飯塚事件
この記事は中立的な観点に基づく疑問が提出されているか、議論中です。(2012年12月) |
飯塚事件(いいづかじけん)とは、1992年(平成4年)2月20日に福岡県飯塚市で2人の女児が殺害された事件。逮捕・起訴された男性に死刑判決が下り、2008年に執行された。翌2009年に男性の妻[1]が再審請求しており、現在は福岡高裁に即時抗告中である。
事件の概要
事件発生
1992年2月20日朝、福岡県飯塚市で同じ小学校に通う1年生の女児2人(ともに当時7歳)が登校中にそろって行方不明になった[2]。
翌21日12時10分頃、同県甘木市(現朝倉市)の国道を自動車で走行中の団体職員の男性が、小用を足すために車から降りたところ、崖下にマネキンのようなものが2体捨てられているのを発見[3]。通報により駆けつけた捜査員が、道路から約10メートル下の雑木林で、子供2人の遺体を発見[2]。午後9時頃、甘木署に運び込まれた遺体をそれぞれの両親が確認、署長が発表した[4]。
捜査
事件から1か月後の3月20日[5]、県警は被害者と同じ校区に住む[6]無職男性K(当時54歳)[3][7]を参考人として取り調べ、ポリグラフ検査を実施したほか、毛髪と指紋の任意提出を受けた[7]。 女児殺害に関して、犯人とKのDNA型がほぼ一致するという鑑定結果が出たもののそれだけでは逮捕に至らず[8]、2年後の1994年9月23日に、女児の衣服についていた繊維片がK所有車のシートのものと一致したことが決め手となって[9]、死体遺棄容疑でKを逮捕。同10月14日に殺人等でKを再逮捕。同日、福岡地検は死体遺棄でKを起訴し、同年11月5日には殺人・略取誘拐でも追起訴した。Kの逮捕に踏み切った福岡県警の本部長は、現在は綜合警備保障会長の村井温で、Kを起訴した福岡地検の検事正は、大相撲野球賭博騒動の際に日本相撲協会の理事長代行を務めた村山弘義だった[10]
裁判
カギ括弧内は判決文をそのまま引用(匿名)。
第一審・福岡地裁判決
一審の福岡地方裁判所1999年9月29日判決は、状況証拠として、
- 5名の目撃証言から、紺色の後輪ダブルタイヤのワゴンで窓に色付きフィルムが貼ってあるなどの特徴を持った車が犯人の車であることが極めて濃厚であるところ[11][12]、Kが同じ特徴の車を有していたこと[13]。
- 他に該当車の所有者は9名いたが、すべてアリバイが成立し、色付きフィルムも貼っていなかった[13]。
- 繊維片の特徴が合致したことから、被害児童の着衣から発見された繊維片がK所有車の座席シー卜の繊維片である可能性が極めて濃厚であること[14]。
- 被害者両名が出血・失禁した状態で発見された一方で、K所有車の後部座席やマットから血痕・人尿痕が検出され誰かがかなりの量の尿をもらしたことが認められるところ、Kがその付着の原因について納得のいく合理的な説明をすることができないこと[15]。
- 被害者の膣内やその周辺に存在していた血痕とKの血液型及びDNAのMCT118型が合致したこと[16]。
- 被害者の膣内や膣周辺部から犯人の血痕が検出されたが下着等には血痕が付着していなかったため、犯人の手指ではなく陰茎が出血していた可能性が高いといえるところ、Kが亀頭包皮炎に罹患しており陰部から容易に出血する症状を有していたこと[17]。
- Kが通院した泌尿器科の医師の証言より[17]。また、Kの警察官に対する発言及びKが録音して記者に渡した会話内容とも合致した[17]。Kは、捜査段階で「シンボル(陰茎)の皮がやぶけてパンツ等にくっついて歩けないほど血がにじんでしまう」[17]「事件当時ごろも挿入できない状態で(中略)セックスに対する興味もなかった」[17]と性的暴行との関連を否定していたにも拘わらず、犯人の血痕が発見された公判段階では突如完治していたという供述に変更した[17]ため、捜査段階での病状に関する供述が信用できると判示された[17]。またKと妻は、ある薬局で某皮膚薬を購入した事実は全くないと一貫して主張していたが、同店の経営者と元店員がKを常連客として覚えていたため、Kと妻の供述は「明らかに虚偽であるといわざるを得ない」と判示された[17]。
