka(会話) 2017年6月14日 (水) 15:09 (UTC))
  • 単純に「キリスト教思想史における国家論の史的解説」→「キリスト教国家論の歴史」にtitle変更 (大和屋敷(会話) 2017年6月14日 (水) 15:30 (UTC))

ぽてからさんが「一旦皆さんのご意見を聞きましょう」と歩み寄ってくださった一方で、大和屋敷さんが「改名議論を脇におく」ということに同意してくださっているかは、疑問に感じます。

確かにGreenland4さんは「記事名は「政教分離の歴史」を維持というのを条件」ということで、あくまでも条件付けだよということかもしれません。 しかし、それがよいのであれば、仮にですがどなたかから逆に現時点で「記事名は「キリスト教国家論の歴史」というのを条件に、6点の提案を出します。合意形成を図りたいと思います」とされた時に、これを止める理由がないかもしれません。 どうなるかとなれば、議論が拡散するとしかいえないように思います。

以上の理由より、いま頼りになるGreenland4さんに対して失礼であるかとも思いますが、スローダウンのお願いをさせていただきたいです。 まずは、特に大和屋敷さんとの間で、「改名議論を脇において、先に本記事の立項目的・守備範囲を合意するべき」ということに合意を目指すべきという考えを、申し出させていただきたいです。--Moon.rise会話2017年6月15日 (木) 04:34 (UTC)

Moon.riseさんの御懸念はよくわかりますし、「スローダウン」ということに別段異議があるわけでもありません。ただ、一応箇条書きで示したのはそれなりに意味のあることなので、そこは御理解いただければと思います。上提案(1)(4)(5)については硯箱さんとのあいだで合意が成立、(2)(3)に関しては容認というか「積極的に反対はしない」という状態だと思います。(6)については、合意が成立していません。Susukaさんからは、(1)~(6)のすべてを賛成していただいています(とみてよいのでしょうか?)。当然、「(1)に反対」「(2)は賛成だが(3)には反対」など多様な意見があってしかるべきだし、それは互いに認められるべきでしょう。議論参加者の皆さまからの意見がだいたい出尽くしたら、また改めてそこで議論すればよいのではないでしょうか。私は何も急いでいるわけではないのであり、人の意見を聞いて自分の意見を変えることがあってもよいと思います。「記事名は「キリスト教国家論の歴史」というのを条件に、6点の提案を出します。合意形成を図りたいと思います」という提案がもしあったならば、それを受容することはできます。しかし、それに対しては「記事名に関しては反対です」と、今の段階からでも申し上げることが可能です。ともあれ、そういう意見も含めて、みなさまの御意見を伺いたいです。--Greenland4会話2017年6月15日 (木) 06:17 (UTC)
  • 大和屋敷の当初の見立てはこう[3]であり、現状の記事状態についての他の編集加筆者に対する態度に対する根本的な批判はこう[4][5]です。要はこんなwikipediaでしか見られないようなヘンテコな文字列ではなく、ちゃんとした百科事典記事にしたい(して欲しい)だけの話しです。大和屋敷が改名提案を提示した経緯についてはコレ[6]で、【①本記事のばあい、記事内容の膨大な文字列は存在しているのにタイトルがない②これは百科事典として極めて異常な状態である③なぜこのようなことになっているのか④それは特定編集者がみずからの規定する「政教分離史」を独創しそれにもとづき脈絡なく文字列を採録したためである。大和屋敷の当記事に対する基本的な理解は以上のものです。そもそもタイトルと内容がまったく一致していないことは多くの方が論述済みであり、いったいこの膨大な文字列は何の記事なのですか、という批判から議論が開始されている[7]ことを想起ください】と問題提起しております。ようは「あきらかに政教分離の歴史ではない、なにごとか別のものを解説した膨大な文字列のみが先に存在しており、なんなんだコレは、ということです。キリスト教以外のことは書くことを拒否され「日本の政教分離うんぬんのあまり関係ないところ」[8]などと言って削除するようなおかしな捨てアカ編集者が暴れたり、この記事の編集状況は極めて不誠実な特定人物により攪乱されているのです。--大和屋敷会話2017年6月15日 (木) 06:29 (UTC)
コメントはじめまして、TENと申します。当該分野について体系的な知識があるわけではないので的外れかもしれませんがコメントさせていただきます。過去ログを少しとコメント依頼後のログを確認させていただきました。そこで思うのですが「政教分離」という単語が指す事象について、硯箱さんとその他の論争参加者の間で一致していないように思えます。私にはこの記事で発生している論争の根本的な原因は以下のように見えます。
  • 硯箱さんが指す「政教分離」が、西ヨーロッパ世界における固有の歴史的事象として発生した(不可分のものとして存在した)教会権力と世俗国家の分離現象を指しているように見えます。
  • 大和屋敷さんをはじめとする方々の指す「政教分離」が、現代政治における政治と宗教の分離を指す一般名詞であるように見えます。
本記事を前者の観点でまとめるのであれば、初期キリスト教から中世西欧史を経てフランス革命前後でゴールを迎えるという記述は合理的ですし、そこに日本やその他の国の記述が割って入る余地もほとんどなく、その記述をしないというのも整合的な姿勢です。
一方で後者の意味合いで記事をまとめるのであれば、初期キリスト教どころか、1500年代から話が始まることでさえ冗長なように思えますし、日本をはじめ各国の個別の事情についての記述が載るのが合理的です。
この「政教分離」という単語によって何を指すか(つまりSusukaさんの書き込みにあるように、この記事の守備範囲について)の合意がまず必要なのではないでしょうか。少なくも片方の論者の不誠実性を弾劾することに建設的な意味があるようには思われません--TEN会話2017年6月15日 (木) 07:15 (UTC)

コメント 大和屋敷さんの最初の見立てを見るに、現在提議されている「古代・中世を他の記事に移動させる」という方針とは十分重なる部分があると思います。後は、TENさんが指摘されたように、二つの意味での「政教分離」を棲み分けするのがよいでしょう。なお、私の記事名については「政教分離の歴史」を積極的に推しているわけではなく、「記事名には特にこだわりはない」というのが真意です。--Susuka会話2017年6月15日 (木) 07:24 (UTC)

コメント 大和屋敷さん、コメントありがとうございました。要は、「政教分離の歴史」を理解するのに、硯箱さんは古代・中世の国家概念の理解が必須だと確信しているのに対し、他のみなさんはそういう確信を共有していないというところから、さまざまな行き違いが生じているということなのではないかと思いました。ただ、硯箱さんも上記提案の(2)(3)については反対されず、「本記事を宗教改革スタートにし、中世の内容を元に「中世ヨーロッパ史」を新たに書くというのも野心的で、十分に魅力的です」とおっしゃってくださっていますし、(1)については削除を同意されています。であれば、宗教改革・宗教戦争あたりからの書き出しになるわけですが、その点についてはいかがでしょうか。私が「キリスト教国家論の歴史」という記事名に反対するのは、この記事名が「経済史」を「経済学史」と呼ぶくらいおかしい(単純に言って間違い)と思うからです。間違いでないとすればこのままでよいわけですが、間違いだとすれば元に戻すのが適切ではないかと考えます。「キリスト教以外のことは書くことを拒否される」については、御立腹はもっともですが、しかし、考えてみると、日本の「政教分離の歴史」とヨーロッパの「政教分離の歴史」は同じ記事では扱えないですよ。「政」の伝統も「教」の伝統も違うのに、「政教分離」だけ混ぜても訳が分からなくなります。政教分離の現象が西欧固有の歴史現象だという硯箱さんの御意見を共有できないとしても、そこは混ぜてはいけないものだと私は思い返しました。トータルにそれを説明するならやはり「政教分離の歴史 (日本)」のようなかたちで別記事を立てるほかないと思います。今までの経緯はどうあれ、状況は変わったのですから、私の上記提案(1)~(6)の個々について御意見をお寄せいただければ幸いです。少なくとも(6)に関しては合意ということでよろしいのでしょうか。--Greenland4会話2017年6月15日 (木) 07:29 (UTC)

(4) 申し訳ありませんが、記事名を単純に政教分離の歴史に戻すという案だけは受け入れがたいですね。第1章を削除すれば「キリスト教国家論の歴史」という記事名の必然性がなくなるから記事名を変えようという発想はわかります。しかし、「政教分離」という訳語は一般的とは言えないという文献調査などの存在も121.107.209.16さんがノート上部で示して下さってますんで、「政教分離の歴史」が「日本語話者の大多数にとって、最も曖昧でなく、最も理解しやすい名」とはいえないと考えております。翻訳本では「政教分離」よりも、むしろ「教会と国家(Church and state in medieval Europe)」などの和訳が多く見られるのではないでしょうか(教会と国家の分離原則 Separation of Church and State等)。政教分離といえばキリスト教というのは、硯箱さんはそうイメージされておられるのかもしれませんが、必ずしもキリスト教だけに限って使われる言葉ではありません。キリスト教以外を除外するのであれば、「政教分離原則の成立史」などの記事名のほうがいいんじゃないでしょうか。各国ごとに過程が異なるので、国ごとに分けて書けばよいでしょう。ただ、日本は教会が古来からの宗教の場ではないので、神社非宗教論あたりが政教分離原則の成立史にあたるのかなあとは思いますね。硯箱さんがこの分野を専門に勉強された方であろうことは認めるところですが、ほかの議論参加者もみなさんそれぞれ知識をお持ちの方ですし、記事名について再度議論するだけの価値はあるでしょう。記事名の単純リバートは行わないで、通常の合意形成により大和屋敷さんや121.107.209.16さんにも交えて再度議論して決めるということであれば、改名に賛成します。

(1) 第1章についてですが、ところどころ重要な概念について触れられているので、それを、歴史的展開にうまく落とし込んでいくことが理想型ではないでしょうか。今のところ雑多な歴史の寄せ集めとしか見えない書き方になってるので、独自研究だ、としか言わざるをえません。その出来事によって教会と国家の関係にどう変化が起きたのか、にひたすら注目した書き方をしなければ、どのように、政教分離原則の成立に寄与した出来事なのかがわかりませんよね。たとえば、歴史的展開の中に叙任権闘争という項目を作成し、その中で、ベッケンフェルデは「政治権力と宗教を分ける原則の起源は1057年から1122年の間中世ヨーロッパで特殊に展開された叙任権闘争にある」と述べている、と挿入してあげると、読者としては「なるほど。叙任権闘争が、政治と宗教を分ける原則の起源である」と有名な学者が言ってるんだ、とわかるわけです。両剣論のところに、「ペトルス・ダミアニはこの両剣の喩えをもって俗権と教権の共働を説いたが、クレルヴォーのベルナールは両剣を教権に帰属させ、教権支配論を支持した」と第1章から移動して挿入するとかもよいでしょう。

(6)についてですが「政教分離原則の成立史」とする場合はマグナ・カルタ第1条で「教会は国王から自由である」と宣言したなどは、必須事項ではないでしょうか。これについても、「ブライアン・ティアニーは「中世の聖と俗との二元主義は近代的な「政教分離の壁」とは異なっていて、教会権力と国家権力はたえず重なり合っていたが、そこでは教会は宗教の領域における国家権力の介入を制限することに努めており、この限りにおいて教会は人間の自由の領域を拡大した」と述べているなどと、マグナ・カルタの「自由」が近代の「自由」と同一の概念ではないことなどを記述するべきでしょう。上記で例にあげた叙任権闘争両剣論なども、あったほうがいいんじゃないかと思います。ある意味、闘争史の一種なわけですが、歴史的事件と、その歴史的事件がどのように教会と国家の関係性に変化を及ぼしたと言及されているのかを、セットで書いていくなど、書き方を根本的に見直していく必要があるでしょう。単なる歴史的出来事の羅列では、「これはなんなんだろう」と必ずなると思いますね。

書き方の問題でいえば、#倫理学者金子晴勇の主張についてを読んで頂いてもわかると思いますが、倫理学者金子晴勇は「〜」と述べている、と硯箱さんに書いて頂ければいいのですが、硯箱さんがWikipedia:言葉を濁さないという概念を受け入れられず、金子氏が提唱したのではなく普遍的な事実であるかのような書き方をされてしまう、ということが繰り返されています。「ベッケンフェルデはこのように述べている。山田欣吾はベッケンフェルデの見解をこのように分析している。」と書いて頂ければいいんですが、硯箱さんは、一般常識だから書かなくても良い、の一点張りで、学説の提唱者の名前を書いても悉く消してしまわれる、という状態なんですよね(誰かが修正してもリバートされる繰り返し)。私が考えるこの記事の理想型に辿りつくには、硯箱さんに、一般常識だから提唱者の名前は書かなくても良い、という考えを改めていただかなくてはなりません。提唱者の名前とその見解を記述していくことが、Wikipedia:中立的な観点Wikipedia:言葉を濁さないを満たす書き方である、ということをご納得いただきたいのですが、方針を受け入れて頂くことはできませんでしょうか。それが難しいということであれば、硯箱さんはWikipediaの方針に従うおつもりがないのかということになりますし、この記事は独自研究から抜け出せないと言えるでしょう。--ぽてから会話2017年6月15日 (木) 09:02 (UTC)

私自身は以前申しましたように、もうウィキペディア自体にあまり関わるつもりはないので、Greenland4さんの参加してくださった今、とくに後顧の憂いはありません。が、一応私にはぽてからさんや大和屋敷さんが言っていることは正しくないと思われますので、それだけは指摘しておきます。まずこの記事が「キリスト教国家論の歴史」だというのはその用語の出典がないですし、どうしてそう断言しているのかわかりません。世間一般に「キリスト教国家論」なる用語が存在しているのならともかく、私が出典を示して論じたように、専門領域でさえそのような語に共通理解があるとは思われません。歴史学や政治思想史、神学にもキリスト教国家論が何を指すかについて共通理解があるとは思えませんし、仮に私が見つけた出典に基づき、それが「近世の国家理性論」や、それとも全く別の古代の「神国論」を指すなら、それは全く本記事の趣旨そのものと異なるということは何度も指摘しております(が、無視されます)。次に政教分離の歴史が歴史学的文献に存在していることは厳密に山田欣吾の出典を示して証明しましたし、金子晴勇氏の著作を追加しても良いですし、これは歴史学的には常識的議論ですから、ほかの書物を積み重ねても良い。問題はこうした出典をいくら示しても、それを信頼できる情報源と認めないとしたり、一般的ではないとする態度で、はっきり言って一定の権威ある歴史学者の権威がこのウィキペディアで正しく認識されない限りこれは解決できません。私はそれに対し、別の権威ある歴史学者によるその歴史学者の説への見解を示したり、研究入門のような書籍を示しましたが、これも循環論争になり、その別の権威ある歴史学者の権威を照明しろということでこれまでの議論は進んでいます。こうした議論は不毛です。さらに反対論者は政教分離というテーマが広いことを良いことに、とても学界では一般的とは思われなかったり、専門分野が異なる論文を引っ張ってきて議論をしようとする。私が今回の件でウィキペディアがダメと思い、信頼できる情報を提供しようとしてもそれがうまくいかないと思ったのは、検証可能性の根拠となる信頼できる情報源について明確な指針が成り立っておらず、そのせいで本当に信頼できる主流の見解ととても主流とは明らかに思われない見解のバランスがとれておらず、中立的な観点が本来求めている「主流な見解は主流なものとして、支持者の少ない見解は支持者の少ないものとして」書くということが実現不可能になっているせいだと思っております。私がこれまでの議論で直面したのは文献調査と称して、無作為に都合の良い記述を集めてきて、それが分野が適切なのか、主流なのかというのも無視して、ただ単に数を数えて済ますという検索ヒット数の集計のようなやり方であり、私にはそれが正しいやり方とは思えません。さらには反対論者のあまりにもひどい論文誤読が一つならずあり、それを指摘しておりますが、そういった内容の読みの間違いについて敏感さもありません。上のぽてからさんの口上についても「ブライアン・ティアニーが「中世の聖と俗との二元主義は近代的な「政教分離の壁」とは異なっていて、教会権力と国家権力はたえず重なり合っていたが、そこでは教会は宗教の領域における国家権力の介入を制限することに努めており、この限りにおいて教会は人間の自由の領域を拡大した」と述べているのは、「マグナ・カルタの「自由」が近代の「自由」と同一の概念ではない」ということを述べているわけでないことは明白なのですが、そういうことがわからない、これでは議論のしようが無いということです(この文章はむしろマグナカルタの時代は近代的な政教分離の考えがない社会であるにも関わらず、信教の自由の起源の一つがここにあるということ、それがきわめて早い段階から議会主義的な自由理念と結びついているという注目すべき事実を強調している。そしてこれは「神の平和」運動の近年の再評価の流れにもつながっているが、ティアニーはここではそこまで述べていない)。そして、一番これまでで困るのは文献に基づかない、とても真実とは思えないことを言うことです。たとえば「キリスト教国家論は専門家の間では使われている」というような意見を文献も示さずに語ったりします。つまるところ、この記事において信頼できる文献はどれかということについて、専門領域で成り立っている常識が使えないという時点で、それを細かく証明していくのに私は疲労します。常識的に考えれば、参考文献を見て、それがいわゆる「講座もの」だったり、監修がついていたりしていればそれは学術研究において信頼できる文献であるというのは普通にわかります(なぜなら大学に行けばこれらを手がかりに研究するのがよいことを教えられるからです)が、そうした常識さえ通用しないとあれば、それはウィキペディアの常識はもはや専門領域とは乖離していると言わざるを得ません。だからは私自身がここに何か文章を書く必要はないと私は今思っています(専門的な議論をしても通じないのでは無駄骨です)。つまるところ、そうした状況下で歴史学的な文献の知識と素養のあるGreenland4さんが来てくれたのが救いで、私としては先頃の対話で伝えるべきことは伝え、それに対するGreenland4さんの返答も安心させてくれるものでありましたから、以降の議論ではGreenland4さんを全面的に支持します。私はこれまでの議論の推移から、専門的な内容であるこの記事の整理をするのにぽてからさんや121.107.209.16さん、大和屋敷さんあたりじゃちょっと無理なんじゃないかなと思っていますが、どちらにせよ私にはあまり興味が無いことです。ただそんな私でもさすがに「キリスト教国家論の歴史」は無いなと思いましたから反対しましたが。--硯箱会話2017年6月15日 (木) 10:36 (UTC)
相互への批判をもう少し抑制できないでしょうか・・・。せっかくコメント依頼で議論に新たな参加者が入ったのに、硯箱さんと反対論者の対立と言う枠組みに落とし込んでしまっては過去ログの膨大な議論を繰り返すだけです。まして〇〇さんにはできる、□□さんにはできない、というような言い回しは感情的なやり取りを煽るだけです。何よりも新たに記事に関わる可能性のある人の執筆にとって足枷になります。今までの議論でどうだったこうだったよりも、今ある提案について語りませんか?--TEN会話2017年6月15日 (木) 11:05 (UTC)
その点に関しては全く賛成です。私は「硯箱さんが○○だから」と言われれば、それは「あなたが○○だから」と返さざるを得ないことをわかっていただければそれでいいです。そのうえでこの件について、過去において信頼すべき情報源の見解一致がはかれなかったという事実、それを解決する仕組みがウィキペディアに現状無いかも知れないということ、検証可能性を軽視した議論によって改名されたという事実を主に述べたく、少なくともそうした議論は不毛なので私は疲れたから関わる気持ちはないということ、TENさんやGreenland4さんのような一定程度歴史学をご存知の方々が議論に参加されていれば、変な決着になることはなく、心配なく静観していられるということが言いたいのです。上の発言の主意は私はGreenland4さんにすべてを任すと言っているのだから、これ以上「硯箱さんが~」みたいに私を持ち出すなということです。--硯箱会話2017年6月15日 (木) 11:45 (UTC)
硯箱氏宛のメッセージですが、自身の信念と異なる意見を全否定することにより自らの発言の優位性を印象づけるなどは、議論の際に使用されがちな論法とも言えましょう。しかし、硯箱氏のお勉強された範囲についても一局面にしか過ぎない、ということはご認識されたほうが良いと思います。これまで議論をウォッチしてきた者として、ぽてから氏や121.107.209.16氏、大和屋敷氏が、歴史学的な文献の知識と素養をお持ちでないという硯箱氏の主張は正確ではないことを強調させていただきます。言い換えれば、ぽてから氏や121.107.209.16氏、大和屋敷氏ほどの、歴史あるいは宗教史の一般教養をお持ちの方でさえも理解しがたい記事であるということは、すなわち、一般の方はとうてい理解できない記事である、ということになりませんでしょうか。硯箱氏は「この学者は信頼出来るがこの学者は信頼できない」などの自らの基準を厳格に反映させて、自身が認めない学者の主張は一切考慮しない、などの主張をされています。人に対して、支持する支持しない、好き嫌い、合う合わないという自己基準を厳格に採用する、という姿勢を、用いる出典においても議論相手についても貫かれていますね。Greenland4氏やTEN氏が信頼できる執筆者で歴史関係には博識であることに疑いの余地はございませんが、Susuka氏、アルトクール氏、ジャム・パンナ氏、Moon.rise氏、Yuukin0248氏、ぽてから氏、121.107.209.16氏、大和屋敷氏は、硯箱氏よりもWikipediaの方針を深くご存じでいらっしゃいます。そのような方々から見て、独自研究であるとか、理解しがたい記事だと言われる要素が存在するということは、百科事典としては不備が存在するということでございます。硯箱氏が自身の主張以外のすべてを、記事においても議論においても排除し続けようとなさった結果が、今の状況となっていることをご認識され、ルールを尊重していただきたく存じます。議論が円滑に進むことを優先し、Greenland4氏に議論を進行していただくことは非常に有り難いのですが、硯箱氏が希望されるように、自身が支持する学者の本だけを使い、自身が支持する執筆者の意見だけに聞く耳をもつなどは、ウィキペディアにおいては受け入れられる主張ではないということは、ご認識いただく必要があると考えております。実際、硯箱氏の矛盾発言は多く存在し、議論の進行の妨げにならないようにそれを指摘する等の発言を控えておりましたが、最低限、これだけはお伝えせねばと感じた次第でして、述べさせて頂きました。失礼いたしました。--雅ハルカ会話2017年6月15日 (木) 12:55 (UTC)

コメントGreenland4様の提案に賛成ですが(特にこのジャンルに詳しくないですが、それでも腑に落ちる内容でした)、これまでの経緯があるし、上で議論があっていたので、ちょっと提案がはやいかなとは感じました。「政教分離」はヨーロッパでできた概念で、でも他の国の歴史を振り返る時にも使えるというのが、ややこしくなっている原因でしょうか。「政教分離の歴史」というタイトルで、すべての国の政治と宗教の分離を書くのは物理的に無理で(いくらでも長くなっちゃうので)、「政教分離の歴史」というタイトルにするなら、「政教分離の歴史」はヨーロッパにして各地域は別記事にするか、「政教分離の歴史」は各地域の記事へ誘導する記事にして、ヨーロッパも別記事を立てるか、2択かなと思いました。

TEN様もおっしゃってますが、せっかく記事を改善できる機会なので、感情的な部分を抑えることはできないでしょうか。コメント依頼の後だけ見ると、硯箱様の方が冷静に見えています。冷静じゃないと思われるような言葉が混じると、いい意見も伝わらないかもしれません。あと、いろんな人が問題を指摘している現状の内容から記事名を考えるより、読者にとっていい記事を設計して、それに合わせた記事名にするといいと思います。--ジャム・パンナ会話2017年6月15日 (木) 12:46 (UTC)

  • コメント 簡単に結論だけ述べることといたします。
  • (1)「1 政教分離における歴史学的視座」(約9万3,000バイト)→削除
 →→本人が了承しているので良いと思います。
  • (2)「2.2 古代のキリスト教思想(~500年)」(約3万7,000バイト)→記事「初期キリスト教」へ移動
 →→簡単ですが少々安易ではないかと思います。(どうしても反対ということではございません)
  • (3)「2.3 キリスト教普遍世界(500年~1500年)」(約28万8,000バイト)→記事「中世ヨーロッパ」へ移動
 →→簡単ですが少々安易ではないかと思います。(どうしても反対ということではございません)
  • (4) 記事名は「政教分離の歴史」を維持
 →→再考すべきであろうと思います。
  • (5)合衆国憲法制定(1787年)、フランス革命(1789年)、ナポレオン法典(1800年)、ドイツ国制の政教分離(1803年)、あたりまでを射程に入れる
 →→現時点では方向性が定まっていないため保留
  • (6)1510年代(マキァヴェリ『君主論』1513年、ルター『95ヶ条の論題』1517年)から書き起こす
 →→「政教分離(政教分離原則)」の歴史・成立史とするのであれば、聖職叙任権闘争、宗教戦争、フランス革命などの局面は含まれるのではないでしょうか。--雅ハルカ会話2017年6月15日 (木) 12:55 (UTC)

賛成 新たにコメントを下さった皆様、そしてこれまで記事改善に参加してくださったすべての人に感謝の意を表明します。私が2016年1月から2月にかけて分割転記をし(その時の版はこれです)、同年12月に当時IPアドレスであった硯箱さんが差し戻しをされ[9]、以来議論が続けられました。(なお、ぽてからさんが過去ログを紹介してくれましたが[10][11]2017年2月24日までのものでそれ以降の過去ログが表示されていませんので、3月26日までの議論も参照をお願いします)

