飯塚事件

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動先: 案内検索

飯塚事件(いいづかじけん)とは、1992年(平成4年)2月20日福岡県飯塚市で2人の女児殺害された事件。逮捕起訴された久間三千年[1][2][3](くまみちとし)に死刑判決が下り、2008年に執行された。翌2009年に久間元死刑囚の[4]再審請求しており、現在は福岡高裁即時抗告中である。

事件の概要[編集]

事件発生[編集]

1992年2月20日朝、福岡県飯塚市で同じ小学校に通う1年生の女児2人(ともに当時7歳)が登校途中にそろって行方不明になった[5]

翌21日0時10分頃、同県甘木市(現朝倉市)と嘉穂郡を結ぶ国道自動車で走行中の団体職員の男性が、小用を足すために車から降りたところ、崖下にマネキンのようなものが2体捨てられているのを発見し通報[6]、駆けつけた捜査員が、道路から約10メートル下の雑木林で、女児2人の遺体を発見する[5]。同日午後9時頃、甘木署にてそれぞれの両親が遺体を確認、署長が発表した[7]

捜査[編集]

捜査本部は事件発生から5日後の2月25日には、被害者と同じ校区に住む[8]無職男性久間三千年(当時54歳)宅を訪問し、事件当日のアリバイなどを、事情聴取している[9]

同年3月20日[10]、久間を重要参考人として取り調べ[6][11]ポリグラフ検査を実施したほか、毛髪指紋の任意提出を受けた[11]。女児殺害に関して、犯人と久間のDNA型がほぼ一致するという鑑定結果が出たものの逮捕には至らなかった[12]

1994年9月23日、女児の衣服についていた繊維片が久間所有の車のシートのものと一致したとして[13]死体遺棄容疑で久間を逮捕。同10月14日に殺人等で久間を再逮捕。同日、福岡地検は死体遺棄で久間を起訴し、同年11月5日には殺人・略取誘拐でも追起訴した。久間の逮捕に踏み切った福岡県警の本部長は、現在は綜合警備保障会長の村井温で、久間を起訴した福岡地検の検事正は、大相撲野球賭博騒動の際に日本相撲協会の理事長代行を務めた村山弘義だった[14]

裁判[編集]

カギ括弧内は判決文をそのまま引用。

第一審・福岡地裁判決[編集]

一審の福岡地方裁判所1999年9月29日判決では、複数の状況証拠において、

車両に関して[編集]

  • 5名の目撃証言から、紺色の後輪ダブルタイヤのワゴンで窓に色付きフィルムが貼ってあるなどの特徴を持った車が犯人の車であることが極めて濃厚であるところ[15][16]、久間が同じ特徴の車を有していたこと[17]
    • 他に該当車の所有者は9名いたが、すべてアリバイが成立し、色付きフィルムも貼っていなかった[17]

繊維片に関して[編集]

  • 繊維片の特徴が合致したことから、被害児童の着衣から発見された繊維片が久間所有車の座席シートの繊維片である可能性が極めて濃厚であること[18]
    • 福岡県警察科学捜査研究所、警察庁科学警察研究所、東レユニチカの鑑定結果より[18]

後部座席の血痕・人尿痕に関して[編集]

  • 被害者両名が出血・失禁した状態で発見された一方で、久間所有車の後部座席やマットから血痕・人尿痕が検出され誰かがかなりの量の尿をもらしたことが認められるところ、久間がその付着の原因について納得のいく合理的な説明をすることができないこと[19]
    • 久間の妻は捜査段階で自分も長男も車内で出血したりおしっこをもらしたりした記憶はないと「断定的な供述」[19]をしていたが、「2年以上経過した公判段階で、(中略)ことさらに捜査段階の供述が間違っているかのような供述をする」[19]ようになったため、その「公判供述をたやすく信用することはできない」と判示された[19]。なお、久間は後部座席を「取り外してホースで水をかけて洗った」[19]ため、「座席シートの表面には肉眼では血痕が認められない」[19]ほどであり、一審判決時点ではそこからDNAの型は検出されなかった[19]

被害者膣内等の血痕に関して[編集]

  • 被害者の膣内やその周辺に存在していた血痕と久間の血液型及びDNAのMCT118型が合致したこと[20]
    • 福岡県警察科学捜査研究所、警察庁科学警察研究所の鑑定結果より。もっとも、1人の血液ならば約266人に1人一致することから、この結果は「決定的な積極的間接事実とはなりえない」と判示された[20]。なお、3番目の帝京大鑑定で久間のDNAが現れなかった点は、採取した脱脂綿にかすかに色がつくかどうかという程度に血痕を費消した等の理由で検出できなかったと判示された[20]。また、鑑定人は、DNAのHLADQα型でも久間に不利な内容を推定したが、判決では、HLADQα型のキットでは混合血液で積極的に型判定ができない場合もあること等が指摘され、犯人のHLADQα型は特定できないと判示された[20]