- Kのアリバイを直接に裏付ける証拠は全くなく、間接的に裏付ける証拠についてはKと妻の供述が捜査段階と公判段階で変遷しており成立しないこと[18]。
- 当日のアリバイについて、Kは、捜査段階で、妻を職場に送って一度帰宅した後に実母宅に向かったと述べていた[18]が、捜査官の再現によって女児が行方不明になった時間にKが現場を通過する結果になったところ[18]、公判段階で、妻を送った後まっすぐ実母方に向かったと供述を変更した[18]。また、事件当日の行動を思い出した時期ときっかけも、捜査段階では、3月20日に「刑事が帰った後で、あの日は何をしていたのかなあと思って思い出した。妻とは事件の話をしていないので、妻と話し合っているうちに思い出したということはない」と供述していた[18]が、公判段階では、2月25日頃に妻が事件当日のことではないかと挙げた話を聞いて思い出した、と供述を変更した[18]。そのため、「Kのアリバイに関する供述は(中略)信用できない」と判示された[18]。また、Kの妻の供述も、Kが実母方に行った日について、捜査段階では「事件当日の前後頃だったと思う」と曖昧な記憶であった[18]のに、公判段階では事件当日であると特定するようになっており[18]、「たやすく信用できない」と判示された[18]。
を認定し、これらの総合判断として、Kが犯人であることについては合理的な疑いを超えて認定することができる[19]として、Kに死刑判決を下した。
ほか、弁護人から申請されたKの性格鑑定でも、「ストレス状況では、犯罪を犯す本来的な傾向を十分もっている」「情性欠如から性倒錯的行動をとる可能性が十分考えられる」とKに不利な結果が示されたが、裁判所は「鑑定の結論は採用することができない」と判示し、証拠として採用しなかった[20]。
控訴審・福岡高裁判決
控訴審の福岡高等裁判所2001年10月10日判決は、第一審で認められた状況証拠を同様に評価したほか、
を新たに認め、「その血痕がA子に由来するものであることを更に補強しているものと認めるのが相当である」とした[21]。
そして、「これらの情況事実は、いずれも犯人と犯行とを結びつける情況として重要かつ特異的であり、一つ一つの情況がそれぞれに相当大きな確率で犯人を絞り込むという性質を有するものであり、これらは相互に独立した要素であるから、その結果、犯人である確率は幾何級数的に高まっていることが明らかである」と述べ、死刑判決を維持した[21]。
上告審・最高裁判決
最高裁判所2006年9月8日第二小法廷判決は、「被告人が犯人であることについては合理的疑いを超えた高度の蓋然性があるということができるから、これと同旨の原判決の事実認定は、正当として是認することができる」[22]と上告を棄却し、Kの死刑が確定した。2008年10月28日、福岡拘置所においてKの死刑が執行された[23]。Kは死刑執行される3か月前、死刑廃止団体のアンケート調査に回答し、アンケート用紙の裏面に「真実は必ず再審にて、この暗闇を照らすであろうことを信じて疑わない」と再審請求への強い意欲を綴っていた[24]。
再審請求審
2009年10月28日にKの妻[1]が、福岡地方裁判所に再審請求した[25]。
弁護団の再審請求の趣旨及び理由は、①本田克也筑波大学教授の鑑定書等から、科警研が実施した血液型鑑定及びDNA型鑑定の各証拠能力ないし信用性が否定されること[26]、②足利事件の再審判決等から、科警研のDNA型鑑定の証拠能力が否定されること[26]、③心理学者の厳島行雄日本大学教授の鑑定書から、自動車の目撃証言のうちTの目撃供述の信用性が否定されること[26]の3点であった[26]。
- 本田教授が犯人のDNA型とするX-Yバンドについては、「本田教授が、X-Yバンドがアレルバンドであることを否定できないとする根拠(中略)は、X-Yバンドがアレルバンドであると認める根拠とはならないか、あるいは、根拠として抽象的な可能性を示すにとどまるものであり、これらを総合しても、X-Yバンドがアレルバンドである可能性が高いと認めることはできない」[26]、「以上によれば、X-Yバンドはエキストラバンドであると認めるのが相当である」[26]。
