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カルチョ・フォッジャ1920

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
カルチョ・フォッジャ1920
原語表記 Calcio Foggia 1920 S.r.l.
愛称 Satanelli
クラブカラー 赤と黒
創設年 1920年
所属リーグ セリエC・ジローナC
所属ディビジョン 3部
ホームタウン フォッジャ
ホームスタジアム スタディオ・ピーノ・ザッケリア
収容人数 25,085
代表者 イタリアの旗 ニコラ・カノニコ
監督 イタリアの旗 ルチアーノ・ザウリ
公式サイト 公式サイト
ホームカラー
アウェイカラー
サードカラー
テンプレート(ノート)サッカークラブPJ

カルチョ・フォッジャ1920Calcio Foggia 1920)は、イタリアプーリア州フォッジャに本拠地を置くサッカークラブチーム。2024-25シーズンはセリエC・ジローナCに所属。

歴史

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Sportiva Club Foggiaとして1920年5月に設立[1]。そのすぐ後にUSアトレタとマチステとUSプロ・フォッジャ、そしてスポルティング・クラブ・フォッジャの4クラブが統合してリーグに参加し、1957-58シーズンにはSCフォッジャとフォッジャ・インセディトが統合し新たにSCフォッジャ&インセディト(US Foggia & Incedit)とする。

1961-62シーズンにはドメニコ・ローサ・ローサが新会長として就任しオロンツォ・プリェーゼが監督としてセリエBに昇格する。ローサ・ローサ&プリェーゼの快進撃は止まらず1963-64シーズンにはセリエAへ昇格して3年連続で残留。1965年1月31日にはエレニオ・エッレーラでインテルを3-2と下した。

1966-67シーズンから3シーズン指揮をとったトンマーゾ・マエストレッリは、1973-74シーズンにSSラツィオの監督に就任すると采配が的中しラツィオに史上初のスクデットをもたらしている。

1972-73シーズンでは監督にラウロ・トネアットを招き入れて戦ったが、スポーツ裁判で-6のペナルティを受けてしまった過去もある。70年代でセリエAの舞台に上がれたのは1976-77シーズンと1977-78シーズンの2度。この時の会長はアントニオ・フェシェでエットーレ・プリチェッティが監督を務めていた。

1984年4月24日にはアントニオ・リオーチェ、フラテッリ・パスクアーレ、アニエッロ・カシッロを中心としたフォッジャ人によるロッソネーリ(フォッジャのサポーターグループ)が結成され、USフォッジャの新しい歴史が始まる。1988-1989シーズンはセリエCのジローネBでパレルモと最後まで争いセリエB昇格を決めた。

1989年にズデネク・ゼーマンが監督となったフォッジャは急激に強さを増していく。ランヴァウディバイアーノジュゼッペ・シニョーリを擁して4-3-3でゾーンのプッレシングがプレーヤーにムーブメントを起こし、セリエAへ返り咲くと、1991-92シーズンにはスペクタクルなサッカーがセリエAで旋風を巻き起こす。後にこの快進撃はゼーマンランディア(ゼーマンの楽園)と呼ばれることとなる。しかし、1992-93シーズン開幕前にシニョーリ、バイアーノ、ランヴァウディが移籍。1993-94シーズン、ストロッパロイやらの活躍もあって依然として好成績を残した[2]、しかし1994-95シーズン開幕前に、ズデネク・ゼーマン監督が引き抜かれると、そのシーズンセリエBに降格、暗黒期に入ることとなった。

パスクアーレ・カシッロが会長職に就きスポーツ・ディレクターにジュゼッペ・パヴォーネを就任させるも主力が抜けたUSフォッジャは1998年にはセリエC1に降格し、1999年にはセリエC2に転落していった。

プロフェッショニスティが運営するセリエCが主戦となっていた2002-03シーズンにミスター・フォッジャと言うべきパスクアーレ・マリーノを招き入れる。マリーノの手腕でロベルト・デ・ゼルビミケーレ・パツィエンツァの才能を開花させ4年ぶりにセリエC1へ昇格させた。そして、2007年にはコッパ・イタリア・セリエCで決勝まで勝ち進み、ファイナルでも勢いのままクネオを3-1と下して優勝し初タイトルを手にする。

2009-10シーズンは、レガ・プロ・プリマ・ディヴィジオーネのジローネBで降格争いに巻き込まれてしまいプレイアウトに回ったがトータルスコアで勝ち越し残留。再建を担うべく2010年7月14日に会長がパスクアーレ・カシッロからマッテオ・ビアンコフィオーレに変わり、三度目の監督業となるズデネク・ゼーマンを就任させセリエAを狙うが、ゼーマンがわずか1年で退任すると、2010-11シーズン終了後には財政問題によりレガ・プロから翌シーズンの参戦を認められず、新チームACDフォッジャ・カルチョ(Associazione Calcistica Dilettantistica Foggia Calcio)として、セリエDから再スタートを切った。2012-13シーズンを終えレガ・プロ・セコンダ・ディヴィジオーネに昇格した。

2021年6月19日、ズデネク・ゼーマンの監督就任が発表された。過去3度フォッジャの監督を務めており、2011年以来の10年ぶり4度目の監督就任となった[3]