私の意見は3月5日の文献調査報告で大方は言い尽くしており、「政教分離」は宗教改革、アメリカ独立、フランス革命などがメルクマールとなるという理解が一般的であること(「政教分離」『歴史学事典』弘文堂:11巻及び12巻)、そして硯箱さんが保持しようとしているwikipedia記事「政教分離の歴史」は、『歴史学事典』でいえば「キリスト教と国家」項が骨格としては似ており、そのことは硯箱さん(当時IP)も「これを中心に整理するとわかりやすい」と発言されていました(2017年3月5日 (日) 16:05 (UTC))。この時に合意できたはずだったのですが、お互いに感情もあり、相手を反駁することに勢いをつけすぎて、このような長いやりとりになったと思います。私の当初の分割転記の理由は記事の肥大であったので、Greenland4さんと硯箱さんとの間で合意ができるのであれば私も合意します。ただ、分割後にあらたに問題を提起する可能性はございます。

「政教分離の歴史」として中世から書き起こすことについては、私の3月5日の文献調査報告における樺山紘一「キリスト教と国家」(歴史学事典第12巻)での①初期キリスト教②ビザンツ③ゲルマン諸国家④宗教改革⑤近代の政教分離という区分、また新カトリック大事典II「政教分離」の教皇権と皇帝権以来の展開や、宗教の事典(朝倉書店)「政教分離・政教一致」などから、合意します。

硯箱さんはwikipediaに失望されていると表明されていますが、私は今回のまとまりをみてwikipediaに希望をみます。どうか硯箱さんにおかれましても、wikipediaのすばらしいシステムを見捨てないでほしいと思います。--121.107.209.16 2017年6月15日 (木) 13:50 (UTC)

賛成 自分の意見を表明していなかったので、提案された6点について賛否を書いておきます(基本的に賛成ですが)。

(1) (2) (3)について、賛成です。
(4) について。「キリスト教国家論の歴史」よりは「政教分離の歴史」の方がベターだと思いますが、議論の余地は大きいと思います。
(5) (6)について、賛成です--TEN会話2017年6月15日 (木) 14:04 (UTC)

コメントみなさま、どうもありがとうございます。ぽてからさんの御指摘、

「「政教分離の歴史」が「日本語話者の大多数にとって、最も曖昧でなく、最も理解しやすい名」とはいえないと考えております。翻訳本では「政教分離」よりも、むしろ「教会と国家(Church and state in medieval Europe)」などの和訳が多く見られるのではないでしょうか(教会と国家の分離原則 Separation of Church and State等)

の部分ですが、「中世ヨーロッパにおける教会と国家」ということであれば、本記事の現状は割とそれに近い守備範囲・内容になっていると思います。したがって、現記事の削除や移動を極力控え、「1 政教分離における歴史学的視座」を史実に落とし込んでいって「中世ヨーロッパにおける教会と国家」という記事に仕上げるというのは、方向性としてはアリだと思います。ただし、これには"in medieval Europe(中世ヨーロッパにおける)"の部分を絶対に省略してはいけません。中世ヨーロッパにおいてはそもそも「政教分離」は未だ実現していないのですから、「政教分離」の言葉は使えないのです。その時点では使えない言葉を持ってきて「ほら、使っていないじゃないか」というのは、いささかアンフェアに感じます。とはいえ、誰が落とし込んで、誰が仕上げるのかという問題はあるにせよ、そのセンで全員の合意がとれるのであれば、それはそれで結構だと思います。一方、「政教分離」という言葉については、ブリタニカ、知恵蔵、デジタル大辞泉、マイペディア、世界大百科事典、大辞林、ニッポニカからの引用があって、これほど多くのソースから用語解説のなされている語ですから、「日本語話者の大多数にとって、(曖昧さはともかくとして)、最も理解しやすい名」であることはまったく問題ないでしょう。ちなみに、コトバンクで「教会と国家の分離原則」を内部検索しても1件もヒットしません。したがって、「教会と国家の分離原則」という語もまた一般的ではない(それを称して日本では「政教分離」と称するのがむしろ一般的)ということなのです。「政教分離」の語を忌避する理由はあまりないものと思います。これに関しては、TENさんがおっしゃった、

「政教分離」という単語が指す事象について、硯箱さんとその他の論争参加者の間で一致していないように思えます。

という言葉がすべてを物語っていて、実際、コトバンク内でも、TENさんが指摘された「西ヨーロッパ世界における固有の歴史的事象として発生した(不可分のものとして存在した)教会権力と世俗国家の分離現象」と「現代政治における政治と宗教の分離を指す一般名詞」の2つの捉え方が併存しているように思います。後者に引っ張られると、確かに「政教分離はヨーロッパの専売特許ではない」という意見は一般論としては成立しうるわけですが、しかしながら、だからといって「政教分離の歴史 (日本)」という記事が書けるかというと、どちらかといえば日本史畑の自分であっても正直書けないです。確かに中世末には日本でも一向一揆のような宗教戦争があったことも、近世(江戸期)が前代にくらべて世俗的、脱宗教的(脱仏教的)になったことも事実ですが、その一連の流れを「政教分離」のことばで表現しうるか、「政教分離の歴史」という記事が書けるかはまた別問題です。原理原則の確立といえるほどではなく支配層の属人的な要素が大きいですし、江戸期隆盛の儒教や国学、これを「宗教ではない」と断じかねるところがあります。一方、憲法原理としての政教分離は、憲法ないし立憲主義そのものが欧米を起源としている以上、これは広く欧化政策なり欧米化の所産であるわけで、その意味からはカッコなしの(断り書きや限定なしの)「政教分離」とくに「政教分離の歴史」なる歴史事象はほぼ西ヨーロッパ世界に限定されるものとみてよいのではないでしょうか(コトバンク「世界大辞典」「知恵蔵」もそういう記述になっています)。トルコ革命の事例や日本国憲法の事例は、だから「政教分離の歴史」の「後史」には加筆しうるのです。これらの地域の西欧化、それがまた世界史でもあるからです。

そう考えた場合、本記事をベースにした「中世ヨーロッパにおける教会と国家」という記事があってもよい、そして、本記事をベースにするなら、それと同じくらい、あるいはそれ以上に「政教分離の歴史」という記事があってもよいとは言えるのではないでしょうか。フランス革命まで射程に入れるということが了解されるのであれば「中世ヨーロッパ」では収まらないわけなので、結局は「政教分離の歴史」の記事はつくらざるをえないし、つくってもよいということになるのではないかと思います。2つつくるのなら「中世ヨーロッパにおける教会と国家」「政教分離の歴史」の2つつくってもいいが、1つならば「政教分離の歴史」に落ち着くだろうし、そうせざるを得ないのではないかというのが私の見通しです。2つつくることに関しては異論ありません。--Greenland4会話) 2017年6月15日 (木) 15:15 (UTC)(字句の一部を修正)--Greenland4会話2017年6月16日 (金) 15:10 (UTC)


コメントこんにちは、Moon.riseです。「こちらの主ページの守備範囲」と「改名の可能性」について、いくつか申し上げさせてください。 こちらの主ページの守備範囲について、記事名がどうなるかを別にすれば、輪郭が見えるようになりつつあるのだと思います。 拾い上げさせていただきますと、「中世ヨーロッパにおいて、国家権力と教会権威の分離の過程を、1510年代から1810年代までの範囲で記述する」という所でしょうか(この見立てで正しければ『国家権力と教会権威の分離』は記事名のひとつの案として出せるかもしれません)。 例えばぽてからさんとIP:121.107.209.16さんが、共に叙任権闘争などの追加を挙げられていますが(これまで硯箱さんの差し戻しを受けていたとお見受けしますが)、 これらについても改めて、記述に加える可能性を検討されるのが好ましいと思います。

改名の可能性、適切な記事名は何か、これに直接お答えするではありませんが、参考になると思う意見を申し上げさせてください。 こちらの主ページを「何か雑多な歴史的記述」(本気でいっているわけではありませんので念のため。悪い例です)にすることの危険性についてはすでに述べました。 今回はほぼ逆の側面について述べます。「記事名について出典はいらない」ということです。

例えば一覧記事で「マーケティング手法の一覧」という記事があります。 お分かりだとは思いますが、恐らく直接に「マーケティング手法の一覧」という単語について出典を要求されても、一言一句おなじ出典はないでしょう。 他に「宝塚歌劇団によって舞台化された作品の一覧」でも「シェイクスピアの文句を題名にした作品一覧」でも構いませんが。 例えば分割された(と思われる)記事で、「ONE PIECEの世界における年表」や「ONE PIECEの登場人物一覧」や「相棒の登場人物」という記事があります。 お分かりだとは思いますが、一言一句おなじ出典はないでしょう。 実例だけではなく、ルールも見てみましょう。 Wikipedia:検証可能性では、「記事には、信頼できる情報源が公表・出版している内容だけを書くべきです」とあります。 記事内容と記事名を混同してはいけません。 Wikipedia:記事名の付け方には、一言一句おなじ出典を求めるなどという記述はありません。 それどころか、Wikipedia:記事名の付け方#ある記事の子記事を作る場合には、「バスケットボールにおける望ましくない競技態度」という記事名の例があります。 くどいとは思いますが、「バスケットボールにおける望ましくない競技態度」という記事名を、直接的な出典がないと否定するのは、Wikipediaのルールからは出てこないものです。

より大事なことは、例えば「バスケットボールにおける望ましくない競技態度」という記事名が、その記事に何から何までを書くべきか、逆に書くべきでないかを、明らかにしているということです。 その意味では、出典はあれども今になっても記事の守備範囲が確定しない「政教分離の歴史」という記事名は、出典のない「バスケットボールにおける望ましくない競技態度」という記事名よりも、むしろ問題があると思われます。

硯箱さんはこれまで、「キリスト教国家論」の出典を示してくださいということを繰り返し主張されてきました [12][13][14]端的には「検討の余地もありません」とまでいわれていますが、それはルールを理解されていないご主張だと思います。私のこちらでの説明をもちまして、硯箱さんに撤回を求めます。

話を戻しますと、もし「政教分離の歴史」という記事名を改名するなら、(先に守備範囲を合意してから)いかに「何から何までを書くべきか、逆に書くべきでないかを、明らかに」できる記事名にするかということでしょう(あるいは、それに代わる措置を取れるか)。 仮に「政教分離の歴史」のままにした場合で、30年後を考えてみてください。Greenland4さんもぽてからさんも大和屋敷さんも立ち寄らなくなった「政教分離の歴史」に、誰が何を書き込むでしょうか。それは分かりません。 例えばもし、日本の「政教分離の歴史」についてこちらの主ページに入れるべきではないとするなら、それを分かるように形にして残しておくのが望ましいと思います。--Moon.rise会話2017年6月15日 (木) 17:51 (UTC)

(Moon.riseさんへ)私に直接向けられたメッセージに関わることだけお答えします。まず叙任権闘争という記述を拒否したという事実はありません(現に私の加筆箇所ではその政教分離の歴史における意義も含めて叙任権闘争について詳しく記載されていることが確認されるはずです)。相手側が中世については叙任権闘争くらいに限定すべきというような発言があったので、それは違うということを申しました。次に記事名のことですが、「マーケティング手法の一覧」にせよ「宝塚歌劇団によって舞台化された作品の一覧」にせよ「バスケットボールにおける望ましくない競技態度」にせよ、誰もが何であるか明確にわかります。「マーケティング手法」がどんなものであるか、「宝塚歌劇団によって舞台化された作品」がどれを指すのか、「バスケットボールにおける望ましくない競技態度」が何を指すのか、一定程度の知識があれば誰もがわかるというのは共通理解が存在しているということです。しかし翻って、では「キリスト教国家論」と聞いてMoon.riseさんは何を思い浮かべるのですか?この用語に共通理解があるとは思われますか?共通理解がない場合でもその用語に信頼できる出典があって、その出典が守備範囲を明確にしているならまだその内容について書けるでしょう。しかし今回出典は示されていない。私が「キリスト教国家論」について「検討の余地もない」といったのは共通理解もなく、検証可能性も満たさないので、これじゃその内容についてとても合意できないし、それこそあとから「キリスト教国家論」に誰かが記述を追加したときやあとから今回と同様の議論が起こったときに、近世の国家理論なのか(出典あり)、神学論なのか(出典あり)、それとも中世の政治思想の歴史の別名がキリスト国家論なのか(私はこれはあり得ないと思いますが)、また同じ事を延々と繰り返すことになりますと言っているのです。「キリスト教国家論」に共通理解があるとは思えないこと、用語の出自や守備範囲を明確にした出典もないこと、これらの二つを持ってとても検討できないと言っているのです。実際Moon.riseさんは「キリスト教国家論」と聞いて、それが何を指すか明確であると思いますかということです。
ウィキペディアの記事名の付け方には5原則があり、
  1. 認知度が高い - 信頼できる情報源において最も一般的に使われており、その記事の内容を表すのに最も著名であると考えられるもの。
  2. 見つけやすい - 読者にとって記事の中で見つけやすいもの(そして編集者にとって最も自然に他の記事からリンクできるもの)。
  3. 曖昧でない - その記事の内容を曖昧さなく見分けるのに必要な程度に的確な名称であること。
  4. 簡潔 - 短く、要点を突いているもの(曖昧さ回避の場合でも、括弧内を短く保つことは必要です)。
  5. 首尾一貫している - 他の似たような記事においても、同じように使われているもの。
ということが挙げられています。「キリスト教国家論」という記事名に共通理解が無ければ、1. 2. 3. 5.は明らかに満たせません。それに、例示された一覧記事と違って「キリスト教国家論」は明らかに形態として用語ないし術語です。その用語が成立しているかどうかという出典は1.を満たすために重要な要件であると思われます。これは満たされているとは思われません。再三再四にわたる出典の明示の要求についてはいまだに回答されていないのです。対して「政教分離の歴史」についてはすでにこれまでの議論でもその指す内容について明確化されてきていると私は思います。--硯箱会話2017年6月15日 (木) 22:17 (UTC)
サイズを度外視すれば、本記事の中世部分の内容(「2.3 キリスト教普遍世界」相当部分)は、決して「雑多」ではないし、「文字列」などと呼ばれるものではないように思います。むしろ、はっきりした一つの意思にもとづいて叙述されているように感じます。中世国家について説明する、中世のキリスト教会について説明する、そして国家と教会の関係について説明するということで割と一貫しているのではないでしょうか。きちんと理解しよう、理解させようということであれば当然そうなるわけで、こういうやり方で史実を丁寧に積み上げていけば分量が大きくなってしまうのは、ある意味しかたないことです。百科事典の書き方というよりは、書籍の書き方だとは思いますが。「安易」という指摘を受け、自分としてもいささか安易という気がしないでもないですが、これに社会経済的内容を付け加えれば充分「ヨーロッパ中世」という単独記事として通じる内容とボリュームじゃないかと考えるので、そっくり移動するのがよいと思います。また、中世部分に「1.政教分離における歴史学的視座」を精選・整理したうえで加筆し、「中世ヨーロッパにおける教会と国家」なる記事をまた別につくることも反対しません(むしろ、お願いしたいくらいです)。それ自体が政教分離の歴史を理解するうえでの優良なレファレンスになるでしょう。
その部分を移動させたとしてあらためて「政教分離の歴史」を考えた場合、Moon.riceさんの「(先に守備範囲を合意してから)いかに「何から何までを書くべきか、逆に書くべきでないかを、明らかに」」という御指摘はまったくおっしゃる通りだろうと思います。そして、ぽてからさんとIP:121.107.209.16さん、雅ハルカさんが叙任権闘争の追加を挙げられていますが、これについてはぽてからさんが掲げてくださったコトバンク「世界大百科事典」にも「ヨーロッパにおいて政教分離は一回的できごとではなく,歴史過程のなかで徐々に進行したが,巨視的に見れば三つの画期を指摘することができる。聖職叙任権闘争,宗教戦争,およびフランス革命である」とありますので、1510年-1810年の内容に叙任権闘争を加えるのは妥当だと思います。
(6)’ 1510年代(マキァヴェリ『君主論』1513年、ルター『95ヶ条の論題』1517年)から書き起こす。叙任権闘争についてもふれる。
…問題はその「ふれ方」ですが、これは私は「従来、協力関係にあった王権と教皇権が対抗関係に変わってきた」程度のごくあっさりしたふれ方でよいのではないかと思います。それでも大きな画期であることは間違いないわけです。あとは、宗教戦争とフランス革命なわけですが、これについては単発的にではなくてある程度連続的に追っていかなくてはいけないと考えます。宗教戦争を説明するためにはルネサンス・宗教改革について最小限度の言及は必要ですし、フランス革命を説明するためには絶対王政に言及せざるを得ないでしょう。ただし、書き方としては事件史的・年代記的な叙述ではなくて思想史的ないし社会史な書き方をしなくてはならないというふうに思います。たとえばルネサンスだったら、これが神中心ではなくて人間中心を謳った運動であり、キリスト教成立以前の文化にはじめて目が向けられた、人びとの教会支配からの解放に道をひらいたという点で画期があり、それまでの共通語(教会用語)=ラテン語から国語への転換が図られた端緒である、そのなかから宗教・道徳から独立した現実的な政治論として『君主論』が書かれた、イタリア戦争で皇帝権・教皇権ともに疲弊して王権や市民が台頭・活躍した、ルネサンス文化はパトロンが教皇や豪商・王侯貴族だったため貴族的性格を帯びた、エラスムスも教会を風刺したということだけを書く(それ以上は書かない)。それだけ書けば、宗教改革との共通点、微妙に違っているところ、決定的にちがうところ、影響関係や連続性、全部書けるわけです。そういうかたちで、ルネサンス―宗教改革―宗教戦争と連ねていってナント勅令の画期性を指摘する。同じような感じで、絶対王政―王権神授説―社会契約説・啓蒙思想―アメリカ独立・合衆国憲法―フランス革命―世俗国家・国民国家の成立(+ドイツでの政教分離原則確立)というふうに連ねていく。こうして政教分離原則の成立や世俗国家の成立というところから逆算してそれに関係のあるところだけを抜いてその概略を書いていけば、たいして分量は食わないのではないかと思います。その過程で、宗教改革のなかの詳細な歴史事実は、記事「宗教改革」へ移すことがなされてもよいと思います。
あるいはまた、ゴールさえ決まっているんだったらゴールから書き始めるという手もあるのではないかと思います。
日本の「政教分離の歴史」については、記事の最後に「西欧以外の政教分離成立史」のような節をあらかじめ設けておいてしばらく様子をみるのがよいと思います。それがある程度まとまって記事化できるようだったら「政教分離の歴史(日本)」という記事がそこから分割・立項できるでしょう。歴史に詳しい方はたくさんいらっしゃいますので、「加筆大歓迎」の構えだけはとっておく必要があろうかと思います。--Greenland4会話2017年6月16日 (金) 00:15 (UTC)
Moon.riseです。Greenland4さんへの返信になります。こちらは決して「雑多」ではないし、「文字列」などと呼ばれるものではありません。「すでに述べました」とあるように、2017年6月13日 (火) 18:18 (UTC)の自身のコメントを引いたものであり、(本気でいっているわけではありませんので念のため。悪い例です)としております。しかし、Greenland4さんを不安にさせてしまう、丁寧さの足りない不適切な記述でした。お詫び申し上げます。併せて2017年6月15日 (木) 17:51 (UTC)のコメントに、()内を追記させていただきます。--Moon.rise会話2017年6月16日 (金) 09:05 (UTC)
Moon.riseです。硯箱さんへの返信になります。「相手側が中世については叙任権闘争くらいに限定すべきというような発言があったので、それは違うということを申しました」了解いたしました。ありがとうございます。さて、本命となる記事名のお話に進ませてください。
  • 「キリスト教国家論」と聞いてMoon.riseさんは何を思い浮かべるのですか?この用語に共通理解があるとは思われますか?共通理解がない場合でもその用語に信頼できる出典があって、その出典が守備範囲を明確にしているならまだその内容について書けるでしょう。
  • 「キリスト教国家論」に共通理解があるとは思えないこと、用語の出自や守備範囲を明確にした出典もないこと、これらの二つを持ってとても検討できないと言っているのです。
ということで、今回は硯箱さんから「共通理解」と「出典」の2つのご理由をいただきました。「共通理解」の指す所については「「バスケットボールにおける望ましくない競技態度」が何を指すのか、一定程度の知識があれば誰もがわかるというのは共通理解が存在しているということです」ですので、専門用語ではなく一般的な言葉として読んだ時の意味ですね。ここまでは私も同意いたします。一般的な言葉として「共通理解」できるのであれば、記事名として問題ありません。あるいは、専門用語として出典を提示できるなら、それが何を指しているかを明確にできるでしょう。
  • 例示された一覧記事と違って「キリスト教国家論」は明らかに形態として用語ないし術語です。
こちらには同意できません。専門用語ないし術語(テクニカルターム)だと、何をもって明らかなのでしょうか? 提案者の大和屋敷さんも2017年5月9日 (火) 02:33 (UTC)にて「「キリスト教国家」はThe Christian Stateで非常に利用される用語であり、ここから採用することを提案するものです」と述べられています。キリスト教国家、で用語は一度切れるということです。「キリスト教国家の論」として見るのであれば、この区切りでは一般的な言葉としての意味を見るべきではないでしょうか。
硯箱さんのこれまでのご発言を引きます。
  • これ以降必ず改名案には検証可能な文献を示して意見表明をしてください。検証可能性を満たさない改名案は方針的に全く不適切ですから、検討の余地もありません。本文の内容と関連性のある改名の根拠に足る参考文献を示し、ご自身の改名案の整合性を論じてください。(2017年5月27日 (土) 09:09 (UTC))
一般的な言葉としての「共通理解」について硯箱さんが理由に追加されるのは、今回までには見受けられません。あるのは「出典」についてばかりです。本当に当初より、硯箱さんにご理由が2つあがり、「これらの二つを持ってとても検討できないと言っているのです」ということなのでしょうか? 理由が2つあるのなら、「共通理解」についても触れて、一般的な言葉としての意味についての議論も求めるべきでしょう。
  • 「政教分離の歴史」の合意事項がたとえよく理解できなくても、検証可能性を満たさない「キリスト教国家論の歴史」が適切かどうかは方針文書に基づいて直ちに判断できる内容です(2017年6月11日 (日) 02:07 (UTC))
  • ご存知のように、wikipediaでは検証可能なことしか載せないという大原則がございます。検証可能でなければ、議論ができないからです。それは「論点の一つ」という程度のものではありません。検証可能でなければ議論ができないので、合意もできないのです。その点を踏まえて、まず雅ハルカさんは出典のない「キリスト教国家論の歴史」が適切と思っているのですか?お答えください。(2017年6月11日 (日) 02:18 (UTC))
  • 検証可能性を満たしていないのに、合意形成に瑕疵がないとはどういうことでしょうか?検証可能性を満たさなければ合意形成は不可能なはずです。(2017年6月11日 (日) 03:16 (UTC))
やはり見ていっても、硯箱さんが「とても検討できない」理由を2つに増やされたのは、今日からなのではないかという気がいたします。
硯箱さん、どうぞ、素直になってはいただけませんか。--Moon.rise会話2017年6月16日 (金) 09:18 (UTC)
コメント 私はこの分野については無知といって良いほどというなか、コメント依頼がうまく機能してある程度の理解がある方が来ていただくことでよい方向に進んでいっているので、嬉しい限りです。さて、私の「無知」の範囲で提案へのコメントをします。
(1) 賛成 いちいち視座を書き込む必要はない。また、「唯一の出典」が張られてしまったので分割するなら削除しいたほうがマシ
(2) 条件付賛成 分割については合意するが、後述の条件を満たさない記述は除去
(3) 条件付賛成 同上。
(4) 中立 「政教分離の歴史」は文献調査もあったように一般的な名称ではない。しかし1,2,3が行われた場合はなにかしらの改名が必然
(5,6) 棄権 私の「無知」ではコメントの余地がないが、簡単に調べた範囲ではその程度が妥当とも考えられる。
「条件」とは
  • [要出典]などがつけられてしまった記述の出典の明記を求める。
    • 「2,3」については出典の明記に協力する物がいる場合(というかいてほしい)、その作業が終わるまで対処(無出典記述の除去)の猶予が必要。私が思うに、重要なのは記事を整理することよりも記事内容から出典のない記述を無くすべき。
しかし、私の意見としては『「条件」を満たすための作業を分割等の作業後に行われるべき』という意見を否定しているわけではなく、出典のない記述を無くなれば問題ないと考えています。--Yuukin0248会話2017年6月16日 (金) 10:31 (UTC)