- 足利事件の結果については、「足利事件の再審判決は、被害者が着用していた下着の付着物にかかるDNA型の再鑑定(検出された型は当事者の型と一致しなかった)等、再審において新たに取り調べられた各証拠を踏まえると、同事件におけるDNA型鑑定には、現段階においては証拠能力を認めることができないと判断したものであり、同事件当時の科警研によるDNA型鑑定の信頼性について一般的に判示したものでない」[26]
- 厳島教授の鑑定書については、「Tは、不審車両を目撃した翌日の夕方に、ラジオのニュースによって、小学校1年生の女子が殺害され、その遺体が野鳥の山中に遺棄されていたことや、その遺体発見現場は、Tが前日に付近を通行して不審車両等を目撃した場所であることを聞き知り、目撃した車両等について同僚と会話をしているが(中略)、このような会話等により、Tは、その目撃した車両等が女児殺害事件と関係する可能性があるものと強く印象付けられ、不審車両を目撃した記憶を喚起、定着させたと考えられる」[26]、「Tは、ダブルタイヤ仕様の車両が存在することやその車両の特徴について、不審車両を目撃する以前から知識を有していた」[26]として、「Tに、警察官に迎合的な傾向があるとはいえず、Tの目撃供述のうち、少なくとも、確定判決が信用性を肯定している、紺色、ダブルタイヤのワンボックス車を目撃したという点については、警察官による誘導によって供述したとは考えられない」[26]。
ということを認定し、「事件本人が犯人であると認めた確定判決における事実認定について合理的な疑いは生じず、弁護人が提出した証拠はいずれも明白性が認められないから、本件再審請求には刑事訴訟法435条6号の再審事由があるとはいえない」として再審請求を棄却した[26]。
2014年4月3日、福岡高等裁判所に即時抗告がなされた[27]。
その他
足利事件との関係
「西の飯塚、東の足利」と言われてきたように[28][29]、本件と足利事件の両事件はMCT118型検査法によるDNA型鑑定が同様の時期に同様の科警研メンバーによって実施されたという共通性は認識されていた[要出典]。そして、足利事件において残存する現場資料の再鑑定が動きだそうとした頃に、本件でのKの死刑が執行された[30]。さらに、2009年6月、足利事件での服役囚が最新のDNA型鑑定によって無実が明らかにされたこともあり、本事件もマスコミで注目された。
もっとも、足利事件は、当時の123塩基マーカーで計測したMCT118型の鑑定結果を新しいアレリックラダーマーカーで計測したところ、犯人と服役囚のDNA型が一致しないことが明らかになったものであった。それに対して、本事件は、第二審でアレリックラダーマーカーが検討されているほか、新たに開発されたTH01型とPM型の検査法によってもKが犯人であることと矛盾しない結果が出ている[21]点で異なる。また、足利事件ではDNA型がほぼ唯一の証拠でありその証拠力が最大の争点となったのに対し、本事件では複数の状況証拠が存在し、血液型とMCT118型の一致は「決定的な積極的間接事実とはなりえない」と判示されている点でも異なる。
また、足利事件は、日本弁護士連合会が支援する再審事件であった[31]が、本事件はそうではない点も異なる。もっとも、本事件においても、2014年3月31日に日弁連会長が、再審請求棄却決定に対して、容認できない旨の会長声明を出している[32]。
冤罪説など
この節には独自研究が含まれているおそれがあります。 |
弁護団の記者会見
- 弁護団(徳田靖之団長)は、2012年10月に記者会見を開き、犯人のものとされるDNA型の写真のネガフィルムを鑑定したところ、ネガの周辺部分が写真では切り取られており、その切り取られた部分から第三者のDNA型も確認された旨、及び、そのような切り取りをしたこと等を根拠に改竄捏造の可能性がある旨を主張した[33]。
- それに対して、福岡地方検察庁は、以下のように反論している。
- ネガの切り取りについて、「写真は書面のサイズの問題で一部を切り取っただけ」[34]。
- 弁護団が第三者のDNA型と主張する部分について、「鑑定の際に生じる染色ムラや現像ムラ」[36]いわゆる「エキストラバンド(余分な帯)」[37](これらは、第一審の検察側論告でも言及されているとされ[36]、法医学者の神田芳郎久留米大学教授も弁護団の主張に否定的である[36])。