タイトル

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国内タイトル

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記録

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  • ホーム初勝利 : SCフォッジャ1-0ガリバルディーノ・ターラント
    • 1923.9.9
  • アウェイ初勝利 : ガリバルディーノ・ターラント0-1SCフォッジャ
    • 1923.9.30
  • 初得点試合 : SCフォッジャ1-0ガリバルディーノ・ターラント
    • 1923.9.9 前半40分 カサレ
  • 最多ホーム得点試合 : フォッジャ8-0グラディアトール, フォッジャ8-0アレッツォ
    • 1932-33
  • 最多アウェイ得点試合 : オルビア0-10フォッジャ
    • 1932-33
  • 最多ホーム失点試合 : フォッジャ2-8ACミラン
    • 1992-93
  • 最多アウェイ失点試合 : レッチェ8-0フォッジャ
    • 1950-51

過去の成績

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シーズン リーグ戦 コッパ・イタリア
ディビジョン順位
1958-59 セリエC・ジローネB349121333363012位2回戦敗退
1959-60 セリエC・ジローネC3420775229471位
1960-61 セリエB381091940562919位2回戦敗退
1961-62 セリエC・ジローネC3420594222451位
1962-63 セリエB381611115642435位2回戦敗退
1963-64 38151674227463位3回戦敗退
1964-65 セリエA341011132630319位2回戦敗退
1965-66 348131322302912位1回戦敗退
1966-67 347101728492416位2回戦敗退
1967-68 セリエB40151784033474位1回戦敗退
1968-69 381116113335388位3位
1969-70 38161664225482位1回戦PO敗退
1970-71 セリエA306131128432514位1回戦敗退
1971-72 セリエB381315103933418位1回戦敗退
1972-73 38191183725493位1回戦敗退
1973-74 セリエA3061212203424→1814位1回戦敗退
1974-75 セリエB381018103135388位1回戦敗退
1975-76 38151582823453位1回戦敗退
1976-77 セリエA301061433392613位1回戦敗退
1977-78 30891328432515位1回戦敗退
1978-79 セリエB388171339453317位1回戦敗退
1979-80 セリエC1・ジローネB34141463620422位
1980-81 セリエB388201032383610位1回戦敗退
1981-82 3811141330373614位1回戦敗退
1982-83 388141624353019位1回戦敗退
1983-84 セリエC1・ジローネB349151029303310位1回戦敗退
1984-85 341012122638328位
1985-86 341112113742347位
1986-87 3415109312340→358位
1987-88 34141194126395位
1988-89 34121843319422位GS敗退
1989-90 セリエB38159144538398位1回戦敗退
1990-91 3821986736511位2回戦敗退
1991-92 セリエA341211115858359位2回戦敗退
1992-93 3410121239553211位ベスト16
1993-94 341013114646469位準々決勝敗退
1994-95 348101632503416位準決勝敗退
1995-96 セリエB381391631504811位1回戦敗退
1996-97 3811151240404811位1回戦敗退
1997-98 389141548554117位ベスト32
1998-99 セリエC1・ジローネB348121431383617位1回戦敗退
1999-00 セリエC2・ジローネC34141464322564位
2000-01 34128144039449位
2001-02 3416994335575位
2002-03 3421856036711位
2003-04 セリエC1・ジローネB341113104343469位
2004-05 349151036354210位
2005-06 348161032324013位
2006-07 34161174125594位
2007-08 セリエC1・ジローネA34151184734565位
2008-09 レガ・プロ・プリマ・ジローネB34141464433565位1回戦敗退
2009-10 3491411273741→4015位2回戦敗退
2010-11 3414515675847→456位
2011-12 レガ・プロ・プリマ・ジローネA3411914333842→3811位[4]2回戦敗退
2012-13 セリエD・ジローネH34151365334585位
2013-14 レガ・プロ・セコンダ・ジローネB34131295040515位[5]
2014-15 レガ・プロ・ジローネC3818137633667→667位
2015-16 3419876131652位3回戦敗退
2016-17 38251037029851位2回戦敗退
2017-18 セリエB421610166668589位3回戦敗退
2018-19 36101313444943→3717位[6]2回戦敗退
2019-20 セリエD・ジローネH26[7]16643316541位
2020-21 セリエC・ジローネC36149133639519位
2021-22 36131586251547位
2022-23 38187136044614位
2023-24 381391640444811位予選敗退
2024-25 347101734513117位
2025-26 38692328602718位

歴代監督

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歴代所属選手

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GK

DF

MF

FW

脚注

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  1. CENT’ANNI DI STORIA E GLORIA ROSSONERA”. 2021年12月4日閲覧。
  2. Bryan Roy al Foggia: il primo grande colpo messo a segno da Raiola”. GOAL (2022年2月17日). 2024年9月10日閲覧。
  3. 鬼才ゼーマンがセリエCクラブの指揮官に就任”. 超WORLDサッカー! (2021年6月20日). 2021年12月4日閲覧。
  4. 財政破綻によりリーグから除外された。
  5. リーグ再編により、翌シーズンは3部へ登録。
  6. セリエCに降格する順位であったが、財務基準を満たせなかったためリーグから除外された。
  7. 新型コロナウイルス感染症の影響によりリーグ戦が途中で中止された。

外部リンク

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