浜益村
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(浜益区から転送)
はまますむら 浜益村 | |||||
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廃止日 | 2005年10月1日 | ||||
廃止理由 |
編入合併 厚田村、浜益村 → 石狩市 | ||||
現在の自治体 | 石狩市 | ||||
廃止時点のデータ | |||||
国 | 日本 | ||||
地方 | 北海道地方 | ||||
都道府県 | 北海道 石狩支庁 | ||||
郡 | 浜益郡 | ||||
市町村コード | 01306-4 | ||||
面積 | 311.16 km2 | ||||
総人口 |
2,104人 (住民基本台帳、2005年9月末) | ||||
隣接自治体 |
厚田郡厚田村、石狩郡当別町、 樺戸郡新十津川町、 増毛郡増毛町 | ||||
村の木 | サクラ | ||||
村の花 | はまなす | ||||
村の鳥 | ごめ(かもめ) | ||||
浜益村役場 | |||||
所在地 |
〒073-1497 北海道浜益郡浜益村大字浜益村2-3 | ||||
座標 | 北緯43度36分02秒 東経141度23分12秒 / 北緯43.60064度 東経141.38675度座標: 北緯43度36分02秒 東経141度23分12秒 / 北緯43.60064度 東経141.38675度 | ||||
ウィキプロジェクト |
浜益村(はまますむら)は、北海道石狩支庁の最北端に位置していて、浜益郡に所属していた村。
村名の由来は、アイヌ語の amam-suke アママスケ(穀物(雑穀)・煮る)からとする説と、浜-maske-i はまマシケイ((浜の)・余る・もの)とする説、浜-mas-ke はまマシケ((浜の)・カモメ・ところ)とする説があり、後二者が有力視されている。現在の増毛町が同じ地名であったので区別する為に「浜」を接頭したとされる。何が余っていたのか明らかではないが、ニシンではないかとする説がある。前者でも「穀物を煮る地」というものがどういうものであったかは、明らかにされていない。
2005年(平成17年)10月1日、厚田村と共に石狩市へ編入され、浜益村区域は、石狩市の地域自治区「浜益区」となった。
地理
[編集]石狩支庁北部に位置、西部の日本海、東部の山地にはさまれた険しい地形。
隣接していた自治体
[編集]歴史・沿革
[編集]- 1707年(宝永3年) 松前藩によって益毛場所が開かれ、その後「浜益毛」から「浜益」となった。
- 1830年 - 1843年(天保年間) 浜益神社が創建される。
- 1858年(安政5年) 浜益に荘内藩の陣屋が築かれた。
- 1869年 北海道11国86郡が置かれ、石狩国浜益郡が置かれた。
- 1902年4月1日 浜益郡茂生村(もい)、群別村(くんべつ)が合併、二級町村制、浜益郡浜益村。
- 1907年4月1日 浜益郡黄金村(こがね)と新設合併し、一級町村制施行。
- 2005年 石狩市に編入合併、浜益郡消滅。
経済
[編集]基幹産業は漁業。浜益漁港が置かれる。
教育
[編集]道立高等学校
- 北海道浜益高等学校(2011年3月に閉校)
中学校
- 浜益中学校
小学校
- 浜益小学校
交通
[編集]鉄道
[編集]村内を鉄道路線は通っていない。鉄道を利用する場合の最寄り駅は、JR北海道函館本線および根室本線の滝川駅。
路線バス
[編集]※石狩市との合併当時
- 札幌市と浜益村・留萌市間に北海道中央バスが1日2往復(特急札浜線・日本海るもい号)。※現在は廃止。
- 札幌市と浜益村・羽幌町間に沿岸バス(特急はぼろ号)が1日1往復。(村内では柏木・浜益に停車)
- 滝川市と浜益村の間に空知中央バス(滝浜線)が運行。(旧北海道中央バス路線)
道路
[編集]名所・旧跡・観光スポット・祭事・催事
[編集]- 暑寒別天売焼尻国定公園
- 岡島洞窟遺跡
- 雄冬岬
- 白銀の滝
- 千本ナラ
出身の有名人
[編集]- 石橋貴俊 - 元プロバスケットボール選手、元日本代表。現富山グラウジーズ監督。
- 中井祐樹 - ブラジリアン柔術家
- 錦風真悟 - 大相撲の元力士で現在は世話人。祖父が浜益村出身の為に浜益村出身を名乗っているが、本人が居住していたわけではない
- 山本夜羽音 - 漫画家