アルタートハイム

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紋章 地図
(郡の位置)
Wappen von Altertheim.svg Locator map WÜ in Germany.svg
基本情報
連邦州: バイエルン州
行政管区: ウンターフランケン行政管区
郡: ヴュルツブルク郡
市町村連合体: キスト行政共同体
緯度経度: 北緯49度43分38秒 東経09度45分55秒 / 北緯49.72722度 東経9.76528度 / 49.72722; 9.76528座標: 北緯49度43分38秒 東経09度45分55秒 / 北緯49.72722度 東経9.76528度 / 49.72722; 9.76528
標高: 海抜 290 m
面積: 24.06 km2
人口:

1,983人(2020年12月31日現在) [1]

人口密度: 82 人/km2
郵便番号: 97237
市外局番: 09307
ナンバープレート: WÜ, OCH
自治体コード:

09 6 79 165

行政庁舎の住所: Oberes Tor 2
97237 Altertheim
ウェブサイト: altertheim.de
首長: ベルント・コルプマン (Bernd Korbmann)
郡内の位置
Altertheim in WÜ.svg
地図

アルタートハイム (ドイツ語: Altertheim) はドイツ連邦共和国バイエルン州ウンターフランケン地方のヴュルツブルク郡の町村(以下、本項では便宜上「町」と記述する)で、キスト行政共同体を形成する町村である。

地理[編集]

アルタートハイムはヴュルツブルクの南西約16kmに位置し、バーデン=ヴュルテンベルク州マイン=タウバー郡と境を接する。州道2297号線が町を貫いている。約5kmで連邦アウトバーンA3号線およびA81号線に接続する。

この地域は、マインフランケン・プレートの一部であるマルクトハイデンフェルト・プレートに属す。集落はアルトバッハ川の渓谷に位置している。アルトバッハ川はこの町内に湧出する。

自治体の構成[編集]

この町は、公式には3つの地区 (Ort) からなる[2]

  • オーバーアルタートハイム
  • シュタインバッハ
  • ウンターアルタートハイム

歴史[編集]

ウンターアルタートハイムは775年に初めて文献上に記録されている。現在の町域は、かつてカステル伯領の一部であった。ウンターアルタートハイムとオーバーアルタートハイムは、1806年にまずバイエルン大公領に陪臣化された。1810年トスカーナ大公フェルディナンド3世ヴュルツブルク大公国に移されたが、1814年に最終的にバイエルン王国領となった。バイエルンの行政改革の時代、1818年の市町村令により現在の自治体が成立した。1825年6月28日にオーバーアルタートハイムの大部分を焼く火事があり、1人が犠牲となった。オーバーアルタートハイム、ウンターアルタートハイムおよびシュタインバッハは1978年のバイエルン州の市町村再編により行政上統合された。1997年には、町境付近の小さな区域がバーデン=ヴュルテンベルク州のヴェルバッハに移管された。

宗教[編集]

この町は主にプロテスタントルター派の町である。Liebenzeller-Missionといった教会組織もアルタートハイムに発足した。この他、ローマ・カトリックの信者もこの町にはいる。

無くなったシナゴーグ[編集]

オーバーアルタートハイム地区には、ナチス独裁時代までシナゴーグがあった。その調度は1938年11月の迫害運動によって破壊された。小さなユダヤ教組織は1942年まで存在していたが、この年まで残っていたユダヤ人家族もホロコーストに連れ去られた。ツァウンリュッケ2番のシナゴーグの建物に取り付けられた記念のプレートは、1990年に撤去されるまで宗教組織や消滅した組織を思い起こさせる[3]

ウンターアルタートハイム地区には、ブルンネン通りにシナゴーグが現存している。この建物は地元の塗装業者の倉庫に転用されている。

人口推移[編集]

  • 1970年 1,695人
  • 1987年 1,775人
  • 2000年 2,094人
  • 2007年 2,208人 — うち、1,226人がオーバーアルタートハイム、854人がウンターアルタートハイム、127人がシュタインバッハ。

行政[編集]

首長[編集]

2020年から、ベルント・コルプマン (SPD) が町長を務めている[4]

紋章[編集]

赤地と銀地の市松模様に四分割。左上と右下には、金の蘂を持つ図案化された銀のバラが描かれている。赤と銀はカステル伯に、銀のバラはヴェルトハイム伯に由来する。

紋章創設の経緯: オーバーアルタートハイム、シュタインバッハ・バイ・ヴュルツブルク、ウンターアルタートハイムが合併して成立した新しい町アルタートハイムは初めヴェルトハイム伯領に属した。この家系が断絶(1556年)すると、この地域はカステル伯家の所領に移された。カステル伯家の紋章は赤と銀の市松模様の四分割であり、ヴェルトハイム伯の徴として銀の図案化されたバラが採られた。この両者を組み合わせた形の紋章は1967年にはすでにオーバーアルタートハイムの紋章として用いられていた。新しく設立されたアルタートハイムは、この紋章を変更せずに採用した。

文化と見所[編集]

定期的な催事[編集]

  • オーバーアルタートハイム、ウンターアルタートハイム、シュタインバッハのキルメス[訳注 1]
  • 各地区での謝肉祭の催し
  • シュトラッカーフェスト
  • 2年ごとのシュレッパーフェスト(トラクター祭)
  • フェスト・ウンター・リンデン(菩提樹の下の祭)
  • ベルクフェスト(山祭)
  • ACCのプルンクジッツンゲン
  • ブルンネンフェスト(泉祭)
  • 各地区でのマイフェスト

経済と社会資本[編集]

教育[編集]

  • 国民学校 1校

訳注[編集]

  1. ^ キルメス (ドイツ語: Kirmes) は教会開基祭を起源とする民俗祭である。

出典[編集]