(編集競合になってしまいましたが、そのまま) 閑話休題。書名に「政教分離」と題する歴史書がないかamazonで調べてみました。

  • 谷川稔『十字架と三色旗――近代フランスにおける政教分離』岩波書店岩波現代文庫〉、2015年5月。ISBN 4006003269 
  • 工藤庸子『宗教vs国家 フランス〈政教分離〉と市民の誕生』講談社講談社現代新書〉、2007年1月。ISBN 4061498746 
  • 大西直樹千葉眞 編『歴史のなかの政教分離―英米におけるその起源と展開』彩流社、2006年4月。ISBN 477911151X 
  • エドウィン・S.ガウスタッド 著、大西直樹 訳『アメリカの政教分離―植民地時代から今日まで』みすず書房、2007年4月。ISBN 4622072939 

といったあたりがヒットしました([15])。ですから、歴史用語として「政教分離」という言葉が決して定着していないわけではないということは最低限言えるのではないかと思います。また、これらの書籍は本記事を「政教分離の歴史」として加筆していこうとするとき、参照されるべき文献だろうと思います。思想書としては、

があります。また、どういう本なのか不明ながら、

  • 市川裕ほか『ユダヤ人と国民国家―「政教分離」を再考する』岩波書店、2008年9月。ISBN 4000254081 

という書籍がありました。日本史関係では、

があります。蛇足ながら、ライシテに関しては

がありました。なお、「キリスト教国家論」でも検索してみました。18件ヒットしましたが、この文字列をまるまる含む書籍はありませんでしたし、ヒットしたものもカール・バルトの著作以外、本記事と関係ありそうなものはほとんどありませんでした([16])。「キリスト教国家」は404件ヒットしましたが、かなりトンデモ本がまじっている印象です。なお、コトバンクの内部検索でも「キリスト教国家論」は全くヒットしませんでした(ちなみに「食品ロス」は3点、「リソルジメント」は6点の文献からの引用があります)。したがって、現段階では「キリスト教国家論」は「造語」に近いものではないかという印象を受けました。--Greenland4会話) 2017年6月16日 (金) 10:22 (UTC)(文面微修正)--Greenland4会話2017年6月16日 (金) 10:46 (UTC)

記事名が話題になっているので、一応ですが、自分の意見、(分割後の名称として)「キリスト教国家論の歴史」よりは「政教分離の歴史」の方がベターだと思います、の根拠について。
現在の記事を活かすという観点に立った場合ですが、誤解を恐れずに非常に単純化して言えば、元々本記事は
「西ヨーロッパ世界における固有の歴史的事件としての教会と国家の分離過程(これを「政教分離」と呼ぶ)を説明する」と言う明確な意図の下
  1. 古代のキリスト教思想(〜500年)・・・・・・教会の成立と世俗権力との融合過程を説明する
  2. キリスト教普遍世界(500年〜1500年)・・・・聖俗一体のキリスト教普遍世界下におけるヨーロッパの史的展開を説明する
  3. 近代社会とキリスト教(1500年〜1800年)・・キリスト教普遍世界における聖俗の分離過程の始まりから終わりを説明する・・・つまり「政教分離の歴史」と言う最初の記事においてはコアの部分
というはっきりとした骨格(文脈と言ってもいいと思います。)を構築しているように思います。この記事のタイトルだけを「キリスト教国家論の歴史」としてしまうと、「キリスト教国家論」が用語として成立しているいないに関わらず、また分割するしないに関わらず、記事名と記事内容を整合させる作業はゼロから立項するよりも面倒な物になるように思います。予測としては改名後の「キリスト教国家論の歴史」は何の記事だかわからないまま長期間放置される事になるのではないかと思うのです。
私としてはGreenland4さんが提案された、「古代のキリスト教思想」と「キリスト教普遍世界」を分離し、コアである近代社会とキリスト教を軸元々の「政教分離の歴史」に加筆してまとめる、と言う枠組みは非常に明瞭でわかりやすい物に思います。安直という指摘はありますが、この場合安直であるというのは分離理由がわかりやすく明確であるということと表裏一体であり、欠点ではないと考えます。付言すれば、日本その他各国の事情やイスラムの事情を記述できないという問題については、これまた後史の節を設ければそこに記載可能という事で、この記事にまつわる論争の大部分をある程度は解決できる案であると思います。その点からは、別の提案である「中世ヨーロッパにおける教会と国家」「政教分離の歴史」の2つつくってもいい。」には賛同しかねる感じです(それが悪いとは思いませんが、最初の分割案の方がより優れていると思います。)
「政教分離」より適切な用語があるのではないか、或いは「西ヨーロッパ世界における固有の歴史的事件としての教会と国家の分離過程」の記述がコアを占める構成などが合意できるかは別の問題ですが、上記の通りどの場合でも「キリスト教国家論の歴史」よりは良いと考える次第です。--TEN会話2017年6月16日 (金) 11:32 (UTC)
コメント 私もほぼ同じ認識です。壮大な構想のもとに書かれた記事だと思います。「近代社会とキリスト教」の部分がコアだというのは、まさに私が申し上げたかったことです。ありがとうございました。多くの人にとって、「政教分離の歴史」と聞いて真っ先に思い浮かべるのは、この部分ではなかろうかと思います。教会と国家だけではなく、ここでは農民や市民が歴史の表舞台に登場して大きな役割を果たします。にもかかわらず、コア部分の印象が薄かったために、さまざまな面でボタンの掛け違いが生じ、相互に否定的な感情の応酬が発生してしまったことはつくづく残念なことだったと思います。--Greenland4会話2017年6月16日 (金) 15:10 (UTC)

返信 Moon.riseさんへ)議論が錯綜する(私が発言すると「硯箱さんがこうだから」という反論がほぼ必ず付くのは皆さんお気づきと思います)ので、あまり「硯箱さんが~」という話はしないでいただきたいのですが(これまでもその連続でこじれています)、メッセージを頂いたら拒否するわけにはいきませんのでお返事いたします。私は現状Greenland4さんの判断を100%信頼しており、議論の流れ、文献の提示の仕方も適切なので、できれば議論を混乱させたくなく、静観したいので、以後は「硯箱さんが~」論法は控えていただきたく思います。そのうえでお答えしますが、私の最初の「キリスト教国家論」についてのコメントは「「キリスト教国家論の歴史」という記事名は別項目として立てたほうがよいと思われます。まずこの記事内容にはキリスト教国家論という用語がまったく使われていませんし、キリスト教国家論という形で明確に議論される内容は、どちらかといえば16-20世紀の間にさかんに論じられたもので、政治思想史の分野が中心となると思われますが、現状の記述は政治史・国制史の内容が主であり、歴史学的に論じられている国家機構における政教分離の歴史を扱っていますから、国家論の記事内容ではありません。キリスト教国家論の記事は別項目として立項されるのが適切でしょう。中世では国家という概念があったかはともかく、政治体がキリスト教的であることは当たり前でしたから、キリスト教国家論という範疇で括るのに適切な事象があるのか疑問に思います。」というものです。このコメントの主意がわからないということであれば、補足しながら解説しますと私が調べた限り、「キリスト教国家 christenstaat」という用語は三十年戦争期・ウエストファリア体制以後、近世になって使われ始めたものであるということが明らかであるように思われます(出典:南充彦『中世君主制から近代国家理性へ』・明石欽司『ウエストファリア条約』)。その一方で「respublica christiana」の訳語として「キリスト教国家」と訳す場合がありますが、これは多くの出典において国家概念とは異なるものということは論じられており、実際に「キリスト教共同体」と訳すほうが一般的です。で、ここで私が言っているのはキリスト教国家という用語は近世の特殊な用語として使われている用例があるんですが、それは「respublica christiana」の訳語ではありません(明石欽司はウエストファリア条約で「respublica christiana」が解体されて「キリスト教国家」体制ができたと言っている。そして明石は「respublica christiana」を「キリスト教共同体」と訳している)。つまり「キリスト教国家」は本記事の記述対象の大部分を占める「respublica christiana」とは明らかに別種のもの、むしろそれを否定するものであることがわかります。要するに、キリスト教国家は中世にはなくて、近世にはじめてできたと明石は言っているんです(明石はウエストファリア条約研究では海外でも学位を取っており、日本における権威の一人です)。だから明石を信頼すれば、キリスト教国家というのは本記事の内容の一部ではあるかも知れませんが、大部分重なりません。もし中世に遡る「respublica christiana」を「キリスト教国家」であると思っているのなら、それはとても一般的とは思えないし、そういう誤解が生じているのならば、本記事の「キリスト教国家」に対してこの場で共通理解は存在していないと思われるということを述べているのです。そのうえで大和屋敷さんが「キリスト教国家」に独自の出典を持っているのなら、それを示せば検証可能にはなるので議論が前進するということを述べているのです。つまり「キリスト教国家論」という用語に「共通理解がない」ということとそれが「検証可能でない」ことは初めから言っているので、それを今日初めて言ったというMoon.riseさんの認識は違うということです。私がもし「キリスト教国家」という記事を書くなら、明確に出典のある近世の用語を採用するでしょうから、共通理解が存在していませんよね?と言えばわかりますよね。そして私の先の発言の用語や術語うんぬんの発言の主意は「キリスト教国家論という言葉は何らかテクニカルタームのような形態を取っているが、実際には何らかの学問領域における共通理解の下にあるとは思えないので、テクニカルタームとして存在しているとは思えない」ということです。--硯箱会話2017年6月16日 (金) 11:27 (UTC)

(補足)参考として私がもし「キリスト教国家論」という記事を作り、それを定義するとしたら、どうなるかを示しておきます。「キリスト教国家論は近世の対抗宗教改革の進展によって、イエズス会の影響の下に成立した「キリスト教的国家理性とは何か」を論ずる一連の思想著作群である。代表的著作はゼッケンドルフ『キリスト教国家論』である。」ということになろうかと思います。--硯箱会話2017年6月16日 (金) 12:18 (UTC)

コメントTEN様と同じく「キリスト教国家論の歴史」よりは「政教分離の歴史」の方がベターと思いますが、ヨーロッパの政治と宗教の分離の過程を知りたい人が、この記事にたど着けるかどうか、という導線の観点からです。もともとの「政教分離の歴史」への一番太い導線は「政教分離」の政治の節の「詳細は政教分離の歴史へ」という誘導だったと思います(無限ループになっていたので、今は政教分離からの誘導は消しています)。ヨーロッパの政教分離がどのように成立したか興味を持った人が、この記事にたどり着けるか、求めていることが書いてあると分かるタイトルか、というのは大事と思います(一生懸命記事を直しても、そこがかみ合わないと、1日のセッション数が5、平均滞在時間10秒なんて可能性もあります・・・)。議論が煮詰まったら、読者にとってどうかを考えてみてください。わたしはこのへんでフェードアウトします。記事の完成楽しみにしてます。--ジャム・パンナ会話2017年6月16日 (金) 12:58 (UTC)

Moon.riseです。硯箱さん。そうであれば、了解いたしました。呼びかけさせていただくのは自粛しておきます。--Moon.rise会話2017年6月16日 (金) 16:06 (UTC)
Moon.riseです。Greenland4さんの6点の提案にお返事させていただきます。
(1)(2)(3)そして(5)(6) 賛成
(4) 条件付反対とはいえ、極端に離れた意見を持っているわけではないと思います。まず、こちらの主ページは長く「政教分離の歴史」という記事名であったわけですが、その記事について「何から何までを書くべきか、逆に書くべきでないかを、明らかにできる記事名」になっていなかったからこそ、2006年10月14日 (土) 14:47‎新規作成から今まで、議論が決着しなかったということです。実に、「中世ヨーロッパにおいて、国家権力と教会権威の分離の過程を、1510年代から1810年代までの範囲で記述する」という主題の明確化まで、11年弱も要したわけです。問題が再び繰り返されないことは絶対的な条件であると思います。そのために、記事名によって引き起こされている問題が消えない限り、または記事名をうまくつけて防止すべきことがある限り、「政教分離の歴史」という記事名は反対としなければなりません。
では、記事名から来ていた問題は何か。これまでに大きなもので2点挙がると考えます。①記事内容が政教分離まで到達していない(フランス革命まで到達していないとするべきでしょうか)。②日本における政教分離の歴史など、ヨーロッパ以外についてが加筆される(またリバートされる)。
①はすでに問題ではなくなりました。主題の明確化が果たされ、あとは記事内容で政教分離に到達すれば大丈夫でしょう。②についてです。私はこちらの主ページに、日本における政教分離の歴史などが入ることには、記事内容としては反対です。しかし、現在「政教分離の歴史」と掲げている以上、記事内容として日本やアメリカの政教分離の歴史が加筆されるのは、当たり前のことです。「政教分離の歴史」という記事名は、日本についての編集者でも使いたいのです。アメリカについての編集者でも使いたいのです。ヨーロッパに限られる理由はありません。
勘案いたしまして、私は記事名の例として『ヨーロッパにおける政教分離の歴史』または『ヨーロッパにおける政教分離の過程』を挙げてみます。--Moon.rise会話2017年6月16日 (金) 16:08 (UTC)

コメント 日本については、政教分離原則での日本部分を『日本の政教分離』として分割すればよいのではないでしょうか。すでに独立記事として十分な内容になっています。その歴史についてはその新しい記事で加筆していけばよく、この記事がヨーロッパに限定された記事であるならば関連項目なりリンクなりでつなげばよいと思います。なお、これまでの長い議論のなかで副産物として『イングランドとニューイングランドにおける政教分離の歴史』を私が作成しております。--121.107.209.16 2017年6月16日 (金) 17:23 (UTC)

「小まとめ」&それを受けての議論[編集]

小まとめ

今までの御意見を集約すると、以下のようになるんでしょうか(敬称略)。もし、加除訂正あれば教えてください(自由に編集してくださっても結構です)。

提案項目 (1)「歴史学的視座」 (2)古代部分 (3)中世部分 (4)記事名 (5)本論ゴール (6)本論スタート
Greenland4提案 削除 別項移動 別項移動 「政教分離の歴史」 19世紀初頭 16世紀初頭
硯箱 賛成 賛成 賛成 賛成 賛成 賛成
Susuka 賛成 賛成 賛成 賛成 名称にこだわらず 賛成 賛成
ぽてから 反対 条件付賛成 条件付賛成 反対
「教会と国家」or「政教分離原則の成立史」
表明せず 中世から
雅ハルカ 賛成 反対はしない 反対はしない 要再考 保留 叙任権闘争から
TEN 賛成 賛成 賛成 賛成 現記事名よりはベター 賛成 賛成
121.107.209.16 賛成 賛成 賛成 賛成 賛成 中世から
Yuukun0248 賛成 条件付賛成
出典なし記事は除去
条件付賛成
出典なし記事は除去
中立 棄権 棄権
Moon.rice 賛成 賛成 賛成 条件付反対
「ヨーロッパにおける政教分離の過程(or歴史)」
賛成 賛成
合意形成の状態 反対あり 合意
対処後に出典追加
反対あり 合意 意見混在

引き続き、御意見をお願いします。 --Greenland4会話2017年6月17日 (土) 01:31 (UTC)

小まとめを受けてのコメント

コメント 非常に建設的な議論となっておりますこと、大変うれしく思います。(1)の削除に反対するものではありません(活かせるところは活かせれば、とは思いますが)。また、「政教分離の歴史」は政教分離原則#歴史にリダイレクトがいいんじゃないかと思ってます。ごく一般の日本語話者が「政教分離の歴史」と聞いて想像するのは、日本の政教分離原則、新宗教と政治団体などとの関わりでしょう。ちょっと詳しい人は大本生長の家、一般的な現代人であれば創価学会との政治の関係性や靖国神社と政治の関わりなど、憲法20条の「政教分離」規定を想定されるのじゃないですかね(『国家と宗教の間―政教分離の思想と現実』 (教文選書))など。歴史に興味がある一部の人でなければ、中世ヨーロッパからを一番に想定しないんじゃないかと思います。「中世ヨーロッパの政教分離」「ヨーロッパにおける政教分離の過程」などとこの記事の守備範囲を明確に表した記事名にするのであれば、「政教分離」「歴史」という単語を使うことに反対するものではありません。この記事にまだ加筆されてないような近代については、政教分離原則#歴史に書くという方法もあるでしょう。--ぽてから会話2017年6月17日 (土) 04:23 (UTC)

