ダイハツ・コンパーノ

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ダイハツ・コンパーノ
F30/40/41型
コンパーノ・スパイダー(前期型)
1965 Daihatsu Compagno-Spider 01.jpg
コンパーノ・ベルリーナ(後期型)
Daihatsu-CompagnoBerlina.JPG
販売期間 1963年4月 - 1970年1月
デザイン ヴィニャーレ
乗車定員 5人
ボディタイプ 2/4ドアセダン
3ドアワゴン/バン
2ドアコンバーチブル
2ドアピックアップトラック
エンジン FC型 直4OHV 0.8L
FE型 直4OHV 1.0L
駆動方式 FR
変速機 4速MT・2速AT
サスペンション 前:独立 ウィッシュボーン 縦置トーションバー
後:固定 半楕円リーフ
全長 3,800mm
全幅 1,425mm
全高 1,430mm
ホイールベース 2,220mm
(4ドアセダンのみ2,280mm)
車両重量 765kg
後継 ダイハツ・コンソルテ
-自動車のスペック表-

コンパーノCompagno )は、日本自動車メーカーダイハツ工業1963年から1969年まで製造していた乗用車及び商用車である。

概要[編集]

オート三輪メーカーとして業界トップの座を東洋工業(現・マツダ)と争っていたダイハツ工業が、今後の成長分野として期待された乗用車市場に進出した第一作で、最初のプロトタイプ1961年秋の第8回全日本自動車ショウで発表された。しかし、このプロトタイプのフロントデザインはイタリアの中型車フィアット・1800/2100に酷似しており、小型大衆車のスタイルとしてはいかにもアンバランスで、一般にも不評であった。

この反省を踏まえ、ダイハツは翌年の第9回東京モーターショーに、改良を加えたライトバンのプロトタイプを出品した。イタリアカロッツェリアヴィニャーレに委嘱されたスタイリングは前年のプロトタイプとは全く異なり、一挙に美しいイタリアン・デザインとなった。その生産型として1963年4月に発売されたのが、「ダイハツ・コンパーノ・ライトバン」である[1]

メカニズム[編集]

コンパーノの技術上の最大の特色は、このクラスでは日本車でもUP10系パブリカブルーバード410系など、既にモノコックボディが一般化していたにもかかわらず、あえて同社の既存の軽商用車であるハイゼット用、およびハイゼットの小型商用車版であるニューライン用の梯子型フレームを基本に大幅に拡大した梯子型フレームを採用したことであった。必然の結果として車両重量は755kgと比較的重くなり、当初発売されたバンに搭載されていたOHV800cc41馬力エンジン(FC型)では最高速度110km/hに留まった。さすがにハイゼットやニューライン同様、前輪独立懸架こそ採用されていたが、コンパーノの設計はこのフレームに象徴されるように良く言えば手堅く保守的、率直に言えばやや時代遅れなものであった。唯一、時流よりやや進んでいたのは、ギアボックスが当初から全車4速フルシンクロで、オプションでフロアシフトも選択可能であった点である。

しかし、このフレーム式のシャシは、4人乗りのオープンカーや、ピックアップトラックを生み出すには好都合であった。

歴史[編集]