罹患と状況の合理に関して[編集]

  • 被害者の膣内や膣周辺部から犯人の血痕が検出されたが下着等には血痕が付着していなかったため、犯人の手指ではなく陰茎が出血していた可能性が高いといえるところ、久間が亀頭包皮炎に罹患しており陰部から容易に出血する症状を有していたこと[21]
    • 久間が通院した泌尿器科の医師の証言より[21]。また、久間の警察官に対する発言及び久間が録音して記者に渡した会話内容とも合致した[21]。久間は、捜査段階で「シンボル(陰茎)の皮がやぶけてパンツ等にくっついて歩けないほど血がにじんでしまう」[21]「事件当時ごろも挿入できない状態で(中略)セックスに対する興味もなかった」[21]と性的暴行との関連を否定していたにも拘わらず、犯人の血痕が発見された公判段階では突如完治していたという供述に変更した[21]ため、捜査段階での病状に関する供述が信用できると判示された[21]。また久間と妻は、ある薬局で某皮膚薬を購入した事実は全くないと一貫して主張していたが、同店の経営者と元店員が久間を常連客として覚えていたため、久間と妻の供述は「明らかに虚偽であるといわざるを得ない」と判示された[21]

アリバイに関して[編集]

  • 久間のアリバイを直接に裏付ける証拠は全くなく、間接的に裏付ける証拠については久間と妻の供述が捜査段階と公判段階で変遷しており成立しないこと[22]
    • 当日のアリバイについて、久間は、捜査段階で、妻を職場に送って一度帰宅した後に実母宅に向かったと述べていた[22]が、捜査官の再現によって女児が行方不明になった時間に久間が現場を通過する結果になったところ[22]、公判段階で、妻を送った後まっすぐ実母方に向かったと供述を変更した[22]。また、事件当日の行動を思い出した時期ときっかけも、捜査段階では、3月20日に「刑事が帰った後で、あの日は何をしていたのかなあと思って思い出した。妻とは事件の話をしていないので、妻と話し合っているうちに思い出したということはない」と供述していた[22]が、公判段階では、2月25日頃に妻が事件当日のことではないかと挙げた話を聞いて思い出した、と供述を変更した[22]。そのため、「アリバイに関する供述は(中略)信用できない」と判示された[22]。また、久間の妻の供述も、久間が実母方に行った日について、捜査段階では「事件当日の前後頃だったと思う」と曖昧な記憶であった[22]のに、公判段階では事件当日であると特定するようになっており[22]、「たやすく信用できない」と判示された[22]

など、主として6つ情況事実群を総合評価して、久間が犯人であることについては合理的な疑いを超えて認定することができる[23]として、久間に死刑判決を下した。

ほか、弁護人から申請された久間の性格鑑定でも、「ストレス状況では、犯罪を犯す本来的な傾向を十分もっている」「情性欠如から性倒錯的行動をとる可能性が十分考えられる」と久間に不利な結果が示されたが、裁判所は「鑑定の結論は採用することができない」と判示し、証拠として採用しなかった[24]

控訴審・福岡高裁判決[編集]

控訴審福岡高等裁判所2001年10月10日判決は、第一審で認められた状況証拠を同様に評価したほか、

  • 久間所有車内の血痕が新たなDNA型鑑定法によって検出可能になったところ、そのTH01型・PM型が、「鼻血がかなりの量出た」[19]方の被害者[25]のものと合致したこと[25]

を新たに認め、「その血痕がA子に由来するものであることを更に補強しているものと認めるのが相当である」とした[25]

そして、「これらの情況事実は、いずれも犯人と犯行とを結びつける情況として重要かつ特異的であり、一つ一つの情況がそれぞれに相当大きな確率で犯人を絞り込むという性質を有するものであり、これらは相互に独立した要素であるから、その結果、犯人である確率は幾何級数的に高まっていることが明らかである」と述べ、死刑判決を維持した[25]

上告審・最高裁判決[編集]

最高裁判所2006年9月8日第二小法廷判決は、「被告人が犯人であることについては合理的疑いを超えた高度の蓋然性があるということができるから、これと同旨の原判決の事実認定は、正当として是認することができる」[26]上告棄却し、久間の死刑が確定した。

