オリオン通り

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オリオン通り(オリオンどおり)は、栃木県宇都宮市にあるアーケードのある商店街で、同県内で最大の繁華街である。

オリオン通り西端(東武宇都宮駅前)
オリオン通り東端(バンバ通り側)
オリオンスクエア山崎百貨店 - 緑屋 - ams宇都宮店 - 109跡地)

ここでは、オリオン通りのさらに西に伸びる商店街ユニオン通りや、東側で交わるバンバ通り、オリオン通りの裏手にある商店街・親水公園釜川プロムナードについても記述する。

オリオン通り[編集]

賑わうアーケード内の様子

東武宇都宮駅から東側(JR宇都宮駅方面)、宇都宮二荒山神社前のバンバ通りに向かって約500mにわたってアーケードが伸びており、オリオン通り商店街とその東側のオリオン通り曲師町商店街の店々が軒を連ねる。その業種はカフェ、飲食店、食料品店、衣料品店、レコード店、宝飾品店、薬局、映画館など多岐にわたる。さらにアーケードの東の端にはパルコ・MEGAドン・キホーテ、西の端には東武宇都宮百貨店が位置しており、地域の集客力を支えている。また並行する大通り沿いには「池上町商店街」と「馬場町通り商店街」が形成され、大通りとオリオン通り間の界隈には「東武馬車道通り商店街」、「二荒通り商店街」、「鉄砲町商店会」、「馬場南通り商店会」、「宇都宮中央通り商店会」が、また周辺には「バンバ通り商店街」、「日野町商店街」、「みはし通り商店街」など多くの商店街群があり、栃木県内で最大の繁華街を形成している。宮っ子はこの界隈を「マチ(街)」と呼ぶ。また、この東武宇都宮駅周辺の商店街群を合わせた繁華街全体をオリオン通りと呼ぶ場合もある。

土日・連休には県内外から訪れる多くの購買客により賑わうほか、平日午後は栃木街道周辺や大通り沿いに立地する大学や専門学校・高等学校の学生が立ち寄る姿が目立つ。さらに、宇都宮Festa内のオタク系ショップの効果から、最近ではオタクやコスプレイヤーなどの新規の客層が現れているなど、シャッター通り化する地方商店街が多い中、宇都宮市の中心市街地は比較的健闘しているといえる。

2000年代には地域経済の屋台骨である足利銀行の経営危機による経済活動の停滞や、近年の再開発などでJR宇都宮駅前にララスクエア、商店街周辺にパルコなどの大型商業施設が続々出現にしたことによる客層の分散や上記施設内への店舗の移転[1]湘南新宿ライン開業による東京副都心への購買客流出などが大きな要因となり、衰退が懸念された時期があった。そこで、地元大学との産学連携や地域住民の商店街運営への参画を促進したり[2]、アーケード内一角に市民広場・オリオンスクエアを整備しイベントを実施するなどの各種活性化事業を実施し、来街者を増加させる努力を行っている。2014年には中小企業庁がんばる商店街30選に選定された[3]

オリオン通りの西側起点となる東武宇都宮駅前は宝木台地と一段低い田原台地の境界に位置し、大通り朝日坂に並行する坂道がユニオン通りの東口から真っ直ぐオリオン通りに伸びている。このような地理状況から、東進する自転車利用者による速度オーバーなど自転車の運転マナーの悪さと交通上の危険が関東ローカルや全国のニュースでも報じられ、商店街と学校・行政が一体となって指導した結果、以前よりは改善されつつある。

スターロード[編集]

1980年昭和55年)
栃の葉国体の開催を記念して、モニュメントの様なものを造り、商店街でも国体を盛り上げようと、オリオン通り曲師町商店街の区間(釜川と馬場通りの区間)に政治家・映画俳優・スポーツ選手・相撲界などの著名人に手形の設置に協力を願い出ることにした。手始めに県内の衆議院議員、参議院議員、県知事から手形を頂いた。続いて、当時文部大臣であった森山欣司大臣の管轄下にあった日本相撲協会に協力を依頼し、当時横綱の北の湖千代の富士など十指にのぼる力士の手形を頂くことに成功した。野球界からは江川卓、ゴルフ界では青木功、レスラーのジャイアント馬場アントニオ猪木。歌謡界ではディック・ミネの了解が得られれば、あとはその紹介で歌手の手形が貰えるというので腐心し、そのおかげで北島三郎橋幸夫坂本九森昌子など多くの歌手の手形を集めた。さらに冒険家の植村直己、漫画家の手塚治虫、映画界の三船敏郎勝新太郎など、歌舞伎界の尾上菊五郎など、全部で120人から手形を協力していただいた。手形は、40cm角の銅板にその手形を鋳造し、その手形の銅板をオリオン通り曲師町の大理石の路上に"栃の葉国体"を記念したモニュメント事業として埋め込んだ。
1995年平成7年)
スターロードの手形を撤去、ピエトラサンタ市との姉妹都市提携に伴って、「大理石の道」として生まれ変わった。手形は現在は倉庫に保管されている。商店街などのイベント等で一部が展示されることがある。また、商店街の公式サイトでも一部を見ることができる。