  • 報告 次段階に進む節目になると考え、見やすさのため節分割いたします。これを不適切と思われる方はGreenland4さんでも、どなたでも、差し戻しいただいて構いません。--Moon.rise会話2017年6月17日 (土) 05:20 (UTC)
返信 ぽてからさん、ありがとうございます。(2)・(3)についてはいかがお考えですか。--Greenland4会話2017年6月17日 (土) 05:51 (UTC)
(2)(3)(5)はまだ考え中ですが、中世ヨーロッパに絞ったほうが、完成度の高い記事にできそうだとは感じてます。移動は必要でしょうから、とりあえず(2)(3)の通りに移動し、その後、再度の移動提案も妨げられることはないということであれば 賛成 とします。--ぽてから会話2017年6月17日 (土) 06:47 (UTC)
コメント Moon.riseです。(2)古代部分(3)中世部分についてのコメントです。ぽてからさんの「移動は必要でしょうから(中略)その後、再度の移動提案も妨げられることはないということであれば」というご意見、雅ハルカさんの「少々安易(中略)どうしても反対ということではございません」というご意見からいたしますと、初期キリスト教中世ヨーロッパへの記事分割、その後にノート:初期キリスト教ノート:中世ヨーロッパで「主題の明確化および記事名の再確認」を行なう(併せてTemplate:正確性などの再確認も行なう)という手順であれば、広く合意が得られやすいかもしれません。
特に中世ヨーロッパなどはまた「様々な分野の編集者が欲しがる記事名」になっていますので、記事名の再確認は必要性が感じられます(現状、「中世ヨーロッパ」の項目は「中世」へのリダイレクトになっていますので、やはり今のうちから別の記事名も検討しておくべきでしょうか?)--Moon.rise会話2017年6月17日 (土) 07:25 (UTC)
コメントぽてからさん、Moon.riseさん、ありがとうございました。(4)と(6)を除くと、合意が成立しそうな雰囲気ですね。私の提案に賛否を寄せられていない方もおいでですから、もう少し待たないといけませんが、数日待っても反対する人が現れない場合は、(1)~(3)の移動・削除の作業に入ってもよいかもしれません。誰も異論のないところとしては、Yuukun0248さんの指摘された「出典なし箇所の解消」があるでしょう。これについては、移動作業が終わった後でよいので、加筆者か否かを問わず、みなさんに出典添付をぜひお願いしたいです。大したことはできませんが、私も協力させていただきます。(1)については、削除しても履歴にはのこりますので、履歴継承さえちゃんとおこなえばどなたでも再利用が可能です。(2)・(3)に関しては、さしあたって「初期キリスト教」「中世ヨーロッパ」への移動でよいかと思いますが、それ以外の案があればお示しください。(5)についても「後史」の節を設けるセンでだいたいの合意が成立しそうです。のこるは(6)と(4)です。以下、意見というよりはちょっとした感想です。
(6)について。「中世から」という御意見がいくつかあり、こうした御意見はコトバンク「世界大百科事典」にも政教分離プロセスの大きな画期のひとつが「叙任権闘争」であるという説明があるので、一見よさそうなのですが、しかし、「中世から」をまともにやろうとしたからこそ、結果として、現状のような「竜頭蛇尾」の記事になってしまったのだと思います。というのも、叙任権闘争をまともに説明しようとするとカールやオットーの戴冠を説明せざるを得ないのであり(堀米庸三先生も入門書のなかで似たようなことをおっしゃっていたと思います)、戴冠が何故なされたかを説明するためには古代の初期キリスト教のありようだとか、様々なことを説明しなくてはならなくなります。マジメな人ほどそうしてしまうので、結局、同じことを繰り返してしまいます。なので、上でも申し上げましたが、中世についてはごく簡単な言及にとどめて、とっとと宗教改革や宗教戦争に進んだ方がよい。私ならばそうします(時間の余裕ができたらタタキ台をつくることも検討しています)。あくまでも「巨視的にみて」の話ですから、この記事のなかで事細かく叙任権闘争を説明するよりは、むしろ、記事「叙任権闘争」自体を充実させて、そこに誘導した方がよいと思うのです。この記事は、御覧いただければわかりますが、現状では何も説明されていないに等しい状態ですから、どなたか加筆してくださるとありがたいです。
(4)について。現状で「キリスト教国家論」という名前になっているのに、その記事名がよいと主張される方が一人もいないのは意外、というか驚きです。出典がない、本記事との趣旨にあわない、加筆を考慮していない、「論の歴史」になっていない。共通理解がない、守備範囲も明確に示しえない、導線としても問題がある…など、少なくとも現記事名は改める必要がありそうです。ぽてからさんが以前に掲げた「教会と国家」「政教分離原則の成立史」、今 例示されている「中世ヨーロッパの政教分離」「ヨーロッパにおける政教分離の過程」、Moon.riseさんが示された「ヨーロッパにおける政教分離の過程」「ヨーロッパにおける政教分離の歴史」のなかで、一番よいのは「政教分離原則の成立史」だと思います。というのも、本記事のテーマにまともに向き合うならば「アメリカ合衆国憲法」はふれざるをえないわけなので、「ヨーロッパ」だとまずいのです。議論している途中で私もそのことに気づきました。「じゃ、欧米?」ということですが、それもまた、硯箱さんがおっしゃるように「蛇足」でしょう。それから、以前にも この書き込み で指摘いたしましたが、中世段階ではまだ「政教分離」原則は成立していないので、「中世ヨーロッパの政教分離」は形容矛盾というか、単純に言って間違いなのです。中世史事典に「政教分離」の項目がないのは当たり前の話です。「教会と国家」の場合は、それだけだと非歴史的で雑駁な話題になってしまいますので、それには「中世ヨーロッパにおける」というような形容句をつけないと、そもそも歴史の話になりません。「中世ヨーロッパにおける教会と国家」だったら、確かに両剣論やら叙任権闘争などがそのなかで扱えるでしょう、ということです。そこのあたり、少し混乱されているのではないかと思います。「ごく一般の日本語話者が「政教分離の歴史」と聞いて想像するのは、日本の政教分離原則、新宗教と政治団体などとの関わりでしょう」ということですが、私はそうではないと思いますし、さらに申せば、そういう人たちに対して「歴史的にはその原則というのはヨーロッパで発生したものなのだよ」と教えるのが、本記事の役割だと思います。したがって、消去法的にも「政教分離の歴史」か「政教分離原則の成立史」しかないのかなと思います。これについては、TENさんがおっしゃった 「付言すれば、日本その他各国の事情やイスラムの事情を記述できないという問題については、これまた後史の節を設ければそこに記載可能という事で、この記事にまつわる論争の大部分をある程度は解決できる案であると思います」 のことばで言い尽くされていると思います。--Greenland4会話) 2017年6月17日 (土) 15:11 (UTC)(字句修正--Greenland4会話2017年6月17日 (土) 15:57 (UTC)
返信 Moon.riseです。Greenland4さんへの返信になります。「意見というよりはちょっとした感想」ということですが、複数の点で、まずいのではないかと感じました。ひとつひとつ述べていきます。
  • 中世段階ではまだ「政教分離」原則は成立していないので、「中世ヨーロッパの政教分離」は形容矛盾というか、単純に言って間違いなのです。
取り下げ①形容矛盾でもなければ、間違いでもありません。例として「第一次世界大戦」、「釈迦」を挙げておきます。「第一次世界大戦」は、戦争当時にはまだ「世界大戦」としか呼ばれていません。まだ第二次世界大戦が勃発していなかったのだから、当たり前の話です。「釈迦」は、紀元前6世紀または紀元前5世紀ごろに北インドにいた人物ですから、当時にはまだ「ゴータマ・シッダルタ」などと呼ばれ、少なくとも「釈迦」ではありえません(中国地域への仏教の伝来は、1世紀頃と推定されるようです)。百科事典において重要なのは、現在「第一次世界大戦」がどのような意味で使われているか、「釈迦」がどのような意味で使われているかです。
「政教分離」について以前にGreenland4さんがコトバンクを使われていましたので、これを引きますと[17]、「ヨーロッパにおいて政教分離は一回的できごとではなく,歴史過程のなかで徐々に進行したが,巨視的に見れば三つの画期を指摘することができる。聖職叙任権闘争,宗教戦争,およびフランス革命である」ということです。政教分離という用語の成立時期がいつであれ、それが何を指すかは、現在から見るべきことです。
もちろん、本文記事内で「当時は政教分離という用語は使われなかった」という解説は、あるのがよいともいます。「第一次世界大戦」でも「世界大戦」が、「釈迦」でも「ゴータマ・シッダルタ」が、当然ながら解説されています。
話を戻しますと、「当時使われていなかった用語・言い回しになるので、記事名としては不適切」というご主張は、的外れなことでしょう。その後にGreenland4さんが「消去法的にも「政教分離の歴史」か「政教分離原則の成立史」しかない」と続けられていますが、これを理由に消去法を主張されるのは、的外れなことでしょう。私のこちらでの説明をもちまして、Greenland4さんに再考を求めます。
なお、Wikipedia:記事名の付け方には、「記事名を選ぶにあたっては、編集者の関心よりも読者の関心を、専門家よりも一般的な利用者の関心を重視してください」とあることも、申し添えておきます。
  • 本記事のテーマにまともに向き合うならば「アメリカ合衆国憲法」はふれざるをえないわけなので、「ヨーロッパ」だとまずいのです。議論している途中で私もそのことに気づきました。
②アメリカ合衆国憲法にふれるというご提案に、便宜上(7)という番号を振らせていただきます。(7) 反対 いたします。2017年6月14日 (水) 23:55 (UTC)のGreenland4さんの6点のご提案をいただいてから、(6)から(5)までを記事の守備範囲とし、それに記事名をつける(4)とすれば何か、という進行で合意形成を進めようとしているのです。「(6)から(5)+(7)までを記事の守備範囲」とするのであれば、相応しい記事名(4)が何かということは、根底から考え直さなければなりません。
Greenland4さん以外の方から(7)アメリカ合衆国憲法まで記事範囲にしたいという話が出たなら、まだ分かります。しかし、他ならぬGreenland4さんから議論の土台を壊すことになるのは、差し障りあることだと思います。また、これまで賛否投票された8名から「アメリカ合衆国憲法まで記事範囲にしたい」という意見は、出てこなかったのです。
善意にとるということで、(7)についてはGreenland4さんが「議論している途中で私もそのことに気づきました」ということだと受け止めさせていただきます。しかし念のため、善意にとることをやめてしまえば、「すでに記事名が6案挙がるなかで、記事範囲に(7)を追加すれば、不適切として4案を廃案にできる」という、非常に危ない議論進行にも見えるということを指摘させていただきます。
合意形成のためにするべきことは、「記事名4案を廃案にする」ことではありません。「(7)を廃案にする」ことではありませんか。
また、Greenland4さんご自身が「叙任権闘争をまともに説明しようとすると(中略)結局、同じことを繰り返してしまいます」と挙げられています。現状どうしても、記事範囲を絞ろうという方向で考えることは、非常に重要なことだと思います。
  • 現状で「キリスト教国家論」という名前になっているのに、その記事名がよいと主張される方が一人もいないのは意外、というか驚きです。
  • 出典がない、本記事との趣旨にあわない、加筆を考慮していない、「論の歴史」になっていない。共通理解がない、守備範囲も明確に示しえない、導線としても問題がある…など、少なくとも現記事名は改める必要がありそうです。
③それは、前提条件の設定に誤りがあるのではないでしょうか。「まず、改名議論を脇において、先に本記事の立項目的・守備範囲を合意するべきだと思います」ということを掲げて、例えば大和屋敷さんには我慢して待っていただいて(と推察しております)、「中世ヨーロッパにおいて、国家権力と教会権威の分離の過程を、1510年代から1810年代までの範囲で記述する」という案を、「現状記事内容+現状記事名」に対する対案になる所まで育てていこうとしている。私、Moon.riseはそのように理解しています。
「新たに設定する記事の守備範囲に対して、記事名をどうするか」という前提条件つきでの議論に、「キリスト教国家論の歴史」がよいという主張が挙がってこないというのは、当然のことでしょう。
逆に申し上げまして、『記事内容(および守備範囲)は現状のままとする』『記事名の案は「キリスト教国家論の歴史」「政教分離の歴史」2択のみとする』という、ここまで強い限定がつけば、私は苦しみつつも、「キリスト教国家論の歴史」を推します。
また、「キリスト教国家論の歴史」という記事名は、大和屋敷さんが2017年5月9日 (火) 02:50 (UTC)に提案され、賛成4反対1までの合意形成(もしそれが合意形成として完全でないとしても)をもって、2017年6月8日 (木) 10:37に移動されたものです。当時において決して支持の薄いものではありません。
  • 「ごく一般の日本語話者が「政教分離の歴史」と聞いて想像するのは、日本の政教分離原則、新宗教と政治団体などとの関わりでしょう」ということですが、私はそうではないと思いますし
④私について申し上げれば、ぽてからさんに同意で、「日本の政教分離原則、新宗教と政治団体などとの関わり」が挙がります(より正しくは、日本について、ヨーロッパについて、同時に挙がります)。
ここまで長文で、様々なことを申し上げさせていただきました。最後に挙げさせていただきたいのは、私からGreenland4さんへの感謝と敬意を述べさせていただきたいということです。Greenland4さんは知識も深く、説明は分かりやすく、6点のご提案など熱意でも現状を合意形成に向けてリードしてくださいました。Greenland4さん、ありがとうござます。それを思いますと、今日の私からの批判は無礼でもあるかもしれません。これがもしも、顔と顔を合わせての会議であれば、私はここまでを一気に述べてから、立ち上がってGreenland4さんに頭を下げる場面であるように思います。
「新たにコメントを下さった皆様、そしてこれまで記事改善に参加してくださったすべての人に感謝の意を表明します」という121.107.209.16さんのお言葉があります。「非常に建設的な議論となっておりますこと、大変うれしく思います」というぽてからさんのお言葉があります。私からも同じ気持ちです。ここでぎくしゃくしたくはありません。あと一歩か二歩か三歩か、慎重に進んでいきたいものです。どうぞ、よろしくお願いいたします。--Moon.rise会話2017年6月17日 (土) 21:15 (UTC)
横から失礼します。TENです。すみません、本筋の議論とやや逸れるのですが、主題理解に関わる事と思うので簡単にコメントさせてください。
  • 中世段階ではまだ「政教分離」原則は成立していないので、「中世ヨーロッパの政教分離」は形容矛盾というか、単純に言って間違いなのです。
と言う文章は、Moon.riseさんが挙げられた第一次世界大戦釈迦の例では否定されえないです。
第一次世界大戦がその当時どのような名前で呼ばれていたとしても(世界大戦とか欧州大戦だと思いますが)、ある名前で呼ばれる、当時の主要国全てが参加する大戦争が20世紀初頭にあったという事実が存在するわけです。釈迦にしても、当時「ゴータマ・シッダルタ」や、或いは別の名前で呼ばれていたとしても、仏教の開祖と見られるある人物、は存在していたわけです。どういう名前で呼ばれていようと、その事件、その人物が、当時存在していた事実はあるわけです。
翻って、政教分離については、その名前で呼ばれる「ある事象」が中世の段階では明確な形で表れておりません。つまり「中世ヨーロッパの政教分離」と言う名称が間違いである、と言うのは極端に言えば「中世ヨーロッパの第一次世界大戦」とか「100万年前の釈迦」と言う名称がおかしいというのと同じことです。中世の段階では「政教分離」なりなんなりで呼ばれる事象がまだ発生していないので名前には使えない、と言うことです。問題なのは用語が当時使われていなかったことではなく、当時そんな出来事も人物も存在していない、と言うことなのです(政教分離については、その開始時点を中世に置くことも不可能ではない、と言うのがややこしいところだと思いますが)。
他の部分については慎重に扱うべきと言う意見は一理あると思うので別途話すべきと思いますが、上記の点についてはやや強く表現すれば「はっきりしている」ところだと考えます。--TEN会話2017年6月17日 (土) 21:51 (UTC)
返信 Moon.riseです。TENさんへの返信になります。「政教分離については、その名前で呼ばれる「ある事象」が中世の段階では明確な形で表れておりません」というTENさんのお言葉を信頼して、基礎にするのであれば、「中世ヨーロッパにおいて、国家権力と教会権威の分離の過程を、1510年代から1810年代までの範囲で記述する」という記事範囲において、記事名の案として「政教分離」という用語はすべて失格になります。
これまでにGreenland4さんが「「政教分離」という言葉については、ブリタニカ、知恵蔵、デジタル大辞泉、マイペディア、世界大百科事典、大辞林、ニッポニカからの引用があって(中略)「政教分離」の語を忌避する理由はあまりないものと思います」というあたりで触れられています内容から突き合わせると、TENさんのお考えはGreenland4さんのお考えともかい離があるでしょう。
TENさんが「中世ヨーロッパの第一次世界大戦」とか「100万年前の釈迦」がおかしいとされるなら、「1510年代から1810年代までの政教分離」もおかしいとされるべきです。--Moon.rise会話2017年6月17日 (土) 22:12 (UTC)
返信 TENです。編集競合してしまったのですが、この位置に返信させてください。
返信ありがとうございます。改めて返信致します。ちょっと長くなりますがお付き合いください。
前提としてですが、私の認識としては以下があります。
  1. 本記事は元々「西ヨーロッパ世界固有の歴史的事件である教会と国家の分離現象」を「政教分離」と呼び、その過程(歴史)を説明しようとしていた。
  2. 「中世ヨーロッパ」と言う言葉はざっくり「6世紀(ユスティニアヌスによる古代ローマ帝国復活の試みが失敗したあたり)からルネサンス前あたり(15世紀)までのヨーロッパ」と言う点は広く共有された認識と思っています。つまり「中世ヨーロッパ」を年号に直すと500年~1500年くらいまでになります。
  3. 「歴史的事件である教会と国家の分離現象」の始まりをこの記事は宗教改革あたりに置いて書いており(これを維持するかどうかについてはまだ決まっていないものと理解していますが)始まりが1500年代となる。
  4. 「歴史的事件である教会と国家の分離」の終了はフランス革命や、ドイツの帝国代表者会議主要決議(記事があった!)あたりに来ることから、大体1800年代初頭となる。
つまり「中世ヨーロッパの政教分離」と言う記事名を、上の理解に従って翻訳すると「(500年~1500年のヨーロッパ)の(1500年代~1800年代初頭における教会と国家の分離現象)」となります。「中世ヨーロッパの第一次世界大戦」もまた「(500年~1500年のヨーロッパ)の(1914年~1918年の大戦争)」となることからおかしいです。つまり両者は同じ種類の誤謬です。これがGreenland4さんの言う所の「形容矛盾」「間違い」になると理解しています。よってはっきりと間違っていると考えます。
Gleenland4さんの提案(1)(2)(3)が実施された場合、本記事に残る記述は1500年以降の物ですから、その記事は「中世ヨーロッパ(500年~1500年)において、国家権力と教会権威の分離の過程を、1510年代から1810年代までの範囲で記述する」ものではないと思います。
ここまでが、Gleenland4さんの文章を「やや強く表現すれば「はっきりしている」ところ」と解した私の理由になります。この理解がGreenland4さんの見解とかい離しているかどうかはわかりません。
以下は私の記事名に対する見解の再提示ですが、「歴史的事件である教会と国家の分離現象」を「政教分離」と呼ぶのが適切かどうかについては、議論があって当然と思います。何より論争を誘発しやすい名前と言う事で、何かの工夫が必要である可能性はあると思います。が、分割後も本記事の記述が残存する前提の場合、「教会と国家の分離現象の歴史」についての記述であるという骨格が残存するため、新しい記事名が「歴史的事件である教会と国家の分離現象」に対応するものでないと、記事構成の全面改訂が必要になり、また議論を誘発し、結局何も解決しないのではないかと思うのです。そして「キリスト教国家論」と言う単語は「歴史的事件である教会と国家の分離現象」を指すものでないことだけは明確なので、「キリスト教国家論の歴史」よりは「政教分離の歴史」の方がまだいい(記事内容の全面書き換えが必要ないという意味でベター)と言うのが趣旨です。--TEN会話2017年6月17日 (土) 23:50 (UTC)
返信 Moon.riseです。TENさんのおっしゃる通りです。「「(500年~1500年のヨーロッパ)の(1500年代~1800年代初頭における教会と国家の分離現象)」となります」となる通り、私がポンコツでした。やっちゃったという所です。ごめんなさい。--Moon.rise会話2017年6月18日 (日) 00:13 (UTC)
返信 TENです。謝っていただく必要はまったくないです。既に分割案の議論も非常に長いので多分誰でも勘違いしたり間違ったり途中で意見が変わったり納得できなかったりがあると思います。ただこのやり取り自体は理解を深める過程の一部なので下に書かれたような迷惑とは思いません。私もそのうち変な事言いだすと思いますのでその時はお願いいたします。--TEN会話2017年6月18日 (日) 02:11 (UTC)

コメント 議論が錯綜している気がしますが、まずある出来事ないし概念に対して一般的に「歴史」記事を書く際には「原因」「推移」「結果」という構造を持って叙述しますね。具体的に「政教分離」については「原因」について、これはかなり大ざっぱな分け方ですが、その直接の原因は近世のウエストファリア体制や宗教戦争にあるとする論もありますし、叙任権闘争によって生じた普遍世界内部の聖俗二元体制にあるという論も有力ですし、それまでの宗教の基本構造であった相互授受を否定したキリスト教の成立によって宗教の個人主義や社会価値の転倒が起こったというのが遠因だという論もありますし、あるいは人類社会の黎明期において宗教が共同体において価値創造の根拠となり支配者層に独占されていたのが民衆も含めて社会全体に共有されるものとなった(ミノス・ミケーネの神権政治→ギリシャのポリス宗教、周代の社稷→儒教、バラモン教→仏教)ことから宗教の社会問題化がそもそも始まったという論もあります。これはそれぞれその時代に「政教分離があった」という議論ではなく、「政教分離の原因があった」という議論です。ですから「中世の政教分離」ないし「中世の政教分離の歴史」という記事名は中世に政教分離がないにも関わらず、あったかのように誤解させるものですから、これは明らかに不適切です。一方で「政教分離の歴史」が古代や中世に遡るのは基本的に「歴史」記事において構造上の問題があることではありません(上記のどこから具体的に記述するかという議論はありますから、今はそれを議論しているのですね)。--硯箱会話2017年6月17日 (土) 23:25 (UTC)

返信 Moon.riseさんが「政教分離」という語をどのように理解されているのかがさっぱりわからないのですが、当方も「消去法」という言葉を使ったり(決してMoon.riseさんのおっしゃる意味で使ったのでもないし、それを「主張」したのでもありません)、アメリカ独立といえばよかったものを「アメリカ合衆国憲法」という言葉を使ったり(歴史の話題ですから当然、合衆国憲法の「成立」くらいは頭のなかで補ってくれるものという甘えが当方にはありました)したことは、誤解を招いてしまったようで申し訳ありません。この方面の専門家ではないので不十分かもしれませんが、「政教分離」とは一般的には「個人における信教の自由」「宗教の政治への不介入」「政治の宗教への不介入」の3点セットで理解されるのではないでしょうか。これが中世ヨーロッパにあったとは思いません。だから、「中世ヨーロッパにおける政教分離」という語は成立しえないと思います。江戸時代の日本にもなかったでしょう。キリスト教は禁止されていたわけですからね。Moon.riceさんは政教分離とは何だというふうに考えておられるんですか? --Greenland4会話2017年6月17日 (土) 22:59 (UTC)

(インデント戻す) 返信 Moon.riseです。Greenland4さんへの返信になります。私はこれまで記事名の案でも『ヨーロッパにおける政教分離の歴史』または『ヨーロッパにおける政教分離の過程』とするなど、「中世」という語を外しておりましたが、主題の明確化について表記する際に、「中世ヨーロッパにおいて、国家権力と教会権威の分離の過程を、1510年代から1810年代までの範囲で記述する」としておりました。(1) (2)が記事から分離される以上、その話の時点で気をつけて「中世ヨーロッパにおいて、国家権力と(略)」に修正しておくべきでした。ここにお詫び申し上げます。また、これまで複数個所であった「中世ヨーロッパにおいて、国家権力と(略)」を取り消し線で処置させていただきます。

振り返って、Greenland4さんにご確認させてください。現状の6案、「政教分離の歴史」「教会と国家」「政教分離原則の成立史」「中世ヨーロッパの政教分離」「ヨーロッパにおける政教分離の過程」「ヨーロッパにおける政教分離の歴史」の中で、あくまで引っかかってくるのは、「中世ヨーロッパの政教分離」のただ1案のみということでよろしいでしょうか? Greenland4さんが「消去法的にも「政教分離の歴史」か「政教分離原則の成立史」しかない」とすっぱり4案切られる中で、「ヨーロッパにおける政教分離の過程」「ヨーロッパにおける政教分離の歴史」も切られている懸念がありました。--Moon.rise会話2017年6月17日 (土) 23:41 (UTC)

報告お詫びまとめ。Moon.riseです。Greenland4さん、TENさん、硯箱さんからコメントをいただくなど、議論を錯綜させてしまいました。簡潔に私の間違いをまとめます。Greenland4さんのコメントの「「ヨーロッパ」だとまずいのです。」「それから、以前にも この書き込み で指摘いたしましたが」あたりを読みつつ、「「中世ヨーロッパの政教分離」は形容矛盾というか」に読み進み、これを「「(1510年代から1810年代)ヨーロッパの政教分離」は形容矛盾というか」と読み誤りました。もちろんGreenland4さんはまったくそんなことを書かれておりません。そして、私が第一次世界大戦などを挙げて反論を書いた所、TENさんから「政教分離については、その名前で呼ばれる「ある事象」が中世の段階では明確な形で表れておりません」というご指摘をいただきました。百歩譲っても、この時点で自分の誤りに気がつくべきでした。それに気がつき損ねた私に、「「(500年~1500年のヨーロッパ)の(1500年代~1800年代初頭における教会と国家の分離現象)」となります」(おかしいでしょう?)という、非常に分かりやすいご指摘をいただいて、平謝りすることとなりました。
Greenland4さんには「Moon.riseさんが「政教分離」という語をどのように理解されているのかがさっぱりわからないのですが」と大変に懸念されてしまった次第です。Greenland4さんに特にお詫び申し上げます。TENさん、硯箱さんにも、ご迷惑をおかけいたしました。
さて、私の方で2017年6月17日 (土) 21:15 (UTC)に①②③④と4つ申し上げております。①は取り下げいたします。②③④はそのままとさせてください。--Moon.rise会話2017年6月18日 (日) 00:48 (UTC)
返信 ①②③④が何を指すのか、わかりませんでした。それにお応えすることになるのかどうかはわかりませんが、 2017年6月17日 (土) 23:41 (UTC)にMoon.riseさんが書き込まれた「「ヨーロッパにおける政教分離の過程」「ヨーロッパにおける政教分離の歴史」が切られている懸念」についてコメントいたします。技術的な話になりますが、「ヨーロッパにおける」という句を付すことによって得られるメリット、デメリットがあろうかと思います。メリットとしては例えば「あ、この記事は少なくとも日本を主語・主題とする記事ではないのだな」ということがハッキリわかることがあげられます。デメリットとしては、例えば「アメリカ、日本、トルコなどについては書けないし読めないんだな」ということがあげられます。メリット・デメリットともにほかにもたくさんあるんでしょうが、両者を勘案するとデメリットの方が大きいと思われるので、「ヨーロッパにおける」はつけない方がよいのかなということです。世界史の話題をヨーロッパ史に限定してしまうことは、むしろデメリットの方が大きいと思われます。上に掲げた3点セットのうち、「信教の自由」ないし「政治の宗教への不干渉」ということでいうと、何といっても「ナントの勅令」が重要で、画期的です(のちに廃止されちゃいますが)。ただ、イングランドのピューリタンが宗教的迫害からアメリカに渡って植民地をつくり、さらに独立するということも重要なのではないでしょうか。「宗教の政治への不介入」ということでいうと絶対主義啓蒙思想やそれにつらなるフランス革命などヨーロッパ大陸の動向がコアな歴史事象だろうと考えますが、ヨーロッパ人がヨーロッパの外部にヨーロッパの教会(国教会、ローマ教会)の影響がおよばない自前の政権を立てるということも、軽視できないものをもっているのではないかと思います。いずれにせよ、最古の成文憲法をもつアメリカが果たした役割は小さくないのではないでしょうか。
日本の場合は、明治初年の岩倉視察団に同行した島地黙雷が日本に政教分離の思想をもたらした仏僧として重要のようです(深く勉強していませんが)。明治国家は「個人における信教の自由」を認めながら国家神道を保護したわけですから、「政治の宗教への不干渉」という点では不十分であった。戦後は、アメリカが国家神道を危険視したこととアメリカの政治・国制そのものの影響を受けたことの両面で、「政治の宗教への不干渉」ということが強くいわれるようになったというような歴史が書かれるだろうし、トルコについては第一次世界大戦で負けたあと、スルタン制、カリフ制、シャリーアが廃止されるなどトルコ革命に言及したいわけですが、これは欧米で「政教分離原則」が成立したあとの話ですから「後史」に書かれるべきでしょう。いわば、政教分離原則はそうやって、本来欧米起源だったものが世界的広がりをもつようになるわけです。
アメリカ抜きに「成立史」が書けないし、非西欧世界への「発展史」(後史)への道を完全に閉ざしてしまう。なので「ヨーロッパにおける」を付けるか付けないのかという議論では、付けない方がベターではないかというふうに考えました。--Greenland4会話) 2017年6月18日 (日) 02:59 (UTC)(字句修正)--Greenland4会話2017年6月18日 (日) 03:04 (UTC)
返信 Moon.riseです。「2017年6月17日 (土) 21:15 (UTC)に①②③④と4つ申し上げております」が分かりづらかったということですので、2017年6月17日 (土) 21:15 (UTC)のコメントに番号を追記いたします。さて、「「ヨーロッパにおける」という句を付すことによって得られるメリット、デメリットがあろうかと思います」ということですが、これはその通りだと思います。Greenland4さんの見立てでは、「両者を勘案すると(つける)デメリットの方が大きい」ということですが、私の見立てでは、「両者を勘案すると、つけないデメリットの方が大きい」と思います。
こちらの主ページでは、つい近日まで編集合戦が起きていたように思われます。2017年6月8日 (木) 10:37までは「政教分離の歴史」という記事名でした。大和屋敷さんのコメントを見れば、「日本の政教分離の歴史について書けない」と書かれています[18]。硯箱さんのコメントを見れば、「「政教分離の歴史 (ヨーロッパ)」というのは個人的には歴史学の常識では政教分離は他ならぬ西ヨーロッパ固有で発展した歴史的事象(中略)「(ヨーロッパ)」は蛇足のような気がしますが」と書かれています[19]。TENさんが「「政教分離」という単語が指す事象について、硯箱さんとその他の論争参加者の間で一致していないように思えます」と書かれ[20]、Susukaさんが「TENさんが指摘されたように、二つの意味での「政教分離」を棲み分けするのがよいでしょう」と書かれています[21]。「政教分離の歴史」という記事名で、「書く」「書かない」「削る」「削らない」という意見対立が実際にあったことなのです。杞憂ではありません。実際にあったことには、措置を講じるべきだと思います。「Moon.riseとGreenland4さんの間でなら、編集合戦は起きないのにね」というように、楽観的には見られません。
これが、私の思う「つけないデメリットの方が大きい」ということになります。例えば「アメリカ、日本、トルコなどについては書けないし読めないんだな」という(つけた場合の)デメリットについては、「アメリカ、日本、トルコなどについては別の記事で書けるし読めるんだな」とも考えることができます。また、例えば「ヨーロッパにおける政教分離の過程」という記事名にしていても、数%程度でしたらアメリカの話が入ってきても許されるように思います。それよりも、つけない場合のデメリットとして「編集合戦が再びありうる」ということは、これは非常に大きなデメリットであり、コミュニティの消耗を避けるために、どうしても防止していかなければならないものと思います。--Moon.rise会話2017年6月18日 (日) 04:34 (UTC)
返信 おっしゃることは,確かに一理あるかもしれません。アメリカの占めるウェイトをどう評価するかにかかわってきますし、編集合戦を防ぐという目的を最優先するには「ヨーロッパにおける」を付すのが本当に唯一の解決策なのかどうかも考えなければいけませんが。その意味では、記事名を「政教分離原則の成立史」として「後史」は盛らず、1810年ゴールを厳守して、121.107.209.16 さんがおっしゃるように「日本における政教分離の歴史」のような記事を別に立てるという方法もあると思います。みなさまの御意見を伺いたいところです。--Greenland4会話2017年6月18日 (日) 05:40 (UTC)
返信 じっくり考えてみましたが、正直メリットの大小では決められない気がします。最終的に現在の記事がどのような形態になることで合意するかに記事名も依存すると思います。
記事内容に対する記事名の自分としての意見は以下の通りです。
A:分割し、本記事の内容が、①教会と国家の分離の始まり⇒②教会と国家の分離の終わり(政教分離原則の成立)⇒③後史(各国の政教分離原則「導入史」や各宗教の事情)>となるならば、現状「政教分離の歴史」以外に日本語に適切な記事名が思いつきませんでした。
B:分割し、本記事の内容が、①教会と国家の分離の始まり⇒②教会と国家の分離の終わり(政教分離原則の成立)>となるならば、各国・各宗教の事情は個別の記事を建てる事になると思います。この場合、本記事の改名後の名前は「政教分離の歴史」「欧米における政教分離の歴史」「西欧社会における政教分離の歴史」「教会と国家の分離」等々になります。ちなみに左に行くほど私としては好ましいと思う案です。
C:分割で合意できず本記事の構成がそのままの場合>この場合も各国の事情は個別記事を当てる事になりますが、この場合の本記事名は「政教分離の歴史」しか案が出ませんでした。
上記まとめての自分の意見ですが、本記事の扱っている内容を一言で示す単語は日本語には現状「政教分離」しかないと思います。次点で「教会と国家の分離」だと思いますが歴史学の学術用語として使用されているように見えず(ただし、ネットで見た限りですが法学では使用していそうな雰囲気です)、この場合は記事名は「Wikipedia独自の」判断になることを甘受せざるを得ないと思います。また、仮に「ヨーロッパの」と言う言葉が記事名に入った場合でも、アメリカ合衆国憲法を明確に記事内容から排除する必要は特にないと思います。
なお、案の一つに「政教分離原則の成立史」がありますが、この名前には反対させていただきます。「政教分離(教会と国家の分離)」の過程で生み出された物は政教分離原則だけではなく、近代ヨーロッパの国際関係であり、近代国民国家でもあるからです。端的に言えば「国民国家の歴史」と言う記事がもし将来立項される場合、その記事内容は「政教分離原則の成立史」と住み分けが不可能なほど被るのであり、「政教分離(教会と国家の分離)」を「政教分離原則の成立史」とのみ見る見解、記事名は適切でないと考えます。
元来、本記事がカバーしている内容が「政教分離原則の成立史」となるのだとすれば、それと対応する各国の事情の記事名は「日本における政教分離の歴史」ではなく「日本における政教分離原則の導入史」になるべきだろうと考えるのも理由の一つです。つまり、ヨーロッパの政教分離と、それ以外の地域の政教分離は、並列で扱う対象ではないと考えます。--TEN会話2017年6月19日 (月) 13:08 (UTC)


