死の都

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死の都》(しのみやこ、独語Die tote Stadt)は、エーリヒ・ヴォルフガング・コルンゴルト作曲の3幕のオペラ。台本は、ベルギー象徴主義の詩人ジョルジュ・ロダンバックの小説『死都ブリュージュ』(仏語Bruges-la-Morte)に基づき、作曲者自身とその父ユリウスがパウル・ショット(Paul Schott)という筆名で執筆した。

歴史

《死の都》が1920年12月4日に初演された時、コルンゴルトはまだ23歳の青年だった。しかしすでに2つの1幕オペラ、《ヴィオランタ》と《ポリュクラテスの指環》を完成させ、新進オペラ作曲家としての名声を固めていた。この2作が大成功に終わったために、《死の都》の初演権を巡っては、ドイツの劇場の間で熾烈な争いが繰り広げられた。結局のところ例のないことに、ハンブルクエゴン・ポラータ指揮による歌劇場公演とケルンオットー・クレンペラー指揮による歌劇場公演という同時初演となった。

「喪失感(愛するものを喪ったという感覚)の克服」という《死の都》のテーマは、1920年代においては、先の大戦で痛恨のトラウマを味わった当時の聴衆に共感をもって迎え入れられ、このオペラの人気に火を点けた。《死の都》は、1920年代で最大のヒット作のひとつとなった。初演から2年のうちに、ウイーンでは60回以上も上演され、ハンス・クナッパーツブッシュによるミュンヘン上演、ジョージ・セルによるベルリン上演など隣国ドイツにも迎えられ、さらに世界中を駆け巡り、ニューヨークメトロポリタン歌劇場においてさえ数回の上演が行われたほどである。だが、ナチス政権がユダヤ系という血筋を理由にコルンゴルトの作品の上演を禁止すると、本作は第二次世界大戦後も世に埋もれたままとなっていたが、1955年ミュンヘンで蘇演して成功し、その後は1975年にニューヨークでのニューヨーク・シティ・オペラの復活上演と、エーリヒ・ラインスドルフ指揮ミュンヘン放送管弦楽団による全曲盤が発売などで、再評価が進み、現在では20世紀を代表するオペラの一つとなっている。

楽曲

コルンゴルトの楽曲は艶やかで美しく、どことなくリヒャルト・シュトラウスジャコモ・プッチーニの作曲様式を折衷したものとなっている。つまりシュトラウス風の巨大な管弦楽法を操る一方で、本作には華やかで覚えやすい「プッチーニ風」の甘い旋律がふんだんに盛り込まれているのである(ちなみに両者ともコルンゴルトの少年時代から青年時代にかけての支持者であった)。

本作の中で最も有名なアリアは、「マリエッタの唄」という俗称で知られる「私に残された幸せは "Glück, das mir verblieb" 」と、「ピエロの唄」と呼ばれる「私の憧れ、私の幻はよみがえる“Mein sehnen, mein wähnen”」の二つである。「マリエッタの唄」は、オペラではソプラノとテノールのデュエットとして作曲されているが、しばしば演奏会や録音では、ソプラノ独唱で歌われる。一方の「ピエロの唄」は、バリトン独唱のために作曲されている。

全体として楽曲はつねに質が高く、水準においては、本作よりも頻繁に演奏される機会に恵まれたリヒャルト・シュトラウスの楽劇と肩を並べている。本作が顧みられていない現状の理由は二つある。ひとつはナチス時代にコルンゴルトの作品が葬り去られてから、なかなか名誉回復が進んでいないこと。もうひとつは、主役の二人であるパウルとマリエッタに、きわめて高い技術が要求されていることである。

パウル役に挑もうとするテノール歌手は、2時間あまりほぼずっと舞台に留まり、巨大なオーケストラを圧倒しながら歌い続けるだけの体力が要求される。しかし、ワーグナーの楽劇のテノールが、体力を要求されても高音を要求されないのに対して、《死の都》のパウルは、きわめて高い音域を要求されるため、配役が非常に難しい。難度の高いマリエッタ役のテッシトゥーラは、リヒャルト・シュトラウスの楽劇《影のない女》の王妃役を歌いこなすようなソプラノでなければ、おそらく乗り切ることはできないであろう。

編成

ピッコロ1(第3フルート持ち替え)、フルート2(第2奏者は第2ピッコロ持ち替え)、オーボエ2、コーラングレ1、クラリネット(A管およびB♭管)2、バスクラリネット1、ファゴット2、コントラファゴット1、ホルン4、トランペット3、バストランペットトロンボーン3、チューバマンドリンハープ2、チェレスタピアノハルモニウムティンパニ4、グロッケンシュピール鉄琴トライアングルタンブリンラチェット小太鼓大太鼓スタンドシンバルシンバル銅鑼弦楽五部

舞台上では次の楽器が使われる。 オルガントランペット2、トライアングルタンブリン小太鼓大太鼓シンバルチューブラーベルウィンドマシーントランペット2、トロンボーン2