  • 1963年4月 - 「コンパーノ・ライトバン」発売。型式は「F30V」。スタンダードとデラックスがありで、当時の価格はスタンダードで47万円。
    • 6月 - 「コンパーノ・ワゴン」発売。型式は「F30」。バンのデラックス版に相当。ダイハツ初の乗用車となった。価格57万円。
    • 11月 - 「コンパーノ・ベルリーナ」発売。型式は「F40」。当初は2ドアのみの発売。乗用車化はダイハツの自社設計。上方が根元より太く、ウインカーが埋め込まれたセンターピラーが特徴的[2]。デラックスの内装木目パネルやナルディウッド調3スポークステアリングなどでイタリア風に演出されていた。価格はデラックスで54万8,000円、スタンダードは46万8,000円。当時セダンは一般には単に「ベルリーナ」と呼ばれることが多かった。
  • 1965年4月 - 「コンパーノ・スパイダー」発売。型式は「F40K」。前年10月に開催された第11回東京モーターショーに出品された2ドアコンバーチブルの生産化である。エンジンを998ccに拡大(FE型)、ツインキャブで最高出力65馬力・最大トルク7.8kgmとし、最高速度は145km/hとなった。フレームを持つため設計変更は比較的容易で、ファミリーユースにも使える4人乗りであることをアピールポイントとした。
    • 5月 - スパイダーと同じ998ccにシングルキャブを装着し55馬力とした「コンパーノ・1000」(F41型)を追加。以後のコンパーノは商用車も含めこちらが主力となり、当初の800ccエンジンは廉価版の一部にのみ残されるのみとなった。同時にベルリーナにホイールベースを60mm延長した4ドアセダンを追加。4ドアは最初から1,000ccのみであった。
    • 10月 - ニューライントラックの事実上の後継車種となる500kg積みピックアップトラックの「コンパーノ・トラック」発売。型式は「F31P」。
    • 11月 - ベルリーナ2ドアにスポーティ仕様の「コンパーノ・1000GT」(F41型)を追加。エンジンはスパイダーと共通であった。
  • 1967年4月 - 2速コラムシフトのAT車発売。
  • 1968年4月 - 最後のマイナーチェンジでフロントグリルの変更。ファミリーグレードもスパイダーやGT同様のブラックグリルとなり、スーパーデラックスのリアエンドには派手なガーニッシュが装着された。
  • 1969年4月 - 後継車種として、KP30系パブリカと共通の車体にダイハツ製1,000ccエンジンを搭載するダイハツ・コンソルテ(当初は「コンソルテ・ベルリーナ」と呼ばれた)登場。トヨタ自動車との業務提携により、ダイハツは小型乗用車の自主開発から撤退することとなった[4]。コンソルテは2ドアセダンのみの設定で、スパイダー・ワゴンのみならず、パブリカには存在したバン・ピックアップも姿を消した[5]。ただし、コンパーノベルリーナの4ドア・スーパーデラックスのみが一年近く受注生産で販売継続(1970年1月まで)となった。

車名の由来[編集]

「コンパーノ」はイタリア語で「仲間」という意味(英語の「コンパニオン」と同意)。「ベルリーナ」(Berlina )は同じくイタリア語で「セダン型自動車」を意味する。

脚注[編集]

  1. ^ ライトバンやピックアップを先に発売して、ワゴン・セダンを後から徐々に投入する手法はマツダ・ファミリアにも見られ、本田技研工業も、ライトバンのL700ピックアップトラックP700を先行投入し、乗用車のプロトタイプ(N800。試作に終わった)を後に発表している。これは乗用車に関しては後発となる商用車やオートバイのメーカーが、自社の販路で売りやすい商用車の発売を優先させたのが理由とされているが、当時の通商産業省乗用車生産の新規参入を規制する「特定産業振興臨時措置法案(特振法案)」の成立を目論み、ダイハツ・マツダ・ホンダ等の小型乗用車発売に様々な圧力をかけていたという事情もあった。この特振法は1964年に成立が断念されており、コンパーノやファミリアのセダンは廃案前後に発売されている。また、当時は平均的な所得に対して車両価格がまだ高額であったことから、自動車を複数所有することは一般的には困難で、物資の運搬が必要な個人事業主は、仕事と家族サービスを一台でまかなうことができる商用車を選んでいた。
  2. ^ このピラー形状は当時の流行で、同時代の欧州車にも見られる。
  3. ^ 日本車初の燃料噴射エンジン車であるが、ツインキャブと同一の性能で価格が高かったため、生産台数は非常に少なかった。現存車があるかどうかも疑問である。
  4. ^ その後、ダイハツは再び自主開発を再開、1974年に既に旧モデルとなっていたE20系カローラをベースに4ドアセダン「シャルマン」と、自社開発の四輪駆動車「タフト」を発売し(ガソリン車の一部にトヨタ製エンジンを搭載)、更に1977年には100%ダイハツ設計によるリッターカー「シャレード」を登場させる。
  5. ^ コンパーノワゴン消滅後のダイハツが自主開発したワゴン(軽自動車は除く)は1996年に発売したパイザー(厳密にいえばトールワゴン)のみであるが、2002年に販売を終了し、ダイハツブランドのワゴンの販売も終了。2013年におよそ11年振りにプリウスαの5人乗りモデルのOEMのメビウスがハイブリッド専用(ステーション)ワゴンとしてラインアップに復活したことに伴い、ワゴンの販売が再開された。

参考文献[編集]

関連項目[編集]