トミスラフ・エルツェッグ

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トミスラフ・エルツェッグ Football pictogram.svg
名前
愛称 トモ
ラテン文字 Tomislav ERCEG
基本情報
国籍 クロアチアの旗 クロアチア
生年月日 (1971-10-22) 1971年10月22日(46歳)
出身地 スプリト
身長 183cm
選手情報
ポジション FW
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1990 ユーゴスラビアの旗/クロアチアの旗HNKシベニク 16 (3)
1991-1995 クロアチアの旗ハイドゥク・スプリト 84 (43)
1995 スイスの旗ACルガーノ 18 (9)
1996 スイスの旗グラスホッパー・クラブ・チューリッヒ 8 (3)
1996 ドイツの旗MSVデュースブルク 5 (0)
1997 クロアチアの旗ハイドゥク・スプリト 32 (16)
1998 イタリアの旗ACアンコーナ 19 (3)
1998 イタリアの旗ACペルージャ 4 (0)
1998-1999 クロアチアの旗ハイドゥク・スプリト 14 (7)
1999-2000 スペインの旗レバンテUD 17 (0)
2000-2001 トルコの旗コジャエリスポル 17 (11)
2001-2002 クロアチアの旗ハイドゥク・スプリト 21 (13)
2002-2003 日本の旗サンフレッチェ広島 15 (3)
2003-2004 イスラエルの旗ハポエル・ペタク・チクヴァFC英語版 29 (12)
2004-2005 クロアチアの旗HNKリエカ 32 (17)
2005 ドイツの旗SpVggグロイター・フュルト 9 (2)
2006 クロアチアの旗ハイドゥク・スプリト 13 (1)
代表歴2
1997 クロアチアの旗 クロアチア 4 (1)
監督歴
2006-2008 クロアチアの旗ハイドゥクスポーツディレクター
1. 国内リーグ戦に限る。2007年10月5日現在。
2. 2007年10月5日現在。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

トミスラフ・エルツェッグ(Tomislav Erceg、1971年10月22日 - )は、クロアチアスプリト出身の元サッカー選手FW)。

なお「トミスラヴ・エルツェグ」が原語読みに近いが、検証可能性の観点からJリーグ登録時の名前を本表題で用いている。

来歴[編集]

クロアチア代表のストライカー。代表での唯一のゴールは1997年6月12日仙台スタジアム杮落としである、対トルコ代表戦で決めている。

スプリト生まれのエルツェッグは[1]、1992年プルヴァHNLハイドゥク・スプリトで頭角を現し、その後も国内ではほぼ同チームで過ごした。また、各国のリーグを渡り歩いた。なお、国外からクロアチアクラブへの移籍の際はほぼハイドゥクに入団しており、都合4回の再入団は2010年現在クラブ記録でもある[2]

2000年11月、トルコスュペル・リグコジャエリスポルに2年契約で移籍する[1] も、翌シーズンにはハイドゥクにレンタル移籍の形で復帰している。

2002年9月、J1残留争いをしていたサンフレッチェ広島に得点力を期待されレンタル移籍で加入するも[3]、チームにフィットするのが遅く、結局チームはJ2に降格してしまう[4]。翌2003年も引き続きレンタルで在籍するも、事実上構想外になり同年4月末をもって退団する[5][3]

2004年、HNKリエカでプルヴァHNL得点王に輝いている[6]。その実績を引っさげ2005年にSpVggグロイター・フュルトへ移籍するも[6]、1シーズンで退団した。

2006年にハイドゥクで引退。その後はハイドゥクでスポーツディレクター(GM職)を務めた。任期中、会長の交代や財政難や相次ぐ監督の交代、ユース出身の有望な若手と契約できずライバルのディナモ・ザグレブへ行ってしまったことなど問題が多発した。フロント内部での争いに負け、2008年2月チームを退団[7]

現在はニコラ・カリニッチマテオ・コヴァチッチなどのFIFA公認代理人をしている[8][9]

また、2009年現在でもサンフレッチェ広島との関係が深く、ミハエル・ミキッチ獲得のためにディナモ会長と会談、説得をしている[10]

個人成績[編集]