バンバ通り[編集]

宇都宮二荒山神社から見たバンバ。上野百貨店新館跡地には大林組が24階建複合マンション、シティータワー宇都宮が竣工した。

宇都宮二荒山神社前から宇都宮城址公園に向けて南方に伸びる通りで、二荒山神社の門前町である。二荒山神社門前の仲見世通りとして、戦前は宇都宮第一の繁華街であった。戦後も宇都宮商業地の中心として発展し、大通りとバンバ通りの交点角には西武百貨店上野百貨店新館・本館の3館が一つ交差点に相面して店を構え、宇都宮最大の繁華街の中核を成した。1997年平成9年)には唯一空いていた交差点角にパルコがオープンした。

バブル崩壊後の不況や、前述した足利銀行の経営危機による市全体の経済停滞などが原因で2000年平成12年)には上野が倒産、また2002年平成14年)には西武も撤退した。その後、2003年平成15年)には西武に代わりラパーク長崎屋(のちにMEGAドン・キホーテに業態転換)が入居、また上野本館のあった一角も再開発によりうつのみや表参道スクエアが建設された。ラパーク長崎屋はファミリー層、宇都宮パルコとうつのみや表参道スクエアの両施設は若者を中心に集客し一定の成功を収めており、往時ほどではないが宇都宮の中核的な商店街として買い物客で賑わっている。

バンバ通りの歴史[編集]

バンバ通り付近は中世には荒尾崎と呼ばれ、宇都宮明神(現在の宇都宮二荒山神社)あるいは下野宇都宮氏菩提寺のひとつ東勝寺の境内地であった。江戸時代までに現・二荒山神社と宇都宮城本丸を結ぶ馬場が形成され、現在のパルコの一角は二荒山神社下之宮があり、江戸期には日光堂があった。宇都宮氏の時代から宇都宮城と宇都宮明神の間を結ぶ参道であったと言われるこの通りは馬場と呼ばれるようになり、これが転訛して「バンバ」と呼ばれるようになったとも言われている。

釜川プロムナード[編集]

オリオン通りの裏手を流れる釜川親水公園化されたもので、川沿いには飲食店や衣料品店が多く立地している。夜間はライトアップされる。

かつての宇都宮市街地には多くの小さな川が流れており、宇都宮中心部を流れる釜川は戦前には清流を生かした染め物屋や鰻屋などの飲食店があり、市民の憩いの場となっていた。戦後は流域の開発により水質が悪化し、たびたび氾濫を起こすようになったので、1989年に市街地を流れる1.9kmが日本初の二層式河川(川底に排水路を設置している)に改修された。現在は並木や時計塔、東屋、ベンチをそなえた親水河川となっている。

パルコ南側の釜川沿いには、かつて赤線地帯があった。現在でも飲食店や衣料品店の多くは古くからの建物を改装して使用しているため、街並みには赤線時代の面影が色濃く残っており、これが古きよき時代の花街的空間の創出に寄与している。

ユニオン通り[編集]

東武宇都宮駅側から見たユニオン通り(2015年撮影)

国道119号東京街道)を挟んで、オリオン通りと反対の西側に伸び、材木町通りを結ぶ商店街が「ユニオン通り」である。アーケードではないが、通りの両側には若者向けの古着店、雑貨店、アクセサリーショップなど個性的な店が軒を連ねている。1990年代後半から2000年代中頃にはオリオン通りを凌ぐ流行の発信地として注目され、2006年平成18年)に中小企業庁がんばる商店街77選にも選ばれた。その後は若者の街としてのイメージを保ちつつ、誰もが安心して歩ける街を目指そうというビジョンを策定し、環境整備や近隣商店街との連携強化、コミュニティ型イベントの開催など、地域に根差した商店街としてのイメージ定着に注力している[4]

アクセス[編集]

  • 東武鉄道東武宇都宮駅東口からすぐ
  • JR宇都宮駅西口から路線バス(関東自動車東野交通JRバス関東)で5分、「馬場町」(東野交通は「二荒山前」)「県庁前」「東武駅前」(東野交通は「宇都宮東武」)停留所下車(頻発運転、運賃150円)
    • 関東自動車の宇都宮市中心街循環バス「きぶな号」では「オリオン通り入口」(東武宇都宮駅側)「みはし通り」(バンバ通り側)停留所も利用できる。

出典[編集]

  • 「釜川とまちめぐり」 随想者 2011年平成23年)1月29日発行  

脚注[編集]

  1. ^ 一例として新星堂が商店街からララスクエア内へ、ABCマートがパルコ内へそれぞれ移転した。
  2. ^ がんばる商店街30選:宇都宮オリオン通り商店街 - 中小企業庁
  3. ^ がんばる商店街30選:関東地方 - 中小企業庁
  4. ^ 宇都宮ユニオン通り商店街:がんばる商店街30選2015年版 - J-Net21

リンク[編集]