ダイハツ・ミゼット

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ダイハツ・ミゼット
ダイハツミゼットDA5
ダイハツミゼットMP4
ダイハツミゼットMP5V

ミゼットMidget )とは、ダイハツ工業が生産していた三輪自動車である。Midgetは英語で「超小型のもの」という意味の単語で、小型、チビな車という想いを込めて名付けられた[1]

概要[編集]

ダイハツは戦前から長くオート三輪業界の上位メーカーであり、太平洋戦争後は当時の小型自動車規格枠に収まる750cc-1000ccクラスのオート三輪を製造していた。1952年頃から、1949年制定の軽自動車規格枠に収まるより小型のオート三輪が、新興の中小零細メーカーで製造され始めた。

ダイハツは軽オート三輪に着目していなかったわけではないが、1950年代初頭は朝鮮戦争による特需景気で通常クラスのオート三輪需要が高く、ダイハツ等既存メーカーはそちらの増産に重点を置いていたため、当初の軽オート三輪の市場は中小メーカーに占有されていた。

ところが1953年の朝鮮戦争休戦で日本における特需景気が減退、不況期の需要低下でオート三輪業界でも「くろがね」車の日本内燃機、「アキツ」車の明和自動車工業といった中堅・下位メーカーが経営難に陥り、上位メーカーも厳しい状況に直面した。一方、1954年にはトヨタ自動車工業が廉価型の1000cc1t積み四輪トラック「トヨペット・SKB」(後のトヨエース)を発売、1956年以降は同系列のトヨタ自動車販売との協力による大幅値下げなどの拡販戦略で既存のオート三輪を圧迫するようになり、小型貨物車業界における三輪トラックのシェア低下が始まった。1957年には小型トラック市場において、四輪トラックが三輪トラックのシェアを上回るまでに至っていたのである。

このためオート三輪メーカー各社は四輪トラック市場への参入を試みるようになった(これはダイハツも同じであった)が、一方でダイハツは、これまでオート三輪でも高価で手が届かず、専ら自転車オートバイなどを輸送手段としていた零細企業・商店主などの、小口輸送需要を満たす廉価貨物車の開発を着想した。

このため、車検免除(当時)や安い税額などのメリットを持つ軽自動車枠に目をつけ、当時存在した軽自動車免許(現在は普通自動車免許に統合され、未済条件として存続)で運転できる軽オート三輪トラックを開発した。

1957年に発売されたミゼットは、既存の中小零細メーカー製の軽オート三輪のような「既存車両のパーツ流用によるアッセンブリー生産」という安易な策を採らず、当初から自社一貫生産による大量生産と低価格販売を目途として開発されていた。小径タイヤに代表される合理的な簡易性と、車両全体を一から専用設計した高い完成度とを兼ね備えており、実用上も高い信頼性・実用性を備えた。免許制度や維持費のハードルが低く、ダイハツ系ディーラーの全国サービス網が整備されており、月賦購入も選択できるミゼットは、より大きなオート三輪導入が資金的に苦しかった自転車・小型オートバイユーザーの零細事業者たちにも手の届く、初めての大手メーカー製オート三輪であった。

販売戦略も、その軽便性を売りとする「街のヘリコプター」なるユニークなキャッチフレーズ、楠トシエの歌うコマーシャルソングなど個性的であったが、特筆すべきはテレビコマーシャルのいち早い活用であった。当時ダイハツがスポンサーとなっていたコメディドラマ「やりくりアパート」(1958年-1960年)の生CMに、ドラマの主役である大村崑を起用、番組終わりのCM枠では毎回、大村がギャグ混じりで「ミゼット!」の名を連呼した。これらの拡販策は大当たりとなり、ミゼットは一躍ベストセラーとなった。

以後大手・中堅のオート三輪メーカー各社はミゼットに追随して軽オート三輪に続々参入し、この軽オート三輪ブームは1960年頃まで続く。ミゼットも対抗して改良され、当初の単座バーハンドルからドア付き2座丸ハンドルへの上級移行を果たすが、以後は下位メーカーの淘汰・撤退と、二輪車からの進出メーカーも含めた四輪軽トラックへの市場シフト(ダイハツも以後の主力となる四輪軽トラック・ハイゼットを発売している)が急速に進行し、軽三輪ブームは短期間に終わった。

その中でミゼットは唯一1972年まで長期生産され、本格的な軽オート三輪としては日本で最後まで作られたモデルとなった。

歴史[編集]

DK型[編集]

1957年8月1日新発売。特徴はバーハンドルでキャビンは屋根と後ろが幌でありドアも付いていなかった。車両寸法は全長2540mm、全幅1200mm、全高1500mm。乗車定員は1名でエンジンはZA型強制空冷2サイクル単気筒250ccガソリンで最高出力は10馬力を発生、最高速度65km/h(カタログ値)であった。積載量は300kgで車両重量は305kgである。 ラインナップは初期型のDKAセル付のDKII、荷台部分を箱型にしたライトバンのDSV、2人乗車を可能としたDSAPなどがある。

MP型[編集]

1959年10月新発売。特徴はノーズ部分と一体化されたキャビンでありDK型と比べてスタイリッシュとなった。ハンドルをDK型のバーハンドルから丸ハンドルへと変更され更に運転がし易くなった。車体寸法は全長2970mm、全幅1295mm、全高1455mmと全長と全幅がサイズアップされている。また全車2人乗車可能。エンジンは従来のZA型に加え、305ccに排気量アップされ最高出力も12馬力にパワーアップとなったZD型エンジンが追加された。

ラインナップはZA型エンジン搭載のII型とZD型エンジン搭載のIII型を用意。1960年に全長を20cm伸ばし荷台のサイズを大きくしたMP4型を新発売。1961年にはパキスタンでノックダウンによる現地生産が開始された。1962年には更に荷台を10cm伸ばし積載量を350kgへと変更、混合燃料から分離給油[2]に改良されたMP5型を発売。

軽自動車の分野でも市場の主流は、3輪のミゼットから4輪のハイゼットに移行し、1972年に生産が中止された。ダイハツでは最後のオート三輪となった。製造終了までに累計33万6534台が生産。約半分が東南アジア方面に輸出された。

製造中止から四半世紀後にコンセプトを受け継いだ、ミゼットIIが発売された。

脚注[編集]

  1. ^ 会社概要 - 沿革 - 車名の由来 - ダイハツ工業
  2. ^ オイルマチックの名称を持ち、日本の自動車技術240選にも選出されている。日本の自動車技術240選 - ダイハツオイルマチック

関連項目[編集]

外部リンク[編集]