ジョー・デュリー

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ジョー・デュリー
Jo Durie
Tennis pictogram.svg
Jo Durie doubles Wimbledon 2004.jpg
基本情報
国籍 イギリスの旗 イギリス
出身地 同・ブリストル
生年月日 (1960-07-27) 1960年7月27日(57歳)
身長 183cm
体重 68kg
利き手
バックハンド 片手打ち
ツアー経歴
デビュー年 1977年
引退年 1995年
ツアー通算 6勝
シングルス 2勝
ダブルス 4勝
生涯通算成績 595勝504敗
シングルス 321勝305敗
ダブルス 274勝199敗
4大大会最高成績・シングルス
全豪 ベスト8(1983)
全仏 ベスト4(1983)
全英 ベスト8(1984)
全米 ベスト4(1983)
4大大会最高成績・ダブルス
全豪 ベスト4(1985)
全仏 ベスト4(1983)
全英 ベスト4(1983・84)
全米 ベスト8(1987・91)
キャリア自己最高ランキング
シングルス 5位(1984年1月9日)
ダブルス 29位(1989年4月10日)

ジョー・デュリーJo Durie, 1960年7月27日 - )は、イングランドブリストル出身の女子プロテニス選手。若き日にはアイドル性のあるキャラクターとしても高い人気を持っていた。シングルス自己最高ランキングは5位。WTAツアーでシングルス2勝、ダブルス4勝を挙げた。身長183cm、体重68kg。右利き、バックハンド・ストロークは片手打ち。

1977年にプロ入り。同年のウィンブルドン4大大会にデビューするが、当年度の優勝者となったバージニア・ウェードに初戦で敗退する。最初期はほとんどイギリス国内の試合のみに出場していたが、1981年から世界的な活躍を始め、全仏オープンを除く4大大会で4回戦に進出した。1983年にデュリーのテニス経歴は全盛期を迎え、女子ツアー大会でシングルス2勝とダブルス3勝を挙げ、全仏オープン全米オープンでベスト4に入り、(当時は年末開催の)全豪オープンでベスト8入りした。全仏オープン準決勝ではミマ・ヤウソベッツユーゴスラビア)に 6-3, 5-7, 2-6 の逆転で敗れ、全米オープン準決勝ではクリス・エバートに 4-6, 4-6 で完敗したが、こうしてデュリーは国際レベルの選手に躍進する。1984年にデュリーは地元のウィンブルドンで自己最高成績のベスト8に入ったが、この時の4回戦で当時15歳のシュテフィ・グラフ(当時西ドイツ)を 3-6, 6-3, 9-7 で退けた試合は今なお語り草になっている。

その後のデュリーは4大大会の女子シングルスで4回戦以上に勝ち残ることはできなかったが、混合ダブルスで1987年ウィンブルドン1991年全豪オープンに優勝を飾っている。パートナーはどちらも同じイギリスジェレミー・ベイツと組んだ。デュリーは比較的長く現役生活を続行したが、1995年ウィンブルドン2回戦で第4シードのヤナ・ノボトナに敗れた試合の後、35歳で現役を退いた。

デュリーは女子テニス国別対抗戦・フェデレーションカップでも、1981年から1995年まで15年間イギリス代表選手を務めた。通算成績は34勝22敗(シングルス12勝16敗、ダブルス22勝6敗)で、フェデレーションカップではシングルスよりもダブルスで高い勝率を挙げた。通算勝利数はイギリス・チームの2位タイ記録で(1位バージニア・ウェード、2位タイがデュリーとクレア・ウッド)、ダブルス勝利数はウェードに続く単独2位記録となった。

外部リンク[編集]