死刑執行[編集]

2008年10月28日福岡拘置所において久間の死刑が執行された[27]。久間は処刑される直前[28]、最期の瞬間まで、その怒りを隠さず、刑務官らに強く抗議した[3]

久間は死刑執行される3か月前、死刑廃止団体のアンケート調査に回答し、アンケート用紙の裏面に「真実は必ず再審にて、この暗闇を照らすであろうことを信じて疑わない」と再審請求への強い意欲を綴っていた[29]

死刑執行後の再審請求[編集]

2009年10月28日、久間元死刑囚の妻[4]が、福岡地方裁判所再審請求した[30][31]

弁護団の再審請求の趣旨及び理由は、

  1. 本田克也筑波大学教授の鑑定書等から、科警研が実施した血液型鑑定及びDNA型鑑定の各証拠能力ないし信用性が否定されること[32]
  2. 足利事件の再審判決等から、科警研のDNA型鑑定の証拠能力が否定されること[32]
  3. 心理学者の厳島行雄日本大学教授の鑑定書及び平成4年3月警察官作成の報告書によって、自動車の目撃証言のうちTの目撃供述の信用性が否定されること[32]

の3点であった[32]

再審請求審[編集]

福岡地方裁判所2014年3月31日決定は、

  • 本田教授が犯人のDNA型とするX-Yバンドについては、「本田教授が、X-Yバンドがアレルバンドであることを否定できないとする根拠(中略)は、X-Yバンドがアレルバンドであると認める根拠とはならないか、あるいは、根拠として抽象的な可能性を示すにとどまるものであり、これらを総合しても、X-Yバンドがアレルバンドである可能性が高いと認めることはできない」[32]、「以上によれば、X-Yバンドはエキストラバンドであると認めるのが相当である」[32]
  • 足利事件の結果については、「足利事件の再審判決は、被害者が着用していた下着の付着物にかかるDNA型の再鑑定(検出された型は当事者の型と一致しなかった)等、再審において新たに取り調べられた各証拠を踏まえると、同事件におけるDNA型鑑定には、現段階においては証拠能力を認めることができないと判断したものであり、同事件当時の科警研によるDNA型鑑定の信頼性について一般的に判示したものでない」[32]
  • 厳島教授の鑑定書については、「Tは、不審車両を目撃した翌日の夕方に、ラジオのニュースによって、小学校1年生の女子が殺害され、その遺体が野鳥の山中に遺棄されていたことや、その遺体発見現場は、Tが前日に付近を通行して不審車両等を目撃した場所であることを聞き知り、目撃した車両等について同僚と会話をしているが(中略)、このような会話等により、Tは、その目撃した車両等が女児殺害事件と関係する可能性があるものと強く印象付けられ、不審車両を目撃した記憶を喚起、定着させたと考えられる」[32]、「Tは、ダブルタイヤ仕様の車両が存在することやその車両の特徴について、不審車両を目撃する以前から知識を有していた」[32]として、「Tに、警察官に迎合的な傾向があるとはいえず、Tの目撃供述のうち、少なくとも、確定判決が信用性を肯定している、紺色、ダブルタイヤのワンボックス車を目撃したという点については、警察官による誘導によって供述したとは考えられない」[32]
  • 警察官作成の平成4年3月警察官作成の報告書については、「Tの同月9日付け警察官調書を作成した警察官が、それに先立つ同月7日の時点で事件本人車の車種や特徴を把握していた可能性は相当高い」けれども、Tは、警察官からの誘導を受ける可能性のない時期(同月4日)から、その目撃した車両の特徴について、紺色、後輪ダブルタイヤで、ガラスに何かを貼付していたことを述べていたと認められ、また、Tは、不審車両を目撃した翌日(平成4年2月21日)及び翌々日(同月22日)に、そのことを同僚らと話題にした際、目撃した車両の特徴について、紺色のダブルタイヤのワゴン車である旨述べているが、これは警察官によって何らかの誘導を受けた可能性は全く存在しないので、警察官作成の報告書によって、警察官がTに対して供述を誘導したことが明らかになったということはできない。

ということを認定し、「事件本人が犯人であると認めた確定判決における事実認定について合理的な疑いは生じず、弁護人が提出した証拠はいずれも明白性が認められないから、本件再審請求には刑事訴訟法435条6号の再審事由があるとはいえない」として再審請求を棄却した[32]

2014年4月3日、福岡高等裁判所即時抗告がなされた[33]

