河野陽吾

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河野 陽吾
生誕 (1962-12-18) 1962年12月18日(61歳)
出身地 日本の旗 日本大阪府堺市
ジャンル アニメソング
職業 作曲家
編曲家
キーボーディスト
歌手
担当楽器 ボーカル
キーボード
ギター
活動期間 1984年 -
共同作業者 MAKE-UP
公式サイト 河野陽吾 Official Website
- Skill of Magic -

河野 陽吾(こうの ようご、1962年12月18日 - )は、日本ミュージシャン作曲家編曲家大阪府堺市出身。

略歴

  • 1984年(昭和59年)4月1日 - MAKE-UPのメンバーとしてデビュー。バンドではキーボード・アレンジャーを担当。1987年に解散
  • 1984年(昭和59年) - MAKE-UPの活動と並行して、浜田麻里プロジェクトに参加。アルバム『MISTY LADY』では「Heart Line」「Turning Point」など、後の代表曲となる楽曲を提供。レコーディングの際にはキーボーディストとしても参加。
  • 1987年(昭和62年) - 「うるさくてゴメンネBAND」に参加。
  • 1988年(昭和63年) - 1992年(平成4年) - 「GRAND-PRIX」のメンバーとして活動。
  • 1992年(平成4年)年末 - 山田信夫とのユニット「Maybe」として、アニメ『マグマ大使』主題歌「愛がある星」をリリース。以後、作曲、アレンジ、スタジオワーク、ステージサポートなど幅広く活動。
  • 1993年(平成5年) - 1995年(平成7年) - 草尾毅のアルバム『Beginning Breeze』『TAU』『COMS』に楽曲を提供、レコーディングにも参加するほか、ライブではキーボードで参加。
  • 2000年(平成12年) - 「うるさくてゴメンネBAND」改め「URUGOME」活動再開。その他「OSAMU METAL 80's」、JAM Project(楽曲制作及びバックバンドメンバー)へも参加し、現在まで活動中。
  • 2008年(平成20年) - 自身初のインターネットラジオ番組『鋼のチップinバーディ』スタート。

人物

  • 大阪生まれで、コテコテの関西弁を使う。
  • 元はキーボーディストだが、本人はギターのほうが好きらしく、近年のステージワークはギタリストとしての参加が主。
    • キーボードよりもギターが好きな理由は「形が様々で面白い」「弾きながら自由に動ける。キーボードでは動けない」から。
    • URUGOMEのライブではドラムを叩いたこともある他、レコーディングなどではベースも使うことなど、マルチプレイヤーである。
  • 声質・歌唱力の評価も高いが、表立って歌うことは非常に稀で、メインボーカルを務めた公式音源は『キン肉マンII世』のオープニング主題歌「HUSTLE MUSCLE」など数曲のみ。その他はコーラス等で聴くことが出来る程度である。
    • 「HUSTLE MUSCLE」は、当初仮歌の仕事のみの予定だったが、この仮歌を聴いたスタッフが好感を持ち、そのまま採用となった。
  • マメな性格らしく、自身のHPもこまめに更新している。
  • ファッションにこだわりがあり、Chrome Heartsなどを愛用している。常時サングラス着用。
    • 遠藤正明のプロデュースワークで疲れ果て、レコーディングの合間に行われたURUGOMEのライブにジャージ姿で現れた際、ヴォーカルのNoBに「あのオシャレな河野がジャージで来た!」とまで言われたらしい。
  • スタジオワークに関しては非常に厳しく、「鬼軍曹」と呼ばれている。
  • 小池雅也と交流が深く、曰く「コンピューターの師匠」。
  • ヘビースモーカーでマールボロミディアムを好み、一日平均3箱消費する。「タバコでこの(渋い)声は出来ている」と語っており、禁煙する気はないらしい。
  • 好きで、現在も二匹の猫を飼っている。

ディスコグラフィー

レギュラー番組

主なプロデュースアーティスト

関わった作品

作曲

編曲

外部リンク