コンテンツにスキップ

りんご飴

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
アメリカの「キャンディーアップル(candy apple) あるいは、タフィーアップル(toffy apple)」[1]
調理中のキャンディーアップル

りんご飴(りんごあめ、林檎飴)/ キャンディーアップル(英語:candy apple)は、シロップや飴などで生のリンゴ果実をコーティングし、手で持つための棒を取り付けたフルーツ菓子。

アメリカで20世紀初頭に流行して、アメリカ文化が各国に広まる潮流の中でcandy apple(りんご飴)も各国に伝播したらしい。しかし、イギリスの19世紀末の新聞に似た菓子に関する記事がある。#歴史

つまり、おそらく、イギリス起源の菓子か、(仮にイギリス起源だとしても)アメリカでの流行をきっかけにして世界各地に広まった菓子である。#歴史

スペインやイタリアの人々は"自国の菓子"とは思っておらず、アメリカの菓子、と思って食べている。

歴史

[編集]

アメリカの Newark Evening News (1964) においては、りんご飴の発祥について以下のように解説されている。

りんご飴は、William W. Kolb によって発明された。Kolbはニューアークのベテラン菓子職人で、最初のりんご飴は1908年に生み出された。クリスマス商戦に向けて彼が店でレッドシナモンの飴を作っていた時、彼はいくつかのりんごをその飴に浸し、ディスプレイに並べた。その初めて生産されたりんご飴は5セントで販売され、後に年間で数千個のりんご飴が販売されることとなった。間もなくりんご飴はニュージャージーの大西洋沿岸(Jersey Shore)で販売されるようになり、りんご飴を扱う店は国中に広がった。(The Newark News in 1948)[2]

ただし、厳密に言うと、"アメリカ起源"とは言えないようである。 イギリスの新聞『ヨークシャー・イブニング・ポスト』(Yorkshire Evening Post)の1896年の7月14日火曜日(Tuesday 14 July)号には、TOFFEE APPLESという名の食べ物がロンドンの若者の間で流行している、最新の贅沢な食べ物、と書かれており、それは「酸っぱい林檎をTOFFEE(カラメル)に浸し、苦みと甘みを混ぜたもの」と書かれていた。[3]

TOFFEE APPLES.
"Toffee apples" are the latest luxery of London youth. They are said to consist of sour apples dipped in toffee: and mixture of bitter and sweet is delcaree to be "toothsome" to a high degree.

[3]


当時の白黒写真にTOFFEE APPLESには棒が刺されて台上に並んでおり、若者らは棒を持ち、口に入れている[3]。(ただし、イギリスから直接世界に広がったのではなく、次にアメリカでcandy appleが流行しそれがアメリカ文化とともに世界に広がったらしい)

欧米のりんご飴

[編集]

コーティングする食材や風味付けに若干のバリエーションがある。

北米 
  • アメリカ合衆国 ─ 基本的にはcandy apple。『The Oxford Encyclopedia of Food and Drink in America』によると、アメリカ合衆国においてキャンディ・アップルは秋の収穫期と強く結びついており、特にハロウィーンに不可欠な菓子として広く定着している。カーニバルや博覧会(State Fairs)や移動遊園地で提供される。硬い赤い砂糖の殻で覆われた伝統的な「キャンディ・アップル」のほか、キャラメルで覆いナッツやチョコレートをトッピングした「キャラメル・アップル」(Caramel Apple)が、スーパーマーケットや菓子専門店に並ぶ。
  • カナダ ─ 人気があり、通常は博覧会やカーニバルで提供される。
欧州
スペインの "manzanas de caramelo"
フランスの「ポム・ダムール (pomme d'amour)」。作り物の小さな若葉で飾り付けされている。
  • スペイン ─ manzana de caramelo(意:カラメルのりんご)。春から秋にかけて開催される各地域の祝祭期間(Temporada de fiestas)や、あるいは移動遊園地(Recinto Ferial)に、移動式の菓子店が現れ、そこにカラメルりんごが並び、子供たちにとって「祭り(Feria)の体験」(非日常の体験)の象徴のひとつとなっている。
  • フランス ─ pomme d'amour (Pomme d'amourはの意味は「愛のポム」だが、もともとPomme d'amourはトマトを指していた。フランス人はりんご飴の外見がトマトに似ていると感じてPomme d'amourと呼ぶようになったという。なおフランス語の"Pomme" ポム は植物の実(み)の類を広範囲に指す語で、Pommme de terre ポム・ド・テール(大地のポム)と言うとジャガイモを指す。)祭りで提供される。
  • ポルトガルとルゾフォニア ─ maçã do amor (意:フランス語同様に、"愛の実")
南米
  • ブラジル ─ キャラメルりんごは「聖ヨハネの祝祭日(洗礼者聖ヨハネの日)」(6月24日)に食べられる。ちなみに南米は南半球にあり北半球とは季節が逆で、リンゴの収穫期である"夏の終わりから秋"は1月から4月にあたる。