コメント ここまでの皆様の賛否をまとめました(表最下)。(2,3,5)については合意形成で良いでしょう。(1)はぽてからさんからの反対あり。(4)は「ベター」として賛成意見もありますが、一部反対意見はある。ただ、改名については賛成。(6)は意見が多くそれぞれの精査が必要です。

また、Greenland4さんの提案以外で案が出ていますので、#「Greenland4さん以外からの提案まとめ」とそれを受けてのコメントにまとめています。--Yuukin0248会話2017年6月19日 (月) 07:50 (UTC)

(参考)日本の政教分離・フランスの政教分離・アメリカの政教分離[編集]

ここで述べるのはあくまで補足として参考にしてください(参考目的なので議論の本筋とは分けられるよう囲みます)。シャルリ事件以来、政教分離については各国で議論が深まるようになり、とくに本国フランスではシャルリ以前以後で政教分離の考え方が深化し、イスラム内での世俗主義国家(トルコが代表例)・ヨーロッパ・アメリカそれぞれの政教分離的な在り方を問い直すような形で百花繚乱の様相を呈しています。しかし、論点は明確になりつつあり、まず近代以降政治が宗教を個人的なものとして一貫して扱ってきたにも拘わらず、それが集団的であり政治を左右する力を今なお持っているということが明確に認識されたこと。近代ヨーロッパの宗教離れとは反対に、アメリカでは政教分離体制は宗教離れを起こしておらず、さらにいえばアメリカの政教分離体制は実際には「市民宗教」という形で複数の教会を包摂し、それはむしろ社会内でのユダヤ・キリスト教的伝統を成長させるものであったという指摘があります(ルネ・レモン『政教分離を問い直す』)。またイスラムについては政教一元主義的なイスラーム世界は政教分離をイスラーム独特のシャリーアとウンマを分離する「法政二元論」の下に受容したのであり、法と政治はそれぞれにおいて世俗事項も宗教事項も管理していること(小杉泰『現代イスラーム世界論』)や、トルコでは政教一元論のもとで神と個人が直接つながるイスラムの教義の下、オスマン帝国では本来的に部分的な政教分離が実現されていたという指摘やトルコ革命での自らをヨーロッパの一員としてヨーロッパ文化の普遍性を受け容れる形で世俗化も受け容れたという汎トルコ主義ナショナリズムとの関連性を指摘し、実際には共和国は世俗化の徹底のために「政教一致」体制を築いていると指摘している(新井政美『イスラムと近代化』)ものもあります。新井政美はその書の序論で述べているように、世俗化(政教分離)を①政治・経済・文化を含んだ国家と宗教の分離、②宗教そのものの私事化とその保障③宗教が社会に及ぼす影響の低下というふうに3つに分けた上で、①②を狭義のライシテ(政教分離)、③を狭義のセキュラリズム(世俗主義)とし、①②③の実現の度合いによって各国の政教分離の在り方を分類するのが過去の議論の典型だったが、そうした分類による理解は近代カトリック世界でのみ政教分離が特殊に展開したということを忘れていたために起こった誤りであるとしています。一方で、日本についてはフランスとともに政治に関する宗教の関与をタブー視するという点からの(とくにアメリカとの比較で)類似性を指摘されていたが、シャルリ事件に対する反応において両国に差異が存在するところに大きな注目が集まりました。これはおそらく日本の政教分離とそのタブー視の根底に、法制的には明治憲法で政教分離が明記されたにも拘わらず、その後宗教以前の道徳とされた国家神道が編成され、太平洋戦争における各宗教の戦争協力と戦争に反対する宗教団体や宗教人に対する言論弾圧という、日本人特有の経験が絡んでいるせいではないかと思われます。どちらにせよ私がここで参考として言いたいのは、政教分離の在り方についてアメリカとヨーロッパを同じ文脈で捉えるという見方はすでに古いもので、世界各国の政教分離・世俗主義も個別に考察されるというのが学界の主流になっており、それを盛り込むことが今の時点での百科事典として適切かという問題はあるにせよ、政教分離を旧カトリック圏ヨーロッパ固有のものとし、その中で完結した形で記述することはトレンドに反するものではないのではないかということです。たとえばケベック植民地の政教分離問題はフランス革命とは別個に北アメリカ史の文脈で捉えられることが普通です。また新井政美の議論に基づけばトルコ同様に宗教を国家管理することになったロシア=ソヴィエト国家も「政教一致」体制であるという見方も出来ることになるような気もします(通説的にはソヴィエト=ロシアは無神論国家というのが通例ですが)。--硯箱会話2017年6月18日 (日) 10:09 (UTC)

(参考)日本の政教分離・フランスの政教分離・アメリカの政教分離

ここで述べるのはあくまで補足として参考にしてください(参考目的なので議論の本筋とは分けられるよう囲みます)。シャルリ事件以来、政教分離については各国で議論が深まるようになり、とくに本国フランスではシャルリ以前以後で政教分離の考え方が深化し、イスラム内での世俗主義国家(トルコが代表例)・ヨーロッパ・アメリカそれぞれの政教分離的な在り方を問い直すような形で百花繚乱の様相を呈しています。しかし、論点は明確になりつつあり、まず近代以降政治が宗教を個人的なものとして一貫して扱ってきたにも拘わらず、それが集団的であり政治を左右する力を今なお持っているということが明確に認識されたこと。近代ヨーロッパの宗教離れとは反対に、アメリカでは政教分離体制は宗教離れを起こしておらず、さらにいえばアメリカの政教分離体制は実際には「市民宗教」という形で複数の教会を包摂し、それはむしろ社会内でのユダヤ・キリスト教的伝統を成長させるものであったという指摘があります(ルネ・レモン『政教分離を問い直す』)。 (引用ここまで)

Moon.riseです。硯箱さんへ、全文拝読いたしました。ありがとうございます。独断ですが「(参考)日本の政教分離・フランスの政教分離・アメリカの政教分離」の節のレベルをひとつ下げさせて(レベル4)いただきました(そうしないと「「小まとめ」&それを受けての議論」節(レベル3)が強制的に終了したことにされてしまうので)。さて、使えるかもしれないので私の方からも仕掛けをひとつご紹介してみます。このコメントの上方に折りたたみを置きました。こういう場合には有効になるかもしれません。なお、このコメントはどなたでも編集・除去していただいて構いません。--Moon.rise会話2017年6月19日 (月) 00:46 (UTC)

  • コメント 議論が長大になってきました。非常に興味深く、また、意味のある内容の議論ですが、大和屋敷さんの見解をお伺いし、合意が得られたら分割等は実施してしまって、どの範囲を書くかとその記事名は仕切り直しとしても良さそうに感じました。また、(1)を除去については、とりあえずコメントアウトするということでもいいんじゃないかと思います。いったん除去してしまっても過去版から見ればよいのでほかに反対者がいない場合反対は取り下げとし除去してもかまいません。「政教分離」という言葉は、歴史学に強い方と宗教社会学等に関心をもつ者では、まず最初に思い浮かべるイメージにも差異が存在するのだなあなどと感じながら、興味深く拝聴しております。ライシテ世俗主義ライクリッキなどもあったので、重複記事にならないかたちで、ということも頭の片隅にいれつつこの記事の将来を考えていけたらと思います。--ぽてから会話2017年6月21日 (水) 22:45 (UTC)
返信 ぽてからさん、合意形成を主眼におかれ、歩み寄っていただき、たいへん嬉しく思います。ありがとうございました。コメントアウトというのはたいへんよい案だと思います。(1)の活かし方に関しては、英語版のen:Church and state in medieval Europeの和訳記事「中世ヨーロッパにおける教会と国家」をつくり、それに、(あくまでもテーマに沿ってですが)、(1)のエッセンスを加筆していくというやり方をすれば、本項中世史部分(「ヨーロッパ中世」への移動部分)とは異なるテーマ史記事になるのではないかな?と考えました。あくまでも思いつきですが。これで、(1)についてもおおよその合意が形成されたように思います。ありがとうございました。--Greenland4会話2017年6月22日 (木) 02:45 (UTC)

「Greenland4さん以外からの提案まとめ」とそれを受けてのコメント[編集]

他の提案まとめ

#コメント依頼提出の報告と比べてかなり議論が進んでいて、6つの提案をしてくださったGreenland4さんに感謝です。

さて、「小まとめを受けてのコメント」でさらに案が出ていますので、「Greenland4さんの提案の小まとめ」のうち、その提案に含まれないものの提案を掲載します。引用あり。敬称は略させていただきます。これを不適切と思われた方はどなたでも差し戻していただいても構いません。

提案者 提案内容
IP:121.107.209.16会話 / 投稿記録 / 記録 / Whois 日本については、政教分離原則での日本部分を『日本の政教分離』として分割すればよい--2017年6月16日 (金) 17:23 (UTC)
ぽてから 「政教分離の歴史」は政教分離原則#歴史にリダイレクト--2017年6月17日 (土) 04:23
Moon.rise 中世ヨーロッパへの分割
(↑)を受けて
Greenland4 (追加7)そうすると、アメリカ合衆国憲法に触れざるを得ない
(↑)を受けて
Moon.rise 反対 (6)~(5)+(7)となると(4)を考え直す必要あり
(7)を廃案

--Yuukin0248会話2017年6月19日 (月) 07:50 (UTC)

「他の提案まとめ」へのコメント

(7)については廃案となるのでしょうか。アメリカ合衆国憲法を踏み入るとなると、「中世ヨーロッパ」とかの案は通用しなくなりますし、移動や改名などに影響するので慎重に決めないとなりません。--Yuukin0248会話2017年6月19日 (月) 07:50 (UTC)

TENです。すみません、Gleenland4さんの最初の提案では
  • (5)合衆国憲法制定(1787年)、フランス革命(1789年)、ナポレオン法典(1800年)、ドイツ国制の政教分離(1803年)、あたりまでを射程に入れる
とあり、アメリカ合衆国憲法に触れるというのは、一番最初の提案時からの前提であると認識しています。ので単に後から出た「ヨーロッパにおける」「ヨーロッパの」と言う案は考えてみればこれと合致しないという話なのではないでしょうか。追加提案と言う話ではないと思います。--TEN会話2017年6月19日 (月) 14:04 (UTC)

コメント やはり議論が錯綜してきますね。政教分離原則記事でも、厳密な分離型以外についても説明せざるをえないほど「政教分離」の問題が難しいということもあるのかもしれません。さて、関連記事との関係、またはメイン-サブ関係(親子関係)から考え直してもいいのかもしれません。コメントをまぜながら思いつくままに提出します。以下は提案というよりか、こういうのもあるのではないかというメモのようなものです。

  • テーマ1:国家-キリスト教の関係。記事名「キリスト教と国家」「キリスト教と国家の関係史」等。地域や宗教に限定しないのならば「宗教と国家」「宗教と国家の関係史」もありえますが、その場合は総論的な記事にとどめ、各宗教ごとの記事をサブリンクさせる。ただし、作成が大変であるので、「政教分離」と限定した方がやはりいいのかもしれません。
  • 国家史または国家の歴史または「ドイツ国制史」・「ヨーロッパ国制史」。「キリスト教国家」「キリスト教国家の歴史」
  • 政治思想史としては「キリスト教政治思想史」
  • テーマ2:「政教分離」または「世俗化」

近代の政教分離以前は分離しつつも一致していたともいえるので、明瞭な線引が難しい。難しいからこそ『宗教の事典』(朝倉書店)のように「政教分離・政教一致」という項目名もあります。政教分離原則でも、各国の状況は異なりますし、イギリス、イタリア、スペイン、北欧、イスラムのように国教型(融合型)をとる国もあれば、分離型(アメリカ、フランス、トルコ、日本)、同盟型(ドイツ、オランダ)もあります(類型により分類も異なる)。

  • 政教分離の歴史については、古代・中世・近代という時代区分、そして地域の区分(ヨーロッパが中心となるが、非ヨーロッパはどうするのか)がある。

なお、本論ゴールを19世紀初頭にすることに反対ではありませんが、19世紀から20世紀にかけての歴史も「政教分離原則」記事だけでは不足する可能性もあります。しかし、これは実際に加筆された時に考えることかもしれません。

「政教分離における歴史学的視座」についても削除に反対はしませんが、特にベッケンフェルデらの学説などは「政教分離の歴史」記事の基礎的視座として有益です。できれば有効活用をしたいと思います。「政教分離における歴史学的視座」の既存内容は「詰め込みすぎ」なので、適材適所で記事(他の記事も含めて)内に配置することができます。または他の記事への転記なども有効活用になるでしょう。適材適所で記事内のセクションに配置したり、他記事へ転記する場合の具体的なアイデアとしては、

  • ベッケンフェルデ・山田らの学説は、叙任権闘争、ホッブズ、東ローマ帝国などの節または記事へ。
  • ダントレーヴの学説の国家論は国家へ転記。ダントレーヴの「中世国家の特質」は、新記事「中世ヨーロッパ」で活用。
  • オットー・ブルンナーの学説は、教会と国家の分離、国家の世俗化過程についてのものなので、「政教分離の歴史」や新記事「中世ヨーロッパ」でも活用できる。
  • 池谷文夫「教皇権と皇帝権」論文を出典にした箇所は、教皇権と皇帝権の節、または叙任権闘争の節または叙任権闘争記事へ。新記事「中世ヨーロッパ」でも活用可。
  • 「中世都市の進展とその限界」は新記事「中世ヨーロッパ」でも活用可。
  • 「中世後期近世ドイツにおける国家概念」「近代国家形成への接続と断絶」は国家へ。または国家の歴史国家史など新しい記事を作成。
  • 「近世自然法論の貢献とその中世的残滓」は自然法自然法論へ。
  • 「良心・霊性史として」のうち、世俗化についてはベッケンフェルデ・山田らの学説とまとめて「世俗化」の節または世俗化記事の作成。霊性については霊性 (キリスト教)などへの転記。

以上、提案というわけではないといったのは、これまで半年かけた長い議論によってもまとまらなかったため、これらの各論を細かく議論することはあまりしたくないし、あまり意味もないような気もするからです。シンプルにwikipedia編集上の視座からいえば、(2)古代部分(3)中世部分の別項移動をやらないと見えてこないのかもしれないとも思います。なお、(6)本論スタート「中世から」についてはGreenland4さんの指摘「とっとと宗教改革や宗教戦争に進んだ方がよい」のもその通りで、(2)(3)の移動後にはごく簡単な要約で詳細はリンクという意味で「中世から」と述べました。私としては(2)古代部分(3)中世部分の別項移動が最優先で、それ以外については移動後に議論してもいいのかなとも思います。--121.107.209.16 2017年6月19日 (月) 17:44 (UTC)

コメント長くなりますが御容赦を。「編集合戦は何としても避けたい」というMoon.Riceさんの御心配はよく理解できますし、強く共感するところではありますが、編集合戦防止が最優先すべき課題なのかなという気もするのですね。ウィキペディアが百科事典であることをめざすのならば、最優先にすべきは読者の利便ではないかな?と思うのです。そしてまた、編集合戦防止のために記事名をいじるという発想はどうかな?とも思うのですね。それをやった結果が今の状態=「キリスト教国家論の歴史」という、今となってはどなたにも支持されていない状態なのではないのかな? とも思うのです。記事名が諸悪の根源かというと、そうではないと考えます。あるいは、「ヨーロッパにおける」という形容を付加したことで、常に「アメリカ問題」が惹起されるというのも、実にスジの悪い話じゃないかとも思います。そして「ヨーロッパにおける」を付加することで、日本固有の問題にしか関心のない人に「政教分離というのは日本固有の、日本起源の問題だ」というふうに錯覚させたり、先入観をあたえたりする恐れがあるんだったら、これはひじょうに大きな「デメリット」といえるでしょう。とりあえず、「日本の政教分離について加筆できない」ということだけが不満のタネだったら、「日本における政教分離の歴史」という項目をつくるだけで解決するはずで、よくみれば、記事「政教分離原則」の「日本」の節をみれば、コンパクトながらよくまとまった「歴史」になっている。それに「神道指令」だとか「島地黙雷」だとか「靖国神社参拝問題」だとかから部分転記するだけで、(質を問わない話ならば)1時間そこそこの作業でそこそこのボリュームの項目そのものがつくれてしまうんじゃないでしょうか。もとよりそれだけでは不充分で、硯箱さんの従来の方針・認識を部分的にでも改めてもらう必要があって、確かに、「ヨーロッパにおける政教分離の歴史」という記事名は「西洋におけるキリスト教」とか「中東地域におけるイスラーム教」と同じくらい重複していて「くどい」「蛇足感がある」というのは同意するところですが、いっぽう「歴史学の常識では政教分離は他ならぬ西ヨーロッパ固有で発展した歴史的事象」はやはり「言い過ぎ」だろうとも思うのです。西洋史の常識ではそうかもしれませんが、東洋史や日本史では別の受け止め方をするはずで、「叙任権闘争? 日本史には関係ないよ」とは言えても「政教分離? 日本史には関係ないよ」ということにはならない。キツい言い方をすれば、硯箱さんという個人に勝手に「歴史学の常識」を独占してもらっては困るのであって、これはまあ、ぽてからさんやMoon.Riceさんのおっしゃる通りです。そもそも、日本やトルコの政教原理についてあれだけ蕩々と論じることができる人がそんなことを言ってはいけないでしょう。硯箱さんが「西ヨーロッパ固有」という認識にあくまでも拘泥されるのであれば、記事名に「ヨーロッパにおける」と付すことも受け入れてもらわなければいけなくなります。なので、本記事にあっても「政教分離の歴史」への差し戻しを主張される、あるいは差し戻しの可能性に道をひらくお気持ちがあるのであれば、「ヨーロッパ以外のことも加筆できる」としてもらわなくてはいけません。この2点(「日本における〜」記事の作成、硯箱さんの「固有」認識の撤回ないし修正)があれば編集合戦は起こりっこないと思うのですが、どうでしょう? 自分としては、TENさんがおっしゃった「後史」(=政教分離原則の「世界への広がり」)というかたちで西欧以外に言及すれば,従来の行き違いや紛らわしさのほとんどが解消されるだろうという見通しを強く支持しており、それに連動するかたちで定義文や「概要」節の書き方に工夫を凝らせば大抵のことは解決できるというふうに考えます。そして、靖国問題などで「政教分離」ということばを知った人に「あ、政教分離にも歴史があるんだ」(←たいていの人はむしろこのレベルです)ということを知ってもらい、むかしはどこでも為政者が宗教を利用すること、気にくわない宗教を弾圧することが当たり前だったということ、政教分離原則が成立してからは少なくともそういうことは表向きには禁止され、個人の信教の自由が保障されるようになったということ、そして、その原則が確立したのが18世紀末葉から19世紀初頭にかけての欧米においてであり、そうなるためには数々の革命や宗教戦争で多くの血が流されたのだということ、トルコ・日本は自発的な欧米化の一環であると同時に「欧米に対抗するため」という契機もあってこの原則を導入したために固有の問題が生じているということ、こういう一連のことが伝わればよいのだと思います。読者目線ではそうなるのではないかと思うのですが、いかがでしょうか。--Greenland4会話2017年6月20日 (火) 00:02 (UTC)

賛成 Moon.riseです。一言で申し上げまして、Greenland4さんのご意見に賛成いたします。「この2点(「日本における〜」記事の作成、硯箱さんの「固有」認識の撤回ないし修正)があれば編集合戦は起こりっこないと思うのですが、どうでしょう?」 これが決め手だと思います(少なくとも、私が解消するべきとしていた問題に関することでは)。最優先にするべきことには、私とGreenland4さんにわずかの差異はあるのかもしれませんが、それは結果として問題ではありません。「読者の利便」「編集合戦にしない」どちらが1位でも2位でも、私とGreenland4さんで(TENさん121.107.209.16さんも)「2位だから捨ててしまいましょう」などということにはならないと信じております。私以外の方で、ぽてからさん(対案あり)雅ハルカさん(対案なし)大和屋敷さん(賛否投票ないが過去意見より推定)が、「政教分離の歴史」という記事名には反対しておられます。もちろん、私はその各位の真意は分かりかねますが、編集合戦・移動合戦当時の皆様が少なからず反対されていることは、これまで懸念してまいりました。しかし、「日本における〜」記事の作成、硯箱さんの「固有」認識の撤回ないし修正となれば、合意を進めていく上でも、ぽてからさん雅ハルカさん大和屋敷さんのお気持ちに沿うことを期待できる提案になるのではないでしょうか。

また、私の方でも「Moon.riseからMoon.rise自身への対案」がないかと考えを進めておりました。「ヨーロッパにおける」と付すことにデメリットは、存在します。さてひとつの対案です。記事名「政教分離の歴史」として、以下のテンプレートを貼ります。

誘導が足りないなら、誘導を追加すればよいのです。例えばこの場合、日本の記事は特に作成がなくても大丈夫ですね。--Moon.rise会話2017年6月20日 (火) 01:53 (UTC)

(参考)政教分離が西ヨーロッパ固有だという「歴史学の常識」について[編集]

(議論に賛否を表明するつもりはないので参考目的として囲みます)この点に関しても議論が錯綜しており、私に関わる点のように思われますので、説明しておきます。まず「政教分離が西ヨーロッパ固有」あるいは「西ヨーロッパ独自」に発展したものだということについて、東洋史・日本史問わずこれに反対する論者はまずいないと思われます。たとえばイスラーム史では新井政美や小杉泰についてすでに紹介しましたが、彼らは政教分離という考え方がヨーロッパ独自であり、イスラム国家の一部はそれを受容したように見えて、ヨーロッパの政教分離とは異なる形で世俗主義を実現しているという点を明確に論じています(二人が日本で代表的なイスラム歴史学者であることは言うまでもありません)。日本史ではたとえば山口輝臣『島地黙雷 「政教分離」をもたらした僧侶』を読めばわかりますが、これも宗教という概念をヨーロッパ留学で体得し、キリスト教に類する教団組織として真宗を改革しようとした僧侶島地黙雷が制度構築をおこなったことを述べており、それが宗教に限界を設け、その領域を縮小したと明確に述べています。要はこうした政教分離はヨーロッパの影響なくしてそれぞれの地域に固有に政教分離社会が成立したという議論は史実では成り立ちませんし、仮に成り立ったとしても歴史の「if」でしかありません。「政教分離が西ヨーロッパ固有」あるいは「西ヨーロッパ独自」というのはそれが西ヨーロッパ起源であることを述べているのであって、この点に対して歴史学では日本史・東洋史・西洋史(この分類自体古いように思われますが)問わず共有されているというのはまず間違いのないところです。政教分離の起源が西ヨーロッパにあることについては疑問の余地がなく、政教分離の歴史の中心部分がヨーロッパを占めるという当然のことを述べているだけです。シャルリ以後はとくにフランスの政教分離体制の一種の神話ともいうべきその独自性が明確に意識されるようになり、それは普遍的な制度というよりはヨーロッパ・フランス固有の国家体制そのものと不可分な市民宗教を形成しているとさえいえるということは広く共有された議論です(これについては百科事典でここまで踏み込む必要はないでしょう。何より議論が膨大な量になります)。こうしたことは私の信念とか意見とかいうべきレベルではなく、その程度はどうあれ常識として存在していることがほとんど明らかな事実であるように思われますから、これを撤回するというのは現状無理です(学界で政教分離が西洋起源でないという研究が増えて共有されれば別です。現状はむしろシャルリ以後の議論、新井政美の論にもあるように、政教分離のヨーロッパ固有性を強調する研究のほうが増えていますが)。そのうえで現代社会における政教分離の制度的実現については各国それぞれの事情が存在することを鑑み、個別記事にするなり、政教分離原則#歴史節に落とし込む方が適切ではないかというのが私の以前の意見です。なお、私は以前に申し上げましたようにGreenland4さんにすべてを一任しているので、以上の私の立場なり意見はGreenland4さんが汲むべきと思えば汲めばよし、そうでなければ顧慮するに値しません。ただGreenland4さんが「トルコ・日本は自発的な欧米化の一環であると同時に「欧米に対抗するため」という契機もあってこの原則を導入した」と述べておられることは、政教分離を欧米化と見ているわけですから、常識として「政教分離が西ヨーロッパ固有」の性質を持つものであることを前提として共有していることの証左に私には思われます。この意味でもこの議論はほとんど常識論であると思われるのですが。--硯箱会話2017年6月20日 (火) 06:13 (UTC)