2017年5月18日、弁護人は、現場近くの車の目撃証言が誘導に基づいていること[34][35]、被害者の体内から見つかった血液のDNA型鑑定で事件本人のDNA型は検出されていないこと[36][35]、血液型の鑑定手法が誤っていることなどを主張し、即時抗告審の実質的な審理を終えた[36]

その他[編集]

無罪を主張[編集]

  • 久間は逮捕前から刑死する直前まで一貫して無罪を主張した。逮捕前にはマスメディアの取材に応じ「アリバイ以上のものを持ってる。100%関係ない。やってないものをやったと思われたことだけは、白黒必ずつける。」などと語っていた[1]

足利事件との関係[編集]

「西の飯塚、東の足利」と言われてきたように[37][38]、本件と足利事件の両事件はMCT118型検査法によるDNA型鑑定が同じ時期に同じ方法で、同じ鑑定技官[2][3]によって実施されたという共通性は認識されていた[39]

2008年10月16日、足利事件の再鑑定が行われる旨の報道がされた。そのわずか12日後の10月28日、本件での久間の死刑が執行された[40]

2009年6月4日、足利事件で服役中の菅家利和が最新のDNA型鑑定などによって無実釈放となると、本事件もマスコミで注目された。

もっとも、足利事件は、当時の123塩基マーカーで計測したMCT118型の鑑定結果を、アレリックラダーマーカーで再計測したところ、犯人と菅家のDNA型が一致しないことが明らかになったものであった。それに対して、本事件は、第二審でアレリックラダーマーカーが検討されているほか、新たに開発されたTH01型とPM型の検査法によっても久間が犯人であることと矛盾しない結果が出ている[25]点で異なる。また、足利事件ではDNA型がほぼ唯一の証拠でありその証拠力が最大の争点となったのに対し、本事件では複数の状況証拠が存在し、血液型とMCT118型の一致は「決定的な積極的間接事実とはなりえない」と判示されている点でも異なる。

また、足利事件は、日弁連により再審支援されたが[41]、本事件においては、2014年3月31日の再審請求棄却決定を容認できない旨の声明を、日弁連会長が出したに止まった[42]

福岡県飯塚市7歳女児行方不明事件[編集]

1988年12月4日、本件被害者と同じ小学校で1年生の松野愛子ちゃん(当時7歳)が[2]、弟の友人である久間の息子を訪ねて久間宅に遊びに行った後、愛子ちゃん1人で遊びに出かけ、工事現場のブロック塀に乗り1人で居るところを目撃されたのを最後に、行方がわからなくなる事件が発生していた[43][44][45]

福岡県警は1994年の久間逮捕後に愛子ちゃんの再捜索を行った。当初、福岡県警は「発生当時の捜索でやや不十分だった場所をあらためて捜しただけ」と説明したが[46]、捜索開始後わずか25分で愛子ちゃんの衣類が見つかった手際の良さに訝る声も出た[47]。また、発見された衣服は長い間風雨にさらされた跡がなく、比較的傷みが少ない状態だったという[46]。愛子ちゃんの祖父は、「捜索後に(だれかによって)捨てられたのだろうか」と語った[48]。後日、逮捕後の久間がポリグラフで反応した山林一帯を捜索した結果、女児のジャンパーとトレーナーが発見された旨報道された[43]。久間は事件当日に女児と会っていた事は認めていたが、関与については全面否定していた[49]。その後進展なく1995年2月18日、捜索は打ち切られ、現在も未解決である。

妻の訴え[編集]

  • 2017年9月3日、NNNドキュメント'17「死刑執行は正しかったのかⅡ飯塚事件 冤罪を訴える妻」にて久間の妻がマスコミの取材に応じている姿が放送された[3]

テレビ番組[編集]

  • news every.「福岡・飯塚事件~死刑執行は正しかったのか?~」 - (日本テレビ、2013年4月11日[28]
  • NEWS ZERO「飯塚事件」~死刑執行は正しかったのか~」 - (日本テレビ、2013年4月11日[1]
  • NNNドキュメント'13「死刑執行は正しかったのか 飯塚事件 “切りとられた証拠”」 - (日本テレビ、2013年7月28日[2]
  • NNNドキュメント'17「死刑執行は正しかったのかⅡ飯塚事件 冤罪を訴える妻」 - (日本テレビ、2017年9月3日[3]

出典[編集]