- もっとも、染色ムラや現像ムラがどうしてDNAバンドの形でムラになるのかについて検察庁の説明は科学的に証明されておらず、裁判所から求められた追加データーは「処分した」として提出されていない。また、エキストラバンドか否かを判断する根拠となる実験ノートが提出されていないことについての検察官の反論は不明である[独自研究?]。
- 改竄捏造の可能性について、「ネガはこれまでも証拠開示されており弁護士側も見ているはず」[38]「ネガの全体を裁判所に提出して証拠採用されており、元死刑囚の有罪は揺るがない。改ざんはあり得ない」[33]。
- もっとも、もともとネガは弁護人に数秒間しか見せられておらず、裁判所に証拠採用されても、すぐに科警研に持ち帰ることとされたため、専門家による検証の機会は持たれていなかった。また、ネガの切り取り問題以外にも、DNAバンドが見えにくい方向に暗く現像されていた問題についても、検察庁の反論は不明である[独自研究?]。
- それに対して、福岡地方検察庁は、以下のように反論している。
テレビ報道
- 「報道特集NEXT」では、MCT118型のDNA型検査法の疑問点を述べ、他の状況証拠とともに有罪となったと報道した[39]。
- ただし、同番組では、TH01型・PM型のDNA型検査法もKを有罪とする証拠になった点や、他に具体的にどのような状況証拠があったかについて触れられなかった[39]。
- 「ザ・スクープ」では、MCT118型検査法に対する問題点以外に、目撃者Tの証言内容に関して以下のように疑問を呈した。
- 心理学者の厳島行雄日本大学教授の実験(何も知らない30人にTと同条件で運転させ2週間後に証言させる)でTのような詳細な証言[11]ができた者がいなかったことから、警察が目撃証言を誘導した可能性に触れた[40]。
- ただし、車両の目撃証言者は5人いたが、番組で扱われたのはTの証言だけであった[40]。また、Tの目撃の翌日には女児の遺体が発見されて大々的に報道されている[41]が、実験では大々的な報道の形では考慮されていなかった[40]。また、判決は、「Tの公判供述は、捜査機関から被告人車を見せられたことによって変容した記憶に基づくものであるという可能性があるので、その信用性を検討する必要がある」と述べて誘導の可能性は検討されていた[11]が、番組では触れられなかった[40]。
- もっとも、番組の指摘するTを担当する警察官が1992年3月7日にK車を見た上でT供述調書を作っていたという事実は、同判決の時点では検討対象になっていないので、番組で上記判決に言及する必要性があったのか不明である[独自研究?]。
- ただし、車両の目撃証言者は5人いたが、番組で扱われたのはTの証言だけであった[40]。また、Tの目撃の翌日には女児の遺体が発見されて大々的に報道されている[41]が、実験では大々的な報道の形では考慮されていなかった[40]。また、判決は、「Tの公判供述は、捜査機関から被告人車を見せられたことによって変容した記憶に基づくものであるという可能性があるので、その信用性を検討する必要がある」と述べて誘導の可能性は検討されていた[11]が、番組では触れられなかった[40]。
- 事件直後、白い不審な車の目撃情報があったことに触れ、これが事件に関係している可能性を示した[40]。
- 鳥越俊太郎は、"これでDNA鑑定と目撃証言という証拠が崩れて、残りの証拠は自動車座席の繊維片だがこれも改竄があるかもしれない"旨を述べ、本事件の判決を下した(第一審から最高裁までの)裁判官11人の実名をフリップで掲げて冤罪である説を唱えた[40]。
- 心理学者の厳島行雄日本大学教授の実験(何も知らない30人にTと同条件で運転させ2週間後に証言させる)でTのような詳細な証言[11]ができた者がいなかったことから、警察が目撃証言を誘導した可能性に触れた[40]。
- 日本テレビは、清水潔と境一敬の取材を基に、2013年に「NEWS ZERO」と「news every」と「NNNドキュメント」で特集を放送した[51][52][53](NNNドキュメントのディレクターは境一敬、チーフディレクターは清水潔であり、その後出版された清水の著書に同内容の記述がある[54])。これらの番組と清水の著書では以下のような指摘がなされている。
