チェチェン・イングーシ自治ソビエト社会主義共和国

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現在のカフカス。3+6が、1957年から1992年までのチェチェン・イングーシ

チェチェン・イングーシ自治ソビエト社会主義共和国(チェチェン・イングーシじちそびえとしゃかいしゅぎきょうわこく、ロシア語: Чечено-Ингушская Автономная Советская Социалистическая Республикаチェチェン語: Нохч-ГІалгІайн Автономни Совецки Социалистически Республикаイングーシ語: Нохч-ГІалгІай Автономни Советски Социалистически Республика)は、ソビエト連邦ロシア・ソビエト連邦社会主義共和国およびロシア連邦に、1934年から1944年までと1957年から1992年まで存在した自治共和国チェチェノ・イングーシとも。

現在のチェチェン共和国イングーシ共和国および、1944年までは現在の北オセチア共和国の一部を領域とした。1957年以降の面積は1万9300平方キロ首都グロズヌイで、現在はチェチェン共和国の首都となっている。

住民[編集]

主な住民はチェチェン人イングーシ人ロシア人だった。1989年の統計では、民族構成は以下のとおり。

  • チェチェン人 - 95万6879人
  • ロシア人 - 26万9000人
  • イングーシ人 - 23万7438人

ただし、現在のこの地域では、チェチェン紛争などの政情不安によりロシア人の多くが域外へ脱出している。

歴史[編集]

チェチェン人とイングーシ人は元来同じ民族だったが、ロシア帝国の民族分断政策により、1859年、2つの民族に分けられた。1860年には、チェチェン州とイングーシ州が置かれた。

ロシア革命後の1921年、チェチェンとイングーシを含む一帯に山岳自治ソビエト社会主義共和国が設置された。1922年11月30日にはチェチェン自治州が、1924年7月7日にはイングーシ自治州英語版が分離された。1934年、2自治州が合併し、チェチェン・イングーシ自治州となり、1936年にはチェチェン・イングーシ自治ソビエト社会主義共和国に昇格した。

第二次世界大戦中の1942年、チェチェン・イングーシの一部はナチス・ドイツ占領下となり、3万以上のチェチェン人が赤軍側で戦った。ソ連が支配権を回復した1944年ヨシフ・スターリンの命により、チェチェン人とイングーシ人は全員が中央アジアシベリア強制移住させられ、多くが死亡した。共和国は廃止となり、領域は北オセチア自治ソビエト社会主義共和国ダゲスタン自治ソビエト社会主義共和国グルジア・ソビエト社会主義共和国に分割された。

1957年ニキータ・フルシチョフスターリン批判により、チェチェン・イングーシ自治ソビエト社会主義共和国は再建され、住民も生存者は帰還した。ただし、北オセチア領となった領域の一部は復帰せず、北オセチア領のままとなった。この領域をめぐって、ソ連崩壊後、イングーシ共和国が領有を主張してオセチア・イングーシ紛争が起こっている。

1990年11月、独立宣言1991年5月にはチェチェン・イングーシ共和国に改名した。11月には共和国とロシア連邦との間で共和国をチェチェン共和国イングーシ共和国に分割することを合意した。1992年6月には正式に分割され、チェチェン・イングーシは姿を消した。

関連項目[編集]