返信 いい加減面倒くさくなってきました。私に任せるというふうに一方的におっしゃられても、引き受けなければならない義理があるわけでもないので。「ヨーロッパ以外のことは書くな」それを貫きたいということですか? 「竜頭蛇尾」と申し上げましたが、それさえ控えめな表現であり、巨竜の「頭」にミミズのふん以下の「尾」という記事内容になっているからこんなことになっているのです。あなたはウィキペディアで一体何をしたいのですか。--Greenland4会話2017年6月20日 (火) 08:20 (UTC)
返信 「ヨーロッパ以外のことは書くな」ということはこれまで一度も申しておりません。なのでそれが元で編集合戦になっているというような認識は私には受け容れられません。私が述べたのは相手が現状の記述はヨーロッパ中心なのはおかしいと指摘したのに対し、政教分離という現象がヨーロッパ起源のもので、前近代においてヨーロッパ固有で展開されたことは明確なので、ヨーロッパ中心の叙述になるのは当然だと述べただけです。それを相手側が「ヨーロッパ以外のことは書くな」という認識であったというのなら誤解も甚だしい。私が日本の政教分離節を除いたのも、議論での合意後であって、紛らわしいから関係する政教分離原則との関係を明確にしようという議論の流れができて、近代以後の政教分離原則についてはあちらに、こちらは近代以前という合意ができたあとの話です。私自身は当初からとくに日本の政教分離うんぬんを積極的に取り除くべきとは思っていませんでした(なんで日本だけ浮いたようにあるのかは疑問でしたが)。というような話になるとめんどくさいので、硯箱さんが~というのは本当に封印してもらいたいです。Greenland4さんもそういう話になるとめんどくさいでしょう。ただ政教分離が西ヨーロッパ固有だということが「歴史学の常識」ではないというのは信頼すべき情報源に基づけば、それは事実にも良識にも反するので撤回はできないということです。そして撤回をしなくても別に編集合戦が起きるとは思われないということです(なぜなら第一にこれまでの議論はこの点は厳密に見れば争点化しているとは思われない、第二に、たとえ争点化していたとしても、私に名前空間の編集にもう関わる意志がない)。私は今後もGreenland4さんの提案の全てに1票を入れていると考えてもらって、あとはいないものと思ってください。硯箱さんがこうだという話には答えるのが誠意と思いますから発言しますが、基本的に私はあまり関心がないのです。私が答えているのは別に議論をこう誘導したいと思って言っているわけではありません。はっきり言って「キリスト教国家論の歴史」という怪しげな記事名でなければよい程度のことしか関わるつもりはありません。政教分離が西ヨーロッパ固有だということが「歴史学の常識」だということはたしかに一定の価値判断を含みますが、しかしそれは史実と現実の事実関係に明確に基づいています。こうした発言については事実確認の類いですから撤回は不可能です。
私は「キリスト教国家論の歴史」という記事名に問題があるという点以外はとくにどうでもいいのです。この記事が竜頭蛇尾というのは私の印象もその通りで、そこで議論を明確化しながら書き足そうと思いましたが、それこそ議論があっちいったりこっちいったりするのでめんどくさくてやめました。だいたい私が時間をかけて他に文章を書けば研究業績にもなりますし、講義のレジュメにだって使えます。対してウィキペディアに書いても私に何の得があるわけでもありません。苦労して書いても的確な査読システムなどがないウィキペディアでは研究レベルの信頼性を維持するには不可能ですし、利用者の益を考えても中途半端に学術レベルを求めていい加減な内容になるよりはいっそ何も書かないで明らかに不確かな情報が記載されていた方がよろしいというのが今の私の考えです。学生にもせいぜい文献案内程度に使うよう指導している。その文献案内としても非常に問題があることが多いので、結局は研究入門や関係論文を見た方が早い。どちらにせよ上の発言で言いたいのは「ヨーロッパ以外のことは書くな」ということではなく、前近代についてはヨーロッパ中心にならざるを得ないので、そこははっきりさせたほうがわかりやすいと思うということです。そのうえで政教分離が西ヨーロッパ固有に展開されたという点について私はそれが「歴史学の常識」だという十分な文献の裏付けもあるのでそれは否定できない。むしろ西洋史はそうした考えに無頓着で政教分離が現代社会の普遍的価値であるかのように論じたところもありましたが、そのように展開された旧来の議論に対して、そうではないというのがむしろ東洋史・日本史の側から政教分離に関わる史実上の議論・出来事が丁寧に発掘される中で提示されており、代表例が新井政美の議論であり、島地黙雷についての山口の小論も明らかにその流れにあります。シャルリ事件以来の政教分離議論の深まりを見ると、それが西洋史家にも明確化されたというのが適切な理解かも知れません。「あなたはウィキペディアで一体何をしたいのですか」という質問には「キリスト教国家論の歴史」という不適切な記事名を自力で浄化できるところを確認したいという点は明確です。それぐらいしか私はウィキペディアには期待していません。--硯箱会話2017年6月20日 (火) 11:08 (UTC)
私自身はGreenland4さんにご負担をおかけするのであればそれは本意ではないので、ご負担を感じていらっしゃるのなら申し訳なく思います。私個人はGreenland4さんに責任を負わせる意図ではなく、Greenland4さんの編集意図と記事内容についての議論のまとめ方に全幅の信頼を置いていることを表明しているのが主意なので、それをもって何かをしていただこうという考えはありません。Greenland4さんには感謝の気持ちしかありません。--硯箱会話2017年6月20日 (火) 11:29 (UTC)

コメント なかなか議論についていけていないので確認したいのですが、

  • 1)政教分離の歴史の時代区分は古代・中世・近代
  • 2)政教分離の地域区分は、古代から近代までヨーロッパとアメリカ。
  • 3)後発近代国家として日本とトルコetc.。

いま争点になっているのは、2のアメリカ、3の日本とトルコについてどうするかなのでしょうか?

アメリカ、日本、トルコについては、「政教分離の歴史」で書くにしても要約程度で十分に思います。トルコについてはライクリッキトルコの政治#世俗主義などもあります。

アメリカについては、イングランドとニューイングランドにおける政教分離の歴史#アメリカ合衆国独立と政教分離への誘導リンクで済みませんか?Moon.riseさんの誘導についてですが「イングランドとアメリカ合衆国については…」が適切です。「イングランドとニューイングランドにおける政教分離の歴史」記事は、ここでの長い議論の副産物だったのですが、私としてはアメリカでの政教分離成立史をまとめたつもりです。もちろん、もっと説明すべきことはあるでしょうし、アメリカでの政教分離成立以後の状況(歴史)もあるでしょう。ただ、それについては政教分離原則のアメリカ節で現代の視点からの要約もあります。

硯箱さんは「Greenland4さんにすべてを一任している」と発言されているのでいまから書くことへの返信は不要ですが、「政教分離の起源はヨーロッパである」ことは合意します。ただし、非ヨーロッパ諸国が近代化してすでに時間も経過し、とくに日本とトルコについてはそれぞれ独特固有の経緯があると思います。したがって、「現在において、政教分離はヨーロッパにおいて固有とはいえない、近代化・グローバル化にともない非ヨーロッパ諸国においても政教分離が制度的に実現している(採用していない国もある)」というのが実情であろうと思います。また、ヨーロッパでも政教分離運動を通過したうえで国教制度を採用しているイギリスや北欧もあるので、その意味でも「政教分離はヨーロッパにおいて固有である」とはいえないと思います。

また、硯箱さんと長く議論してきた者として新規参加のみなさまが誤解されているような気もするので、いいますと、これまで「日本について書くかどうか」についてはたしかに大和屋敷さんなどは発言されておられますが、大きな争点ではなかったように記憶しております。それ以前の私と硯箱さんとの対立点は「アメリカ、フランスについて書くかどうか」でした。過去ログ点検はめんどうなのでしませんが、たしか硯箱さんは「フランスについて書くことは反対しない」とおっしゃり、他方で、「アメリカについては別記事で書くべきだ」とおっしゃったと記憶しております。記憶違いがあるかもしれません。それから議論が錯綜していったので、私が「イングランドとニューイングランドにおける政教分離の歴史」を作成しました。しかし、Greenland4さんたちが登場し、Greenland4さんを100%信頼すると硯箱さんがおっしゃって(これも編集権を認可しているようで私物化のようにも感じますがいまは目をつむります)議論が一度リセットされたような次第であると認識しています。(念のためいいますが、これは皆様がこれまでの争点を誤解されているかもしれないと思い、経緯を説明したもので、「硯箱さんは…」という論法ではありません。)--121.107.209.16 2017年6月20日 (火) 17:57 (UTC)

返信 なるほど。確かに誤解していた部分があります。日本について書くかどうかは大きな争点ではないのですね。ありがとうございました。「現在において、政教分離はヨーロッパにおいて固有とはいえない、近代化・グローバル化にともない非ヨーロッパ諸国においても政教分離が制度的に実現している(採用していない国もある)」という認識は私も同じです。その認識が共有できれば、合意に達することが可能かもしれませんね。TENさんがおっしゃったように「後史」として盛るあたりが妥当であろうと思います。--Greenland4会話2017年6月20日 (火) 22:55 (UTC)
コメントMoon.riseです。121.107.209.16さん、コメントと情報ありがとうございます。現状、私からの記事名提案は「ヨーロッパにおける政教分離の過程」「ヨーロッパにおける政教分離の歴史」を維持して考えておりますが、アメリカのことがすでに「イングランドとニューイングランドにおける政教分離の歴史」にまとめていただいているのであれば、「ヨーロッパにおける」をつけることのデメリットは事実上ひとつ減ったのかなと置います。また、「イングランドとニューイングランドにおける政教分離の歴史」の横に「ヨーロッパにおける政教分離の歴史」が並ぶことに違和感はない気もします。
「日本について書くかどうか」「大きな争点ではなかったように記憶しております」ということですので、当時の生の声ということで認識をさせていただきます。ありがとうございます。--Moon.rise会話2017年6月20日 (火) 23:58 (UTC)
返信 議論がどういう状態なのかわかりづらい感じなので争点の説明ありがとうございます。個人的には「小まとめ」の段階でGreenland4さんの提案のうち分割と大雑把な記事の括り(2)(3)(5)については大体まとまっていて、それを実行するにあたって残存する部分の記事名をどうするか?(4)が大きな問題として残っているだけだと思ってます(後は記事名が内容に影響する?くらいでしょうか)。私の意見としては、前に述べた通り、「政教分離の歴史」とするのがベターと思いますが、話がそれでまとまるなら「ヨーロッパにおける政教分離の歴史」でもいいと思います(この場合、「西ヨーロッパにおける政教分離の歴史」の方がいいと思いますけども)。若干くどいとは思いますが間違ってはいないと思います。
アメリカとかトルコとかをどうするという話もありますが、121.107.209.16さんの案に賛成です。既に記事があるものについては簡潔な要約を書いて「詳細は~~参照」とし、無い物はとりあえず書ける欄(後史)を用意しておけばいいのではないかと思います(アメリカにどうしても触れざるを得ないシーンはあると思いますが、内容が多少重複したとして別に問題だとは思いません。)。「政教分離」と言う単語の紛らわしさについては冒頭に3,4行の解説があれば解決できそうな気がするのですけどもいかがでしょうか。--TEN会話2017年6月21日 (水) 12:19 (UTC)
返信 私もTENさん同様「政教分離の歴史」がベターだと思っていて、「撤回はできないが修正ならできる。後史として書く分には問題ない」くらいの返しがあれば、それで押していけたのですが、それができない以上「ヨーロッパにおける政教分離の歴史」「西ヨーロッパにおける政教分離の歴史」あたりで落とすのが無難じゃないかと思います。冷静な御意見ありがとうございます。私が長文を書き込む直前に、TENさんが誠実で心のこもった、説得力のある御意見を寄せられていて、それにコメントしたかったのですが、何だかおかしなことになってコメントできませんでした。そこは今でも心痛むところです。申し訳ありませんでした。--Greenland4会話) 2017年6月21日 (水) 13:34 (UTC)(字句修正)--Greenland4会話2017年6月21日 (水) 14:04 (UTC)
硯箱さんに質問。「現在において、政教分離はヨーロッパにおいて固有とはいえない、近代化・グローバル化にともない非ヨーロッパ諸国においても政教分離が制度的に実現している(採用していない国もある)」この件について、認識は共有できますか。長文不要。YES・NOだけでお答えください。--Greenland4会話2017年6月22日 (木) 09:47 (UTC)
話題を振られたのでお答えしますが、学問的見地から言えば、政教分離はヨーロッパ固有の事象であることは明白な事実であり、近代化・グローバル化に伴い、それが一元的に拡大しているというような認識に立つことは私は出来ません。まず近代化として世俗主義を受け容れたとしても、それをどのような制度で実現するかは各国家の成立事情と文化背景によるところが大きく、その実現方法は必ずしも政教分離の制度的実現によるわけではないということ。次に最新の研究は最も代表的な政教分離の制度ライシテと思想背景そのものにフランス共和国におけるカトリック教会との葛藤を見ており、その過程で形成されたフランス固有の制度であることは疑いようがないこと。各国における制度的導入もヨーロッパモデルを輸入する形で近代化に伴うものとして受け容れており、明らかに完全な内在性という意味での固有性を有してはいない(各国が制度導入に踏み切った内在的な理由はある)ことから、政教分離の制度そのものは明らかにヨーロッパ固有であることは疑いがありません。各国が制度的に(その内実はともかく)政教分離を取り入れていることと政教分離の制度そのものがヨーロッパ固有の成立背景を持つことに矛盾はありません。「現在において、政教分離はヨーロッパにおいて固有とはいえない」ことと「近代化・グローバル化にともない非ヨーロッパ諸国においても政教分離が制度的に実現している(採用していない国もある)」ことには連関性や因果性は存在しないので、そのような認識は単なる信念としては成り立ちますが、信頼できる研究を踏まえれば、明らかに同意できない内容です。正当な歴史学的見地に基づけば、政教分離が起源においてヨーロッパ固有の社会に根ざしていること、その発展過程においてヨーロッパ固有の社会の進展と軸を一にしていること、現代においても最も典型的な政教分離体制の国家はヨーロッパに存在していること、歴史学は史実を積み重ねて事象の社会的背景や原因を考察する学問ですから、これらを持って政教分離はヨーロッパ固有と考えるのが現状では歴史学的には正しい判断となります。--硯箱会話2017年6月22日 (木) 10:30 (UTC)
返信 なるほど。お答えくださり、ありがとうございました。政教分離原則がヨーロッパで固有に発生したこと、日本やトルコなどについては広くいって欧化政策なり欧米化の所産であること、それは事実でしょうし、私もずっとそう主張してきました。(1)「これらを以て政教分離はヨーロッパ固有と考えるのが現状では歴史学的には正しい判断」ということですが、そのことをハッキリ書いた書籍・論文はありますか? (2)「歴史学的には」を除去した一般論としてはどうなりますか? 2点質問いたします。(署名忘れ)--Greenland4会話2017年6月22日 (木) 11:49 (UTC)
繰り返しになりますが、まずその代表論として新井政美の議論を確認すれば、『イスラムと近代化』は政教一致は野蛮という「キリスト教的な世界観」を受け容れた共和国が実態として世俗主義を実現するために政教一致を採用したという論旨になっています。あるいは最近の画期的研究、伊達聖伸『ライシテ、道徳、宗教学』でもよいですが、こちらでも伊達の意図はライシテを宗教学次元で脱構築することでしょうが、ライシテがカトリシズム的道徳をいわば脱構築したものであり、それ自身カトリシズムに起源があり、宗教に近い性格を持つが、だがカトリシズムを飛び出る、いわばカトリシズムの枠の外に散らばったものというとらえ方をしています。要はキリスト教的世界観や道徳と政教分離は明らかに関係があるというのが今日の歴史学研究の常識です。これは政教分離がたとえば人類に普遍的価値があるとか、多くの国が現在その制度を採用しているとかいったこととは無関係に、事実として政教分離はキリスト教的な世界観に基づいており、ヨーロッパ固有の政治と宗教に対する論理を引き継いでいるということです。これについて否定している研究がそもそもあるとは思えません。Greenland4さんだってこの点はわかっておられると思います。で、この点について、私はなぜそこまでこだわる必要があるのか率直に言ってわかりません。たとえば日本固有の武道である柔道が世界的なスポーツとして楽しまれているからと言って、必要であれば「日本の柔道」という記事を作ることに誰も反対しないでしょう。柔道は日本固有のスポーツであることに疑いはないと思いますが、それが世界的広がりを持つこととは矛盾しません。同様に政教分離がヨーロッパ固有の歴史事象に基づいていても、地理的区分としてのヨーロッパを冠した政教分離の歴史を作ることを妨げる理由はないと思います。私が言っているのは今の整理分類に基づいて「政教分離の歴史」が前近代の内容が主になるのであれば、それはヨーロッパでしか政教分離に関わる歴史事象は基本的に展開していないので、ヨーロッパはいらないのではないかという議論です(アメリカ合衆国だって独立前はヨーロッパの植民地です。北アメリカにあるからと言って、それはアステカ帝国やインディオの伝統を引き継いだ国家ではない、立派なヨーロッパ人によるヨーロッパ式国家です)。政教分離がヨーロッパ固有であるというのはその説明で論じましたが、近代以後の~という話とは別次元の話です。そのうえで近代以後のヨーロッパの政教分離をこの記事で扱うにしても、政教分離がヨーロッパ固有であることは明白だし、それは別に政教分離が現在ヨーロッパを越えて存在することと矛盾するわけではありませんから、これを頑なに否定しなければいけない理由がわかりません。政教分離が「ヨーロッパ固有かどうか」がなんで争点化される必要があるのか私には本当によくわからないのです。この記事が逆に近代以後も包摂するなら、ヨーロッパ中心にまとめるということであれば、「ヨーロッパの」とつければよいだけではないのですか。ヨーロッパなしの「政教分離の歴史」という記事が作られているとして、それがヨーロッパのことだけを書いていたらおかしいというのは私には率直によくわからないのです。政教分離がヨーロッパ外への広がりを持つこととその起源がヨーロッパにあることは矛盾せず、だから政教分離の歴史として政教分離原則成立史としてその起源にこだわる場合は、その記述がヨーロッパに集中するのは避けられませんし、当然と思いますが、それを持って「ヨーロッパの」をつけるべきという主張は私には論点が明確にずれているという認識を抱かせます。なぜならヨーロッパ外を含めてすべての政教分離原則の起源がヨーロッパ社会固有の発展にあることは疑い得ないからです。--硯箱会話2017年6月22日 (木) 14:10 (UTC)
返信 ありがとうございました。インディオまで出てくるとは思いませんでした。何だか硯箱さんの話をうかがっていると、これはこのままの状態にしておいて、私が出ていけばいいだけの話ではないかなという気持ちになってきました。もう少し、考えさせてください。--Greenland4会話2017年6月22日 (木) 22:12 (UTC)
硯箱さんの見方が絶対ではありません。まず、政教分離は一般的に政教分離原則を指して使用されることのほうがむしろ多いですから、政教分離原則が各国でそれぞれどのように成立したかを知りたい方が「政教分離の歴史」を検索されることのほうがむしろ多いでしょう。「政教分離」という記事もなく、「政教分離」がなにかはWikipediaのどこにも定義がのってない状態です。私の当初の主張は、「政教分離」という記事を作り、そこでしっかり「政教分離」の定義を書いた上で政教分離#歴史を節として書けばいいじゃないか、ということでした。しかし、「政教分離の歴史」はやめようということになり、そのうち話全体がひっくり返ったりして、このような状況となってしまったということでして。Greenland4さんの議論における貢献は大変大きく、Greenland4さんが出て行かれて硯箱さんの書かれたい内容で構成した場合、逆に、この記事が結局なんだかよくわからないまま見通しが悪い状態で終わってしまうのではないか、と危惧しております。この記事が見通しが悪い、というこの一点に絞っても、Greenland4さんの進行や発言、ご意見は非常に参考となり、良い形で議論が出来ていると感じております。まず、合意できたところから作業しませんか。また、一冊の専門書は一見解であり、辞書に載る程度でなければ定説ではないということです。121.107.209.16さんの文献検証で、硯箱さんの見解が定説とはいえず一見解にとどまることは証明されたと考えてます。事典レベルでどう書かれてるかなどをより重視したほうがいいかもしれません。--ぽてから会話2017年6月22日 (木) 22:43 (UTC)

(インデントもどす)「#(参考)トルコのライクリッキについて」のなかで硯箱さんは、

ライクリッキ…これを『政教分離』とはおそらく訳さない。「世俗主義」と訳されるのが普通

というふうに書かれておいでですが、しかし、ほかならぬ硯箱さん御自身が紹介されている公法学者の小泉洋一先生は、論文のなかで「トルコにおけるライクリッキの原則と憲法裁判所」の冒頭で、

政教分離または世俗主義と訳されるライクリッキ…

というふうに明記されているんですね。一例をもってすべてを言い切ることはできないかもしれませんが、自分の専門領域にかかわる、自身が紹介した内容で、しかも100パーセント信頼するとまで言った相手に、ウラもとらずにいい加減なことを言うってどうなのかなと思います。そういう人の「良心」を素直に信じることができなくなってきています。そして、小泉先生は「トルコの政教分離に関する憲法学的考察――国家の非宗教性と宗教的中立性の観点から―」という論文の283(757)ページで、

トルコはムスリムが国民の99パーセントを占めるイスラムの伝統が強い国である。しかしトルコではライクリッキ(laiklik)という独自の政教分離原則が憲法で詳細に規定されている。

とあり、ハッキリと「ライクリッキという独自の政教分離原則」という言葉を使っておいでです。同じページには脚注に、

イスラム国で憲法上政教分離を定める国はトルコ以外にもある。マリ、セネガルなどフランス語圏のアフリカ諸国がそれである。

というふうに書いておられるのですね。これなんかは当然、「政教分離の歴史」に書かれてもよい歴史事象というふうに私などは思うのですが、硯箱さんの考えでは削ってもよい事項ということになりかねません。「そんなことは言ってない」と硯箱さんはおっしゃるかもしれませんが、たとえば、一生懸命フランス語圏アフリカ諸国の政教分離について調べて投下したら硯箱さんに削られるというんだったら、これは絶対喧嘩になりますし、貴重な書き手を失い、社会的にも知的エネルギーのムダになります。「そんなことはないだろう」と当初は思っていましたが、硯箱さんの御意見をうかがえばうかがうほど「そうするだろう」という気持ちが深まっています。硯箱さん以外のだれもそこにはこだわっておらず、むしろこだわっているのは御本人だけです。ならば、むしろ「ヨーロッパにおける」をあらかじめつけておいた方がよいということになります。質問を追加します。

(3)小泉先生がトルコやアフリカ諸国に関して「政教分離」ということばを使うのは間違いですか?

つまり、「政教分離の歴史」という言葉を、「政教分離原則の成立の歴史」という意味、歴史事象をあらわす歴史用語として解釈すればヨーロッパ固有といえるかもしれませんが、「政教分離概念。その歴史」という意味、法学上の政教分離概念の歴史的な発生とか位相・展開という意味に解釈すれば、これは、世界共通の話になってくるのではないかと思うのですね。両者の解釈を前もって区別する手立てはありませんし、少なくとも日本では後者の理解が一般的であり、そういうかたちでその語も定着しています。ぽてからさんがおっしゃってくれたことにも重なりますが。歴史に限った話であっても、読者が「政教分離原則(成立)の歴史」とだけ読んでくれるとは限らなくて、「政教分離原則(受容)の歴史」と読む人もいるだろうし、「政教分離原則(伝播)の歴史」と読まれる可能性もある。成立・受容・伝播をトータルに扱いたいのが「歴史学の立場」なんじゃないかと私は考えるし、硯箱さんが西洋史・東洋史・日本史を取っ払うことを主張されるんならなおさらそうなるはずだとも思います。理論的な整合性がないのですね、硯箱さんには。そういう意味で、硯箱さんのような方に歴史学者の代表のような顔をされるのは正直心外です。だから硯箱さんには

(4)一体、あなたは何をしたいのですか?

と申し上げたのです。何も期待していないのだったら来なければいいのですが、来るからには何かしたいことがあって来るわけでしょう?ということを質問したいのです。ついでだからもう一丁。

(5)宗教戦争からフランス革命までの近代ヨーロッパにおける政教分離原則成立史を書けますか?

