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青森県立八戸工業高等学校

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青森県立八戸工業高等学校
八戸工業高等学校・正門
地図北緯40度31分5.65秒 東経141度29分56.3秒 / 北緯40.5182361度 東経141.498972度 / 40.5182361; 141.498972座標: 北緯40度31分5.65秒 東経141度29分56.3秒 / 北緯40.5182361度 東経141.498972度 / 40.5182361; 141.498972
過去の名称 八戸市立工業学校
八戸市立工業高等学校
国公私立の別 公立学校
設置者 青森県の旗 青森県
学区 全県学区
岩手県の一部[1]
併合学校 青森県立南部工業高等学校
校訓 自主・協調・勤労・創造
設立年月日 1944年(昭和19年)
共学・別学 男女共学
課程 全日制課程
単位制・学年制 【全日制課程】学年制
設置学科 【全日制課程】
機械科
土木科
電気科
材料技術科
電子科
建築科
土木建築科
情報技術科
電子機械科
学期 3学期制
学校コード D102210000326 ウィキデータを編集
高校コード 02143B
所在地 031-0801
青森県八戸市江陽一丁目2番27号
外部リンク 公式サイト
ウィキポータル 教育
ウィキプロジェクト 学校
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青森県立八戸工業高等学校の位置(青森県内)
青森県立八戸工業高等学校

青森県立八戸工業高等学校(あおもりけんりつ はちのへこうぎょうこうとうがっこう、Aomori Prefectural Hachinohe Technical High School)は、青森県八戸市江陽一丁目に所在する公立工業高等学校。通称「八工」(はっこう)。

概要

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歴史
1944年昭和19年)創立の「八戸市立工業学校」を前身とする。1948年(昭和23年)の学制改革により新制の工業高等学校となった。1956年(昭和31年)に青森県へ移管され現校名となった。
設置課程・学科
全日制課程学年制) - 靴ひもの色で学科が区別されている。※( )内は(靴ひもの色,科を表すアルファベット)を表す。
  • 機械科(赤色, M = Machine)
  • 土木科(白色, S = Soil) - 2021年(令和3年)4月に新設。
  • 電気科(黄色, E = Electricity)
  • 材料技術科(青色, K = Kinzoku)
  • 電子科(橙色, D = Denshi)
  • 建築科(黒色, A = Architecture) - 2021年(令和3年)4月に新設。

以下の科は、2021年(令和3年)3月に募集停止、2023年(令和5年)3月に閉科された。

  • 土木建築科(白色, S = Soil) - 2コース(土木コース・建築コース)
  • 情報技術科(緑色, N = Network)
  • 電子機械科(茶色, F = Flexible)

定時制課程単位制

  • 工業技術科-2021年(令和3年)に募集停止、2024年(令和6年)3月に閉科された。
校訓
「自主・協調・勤労・創造」
校章
の絵を背景にして、中央に「工高」の文字(縦書き)を置いている。
校歌
作詞は折口信夫、作曲は山田耕筰による。歌詞は3番まであり、校名は歌詞中に登場しない。