- 目撃者Tの「車体にはラインが入ってなかった」という供述調書の記載に対し、心理学者の厳島行雄日本大学教授による"ラインが入っていないものをわざわざラインが入っていないとは言わない"という旨の主張を紹介した[51][52][53][54]。
- ただし、そもそも供述調書は、単に供述者が自発的に述べたことをそのまま書き取るものではなく取調べの結果を事後的に整理して編集要約して記載するものである[55]が、番組では触れられなかった[51][52][53]。
- 実際に、再審請求審では、「T田が、同月4日の午前に、『車両は、普通車の紺色ワゴン車、後輪がダブルタイヤ、やや古い』旨述べたこと、同日の午後に、『駐車車両は、紺色、ボンゴ車、後輪ダブルタイヤ、車内は見えなかったように思うので、ガラスに何か貼っていたと思う』旨述べたことがそれぞれ記載されており、そうであれば、T田は、J警察官が事件本人車を目撃する以前であり、J警察官からの誘導を受ける可能性のない時期から、その目撃した車両の特徴について、紺色、後輪ダブルタイヤで、ガラスに何かを貼付していたことを述べていたと認められる。また、T田は、不審車両を目撃した翌日(平成4年2月21日)及び翌々日(同月22日)に、そのことを同僚らと話題にした際、同僚に対し、目撃した車両の特徴について、紺色のダブルタイヤのワゴン車である旨述べているが(中略)、T田と同僚がそのような会話をする以前に、T田がJその他の警察官によって何らかの誘導を受けた可能性は全く存在しない」と判示された[26]。
- Tは1992年2月20日に車を目撃して3月9日に調書作成となったところ、調書作成前の3月7日に、調書を作成する警察官がK車の特徴を確認していたことが捜査資料から明らかになったとし、その警察官の前提知識が調書作成に影響を与えた可能性を示した[51][52][53][54]。
- ただし、目撃の翌日には女児の遺体が発見されて大々的に報道され[41]、判決では、Tは調書作成前の「3月2日前後には警察官に対して目撃事実を供述しており、3月4日には警察官を現場に案内している」ことが認定されている[11]が、番組では触れられなかった[51][52][53]。
- 実際に、再審請求審では、「翌日の夕方に、遺体発見をラジオ報道で知り、同僚のMらにその際の様子を話したり、その翌日にも再び話題にしたりしたことにより、当時の状況を思い返し、記憶を新たにしている」と示され、「厳島第2次鑑定書における心理学の知見を踏まえたT田供述の検討は、確定控訴審が指摘しているT田供述の信用性を肯定する事情について十分な検討がなされているものとも認め難い」と判示された[26]。
- 現場で見つかった血痕に関してKの血液型はB型であるところ、弁護側が依頼し、足利事件の再審請求でもDNA鑑定をした本田克也筑波大学教授による“単独犯ならばAB型しか考えられない”との見解を紹介した[53](なお、足利事件の再審請求では、本田教授の鑑定と主張は受け入れられておらず、鈴木廣一大阪医科大学教授の鑑定が採用されて再審無罪となったものである[56])。
- ただし、判決では、AB型と鑑定された血痕が単独のものか否かがすでに検証されており、それによると、「血痕からは、4本のバンドが検出されているのであるから、右血痕が2人以上の人間の混合血であることは疑問の余地がない。(中略)AB型単独の血痕ではあり得ない」と単独の血痕ではないことが認定されている(被害者のA型と犯人のB型が混合したと示されている)[16]が、番組では触れられなかった[53]。
- 実際に、再審請求審では、「本田教授は、当審における証人尋問において、資料(1)によれば犯人の血液型はAB型であるとも証言しているが(第2回36項)、その根拠は、通常は、血液型判定は単独資料を前提にして行うものであり、資料(1)については混合資料であるという前提もないので、AB型と読むのが一番合理的であるというに過ぎないものであって(第2回514項)、当該資料の採取状況などの客観的な事実を考慮に入れていない点で、説得的なものとはいい難く(資料(1)のMCT118型鑑定において4本のDNAバンドが検出されていることからすれば、資料(1)は混合資料であると認められる。)、上記証言も採用できない。」と判示された[26]。