登場人物

主役

脇役

  • ガストーネ/ヴィクトリン(テノール)
  • ユリエッテ(ソプラノ)
  • リュシエンヌ(ソプラノ)

粗筋

《死の都》の筋書きは、ジョルジュ・ロダンバックの小説『死都ブリュージュ』から自由に翻案されている。19世紀末のベルギーブルッヘが舞台である。主役のパウルは、若い中産階級の男で、若い妻マリーに先立たれたばかりである。

第1幕:幕が開けたとき、パウルは妻の死という悲しい現実を甘受することができずにいる。妻を偲んで自宅に「なごりの部屋」と呼ばれる一室を構えたパウルは、そこにマリーの形見である肖像画や写真、一束の遺髪といったものをしまっている。パウルの友人フランクがパウルの住まいに立ち寄り、生き続けることによってマリーを偲ぶがよいと促すが、パウルは喚き声を上げてマリーは「まだ生きている」と言い張る。パウルはフランクに、ブリュージュの街路でマリーに似た女性に出逢ったので、彼女を自宅に招いたのだと伝える(だが本心では、その女性こそマリーだとパウルは思い込んでいる)。

間もなく、若くて美しい踊り子のマリエッタが、パウルとのデートのために現れる。二人が会話するうち、パウルの奇妙な振る舞いにマリエッタはうんざりしながらも、自分に興味を持ってもらおうとして、魅惑的に歌ったり踊ったりするが、そのうち飽きてしまって立ち去る。パウルはしばらく極度に不安な心理状態に駆り立てられる。

亡き妻への忠誠心とマリエッタへの興味に引き裂かれ、椅子に倒れ込むと幻覚が見えるようになる。マリーの肖像画から彼女の亡霊が歩み出て来て、自分のことを忘れないでくれと催促するが、その後マリーの幻影は姿を変えて、パウルに自分自身を見失わずに、自分の生き方を続けるようにと説く。

ポールの消え去らない幻想の中で第2幕が起こる。一連の幻想の中で、マリエッタに対する執着が昂じて、パウルが友人たちから孤立してしまった後、マリエッタはパウルの抵抗を何ともせずに、舞台袖でパウルと激しい抱擁を交わすに至ると、そこで幕切れとなる。やはりすべての出来事は、ポールの空想の中で起こっているだけなのだが…。

第3幕は、相も変わらずパウルの幻の中で始まる。自宅に戻ってマリエッタと暮らし始めてみるが、彼女と言い争ってばかりいる。マリエッタはパウルの奇癖や、先妻への変わらぬ妄念に辟易し、マリーの遺髪を引っ張り出してパウルのことをなじり始める。激嵩したパウルは、遺髪の束を掴み取ると、マリエッタの首を絞める。マリエッタの亡骸にすがり付きながら「これで彼女もマリーそっくりになった」と叫ぶ。そこで夢から覚めて我に返る。マリエッタの姿がどこにも見当たらないことにぎょっとしていると、正気に戻ってから程なくして、家政婦が「お客様がお忘れ物の傘を取りに戻られました」と告げる。マリエッタが立ち去ってから、大して時間は経っていなかったのである。悪夢のような幻がまだ覚めやらない中、パウルはブリュージュを去り、死者は平安のうちに安らがせておいて、自分は生き続けようと決意する。感動的な結びの中、友人フランクを横に、マリーの形見のある我が家からゆっくりと離れて、新しい暮らしに誓いを立てるパウルであった。

なお、ゲッツ・フリードリヒ演出のビデオでは、パウル役を演じたジェームス・キングが、「生きる者は現世で死者と出会うことは二度とできない」と悟った後、「マリエッタの歌」を口ずさむが、そこでブリュージュを捨てようと決心するのではなく、ピストル自殺を図ろうとして終わりとなるため、粗筋の結末とは違った顛末となっている。

また、ビデオゲーム「サイレントヒル2」の筋書きは、部分的にこのオペラに影響されているらしい。

マリエッタの唄 Glück das mir verblieb

粗筋から分かるように、問題の「死の都」とはブリュージュのことなのだが、オペラの中ではパウルの亡き妻マリーと同一視されている。

第1幕の始めで友人フランクはパウルから、街中でマリーを見かけた(あるいは彼女の生き写しを目にした)ので、彼女を自分の屋敷に招待したという只ならぬ報せを打ち明けられる。その女性が到着すると、パウルは彼女のことをマリーと呼びかけて、彼女に訂正される。彼女はリール出身の踊り子マリエッタなのだった。マリエッタはパウルの望みに応えて1曲歌い始める(これが「マリエッタの唄」ことアリア「私に残された幸せ」にほかならない)。するとパウルは魔法にかかったようになってしまう。

歌詞は、恋の喜びを物語っているが、一抹の哀しみも感じさせる。というのも、この歌は生の果敢無さが主題でもあるからである。浮世において変わることのない愛の力を賛美する節において、マリエッタとパウルの声が結び付く[1]

独唱曲としては、スピント=リリコのソプラノ歌手のレパートリーとして歌われることが多い。

商業的利用

アリア《マリエッタの唄》は、以下の映画に利用されている。

外部リンク