荻原次晴
獲得メダル | ||
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日本 | ||
男子 ノルディック複合 | ||
ノルディックスキー世界選手権 | ||
金 | 1995 サンダーベイ | 団体 |
荻原 次晴(おぎわら つぎはる、1969年12月20日 - 群馬県吾妻郡草津町出身)は、スキーノルディック複合元選手。現スポーツコメンテーター・タレント、スポーツビズ所属。1992年アルベールビル・1994年リレハンメル両冬季五輪・ノルディック複合団体2大会連続金メダリストの荻原健司は、双子の実兄である。
来歴
現役時代
小学生の時、双子の兄・健司と共に草津スポーツ少年団でジャンプ競技を始める。草津町立草津中学校時代に全日本中学選手権に出場。群馬県立長野原高等学校時代に全国高校総体(インターハイ)に出場。その後、早稲田大学人間科学部時代に全日本強化指定選手となる。大学卒業後は北野建設に入社。
1994年、全日本選手権で3位入賞し[1]、その後ノルディック複合・ワールドカップに初出場。翌1994-1995年シーズンのワールドカップチェコ・リベレツ大会(1995年1月14日)とノルウェー・オスロ大会(1995年2月9日)では準優勝を果たした。いずれも優勝は健司で、兄弟のワンツーフィニッシュとなった。特にリベレツでのレースは健司と最後まで優勝争いを演じており、次晴にとって最も印象に残る試合となっている。さらに3月にサンダーベイで行われた世界選手権の団体戦(阿部雅司、荻原次晴、荻原健司、河野孝典)ではオリンピック・世界選手権を通じての日本チーム4連覇に貢献。 1998年、長野オリンピックに出場。個人6位、団体(荻原次晴、森敏、富井彦、荻原健司)5位入賞。オリンピック後のワールドカップにも出場した後、この年限りで現役を引退した。
現役引退後
- タレントに転身し、スポーツコメンテーターとしての活動を開始。またウィンタースポーツの普及活動を行うとともに、テレビのスポーツ番組のキャスターなども担当している。
- CG作品『スキージャンプ・ペア』の最高技術責任者(CTO)の肩書を持ち、実際に同作品の第2作ではDVDに司会者として出演も果たしている。
- なお、現役時代はキング・オブ・スキーの名をほしいままにしていた健司に間違えられてばかりだったが、長野五輪で有名になり、引退後スポーツキャスターとしてメディアへの登場回数が増えたことに加え、健司をはじめとした日本複合勢が低迷するようになったことで逆に健司が次晴に間違われることが増えたらしい。
- 2008年11月1日に14歳年下の会社員の女性(当時24歳)と結婚したことを同年11月3日放送のズームイン!!SUPERにて自ら報告した。
- 「トヨタ自動車・こども店長」の「窓から登場(スキー)編 」(2009年9月21日から放映)で初めてコマーシャルに出演している。
- 兄の健司とは大変仲が良いが、仕事ではライバル心を隠さず厳しい姿勢を持っている。健司が現役を引退して、スポーツキャスターへ転向するような話が出た際、「兄は不器用でキャスターには向いていない。他の道に進むべき」と牽制している。
主な競技歴
オリンピック
世界選手権
- 1995年サンダーベイ( カナダ)
- 団体優勝、個人10位
ワールドカップ
- 1994-1995年シーズン個人総合4位
- 表彰台:準優勝2回(1995年1月14日、2月9日)
国内
- 全日本学生スキー選手権3位(1989年)
- 全日本スキー選手権大会ノルディックスキー・コンバインド3位(1994年)
その他
- 鳥人間コンテスト選手権大会 人力プロペラ機部門 第4位(2000年)(東京工業大学Meisterのパイロットとして)
受賞
- 1994年度JOCスポーツ賞最優秀賞
主な番組
現在
過去
- スポルたん!(仙台放送)
- サンデースポーツパラダイス~てっぺん!~(文化放送)
- FNNスーパーニュース(フジテレビ)
- 荻原次晴のスノーブレイク(フジテレビ739、「スポーツブレイク」の前番組)
- ズームイン!!SUPER(日本テレビ系)
- K.I.P!(関西テレビ)
著書
主な役職
- 草津町観光大使
関連項目
外部リンク
- スポーツビズによるプロフィール
- 荻原次晴オフィシャルブログ 次晴「登山部」
- FIS Biography OGIWARA Tsugiharu(英語)
- 荻原次晴 - バイオグラフィーとオリンピックでの成績(Sports Reference)(英語)
脚注