- 目撃者Tの「車体にはラインが入ってなかった」という供述調書の記載に対し、心理学者の厳島行雄日本大学教授による"ラインが入っていないものをわざわざラインが入っていないとは言わない"という旨の主張を紹介した[51][52][53][54]。
出版物
- フリージャーナリストの天笠啓祐らの著書によると、KのDNA型不検出という帝京大学の鑑定結果が裁判所に提出されなかったという[57]。
- ただし、第一審判決では帝京大学の鑑定結果が判決で触れられているため[16]、天笠らの指摘は真実ではない。
- 別冊宝島および清水潔の著書によれば、筑波大学法医学教室の本田教授の鑑定により、当初16-26型とされたKのDNA型が16-27型であったという[58][54]。
- 清水潔の著書によると、本件のDNA鑑定をした石山昱夫帝京大学教授が、科警研鑑定の結果を批判して「鑑定方法が杜撰で技術が低く、私の教室ならばやり直せと命じたいほどだ」と述べたという[54]。また、天笠啓祐らの著書によると、同教授が、Kが犯人でないとするのが常識であると述べたという[57]。
1988年の女児行方不明事件
本事件以前の事件現場周辺では、1988年12月4日に本件被害者と同一小学校で小学校1年生の女児が、弟の友人(Kの息子)を訪ねてK宅に遊びに行き、その後、女児は一人で遊びに出かけ、工事現場のブロック塀に乗っているところを目撃されたのを最後に、行方不明になる事件が発生していた[60][61][62]。
福岡県警は1994年のK逮捕後に1988年女児行方不明事件の捜索を行った。当初、福岡県警は「発生当時の捜索でやや不十分だった場所をあらためて捜しただけ」と説明したが[63]、捜索を始めてから、衣類がわずか25分で見つかった手際の良さに訝る声も出た[64]。また、発見された衣服は長い間風雨にさらされた跡がなく、比較的傷みが少ない状態だったという[63]。女児の祖父は、「捜索後に(だれかによって)捨てられたのだろうか」と語った[65]。後日、本件で逮捕後のKをポリグラフにかけた際に反応の出た山林一帯を捜索した結果、女児のジャンパーとトレーナーが発見された旨報道された[60]。Kは事件当日に女児と会っていた事は認めていたが、関与については全面的に否定していた[66]。
その後はさらなる発見がなく1995年2月18日に再捜索は打ち切られ、現在も未解決である。
出典
以下の出典において、記事名にKの実名が使われている場合、この箇所をイニシャルとする
- ^ a b [1] 朝日新聞[リンク切れ]
- ^ a b “小一女児二人殺される”. 朝日新聞. (1992年2月22日)
- ^ a b 青木理『絞首刑』第8章 講談社文庫。
- ^ “連れ立ち登校 帰らぬ二人”. 朝日新聞. (1992年9月22日)
- ^ “女児殺しの「重要参考人」を刑事傷害容疑で逮捕”. 毎日新聞(大阪). (1993年9月29日夕刊)
- ^ “身近に逮捕者、やり切れぬ”. 朝日新聞(西部). (1994年9月24日夕刊)
- ^ a b “54歳無職男性を逮捕”. 朝日新聞. (1994年9月24日夕刊)
- ^ 日本経済新聞 1994年9月24日
- ^ 毎日新聞 1994年9月24日
- ^ 片岡健『絶望の牢獄から無実を叫ぶ ―冤罪死刑囚八人の書画集―』鹿砦社
- ^ a b c d e 福岡地方裁判所判決 二 被害児童の遺留品発見現場付近で目撃された自動車及び人物について
- ^ 福岡地方裁判所判決 三 被害児童が最後に目撃された時刻、場所と接着した時刻、場所で目撃された自動車について
- ^ a b 福岡地方裁判所判決 四 被告人が本件犯人像と矛盾しないことについて
- ^ a b 福岡地方裁判所判決 五 被害児童の着衣等に付着していた繊維片について
- ^ a b c d e f g h 福岡地方裁判所判決 六 被告人車内から検出された血痕及び尿痕について