「書けますか」というのは「書く能力がありますか」という意味です。「書く時間はタップリあるでしょう」。それは聞くまでもないことです。生涯かけてもいいくらいに思っているでしょうから。たとえば、1週間以内とか、1か月以内とかという期間を設定した話です。「専門外だからできない」というのであれば、その旨正直におっしゃっていただきたい。いかがですか。-Greenland4会話2017年6月23日 (金) 00:26 (UTC)

⑶トルコのライクリッキについては最近は世俗主義と訳すのが普通です。小泉洋一先生のその論文は法制として政教分離制度の実態を比較しているもので、結論では実態としてトルコは宗教の国家の宗教的中立性の弱い「たたかうライクリッキ」であり、国家統制が強いと言うことは明確にされています。そのうえで近年の公正発展党の躍進、従来ライクリッキの保護者とされてきた軍のクーデター失敗など、トルコ政治の展開はめまぐるしくなっています。歴史学では以前からトルコの政教分離は実態としてフランス1905年政教分離法以前のコンコルダート体制に近いということは明確にされており、ライクリッキも誤解を避けるため「世俗主義」と訳されることが一般的(『政教分離を問い直す』工藤庸子・解説)になっています。国民の宗教離れも進んでおらず、政治的にイスラーム主義は合法的に政党を形成し、議会に送り出し、政権に強い影響力を行使することが出来ます。法制的に政教分離であるとトルコ憲法が唱えていても、実態としてこれは厳密には政教分離ではないというのがフランスや日本の研究者が共通して持っている見解です(新井政美、ジャン・ボベロ)。政教分離とは政治空間と公共空間での宗教の影響力を完全に排除することであるというのがフランス・日本共通した政教分離の考え方です。これは別にトルコのライクリッキを政教分離の歴史の記事で扱うなという主張には直接につながりませんし、Greenland4さんが何を危惧しているのか私にはわかりません。実際私はライクリッキについてはノートで研究動向を踏まえるくらいはしたほうがいいと述べただけです。私が関わった中でわかったことですが、ウィキペディアのノートの議論では大した対立点を述べておらず攻撃的な意見を述べているわけでもないのにその発言者を過度に敵対的に認識することがしばしばあることですが(私はそれに疲れました)、これもそんな類いの話にしか思えません。ただ単にグーグル検索のように「政教分離」という言葉だけを抽出して記事を書こうというのは問題がありますよということです。【「政教分離原則(成立)の歴史」とだけ読んでくれるとは限らなくて、「政教分離原則(受容)の歴史」と読む人もいるだろうし、「政教分離原則(伝播)の歴史」と読まれる可能性もある】というのは以前の議論の繰り返しですので、私にはしつこい議論なのですが、政教分離原則そのものの歴史は政教分離原則に、政教分離の歴史は国家機構と教会の分離という歴史学的議論に、というこのノートでの以前の明確な合意は、「政教分離原則(成立)の歴史」はこちらに、「政教分離原則(受容)の歴史」「政教分離原則(伝播)の歴史」は政教分離原則#歴史にということと実質的に同義です。ここで述べられているのは政教分離原則の歴史ではなく、政教分離の歴史ですから、政教分離の結果としての政教分離原則の成立という史実を踏まえ、「政教分離原則(成立)の歴史」ともいえるわけですが、同時に政教分離の結果としての世俗的な近代国家成立史でもありますから、それがすべてではない。政教分離原則で政教分離の全てを語ろうとする議論は明確に誤っているということがトルコの事例でも言えるということです。理論的な整合性がないと批判していますが、私にはGreenland4さんが政教分離原則と政教分離を混同しているようにしか見えません。問題は政教分離原則も政教分離と言われるうえ、何が政で何が教かという議論も惹起するので厄介ですから最近はフランス史家を中心にそれをライシテという概念で置き換えようという動きもありますが、一般的ではない。どちらにせよ歴史学的な政教分離論は明確に現代日本や現代フランスのような社会の脱宗教化過程(実際にはそれは宗教観の変容というべきものであるというのが最近の研究動向ですが)を論じますから、政教分離原則を採用していてもトルコのように脱宗教化されているとはとてもいえない国家については社会的な政教分離が完全ではない、場合によっては政教一致であるとなるわけです。【「政教分離概念。その歴史」という意味、法学上の政教分離概念の歴史的な発生とか位相・展開という意味に解釈すれば、これは、世界共通の話になってくるのではないかと思うのですね。】については【「政教分離概念。その歴史」という意味、法学上の政教分離概念の歴史的な発生とか位相・展開という意味】であればその展開がほとんど世界的であることはもっともですが、位相としては明らかにヨーロッパから世界に広がったという形で記述されるのではないでしょうか。世界共通に、あるとき突然政教分離が同時発生的に世界のさまざまな地域で展開されたというような記述には明らかにならないはずです。法学的意味ではそれを受容した社会の固有の理由はともかく、明らかにヨーロッパの法学思想の受容という形で描き出されるのではないでしょうか。
⑷これも繰り返しのような気がしますが、私は「キリスト教国家論の歴史」という記事名が不適切だということがウィキペディアで正しく認識されればそれ以上とくに言うことはありません。現状の記事名がいまだに「キリスト教国家論の歴史」なるものになっているので、議論をウォッチしているだけです。
⑸私はすでにそれについては詳しく別で書いています。本記事にないエウセビオスにおける歴史神学の成立、オイコノミア神学の展開、五十嵐修の帝国・王国・教会論、オットー朝の神聖王権、叙任権闘争の詳細、レコンキスタのもたらした宗教勢力の協力と相克を伴ったイベリアでの王国の台頭、シュタウフェン朝の神聖皇帝理念、王権神授説とコルベール主義とフランス革命、ロラード派とイングランド宗教改革その結果としての国教会主義と清教徒革命、アメリカ政教分離前史、三十年戦争・ウエストファリア体制とその精算としてのドイツ国制の政教分離。ここでのあまりに生産性のない議論、信頼できる情報源を独自研究と呼ぶような意味不明の論理、それらが理解できなかったのでウィキペディアに見切りをつけたときから、ここに寄稿することは全く考えていません。実際私がそれについて十分な文献も用意し、理解していることはここでの議論でも明らかでしょう(これまで私は明確に文献に基づいて議論をしています。振り返ってみてください。これほど重要な問題にも関わらず、ここでの議論で文献を用いて論じている人がいかに少ないことか。文献を援用してもそれを私個人の見方だ、あるいは一部の論者の見方に過ぎない、と矮小化して論じられるならば、ウィキペディアの検証可能性・中立的な観点は意味をなしません。これまでの議論で繰り返されてきたのがこうした事実を矮小化する議論です。実際に歴史学者がどう論じているかを無視して私を攻撃しても意味がないことですし、ウィキペディアにとって無益なのではないでしょうか)。--硯箱会話2017年6月23日 (金) 02:04 (UTC)
コメントちょっとまた不毛な議論に入りそうに思えるので横槍を入れさせて下さい。毎回長いですが、多分私が以前に書いた「つまり、ヨーロッパの政教分離と、それ以外の地域の政教分離は、並列で扱う対象ではないと考えます。」と、硯箱さんの意見は大差無いと思(って)います。だからこそ時系列に沿って相互の関係を書ける形式の「後史」という形式については名案であると私は考えています。そして硯箱さんもこの点について(上のやり取りを見る限り)反対はしていない、と理解しています。
その上で、記事名が仮に「ヨーロッパにおける政教分離の歴史」のような形体で収まることで硯箱さんとの合意は可能なのですか?それとも「ヨーロッパにおける」をつけることについて合意不可能ですか?
端的に言って、Wikipediaの記事名は学術的合理性のみではなく読者の利便性など、考慮すべき要素が数多くあり、政教分離という言葉から「政教分離の歴史は国家機構と教会の分離という歴史学的議論」という方向へ思考を進める人は非常に少なく、単純に「政教分離の歴史」としてしまうと読者にも執筆者にも誤解が生じてしまうので、それを避けるための技術的処置として「ヨーロッパにおける」なり何なりの言葉が記事名に入っていた方がいいというだけの話だと思います。(重要なことですが、Wikipediaは「歴史学大百科辞典」ではないので読者が歴史学の文脈について事前知識を持っていることを当然の前提とすることはできません。)歴史学的見地から蛇足であっても、問題はないと思います。明確に間違っている現在の記事名よりはよく、分割による可読性の向上も期待でき、もともと「政教分離の歴史」という記事名から来ていた誤解もある程度解消できるということで悪い案ではないと思いますがいかがですか。
なお、できるだけ手短に上記で合意可能か不可能かだけ教えていただけると助かります。大きなお世話とは思いますが、もし硯箱さんの書き込みが意図したとおりに相手に理解されないとしたら、その原因のかなりの部分を文章が長すぎることが占めています。敵対的に取られる理由も同じです(Wikipediaの環境のせいではないです)。よろしくお願いいたします。--TEN会話2017年6月23日 (金) 03:31 (UTC)
「「ヨーロッパにおける政教分離の歴史」のような形体で収まることで硯箱さんとの合意は可能なのですか」についてはTENさんのおしゃっるとおり、私は別に反対はしていません。なので私が政教分離がヨーロッパ固有であるというのを盾にしてそれに反対しているというような認識は私には全く理解できないということです。ただ単に「ヨーロッパにおける政教分離の歴史」という名称はそれはそれで政教分離原則の成立史がヨーロッパ外でも展開されているというような単純な誤解を生むかも知れないよねという留意を歴史学的な常識に基づいてつけているだけで、私自身はウィキペディアとしてそれが正当かどうかはわからない(私自身ここでヨーロッパを付けるべきというウィキペディアの議論がはっきり言ってよくわからない)ので、強く反対する理由はありません。
文章が長すぎるから敵意を煽るということであれば、それはウィキペディアのシステムとして議論による合意を前提とする以上、根本的な欠陥としか言い様がありません。政教分離というテーマについて短く書いて済ますことが多くの誤解を生むことは他ならぬ政教分離の専門家が最も指摘していることであり、政教分離を単純に図式化はできないというのはこの分野でよく言われることです(伊達聖伸・工藤庸子・新井政美などなど)。少なくとも政教分離原則がある国が社会において政教分離が実現されているという単純な議論は否定されており、その内実を問うというのが歴史学研究としては現状正当なスタイルです。こうした議論が長文化することは避けられないと思いますが、それをとっても相手の論理が長すぎるとか短すぎるとか、短い方が良いというような言い方であれば私はやはりウィキペディア日本語版は何かおかしいと言わざるを得ません。【重要なことですが、Wikipediaは「歴史学大百科辞典」ではないので読者が歴史学の文脈について事前知識を持っていることを当然の前提とすることはできません。】については、これは議論の中で歴史学議論を踏まえることと、議論において「歴史学の文脈について事前知識を持っていることを当然の前提」とすることの意味は違いますから、私はそういうことは論じておりません。しかしながら、じゃあ歴史学の議論を無視して良いかというとそれは全く異なり、ウィキペディアにおいて信頼できる情報源とはまず専門家によって提供されるものであることは明確なのですから、「政教分離の歴史」において歴史学者の政教分離論が中心になるのは当然であると思われるということです。知識を持っていなければいけないことはないでしょうが、それは明白に存在する歴史学的議論を無視することを認めるものではないでしょう。読者への利便性という点からも、そうした専門分野での主流な見解を無視して内容を構成することが利益になるとは思われません。率直に言って、ここでの議論はウィキペディアの方針文書が目指しているものとはちょっと違う方向に行っているというのが、その見方が正しいかどうかは別にして私の意見です。--硯箱会話2017年6月23日 (金) 04:00 (UTC)
返信 返信ありがとうございます。
★ 記事名について
「ヨーロッパにおける政教分離」の歴史について反対はされていないということで了解しました。つまり提案(4)についても概ね全体としての合意が可能ということで次のステップに進めると思うのですが皆様いかがでしょうか?
硯箱さんの懸念「政教分離原則の成立史がヨーロッパ外でも展開されているというような単純な誤解を生むかも知れない」については冒頭に短い解説を用意すれば解決できると思いますが、次の段階ですかね。
★ 長文について
こっちは蛇足です。長文がよくないというのはWikipediaとか学問というより、議論とかディベートの作法の話です。会社の企画会議とかでもそうですが「言っていることがどんなに正しくて立派でも」10分を超えるような長い発言をしていると「誰かあの人黙らせてよ」というオーラが場を支配してしまいます。これはWikipediaどうこうではなく人間そういうものだということです。もう一つ、硯箱さんの文章は概ね論証、証明のための文献からの引用・出典、意見から出来上がっていますが、長い文章の中から「硯箱さんの意見」を抽出し理解するのは割と手間なうえになかなか誤解を含まずというのは難しいです(そして面倒です)。だから皆、硯箱さんの意見がわからなくなります。これが「言っていないことについて批判される」という硯箱さんのフラストレーションの原因だと思います。どうしても長文になってしまうようであれば、今回のように意見だけ文章の頭にまとめていただけるだけでも格段に読み易く誤解の余地はないと思います。今回の書き込みの第一段落は本当にありがたいです。偉そうに言ってすみませんがご一考下さい。
★ トルコのライクリッキについて
お二人とも言い足りないことと不満あるかもしれませんが、この話題一旦止められないでしょうか。正直この件について発言する人物が二人しかいないように見えるため、また1vs1の議論と化すような気がします。
★ 歴史学の議論の無視という点について
ちなみに、歴史学の議論を無視するということではないです。「歴史学の議論」と、「世間一般の常識的用語としての政教分離」の接点を探る、とでもいいましょうか。これも誤解なしで相手に伝わるのは難しい例だと思います。蛇足なのでこの件についての返信は結構です。なお、私宛に何か返信があれば帰宅後に確認させていただきます。--TEN会話2017年6月23日 (金) 05:09 (UTC)
私もトルコのライクリッキについては本筋とはほとんど関係がないように思います。私自身は別にいくら言われても事実として新井政美の論がないとか、そういう話にはなりませんから、この点については強固に否定するという人がいるなら、それはそれでウィキペディアではこういう議論も出来ないのだなぁと思うだけです。さて、歴史学には「多々益々弁ず」という標語があり、立証に当たって史実や史料から多くの事例をもって遺漏を極力避けて論を展開するのが良しとされています(史実に反例があればそれだけ正しくない根拠となります)。会社の企画会議を例に出されると、そもそも企業やイベントの企画会議と学術の論争というのは目的や論じられる趣旨が違いますから、それをもって議論の作法とするのはちょっと違うなと思います。ディベートについても、競技ディベートでは相手の表面的な論理矛盾や品行など信頼性を攻撃することで相手の立論自体の信用性を低下させるような手法が存在しますが、そのような手法はウィキペディアの議論では明確に避けられるべきです(これは方針文書にも明記されています)。私の認識するウィキペディアで本来求められている議論は、方針文書を読めば、どちらかといえば学術的な「多々益々弁ず」のスタイルに近いような気がしますが、これは個人的感想ですからなんとも言えません。--硯箱会話2017年6月23日 (金) 06:07 (UTC)

コメント 例えば、本記事の冒頭(概要の前、目次よりも上)に

  • 今日の歴史学分野における一般的な解釈によれば、『政教分離』とは本来西欧カトリック圏における固有の現象であり、その他の地域における類似の現象は西欧において成立した『政教分離原則』を個別に導入して成立している。よって本記事では原則、西欧カトリック圏における政教分離原則の成立の経緯を詳述する。

などと書いたら、読者の誤解は避けられると考えられます。--Susuka会話2017年6月23日 (金) 05:24 (UTC)

  • いちウィキペディアンの独自研究に引きずられてはいけません。あるアカウント利用者がいかに熱心にそうだと弁論しようとも【ヨーロッパ固有】などという学会での合意や常識は存在しておりません。「なんとなくそうだろうな」と理解していることと現実に文字として記述することは別のことです。--大和屋敷会話2017年6月23日 (金) 05:39 (UTC)
大和屋敷さんは相手の見解を矮小化することには熱心ですが、これまで文献に基づいて議論するということをなおざりにしていますね。「キリスト教国家論」の出典さえも現状で提示していない現状で、正当な信頼できる情報源に基づいて立証されている内容に対して、それを個人的感想で否定するというのはバランス感覚を欠いているとしか思われません。これまで大和屋敷さんは信頼できる情報源を提示し、それに基づいて検証可能な議論を展開してきましたでしょうか。文献的裏付けがないのならば、それは単に「言うは易し」でしかありません。--硯箱会話2017年6月23日 (金) 05:55 (UTC)
  • 矮小化ではなく論理的な間違いですよ。硯箱アカウント利用者の方が好事家であるにすぎないことがはっきりわかる文旨です。学術論文でこのような表現ができないことくらいすぐに分かる話しです。あなたはこのようなおかしな文字列で語を独自に定義しようとすることで学術そのものを否定しようとしているのです。--大和屋敷会話2017年6月23日 (金) 06:01 (UTC)
はっきり言って私には大和屋敷さんのおっしゃっていることがわかりません。「学術論文でこのような表現ができないこと」というのがすでにして眉唾で、これはまともに学術論文を読んでいる人の言とは思われません。「ヨーロッパ固有」という言葉は別に普通に使われていますね(阿部謹也を見よ)。「あなたはこのようなおかしな文字列で語を独自に定義しようとすることで学術そのものを否定しようとしているのです。」にいたってはもはや完全な大和屋敷さんの感想に過ぎず、正直以前自ら否定した「為に為す議論」をしているとしか思えません。--硯箱会話2017年6月23日 (金) 06:14 (UTC)

コメント 現在の論点は、

  • 「政教分離原則の成立は西欧カトリック圏独自の事象であり、他地域のそれは西欧からの伝播によって成り立っている」ことは、本当に学会の共通理解として成立しているのか。
  • (上点が成立している前提で)上点を明記した上で、記事名を「政教分離の歴史」(地域名を冠さず)としてよいか。

の2点です。1点目が了解されたら2点目は妥協できることであると思われますから、問題は1点目です。硯石さんは2017年6月20日 (火) 06:13 (UTC)に本節冒頭に記述されていますが、1点目は本当に正しいのでしょうか。私は門外漢なのでわかりかねますが、学会の動向はどうなのでしょうか(文献から総合して自分で推察したものは採用できません。『Wikipedia:独自研究は載せない#特定の観点を推進するような、発表済みの情報の合成』参照)。--Susuka会話2017年6月23日 (金) 06:15 (UTC)

1点目については当初からこのノートで争われているとは思えません。これまで議論で登場した山田欣吾、ベッケンフェルデの世俗化論、森安達也の『近代国家とキリスト教』、トルコについての新井政美の議論、金子晴勇の世俗主義論、日本についての山口輝臣『島地黙雷』、いずれも政教分離はキリスト教的世界観から生じたということを前提にしています。これを否定する文献はそもそもこれまでの議論で示されてはいませんよね。--硯箱会話2017年6月23日 (金) 06:44 (UTC)
硯箱さんが提示された前提は、硯箱さんの見方であり、一主張にすぎない、ということは、繰り返しこのノートで伝えていますが、その都度、硯箱さんから長文の反論があり、硯箱さんが論破したかのように思われて(実際は、再び一主張をされているだけで定説であると証明されていないまま)終わっている、という状況が続いていると認識しています。「政教分離原則の歴史」だと、アメリカなら「1791年の憲法修正1条で政教分離が成立して以降の憲法判断の変遷」を指すと思われる方もいると思います。日本であれば「国家的祭祀である神道がGHQにより国家神道と神社神道に分離され、かつ国家神道の禁止命令が出され、日本国憲法第20条が成立。以降の、宗教集団と政治との関わり」あたりを指すと思われる方もいるでしょう。「政教分離」=「政教分離原則」であるとみなした場合、起源ではなく、政教分離原則が成立してから今日までのそれぞれの国の歴史、を指してると思う人はいるでしょう。また、政教分離原則の3類型もしくは4類型の成立あたり、をイメージされる方もいるでしょう。『岩波キリスト教辞典』によると、「カトリック秩序の崩壊」が宗教戦争を「誘発」したとはありますが、伝播という記述は見当たりませんね。宗教は固有の文化なので、同じカトリック圏であれば「伝播」と言っていいかもしれませんが、異なる宗教間では「伝播」と言い切るのは違和感を感じますよね。常識論として、日本人であれば、今日の日本の政教分離原則がヨーロッパから伝播したものだと思ってる人は、まずいないでしょう。GHQからの押しつけ的なものなので、アメリカの影響という共通認識はあるでしょう。が、アメリカの政教分離原則がヨーロッパから伝播したということは、一部でそう主張する人もいるかもしれませんが、『岩波キリスト教辞典』にものってないので、定説ではないと思いますね。「政教分離」をどう定義するか、が曖昧なまま議論が継続してるのでわかりづらいですが、「政教分離」の定義次第では「西欧からの伝播によって成り立っている」という解釈も成り立つと思うので、その本で「政教分離」をどう定義してるかということまで見なければはっきりとしたことは言えないでしょう。「政教分離」は広義の意味で使われることもありますが、狭義の意味でも用いられるので、「カトリックの政教分離」という意味の文脈で「政教分離」という単語が用いられていれば「伝播」してると言えるでしょう。。--ぽてから会話2017年6月23日 (金) 07:32 (UTC)
こうした感想論がずっと繰り返されているのがこのノートの議論の無益なところです。はっきり言って、私にはぽてからさんはここまで長い意見を書いていますが、そのなかで一つもぽてからさんの思い描く定説の根拠を文献として示していません。主張するのは結構なのですが、何の文献も示さずに延々と感想を述べられても、「はあそうですか。でも文献に書いてあることは違いますよ」としか言いようがない。「アメリカの政教分離原則がヨーロッパから伝播したということは、一部でそう主張する人もいるかもしれませんが、『岩波キリスト教辞典』にものってないので、定説ではないと思いますね。」について、これをまともな判断だと思いますか?『岩波キリスト教辞典』にものってないから、アメリカの政教分離原則がキリスト教思想と関係ないなんて論旨が成り立つと本気で思っていて、それがもし今のウィキペディアで成立するなら、これはもう検証可能性や中立的な観点が死文化しているとしか言いようがない。一つの辞典が書き漏らしたことをもって、アメリカの政教分離がピューリタニズムに淵源を発するという膨大な研究実績を否定することに無頓着とはとても正常とは思えない。たとえばE・S・ガウスタットが『アメリカの政教分離』で彼らが新大陸でヨーロッパ型の国家と教会の連合体を作ろうとし、しかしそれはやがて国家教会形態よりはイギリス型の信教の自由の保障へと向かったと述べていることにも何の顧慮もなく、アメリカの政教分離はヨーロッパのキリスト教思想の影響にないと論じるわけですか?とてもまともな議論とは思えないです。--硯箱会話2017年6月23日 (金) 08:01 (UTC)
  • 「前提にしている」と固有はぜんぜんちがいますね。今後の研究の余地を全否定するような、このような新規の術語の定義に賛同するような研究者などどこにもいないでしょう。--大和屋敷会話2017年6月23日 (金) 07:47 (UTC)
正直何を言っているのかわからないのですが、「前提にしている」と固有はぜんぜんちがいますねというのは全く無論証で言葉の違いだけを指摘しているように見えますが、政教分離という過程がキリスト教社会を前提にしたヨーロッパ固有の社会事象であることは明白ですよね。「今後の研究の余地を全否定するような、このような新規の術語の定義に賛同するような研究者などどこにもいないでしょう。」についても「はあそうですか。でも文献で書いてあることは違いますよね。大和屋敷さんは文献も示さずに研究者研究者と言いますが、その研究者というのはきっと想像上のものなんでしょう」としか言いようがない、個人的感想に過ぎません。追伸ですが、大和屋敷さんは感想論をいろいろ論じられる前に、「キリスト教国家論」を論じている研究者を早く見つけてきて欲しいですね。そのほうがこの記事の議論に何倍も大きな貢献を為すでしょう。--硯箱会話2017年6月23日 (金) 08:01 (UTC)

質問 上で私が『Wikipedia:独自研究は載せない#特定の観点を推進するような、発表済みの情報の合成』を掲げたのは、様々な研究者が様々な関連書籍を史料として収集すれば、政教分離が西欧カトリック圏由来であるという説を唱えたり、それに反対したり、あるいは言及しなかったりして一様ではないからです。関連書籍の選択次第でどのような帰結も導き出すことができます。この分野の議論について、学会の潮流を端的に示している基幹学術誌のようなものは存在するのでしょうか。存在するのならば、それを参考するだけですので話は早いのですが。--Susuka会話2017年6月23日 (金) 08:27 (UTC)

