エルサレム攻囲戦 (1244年)

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エルサレム攻囲戦 (1244年)
戦争第6回十字軍後のムスリムによる再征服
年月日1244年7月15日
場所エルサレム
結果アイユーブ朝ホラズムの決定的勝利
エルサレムの略奪
交戦勢力
Flag of Ayyubid Dynasty.svg アイユーブ朝
ホラズム難民
Vexillum Regni Hierosolymae.svg エルサレム王国
指導者・指揮官
Flag of Ayyubid Dynasty.svg アル=マリク・アル=サーリフ Vexillum Regni Hierosolymae.svg
戦力
僅少 不明
損害
不明 不明

エルサレム攻囲戦 (1244年)は、第6回十字軍の後、ホラズム1244年7月5日にエルサレムを再征服した際の戦いである。

経緯[編集]

神聖ローマ皇帝フリードリヒ2世は、1228年に第6回十字軍を聖地に派遣し、彼の権限で彼の妻ヨランドエルサレム王位を主張した。彼女は彼女の母でありジャン・ド・ブリエンヌの妻でもあるマリー・ド・モンフェラートから「エルサレム女王」の称号を受け継いだ。[要出典]

フリードリヒ2世の軍事力と名声は、アイユーブ朝スルタンアル=カーミルとの調停によってエルサレムベツレヘムナザレとその周辺城砦を回復するのに十分であった。しかし、それを防衛するために必要なキリスト教徒が支配する後背地が十分でなかったため、エルサレムは長い間キリスト教徒の手中には残らなかった。[要出典]

アイユーブ朝は、モンゴルによって滅ぼされ、都市を奪回しようとしているホラズムの流民を招聘した。1244年7月の包囲と都市の陥落の後、ホラズム流民はエルサレムを完全に破壊し、キリスト教徒やイスラム教徒が利用できない廃墟にしたまま去った。[要出典]

ルイ9世指揮下の第7回十字軍 (1248年-1254年)はこの大虐殺がきっかけとなって実施されたが、十字軍の主要な敵がアイユーブ朝スルタンからより強力なマムルーク朝に交代したことに一役買ったのみで、ほとんど何も成し得なかった。[要出典]

外部リンク[編集]