阿蘇 (装甲巡洋艦)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

これはこのページの過去の版です。Tankernisseimaru (会話 | 投稿記録) による 2011年12月5日 (月) 09:29個人設定で未設定ならUTC)時点の版 (→‎参考文献)であり、現在の版とは大きく異なる場合があります。

1 等巡洋艦「阿蘇」。
艦歴
発注:
起工: 1899年3月
進水: 1900年6月12日
就役: 1902年12月
除籍: 1931年4月1日
その後: 1932年8月8日標的艦として処分
性能諸元
排水量: 常備:7,726t
全長: 135.6m
全幅: 17.4m
吃水: 6.7m
機関: 2軸レシプロ26缶 16,500ihp
燃料: 石炭 1,100t
最大速: 21ノット
航続距離: 7,000海里(10ノット時)
兵員: 570名
装甲: 水線帯: 100-200mm
砲塔: 88-170mm
砲廓: 80mm
甲板: 25-50mm
兵装:

「阿蘇」(あそ)は、日本海軍の保有した装甲巡洋艦である。正式には、 1 等巡洋艦に分類された。元はロシア帝国の 1 等巡洋艦「バヤーン」であり、日露戦争中に日本に鹵獲された。

艦歴

1908年舞鶴港にて撮影された「阿蘇」。

フランス、ラ・セーヌのフォルジ・エ・シャンティエ・ドゥラ・メディテラネ造船会社で起工。ロシア帝国海軍太平洋艦隊に編入される。

1904年7月27日、戦艦レトヴィザン、巡洋艦パルラーダ、アスコリドとともに出撃し大河湾へ進出して日本軍陣地を砲撃[1]。日本の巡洋艦日進および春日との砲戦後旅順に帰還したが、その際にバヤーンは触雷、損傷[2]。 そのため8月10日黄海海戦には参加していない。

艦長

ギャラリー

関連項目

脚注

  1. ^ 日露旅順海戦史、139-140ページ
  2. ^ 日露旅順海戦史、140-141ページ

参考文献

  • 真鍋重忠、『日露旅順海戦史』、吉川弘文館、1985年、ISBN 4-642-07251-9