国内大会個人成績
年度クラブ背番号リーグ リーグ戦 リーグ杯オープン杯 期間通算
出場得点 出場得点出場得点 出場得点
ユーゴスラビア リーグ戦 リーグ杯オープン杯 期間通算
1990-91 シベニク プルヴァ・リーガ 0 0
クロアチア リーグ戦 リーグ杯オープン杯 期間通算
1992 ハイデュク・スプリト プルヴァHNL 10 1
1992-93 20 7
1993-94 27 18
1994-95 27 17
スイス リーグ戦 スイス杯オープン杯 期間通算
1995-96 ルガーノ ナショナルリーガA 18 9
1996-97 グラスホッパー 9 3
ドイツ リーグ戦 リーグ杯DFBポカール 期間通算
1996-97 デュースブルク ブンデス1部 5 0
クロアチア リーグ戦 リーグ杯オープン杯 期間通算
1996-97 ハイデュク・スプリト プルヴァHNL 14 6
1997-98 12 11
イタリア リーグ戦 イタリア杯オープン杯 期間通算
1997-98 アンコーナ セリエB 0 0
1998-99 ペルージャ セリエA 4 0
クロアチア リーグ戦 リーグ杯オープン杯 期間通算
1998-99 ハイデュク・スプリト プルヴァHNL 12 7
スペイン リーグ戦 国王杯オープン杯 期間通算
1999-00 レバンテ セグンダ 17 0
トルコ リーグ戦 トルコ杯オープン杯 期間通算
2000-01 コジャエリスポル スュペル・リグ 14 10
2001-02 1 0
クロアチア リーグ戦 リーグ杯オープン杯 期間通算
2001-02 ハイデュク・スプリト プルヴァHNL 20 12
2002-03 5 0
日本 リーグ戦 リーグ杯天皇杯 期間通算
2002 広島 35 J1 10 1 - 3 0 13 1
2003 10 J2 5 2 - - 5 2
イスラエル リーグ戦 リーグ杯オープン杯 期間通算
2003-04 ペタク・チクヴァ 29 12
クロアチア リーグ戦 リーグ杯オープン杯 期間通算
2004-05 リエカ プルヴァHNL 32 17
ドイツ リーグ戦 リーグ杯DFBポカール 期間通算
2005-06 グロイター・フュルト ブンデス2部 9 2
クロアチア リーグ戦 リーグ杯オープン杯 期間通算
2005-06 ハイデュク・スプリト プルヴァHNL
通算 ユーゴスラビア プルヴァ・リーガ
クロアチア プルヴァHNL
スイス ナショナルリーガA
ドイツ ブンデス1部
ドイツ ブンデス2部
イタリア セリエA 4 0
イタリア セリエB 0 0
スペイン セグンダ
トルコ スュペル・リグ
日本 J1 10 1 - 3 0 13 1
日本 J2 5 2 - - 5 2
イスラエル
総通算

脚注[編集]

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  1. ^ a b TOMISLAV ERCEG”. トルコサッカー連盟. 2013年7月3日閲覧。
  2. ^ U Hajduk se igrači vraćaju samo po posljednju lovu...”. 24sata.hr (2010年3月4日). 2013年7月3日閲覧。
  3. ^ a b Erceg se vraća u”. index.hr (2003年4月25日). 2013年7月3日閲覧。
  4. ^ 楽観ムード 球団に漂う”. 中国新聞 (2002年12月2日). 2013年7月3日閲覧。
  5. ^ “エルツェッグ選手の退団について” (プレスリリース), サンフレッチェ広島, (2003年4月28日), オリジナル2003年10月3日時点によるアーカイブ。, https://web.archive.org/web/20031003205707/http://www.sanfrecce.co.jp:80/new-hp/news/source/20030428c.html 2017年10月27日閲覧。 
  6. ^ a b Tomo Erceg bi ponovo u”. index.hr (2005年10月2日). 2013年7月3日閲覧。
  7. ^ 長束恭行 (2008年2月22日). “クロアチア・リーグ後半戦の展望”. クロアチアサッカーニュース. 2013年7月3日閲覧。
  8. ^ 長束恭行 (2008年12月5日). “UEFAカップ リーグ第4節/BBB、ウディネで暴れて試合が中断”. クロアチアサッカーニュース. 2013年7月3日閲覧。
  9. ^ Erceg: “I had no doubts Kovacic would be good for Inter””. sempreinter.com (2013年3月14日). 2013年7月3日閲覧。
  10. ^ 第5回サポーターズカンファレンス議事録 2.選手強化と育成”. 広島公式 (2009年6月17日). 2009年6月19日閲覧。

参考資料[編集]

関連項目[編集]