日本のりんご飴

[編集]
日本におけるりんご飴の歴史

日本でりんご飴がいつ始まったかはっきりしない。

明治時代の日本にはりんご飴は無かったようである。記録が一切無い。

大正期に日本でもりんごの栽培が広がり、りんご飴を作るための環境は出来たが、それにもかかわらず、大正時代や、昭和の戦前には、それらしき記録が無い。 りんご飴への言及が資料に大量に残っているのは、戦後になってからである。

日本にりんご飴が無かった時期

昭和期に日本が太平洋戦争(第二次世界大戦)に突入すると、砂糖を台湾から運ぶことが困難になり1940年(昭和15年)に砂糖は配給制になり[5]、つまり日本社会は砂糖不足になり、りんご飴の販売どころではなくなった。太平洋戦争直後もまだ砂糖は極めて貴重な物資として公定価格による配給制が敷かれていて、りんご飴は販売できる状況になかった。

戦後にりんご飴が広がった時期

その後1950年代を通じて、少しずつ配給量が引き上げられ、1952年(昭和27年)に砂糖の配給制が廃止され、自由販売へと移行し、1963年に砂糖の輸入制限・統制が全面的に撤廃され、日本人もこのころからようやく砂糖の大量使用に"罪悪感"が無くなり、縁日の屋台でもりんご飴が並ぶようになったようである。

りんご飴の屋台

日本では現在、縁日の定番となっている[6]

作り方

砂糖と水を火にかけ、砂糖が溶けてきたところで食紅を入れて赤や緑などの色をつける。とろみが出てきたら割り箸あるいは串を刺したリンゴを入れ、飴を回しつける。リンゴを下にして銅板やフライパンなどに置いて冷まし、飴が固まったら完成である(飴自体は一種の鼈甲飴といえる)。

雨の日は飴が湿気を帯びてべたつくため、作るのが難しい。

イチゴ、ブドウ、ミカンなど、さまざまなものを用いた商品が売られている。

類似の菓子

[編集]
類型にあたる「キャラメルアップル(caramel apple)。こちらもタフィーアップルと呼ばれる[1]
キャラメルアップル
リンゴをシロップでなくカラメルでコーティングした菓子。
糖葫蘆(tang hu lu、タンフールー)/冰糖葫蘆(bing tang hu lu、ビンタンフールー)
中国の京津地方発祥の伝統的糖菓(Candied fruit、蜜餞)であり、サンザシなどの果実を竹串に刺して、煮詰めた砂糖を上から塗って固めて作る。

脚注・出典

[編集]
  1. 1 2 Keeler, Janet K. (2001年10月24日). “caramel apples vs. candy apples” (英語). St. Petersburg Times Online Taste. St. Petersburg Times. 2012年1月20日閲覧。
  2. ↑ Newark Sunday News, November 28, 1948, pg.16.Newark Evening News, June 8, 1964, pg. 32
  3. 1 2 3 “Toffee Apples”. 2026年6月23日閲覧。
  4. ↑ “Apples galore as event grows” (英語). thisissouthdevon.co.uk (2008年10月9日). 2009年3月28日時点のオリジナルよりアーカイブ。2012年1月20日閲覧。
  5. ↑ “砂糖伝播の歴史”. 2026年6月23日閲覧。
  6. ↑ Celeste Heiter; Things Asian Press (2009-11-01) (英語). To Japan with Love: A Travel Guide for the Connoisseur. ThingsAsian Press. pp. pp.127. ISBN 1-93415905-0

関連項目

[編集]