  1. ^ a b c 「飯塚事件」~死刑執行は正しかったのか~ NEWS ZERO
  2. ^ a b c d 死刑執行は正しかったのか 飯塚事件 “切りとられた証拠”NNNドキュメント'13
  3. ^ a b c d e 死刑執行は正しかったのかⅡ 飯塚事件 冤罪を訴える妻 NNNドキュメント'17
  4. ^ a b 朝日新聞 - ウェイバックマシン(2014年3月31日アーカイブ分)
  5. ^ a b “小一女児二人殺される”. 朝日新聞. (1992年2月22日) 
  6. ^ a b 青木理『絞首刑』第8章 講談社文庫。
  7. ^ “連れ立ち登校 帰らぬ二人”. 朝日新聞. (1992年9月22日) 
  8. ^ “身近に逮捕者、やり切れぬ”. 朝日新聞(西部). (1994年9月24日夕刊) 
  9. ^ 緊急集会 いまこそ死刑執行停止を!『袴田事件』と『飯塚事件』
  10. ^ “女児殺しの「重要参考人」を刑事傷害容疑で逮捕”. 毎日新聞(大阪). (1993年9月29日夕刊) 
  11. ^ a b “54歳無職男性を逮捕”. 朝日新聞. (1994年9月24日夕刊) 
  12. ^ 日本経済新聞 1994年9月24日
  13. ^ 毎日新聞 1994年9月24日
  14. ^ 片岡健『絶望の牢獄から無実を叫ぶ ―冤罪死刑囚八人の書画集―』鹿砦社
  15. ^ 福岡地方裁判所判決 二 被害児童の遺留品発見現場付近で目撃された自動車及び人物について
  16. ^ 福岡地方裁判所判決 三 被害児童が最後に目撃された時刻、場所と接着した時刻、場所で目撃された自動車について
  17. ^ a b 福岡地方裁判所判決 四 被告人が本件犯人像と矛盾しないことについて
  18. ^ a b 福岡地方裁判所判決 五 被害児童の着衣等に付着していた繊維片について
  19. ^ a b c d e f g h 福岡地方裁判所判決 六 被告人車内から検出された血痕及び尿痕について
  20. ^ a b c d 福岡地方裁判所判決 七 被害児童の身体等に付着していた血液の血液型及びDNA型について
  21. ^ a b c d e f g h 福岡地方裁判所判決 八 本件前に被告人が亀頭包皮炎を発症していたことについて
  22. ^ a b c d e f g h i j 福岡地方裁判所判決 九 被告人に犯行の機会があったこと(アリバイが成立しないこと)について
  23. ^ 福岡地方裁判所判決 一一 結論
  24. ^ 福岡地方裁判所判決 一〇 被告人の性格鑑定について
  25. ^ a b c d e 福岡高等裁判所判決
  26. ^ 最高裁判所判決
  27. ^ “K死刑囚ら2人刑執行 ペース定着、年間最多更新”. 共同通信. (2008年10月28日). オリジナル2015年1月6日時点によるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20150106112936/http://www.47news.jp/CN/200810/CN2008102801000314.html 
  28. ^ a b 特集 福岡・飯塚事件~死刑執行は正しかったのか?~ news every.
  29. ^ 片岡健編『絶望の牢獄から無実を叫ぶ ―冤罪死刑囚八人の書画集―』鹿砦社
  30. ^ [1] 読売新聞[リンク切れ]
  31. ^ 「当時のDNA鑑定、足利事件と同じ」死刑執行後に再審請求.朝日新聞.2009年10月29日朝刊
  32. ^ a b c d e f g h i j k 福岡地方裁判所2014年3月31日決定
  33. ^ 西日本新聞 - ウェイバックマシン(2014年6月3日アーカイブ分)
  34. ^ 西日本新聞 2017年5月19日
  35. ^ a b 朝日新聞 2017年5月19日
  36. ^ a b 毎日新聞 2017年5月19日
  37. ^ 西日本新聞 2014年4月1日
  38. ^ 「足利事件DNA再鑑定と飯塚事件死刑執行の接点」2分20秒以降 ビデオニュース・ドットコム
  39. ^ 飯塚事件の再審請求はなぜ、棄却されたのか | プレジデントオンライン | PRESIDENT Online
  40. ^ 東京新聞2012年11月14日
  41. ^ [2] 日本弁護士連合会
  42. ^ [3] 日本弁護士連合会
  43. ^ a b 読売新聞西部 1995年1月3日
  44. ^ 朝日新聞 1994年11月11日夕刊
  45. ^ 読売新聞 1994年11月11日
  46. ^ a b 西日本新聞 1994年11月12日
  47. ^ 朝日新聞西部 1994年11月13日
  48. ^ 読売新聞西部 1995年1月3日朝刊27面
  49. ^ 西日本新聞 1995年1月10日

関連項目[編集]