山折哲雄監修の『宗教の事典』と『岩波キリスト教辞典』 をあげてますので、事典/辞典レベルを参考にするということでいいんじゃないでしょうか。山折哲雄氏は、硯箱さんがあげておられる日本人学者をはるかに凌駕する功績をお持ちです。要は、硯箱さんが信じている真実、だけが唯一絶対無二のものではない、ということです。事典にはのってないんですから、一つの説であるとしても、定説とは言えないということになります。それについては、121.107.20916さんがすでに立証してくださってます。文献として山折哲雄監修の『宗教の事典』と『岩波キリスト教辞典』をあげたうえに引用も記述しましたんで、まだ硯箱さんはお読みになってなかったようですが、ご覧ください。--ぽてから会話2017年6月23日 (金) 08:40 (UTC)
歴史学では分野別の学会分けが普通で、横断的なテーマ史を冠する学会はあまりない印象です。少なくとも政教分離学会なるものは聞いたことがないですね。現状では関連しそうな学会といえば法学では宗教法学会、比較法史学会、政治思想学会、「宗教と社会」学会ですかね。あと私にはぽてからさんの下の例示は別に私の見解と衝突する物ではない(繰り返しになるが、政教分離の宗教学の定義は宗教団体という定義がそもそもキリスト教ヨーロッパ的である〔山口輝臣『島地黙雷』・新井政美を見よ〕ことから、そのヨーロッパ起源性を前提としているし、政教分離がヨーロッパ固有の起源を持つことと様々な国に広がっていることは矛盾しない)ので、何かこれをもって政教分離がヨーロッパ固有に起源を持つ現象であることを否定しているとは思われません(むしろ補強している)。--硯箱会話2017年6月23日 (金) 08:57 (UTC)
再度、簡潔に述べます。山折哲雄監修の『宗教の事典』では、政教分離は政教分離原則と同じ概念として記述されてます。この記事に書かれた内容は、政教一致に分類されます。よって、政教分離の歴史=政教分離原理の歴史という意味になります。『宗教の事典』『岩波キリスト教辞典』ともに、「ヨーロッパから伝播されて政教分離原則が成立した」という記述はなく、そういう主張があることは否定しませんが、定説とは言えません。『宗教の事典』によると、アメリカの政教分離原則は、「多様な宗教的要求を平等に保障する必要などの要因から生まれてきたと考えられる」と書いてあるだけで、ヨーロッパから伝播したなどという記述は一切ありません。「政教分離原則がヨーロッパから伝播した」が定説であれば、必ず、『宗教の事典』と『岩波キリスト教辞典』にそう書いてあるはずです。--ぽてから会話2017年6月23日 (金) 09:05 (UTC)
この議論に意味があるのか私にはわかりませんが、「政教分離は政教分離原則と同じ概念」とはどこにも述べられていないですよね?「政治的支配権力または国家権力と、宗教的権威または宗教的集団が一致していること、または一致すべきであるという思想および制度を政教一致といい、それらが分離すべきであるという思想及び制度を政教分離という。」とあり、これが憲法に明文化されれば政教分離原則となると思われますが、思想段階でそれを原則と述べるとはとても思われないし、実際そのようなことは書いていませんね。そして「ここでの「政」とは広義には政治的支配権力を行使する君主または国家を指し、狭義には統治権の行使主体としての「政府」を指す。「教」は広義には宗教一般を、狭義には「宗教集団」または特定の「宗教団体」を指す。」という意味では明らかに歴史学的な政教分離論(国家機構と教会組織の分離)はこの定義に従っていますから、これを政教分離と呼ぶことを否定しているとは思われません。次に【アメリカの政教分離原則は、「多様な宗教的要求を平等に保障する必要などの要因から生まれてきたと考えられる」と書いてあるだけで、ヨーロッパから伝播したなどという記述は一切ありません。「政教分離原則がヨーロッパから伝播した」が定説であれば、必ず、『宗教の事典』と『岩波キリスト教辞典』にそう書いてあるはずです。】というのは憶測に過ぎず、書いてないからと言って別に定説を否定しているわけではありません。もし明確にアメリカの政教分離がヨーロッパ起源でないと述べているならいざ知らず、書いてないから存在しないというのは他に明確に言及している専門書がある以上、これは明らかになり立ちません。【この記事に書かれた内容は、政教一致に分類されます。よって、政教分離の歴史=政教分離原理の歴史という意味になります。】については単純に意味不明です。政教分離の歴史が政教分離原則の成立史として記述されている以上、政教分離前の政教一致体制について述べることは問題があることではありませんよね?これは明らかにこれまでの議論を踏まえていませんね。--硯箱会話2017年6月23日 (金) 09:17 (UTC)
『宗教の事典』によると、この記事で書かれた第二類型は政教一致に分類されるとはっきり書いてあります。「政教分離」について、「すなわち、政教分離原則」と書いてあり、まったく同一の意味をなす言葉とされています。それ以前は政教一致という概念に類型されると書いてある、ということです。硯箱さんはコメントが「感想論」になっていますので、お気を付けください。ご自分も、宗教事典レベルで、「伝播」が書いてある文献がある、と提示されればいいのですが、今まで一度もそうなさっていません。121.107.209.16さんの調査ですでに結論が出ていることですが、再度述べさせて頂きました。『宗教の事典』によると、アメリカの政教分離原則は、「多様な宗教的要求を平等に保障する必要などの要因から生まれてきたと考えられる」とされている事実は受け止めてください。これに、ヨーロッパから伝播されたことと矛盾しない、などと推測されるのは独自研究といいます。一つの主張がある、ということと、それが学界の定説である、ということは、また別であり、一つの主張をいろいろ書いて良いとはいえ、一つの主張が定説であるかのように書いてはいけない、ということです。この記事では、国家と教会の分離 (Separation of the State and Church) ではなく、「(中世)ヨーロッパの教会と国家 (Church and state in (medieval) Europe)」をメインとするのであれば、誤解の無いようにしなければならない(「政教分離の歴史」だけでは誤解される可能性がある)という意識は共有できたと考えて良いのか、ということを確認したかったのですが…やはり、すぐ確認できませんね。特に、ということもなければ、再びしばらく静観することとします。--ぽてから会話2017年6月23日 (金) 10:02 (UTC)
私の使っている「感想論」とぽてからさんの使っている「感想論」は異なるようです。少なくとも文献に基づかない意見は「感想論」でしかないというのが私の「感想論」です。そのうえで、ある事柄について事典レベルと権威ある専門家の書いている専門書のどちらが一般的に信頼性が高いかということについては言うまでもないことと思うのですが、そういう常識もウィキペディアで通用しないようでは、正常な議論がウィキペディアで成立するとは思われません。ウィキペディアでは主流な見解は主流なものとして、非主流の見解はそれ相応に書くことが認められており、それを推奨しております。が、実際の議論でそれが重視されないとあればそれは結局方針文書を死文化しているに等しい。【アメリカの政教分離原則は、「多様な宗教的要求を平等に保障する必要などの要因から生まれてきたと考えられる」とされている事実】は別にアメリカの政教分離がキリスト教思想的な淵源を持つことと矛盾しないし、私はそれを否定してもいないので、受け止めてくださいと言われても、そうですねとしか言いようがありません。それをもって別にアメリカの政教分離がヨーロッパ的な価値観に基づいていることは否定されるわけではありません。--硯箱会話2017年6月23日 (金) 10:17 (UTC)

返信 (Susukaさんへ)なるべく簡潔で明快なものを探しました。

  1. 「十六世紀から、ヨーロッパは世界征服へと出発する。そして徐々にすべての社会がヨーロッパとの関係によって決定されるようになる。キリスト教が輸出された。しかし、西欧の拡大はライシテ化を促進することになる。」(ジャン・ボベロ『世界のなかのライシテ』)
  2. 「政治神学と政治哲学の戦いは西欧ヨーロッパで起こった出来事であり、それ以外の地域や文化では生まれなかった(中略)(西欧世界での)長い政治神学との戦いによって政教分離が確立された」(マーク・リラ『神と国家の政治哲学 政教分離をめぐる戦いの歴史』)
  3. 「(前略)「政教分離」としてのライシズムが出現することになった。したがって、キリスト教に固有のこの概念を、イスラムの担い手であったオスマン史のなかに持ち込むことはふさわしくない」(新井政美『イスラムと近代』)
  4. 「「世俗化」概念はつねに「政教分離」や「教会へ通わなくなること」等々の、キリスト教社会から抽出されたイメージがつきまとう」(新井政美『イスラムと近代』)
  5. 「(前略)こうしたとらえ方は、「政教一致」が近代性の前提条件に反する野蛮にして後進的な制度であるという、キリスト教世界の価値判断に基づいている」(新井政美『イスラムと近代』)
  6. 「ヨーロッパ史においてそのありかたの特色を問うとする場合、(中略)ヨーロッパでは、その長い歴史を通じて政治ないし国家の「脱宗教化」、「世俗化」がなされ、宗教と政治の分離という原則が確立されるに至ったと言うことであり、それがヨーロッパ史の一つの大きな特色をなしているということである。」(山田欣吾『教会から国家へ』)--硯箱会話2017年6月23日 (金) 11:34 (UTC)

コメントまた盛り上がってしまっているようです・・・。

  • ①:「教会と国家の分離」現象(聖俗の分離)が「ヨーロッパ固有の歴史的現象」として発生し、その中で政教分離原則が誕生したことは、論理的帰結として正しいと言っていいと思うのですが、いかがでしょう
  • ②:世界各国や各宗教の政教分離にまつわる経緯が、多かれ少なかれ何等かの形でヨーロッパとの接触に端を発している点も別に問題ないと思います(その後の経緯は各地の事情による)。
  • ③:①のみを「政教分離」と呼ぶことは定説とまでは言えないと思います。ネット上で確認できる論文だと、「政教分離」と言う用語を使う学者の多くが言葉の定義の解説を入れる傾向があり、この単語を使えば自分の意図通りのイメージが伝わるとは多くの学者が思っていないという事だと思います。
  • ④:この記事は現状①を書いており、単に「政教分離」と言う用語を使うと③の問題から誤解が生じやすいというだけであり、それを避けるために「ヨーロッパにおける~」を記事名に入れたり、冒頭に解説を入れたり、と言う工夫をする、で合意できないでしょうか・・。

以下、ついでに参考の話になりますが、一応前にGreenland4さんがAmazonで発見し、硯箱さんが何回か言及している以下の本を買って来ました。

この本を選んだのは、このノートで話題に上がった本のうち通勤ルートにある書店で発見できたのがこれだけだったというだけの理由です。 で、この本も例によって「政教分離」と言う単語を使う際「どういう意味で」使っているかについて慎重な文脈になっているのですが(そして一般に我々がイメージする政教分離ともまた少し異なります。)、3ページ目の用語初出時に以下の注釈があります。

▼政教分離 政と教は分離されるべきであるとする考え方。この時の政と教はなんであるのかから始まり、信教の自由との関連まで、論者によってさまざまに用いられる厄介な言葉。

正直この注釈の「厄介な言葉」に笑ってしまったのですが、学者をして「厄介な言葉」とする単語にWikipedia上で正しい定義を与えるのは不可能な気がします。--TEN会話2017年6月23日 (金) 12:20 (UTC)

返信 (TENさんへ)あー、見つけてしまいましたか。以前会話ページのときに言及したのですが、私もそれには正直失笑を禁じ得ませんね。つまるところ原因はそこだよと言いたい。山口氏はそこで止まっていますが、問題はさらに関連する世俗主義(セキュラリズム)とかライシテ(ライシシズム)との棲み分けも明確でなく、それが結局これまでの議論でも用語に対する一致した見解を妨げている要因だと私は思っています。私としてはどうすればその語が明瞭になるのか、ウィキペディア上でわかりやすくなるのかはわからないので、「ヨーロッパにおける」をつけてそれが明確になるなら、それがいいんじゃないかと思います。--硯箱会話2017年6月23日 (金) 12:25 (UTC)
返信 Moon.riseです。硯箱さんへ。上記6点を出典として、硯箱さんが「ヨーロッパ固有」と主張されるのでしたら、日本語力に疑問があるものであり、独自研究ではないかという反対意見がついても仕方がないように思えます。これまでに硯箱さんから「各国が制度的に(その内実はともかく)政教分離を取り入れていることと政教分離の制度そのものがヨーロッパ固有の成立背景を持つことに矛盾はありません。2017年6月22日 (木) 10:30 (UTC)」「柔道は日本固有のスポーツであることに疑いはないと思いますが、それが世界的広がりを持つこととは矛盾しません。2017年6月22日 (木) 14:10 (UTC)」というコメントをいただいていますので、政教分離がヨーロッパに限られず各国に「ある」ということについては、認めていただけるものと思います。さてここで、「特有」という表現があります。「そのものだけが特にもっていること。また、そのさま。」[22]です。「政教分離はヨーロッパ特有のものではない」という文章は、上記6点の出典と矛盾せず、硯箱さんの見解と矛盾しません。では、次に進みます。次に「固有」という表現があります。これは「①本来持っていること。」「②そのものだけにあること。また、そのさま。特有。」[23] 注意するべきは意味が2つあることです。後者がある以上、「政教分離はヨーロッパ特有のものではない」というのが正解であれば、「政教分離はヨーロッパ固有のものではない」というもの正解になります。私が思いますに、上記6点の出典と、硯箱さんの見解は「政教分離はヨーロッパ(①本来持っていること)のものではない」ということについてであり、不公平なく理解するなら「半分正解で50点」というものではないでしょうか(これまで「断言」されてきたので、これはまずいと思います)。上記6点の出典は、政教分離がヨーロッパに限られず各国に「ある」ということと矛盾しません。もうひとつ。出典の3番で「したがって、キリスト教に固有のこの概念を」とありますが、この概念とは「ライシズムが出現することになった」にかかるのではないでしょうか。前文の結論は「ライシズムが出現することになった」であるはずです。--Moon.rise会話2017年6月23日 (金) 12:22 (UTC)
引用では省略されていますが、ライシズムは政教分離のことです。新井政美を直接参照すればわかりますし、以前も引用したので上の方に残っているはずですが、彼は狭義の政教分離=ライシテとしています。政教分離がヨーロッパに限られず各国に「ある」ということはそのとおりですが、「政教分離はヨーロッパ特有のものではない」というのが導き出される論理が意味不明ですね。マーク・リラを読めば明らかに政教分離はヨーロッパ以外で発生しなかったと論じています。これが「ヨーロッパ固有」の意味です。わかりにくければ「ヨーロッパ起源」とすればわかりますかね。同じ意味です。--硯箱会話2017年6月23日 (金) 12:31 (UTC)
返信 硯箱さんへ。「政教分離がヨーロッパに限られず各国にある」ということは、「政教分離がヨーロッパ(そのものだけが特にもっている)ものではない」ということであり、「政教分離はヨーロッパ特有のものではない」ということです。論理が意味不明なのではなく、硯箱さんの日本語の理解に問題があるものと思います。また、「ヨーロッパ起源」≠「ヨーロッパ固有」です。同じ意味ではないことを、辞書によって確認してください。こんないい加減なことで「ヨーロッパ固有」といわれていたのであれば、撤回された方がよいと思います。--Moon.rise会話2017年6月23日 (金) 12:44 (UTC)
返信 固有の意味はそのものに本来的に備わっているという意味です。「固有」とは独自、独特という意味です。国語事典の問答に何の意味があるのかわかりませんが、「ヨーロッパ固有」ということは「ヨーロッパだけ」という意味であり、「政教分離がヨーロッパ固有」という時には「政教分離がヨーロッパ独自」ということです。これから「ヨーロッパ起源」であることと同意であることは明確に理解されると思いますが、この禅問答みたいなのをこれ以上続けるのですか?--硯箱会話2017年6月23日 (金) 12:49 (UTC)
返信 硯箱さんへ。硯箱さんの日本語力の不足(の可能性)を指摘させていただくにあたって、出典なしに「間違っている気がします」では失礼でしょうから、国語辞典を引いて示しております。出典があると、ある意味では好意的に見ていただきたいものなのですが。
  • 独自:「①他とは関係なく自分ひとりであること。また、そのさま。」「②他と違って、そのものだけにあること。また、そのさま。独特。特有。」[24]
  • 独特:「そのものだけが特別にもっていること。また、そのさま。」[25]
  • 起源/起原:「物事の起こり。始まり。みなもと。」[26]
硯箱さんが「「固有」とは独自、独特という意味です。2017年6月23日 (金) 12:49 (UTC)」とされるなら、またしっかり「政教分離がヨーロッパに限られず各国にある」→「政教分離がヨーロッパ(そのものだけが特別にもっている)ものではない」→「政教分離はヨーロッパ独特のものではない」ということになります。また、「起源≠固有」「起源≠独自」「起源≠独特」であることもご確認ください。これまで「固有ではないのではないか?」という疑問が、ぽてからさんや大和屋敷さんからずっと寄せられていたのです。硯箱さんも自らの日本語を、この段で国語辞典で確認するくらいは、していただけないかと思います。--Moon.rise会話2017年6月23日 (金) 13:20 (UTC)
正直私には「ヨーロッパ固有」という表現を否定して、それを「ヨーロッパ独自」に置き換えたりしても言っていることは一緒なので、「ヨーロッパ固有」という表現を頑なに否定する意味もわかりませんし、それをもって議論が何か本質的に変化するわけではありませんから、この議論に価値を見いだせません。要は政教分離はほかでもないヨーロッパに固有の起源を持ち、それが世界に広まったというそのことの意味に変化はないので、「ヨーロッパ固有」という表現が仮に気に入らないなら、「ヨーロッパ起源」と置き換えたらわかりやすいんじゃないの?という話です。学術的には○○以外ほかでは起こりえなかったことを指して「○○固有」という表現をするので、それに従っているまでですが、それが嫌ならわかりやすい言葉で置き換えれば良い。それで何か本質が替わる話ではありません。--硯箱会話2017年6月23日 (金) 13:28 (UTC)
返信 硯箱さんへ。「「ヨーロッパ固有」という表現を否定して、それを「ヨーロッパ独自」に置き換えたり」ということであれば、固有=独自で意味を重ねているのは「そのものだけにあること。また、そのさま。特有。」であり、尚のこと「政教分離がヨーロッパ固有ではない」「政教分離がヨーロッパ独自ではない」ということです。硯箱さんは『政教分離が西ヨーロッパ固有だという「歴史学の常識」について』という長文を出されて、「常識として「政教分離が西ヨーロッパ固有」の性質を持つものであることを前提として共有していることの証左に私には思われます。この意味でもこの議論はほとんど常識論であると思われるのですが。」「政教分離が西ヨーロッパ固有だということが「歴史学の常識」だということはたしかに一定の価値判断を含みますが、しかしそれは史実と現実の事実関係に明確に基づいています。こうした発言については事実確認の類いですから撤回は不可能です。」という結論を主張されています。これがどのような意味かは、読み手は当然に日本語としてどのような意味かで受け取ります。日本語が間違っていたのであれば、それは撤回(または訂正)されるのがよいと思います。「まったく違う単語に読み替えれば意味が通るようになる」などというのは、議論の妨害にしかなりません。--Moon.rise会話2017年6月23日 (金) 13:59 (UTC)
率直に言ってこの議論は記事内容に何か益するものではなく、ただ単に私を批判したいだけの議論を展開していますよね。こういうのを「為にする議論」といいます。このことを争ってもまったく益するところはないのですし、政教分離がヨーロッパ固有の起源を持つことが歴史学的には常識として扱われていると私が事実として提示したことはなんら否定されるものもないので、これ以上は正直無用の議論です。読み手が一時的に読み間違えたとしても、ここまでの議論で論点は明確になっているのですから、それをとやかく言うことに意味があるとは思えません。--硯箱会話2017年6月23日 (金) 14:09 (UTC)
返信 端的に申し上げます。今後に硯箱さんの前で、もしどなたかが「政教分離はヨーロッパ固有のものではない」と主張(記述)しても、論争や編集合戦が起きることを避けられるでしょう。どなたかが「政教分離はヨーロッパ独特のものではない」と主張(記述)しても、論争や編集合戦が起きることを避けられるでしょう。それは有益なことだと思います。--Moon.rise会話2017年6月23日 (金) 15:51 (UTC)


コメント 今の論争についてですが、言葉のチョイスがどうであれ、硯石さんの主張が「政教分離の潮流の源は西欧カトリック圏の近代化の諸過程にあり、その他の地域の『政教分離』はその流れを汲んだものである」という趣旨であることは容易に推察できると思われます。
それから、硯石さんは2017年6月23日 (金) 12:25 (UTC) の発言で「「ヨーロッパにおける」をつけてそれが明確になるなら、それがいいんじゃないかと思います」と仰っています。硯石さんが記事名に「ヨーロッパ」を冠することを譲歩されたのなら、本議論は大きく進展したのではないでしょうか。--Susuka会話2017年6月23日 (金) 14:10 (UTC)

コメントここで日本語表現の正しさについてはあまり議論する意味はないと考えます。また、Susukaさんのご指摘通り、記事名に関する見解も確認できたということで、とりあえず一区切りできる形での全体合意形成は不可能ではないと考えます。

(参考)トルコのライクリッキについて[編集]

トルコのライクリッキ(表記としてはほかにラーイクリッキ、ラーイクリキなど。これを「政教分離」とはおそらく訳さない。「世俗主義」と訳されるのが普通)については、それが「宗教統制でありながら国家の宗教的中立性への要請が弱い」(小泉洋一、公法学者で海外宗教法専門に多数の論文あり)という点が明確で、これをフランスや日本と同等の「政教分離」という概念で捉えることは、少なくとも学界では否定的な意見が主流のように思われます。繰り返しになりますが、その代表例が新井政美で、『イスラムと近代化』で世俗主義(ライクリッキ)徹底のため制度としては「政教一致」体制を敷いたのがトルコだと明確に述べています。『世界のなかのライシテ』でジャン・ボベロも的確にもトルコの世俗主義のフランス・モデルが実態として1905年政教分離法以前の反教権主義に基づいていることを指摘し、それが宗教の国家統制であることを明確にしています(ボベロが現代日本については厳格なライシテ国家と述べているのとは対照的)。日本では政教分離と世俗主義はセットになっているので、こうした議論に一般市民は無頓着に思えますが、アカデミックな領域では世俗主義と政教分離は必ずしも同義ではないので、とくにトルコについては、ノートの議論の中ではこの点は明確にする必要があるのではないでしょうか。--硯箱会話2017年6月21日 (水) 01:49 (UTC)

(参考)政教一致・政教分離[編集]

山折哲雄著/監修、川村邦光・市川裕・大塚和夫・奥山直司・山中弘編 『宗教の事典』 朝倉書店、2012年、862-863頁。ISBN 9784254500158。より引用。

 政治的支配権力または国家権力と、宗教的権威または宗教的集団が一致していること、または一致すべきであるという思想および制度を政教一致といい、それらが分離すべきであるという思想及び制度を政教分離という。ここでの「政」とは広義には政治的支配権力を行使する君主または国家を指し、狭義には統治権の行使主体としての「政府」を指す。「教」は広義には宗教一般を、狭義には「宗教集団」または特定の「宗教団体」を指す。(略)

 ここで、多様な宗教と国家との関係について、3つの類型を紹介しておきたい。このうち前2者が「政教一致」の類型であり、第3が「政教分離」である。

 第一は教会国家主義 (Church-State, Kirchenstaatum) といわれる関係である。(略)第二の関係類型は、国家教会主義(State-Church, Staatkirchentum, Erastianism) である。(略)第三の関係類型が、国家と教会の分離 (Separation of the State and Church), すなわち政教分離原則である。(略)一般的に政教分離を求める圧力は、宗教内部における進行の鈍化を求める動き、合理化の進展、宗教からの独立を求める世俗的国家の要求、またアメリカ合衆国の誕生にみられるような多用的な宗教的要求を平等に保障する必要などの要因から生まれてきたと考えられる。

 歴史的に最初に政教分離を憲法において明文化したのはアメリカ合衆国である。(以下略)

山折哲雄氏監修の『宗教の事典』によると、この記事は、第一と第二の関係類型が大半を占めているために「政教一致」という分類となります。この事典では、「政教分離」は完全に「政教分離原則」と同じ意味で使用されてます。現在の記事を占めている記述が、「政教一致」の一過程と定義してる事典が存在してますから、「政教分離の歴史」という記事名だと「これは政教分離じゃないよ」と思う人も出てしまいますよね。この記事では、国家と教会の分離 (Separation of the State and Church) ではなく、「(中世)ヨーロッパの教会と国家 (Church and state in (medieval) Europe)」をメインとするのであれば、誤解の無いようにしなければならない(「政教分離の歴史」だけでは誤解される可能性がある)という意識は共有できたと考えて良いんでしょうか。余談ですが、WeblioがChurch and state in medieval Europeを、「政教分離の歴史」としてるのは、ウィキペディアの影響だろうと思われるので、誤訳の拡散は食い止めたいですね。--ぽてから会話2017年6月23日 (金) 06:04 (UTC)

(参考)政教分離 (Separation of the State and Church)[編集]

大貫隆; 名取四郎; 宮本久雄; 百瀬文晃 『岩波キリスト教辞典』 岩波書店、2002年6月10日。ISBN 978-4000802024

政教分離 (Separation of the State and Church),  こうしたカトリック的秩序の崩壊と、各国における宗教と政治の複雑な競合・融合関係からは、数々の"宗教戦争"が誘発され、(略)政教分離問題は各国で様々な経緯をたどっている。

カトリック的秩序の崩壊が「伝播」とまでの表現ではない。各国における固有な関係性が存在するという前提において、宗教戦争が「誘発」されたという記述。「各国で様々な経緯をたどっている」のは定説。--ぽてから会話2017年6月23日 (金) 07:36 (UTC)