沿革

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旧制・工業学校
  • 1944年(昭和19年)4月1日 - 「八戸市立工業学校」(甲種工業学校)が開校。修業年限を4年とする。
  • 1945年(昭和20年)
    • 4月1日 - 学校での授業が停止される。ただし勤労動員は継続される。
    • 5月1日 - 土木科を新設。
    • 8月 - 終戦。
    • 9月 - 授業が再開される。
  • 1946年(昭和21年)
    • 4月1日 - 修業年限が5年となる(ただし4年修了時点で卒業することもできた)。
    • 8月20日 - 八戸市立商業学校との併設を解消。
  • 1947年(昭和22年)4月1日 - 学制改革(六・三制の実施)が行われる。
    • 工業学校の生徒募集を停止。
    • 新制中学校を併設し(以下・併設中学校)、工業学校1・2年修了者を新制中学校2・3年生として収容。
    • 併設中学校は経過措置としてあくまで暫定的に設置されたため、在校生が2・3年生のみの中学校であった。
    • 工業学校3・4年修了者はそのまま在籍し、4・5年生となった(4年修了時点で卒業することもできた)。
新制高等学校
  • 1948年(昭和23年)
    • 4月1日 - 学制改革(六・三・三制の実施)により、工業学校は廃止され、新制高等学校八戸市立工業高等学校」が発足。
      • 工業学校卒業者(5年修了者)を新制高校3年生、工業学校4年修了者を新制高校2年生、併設中学校卒業者(3年修了者)を新制高校1年生として収容。
      • 併設中学校を継承し(名称:八戸市立工業高等学校併設中学校)、在校生が1946年(昭和21年)に工業学校へ最後に入学した3年生のみとなる。
    • 11月15日 - 新築校舎の一部(6教室)が完成して移転。
  • 1949年(昭和24年)3月31日 - 併設中学校を廃止。
  • 1951年(昭和26年)11月13日 - 校歌を制定。
  • 1954年(昭和29年)11月3日 - 校旗を制定。
  • 1956年(昭和31年)
    • 3月22日 - 日東化学工業併設私立日東高等学校の廃校により、その在校生を収容。
    • 3月28日 - 青森県に移管され、「青森県立八戸工業高等学校」(現校名)に改称。
  • 1959年(昭和34年)4月1日 - 電力科を新設。
  • 1962年(昭和37年)4月1日 - 電力科を電気科と改称。
  • 1963年(昭和38年)
  • 1964年(昭和39年)6月30日 - 金属工業科棟と管理棟が完成。
  • 1965年(昭和40年)4月7日 - 工業化学科に女子生徒4名が入学。
  • 1967年(昭和42年)12月8日 - 新体育館が完成し、第1体育館と命名。
  • 1969年(昭和44年)4月1日 - 校訓を制定。電子科を新設。定時制課程(夜間/機械工作科と電気工作科)を設置。
  • 1971年(昭和46年)
  • 1972年(昭和47年)6月30日 - テニスコートが完成。
  • 1974年(昭和49年)
  • 1977年(昭和52年)10月31日 - 新体育館が完成し、第2体育館を命名。
  • 1980年(昭和55年)
    • 1月10日 - 機械科実習棟、工業化学科実習棟が完成。
    • 4月1日 - 南部分校(建築科)を設置。
  • 1981年(昭和56年)4月11日 - 田向野球場が完成。
  • 1985年(昭和60年)4月1日 - 南部分校が分離し、青森県立南部工業高等学校として独立。
  • 1989年(平成元年)4月1日 - 情報技術科を新設。
  • 1990年(平成2年)4月1日 - 電子機械科を新設。
  • 1991年(平成3年)3月25日 - 剣道場が完成。
  • 1993年(平成5年)4月2日 - 校歌碑を建立。
  • 1994年(平成6年)4月1日 - 金属工業科を材料技術科に改称。
  • 1996年(平成8年)
  • 1999年(平成11年)4月17日 - 同窓会から校旗が寄贈される。
  • 2002年(平成14年)2月25日 - 弓道場「拓真館」が完成。
  • 2003年(平成15年)3月27日 - 第1体育館を改築。
  • 2009年(平成21年)4月1日 - 工業化学科の募集を停止。
  • 2011年(平成23年)3月31日 - 工業化学科を閉科。
  • 2013年(平成25年)4月1日 - 土木科を土木建築科に改編し、土木コース20名・建築コース15名の定員でコース別に募集する。
  • 2015年(平成27年)4月1日 - 青森県立南部工業高等学校を統合する。
  • 2021年(令和3年)3月 - 電子機械科、情報技術科を募集停止。土木建築科が土木科、建築科に分割される[2]
  • 2023年(令和5年)
    • 3月 - 電子機械科、情報技術科を閉科、土木建築科を土木科、建築科に分割。
    • 4月 - 新管理棟が完成。旧管理棟の解体を開始。
    • 11月 - 創立80周年記念式典を挙行。
  • 2024年(令和6年)
    • 3月 - 定時制の工業技術科を閉科。
    • 4月 - 新教室棟の建設を開始。

部活動

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運動部
  • 男子硬式テニス部
  • 陸上競技部
  • 硬式野球部
  • 男子バスケットボール部
  • 卓球部
  • 男子バレーボール部
  • アイスホッケー部
  • レスリング部
  • 自転車競技部
  • 剣道部
  • 柔道部
  • 山岳部
  • サッカー部
  • ウェイトリフティング部
  • 弓道部
  • バドミントン部
  • 体操部
  • ラグビー部
文化部
  • 科学部
  • 写真部
  • 美術部
  • 吹奏楽部
  • 放送部
  • 囲碁部
  • 将棋部
  • ボランティア部
  • 応援団
工業部
  • チーム機械加工
  • チームロボティクス
  • チーム測量
  • チーム電気工事
  • チームマテリアル
  • チーム電子回路
  • チーム木材加工
訴訟

2007年10月 ラグビー部顧問教諭の勧誘で同校に入学した男子生徒(当時16歳)がラグビー部に入部。 入部直後から部内で暴行を受けるようになり、5月には退部を決意し、顧問教諭に相談するも「退部するなら退学しろ」と言って引き留めた。この指導により睡眠障害や抑うつ症状を発症、当該生徒は自宅で縊死。 2011年4月 遺族の両親が校長やラグビー部の顧問の教師を相手に提訴[3][4]

著名な出身者

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交通

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脚注

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関連項目

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外部リンク

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