コンテンツにスキップ

承子女王

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

これはこのページの過去の版です。Paulmccartney33 (会話 | 投稿記録) による 2012年5月30日 (水) 10:32個人設定で未設定ならUTC)時点の版 (→‎概要)であり、現在の版とは大きく異なる場合があります。

承子女王
2009年1月2日皇居新年一般参賀にて
続柄 高円宮憲仁親王第一女子(大正天皇曾孫)

身位 女王
敬称 殿下
Her Imperial Highness
お印
出生 (1986-03-08) 1986年3月8日(38歳)
日本の旗 日本東京都港区愛育病院
父親 高円宮憲仁親王
母親 憲仁親王妃久子
テンプレートを表示
皇室






承子女王(つぐこじょおう、1986年昭和61年)3月8日 - )は、日本皇族高円宮憲仁親王同妃久子の第一女子。妹に典子女王絢子女王がいる。身位女王皇室典範における敬称殿下お印(はぎ)。栄典宝冠牡丹章(旧制度での勲二等宝冠章に相当)。

概要

祖母の崇仁親王妃百合子が総裁を務める社会福祉法人恩賜財団母子愛育会総合母子保健センター愛育病院にて誕生した。

松濤幼稚園に通い、学習院初等科女子中等科女子高等科を経て、2004年(平成16年)4月13日から犯罪心理学などを学ぶためにイギリスエディンバラ大学へ留学した。エディンバラ大学入学前からホームステイしながら語学研修を行っていた。エディンバラ大学の勧めもあり、2005年(平成17年)3月に学習院女子大学を退学して、卒業するまでエディンバラ大学に在学することになった。

2006年(平成18年)3月8日に成年を迎え、今上天皇から宝冠牡丹章を賜った。以後、成年皇族として宮中行事や祭祀に出席している。

2008年(平成20年)7月1日にエディンバラ大学を辞して、イギリスから日本に帰国した[1][2][3]

2008年(平成20年)9月21日早稲田大学国際教養学部に編入学する方法ではなく、1年生から入学する方法を選択して教育を受けている[4]。 2012年9月、早稲田大学国際教養学部卒業見込み。

成年皇族としての公務及び公的活動としては、2011年(平成23年)5月、母 久子とともに東日本大震災で被災した宮城県亘理郡亘理町を訪問し、海上保安庁第二管区海上保安本部を訪れ視察した後、母久子が名誉総裁を務める公益社団法人日本水難救済会の地方組織 宮城県水難救済会を訪れ、死没者への献花を行う他、同会所属救難所員への見舞いの言葉をかけるなどの活動を行っている[5]。また、8月には西武デパート池袋本店で行われた第26回東京都障害者総合美術展に母とともに臨席し、表彰受彰者とともに写真撮影に臨むなどの活動を行っている[6]

系譜

承子女王 父:
憲仁親王(高円宮)
祖父:
崇仁親王(三笠宮)
曾祖父:
大正天皇
曾祖母:
貞明皇后
祖母:
百合子
曾祖父:
高木正得
曾祖母:
高木邦子
母:
久子
祖父:
鳥取滋治郎
曾祖父:
鳥取為三郎
曾祖母:
鳥取久壽
祖母:
鳥取二三子
曾祖父:
友田二郎
曾祖母:
友田盛子

脚注

関連項目

参照文献・外部リンク