阿蘇 (装甲巡洋艦)
艦歴 | |
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発注: | |
起工: | 1899年3月 |
進水: | 1900年6月12日 |
就役: | 1902年12月 |
除籍: | 1931年4月1日 |
その後: | 1932年8月8日標的艦として処分 |
性能諸元 | |
排水量: | 常備:7,726t |
全長: | 135.6m |
全幅: | 17.4m |
吃水: | 6.7m |
機関: | 2軸レシプロ26缶 16,500ihp |
燃料: | 石炭 1,100t |
最大速: | 21ノット |
航続距離: | 7,000海里(10ノット時) |
兵員: | 570名 |
装甲: | 水線帯: 100-200mm 主砲塔: 88-170mm 砲廓: 80mm 甲板: 25-50mm |
兵装: |
「阿蘇」(あそ)は、日本海軍の保有した装甲巡洋艦である。正式には、 1 等巡洋艦に分類された。元はロシア帝国の 1 等巡洋艦「バヤーン」であり、日露戦争中に日本に鹵獲された。
艦歴
フランス、ラ・セーヌのフォルジ・エ・シャンティエ・ドゥラ・メディテラネ造船会社で起工。ロシア帝国海軍太平洋艦隊に編入される。
1904年7月27日、戦艦レトヴィザン、巡洋艦パルラーダ、アスコリドとともに出撃し大河湾へ進出して日本軍陣地を砲撃[1]。日本の巡洋艦日進および春日との砲戦後旅順に帰還したが、その際にバヤーンは触雷、損傷[2]。 そのため8月10日の黄海海戦には参加していない。
- 12月8日 旅順港で日本軍の陸上砲撃により大破着底。
- 1905年6月 浮揚作業
- 1909年から1911年まで、練習艦隊で少尉候補生の遠洋航海に従事。
- 第一次世界大戦中は、日本近海の哨戒に当たる。
- 1920年4月1日 敷設艦に類別変更。
- 1922年 シベリア出兵に際し、沿海州海域に出動。
- 1931年4月1日 除籍、廃艦第4号と仮称。
- 1932年8月8日 東京湾外で標的艦として処分される。
艦長
ギャラリー
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装甲巡洋艦時代の「阿蘇」。
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装甲巡洋艦時代の「阿蘇」。
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1911年に撮影された「阿蘇」。
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1924年、横須賀にて撮影された「阿蘇」。主砲塔が撤去されるなど、機雷敷設艦への改装工事が施されている。
関連項目
脚注
参考文献
- 真鍋重忠、『日露旅順海戦史』、吉川弘文館、1985年、ISBN 4-642-07251-9