- ^ a b c d e f g h 福岡地方裁判所判決 七 被害児童の身体等に付着していた血液の血液型及びDNA型について
- ^ a b c d e f g h 福岡地方裁判所判決 八 本件前に被告人が亀頭包皮炎を発症していたことについて
- ^ a b c d e f g h i j 福岡地方裁判所判決 九 被告人に犯行の機会があったこと(アリバイが成立しないこと)について
- ^ 福岡地方裁判所判決 一一 結論
- ^ 福岡地方裁判所判決 一〇 被告人の性格鑑定について
- ^ a b c d e f g 福岡高等裁判所判決
- ^ 最高裁判所判決
- ^ “K死刑囚ら2人刑執行 ペース定着、年間最多更新”. 共同通信. (2008年10月28日)
- ^ 片岡健編『絶望の牢獄から無実を叫ぶ ―冤罪死刑囚八人の書画集―』鹿砦社
- ^ [2] 読売新聞[リンク切れ]
- ^ a b c d e f g h i j k l m n 福岡地方裁判所2014年3月31日決定
- ^ [3] 西日本新聞[リンク切れ]
- ^ 西日本新聞 2014年4月1日
- ^ 「足利事件DNA再鑑定と飯塚事件死刑執行の接点」2分20秒以降 ビデオニュース・ドットコム
- ^ 東京新聞2012年11月14日
- ^ [4] 日本弁護士連合会
- ^ [5] 日本弁護士連合会
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- ^ 冤罪File№19P57
- ^ a b c [8] 日本経済新聞
- ^ [9] 読売新聞[リンク切れ]
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- ^ a b c d e f g h i ザ・スクープ テレビ朝日 2009年8月9日放送
- ^ a b 1992年2月22日読売新聞、毎日新聞、朝日新聞各紙
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- ^ 福岡地方裁判所判決 一 事案の概要
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- ^ 読売新聞 1992年2月25日
- ^ 西日本新聞 1992年2月28日
- ^ 西日本新聞 1992年3月5日夕刊
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- ^ 西日本新聞 1992年4月8日
- ^ a b c d e NEWS ZERO 日本テレビ 2013年4月11日放送
- ^ a b c d e news every 日本テレビ 2013年4月13日放送
- ^ a b c d e f g 日本テレビ「NNNドキュメント 2013年7月28日放送
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- ^ 函館地裁平成9年3月21日判例時報1608号33頁以下。
- ^ 東京高等裁判所決定平成21年6月23日/平成20年(く)第94号
- ^ a b c 天笠啓祐・三浦英明「DNA鑑定―科学の名による冤罪」緑風出版、150頁。
- ^ 別冊宝島『日本の『未解決事件』100』宝島社、77頁。
- ^ 報道特集NEXTで映された対照表より。
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- ^ 読売新聞 1994年11月11日
- ^ a b 西日本新聞 1994年11月12日
- ^ 朝日新聞西部 1994年11月13日
- ^ 読売新聞西部 1995年1月3日朝刊27面
- ^ 西日本新聞 1995年1月10日
関連項目
- 和歌山毒物カレー事件 - 本件同様、被告人が一貫して無罪を主張、状況証拠の積み重ねで死刑判決。再審請求中。
- トリカブト保険金殺人事件 - 本件同様、被告人が一貫して無罪を主張、状況証拠の積み重ねで無期懲役判決。(2012年に獄死)
- 鳥取連続不審死事件 - 本件同様、状況証拠の積み重ねでの死刑判決。上告中。
- 首都圏連続不審死事件 - 本件同様、状況証拠の積み重ねで死刑判決。上告中。