彩木雅夫
彩木 雅夫(さいき まさお、本名:新居 一芳[1](あらい かずよし)、1933年8月5日(90歳) - )は、北海道帯広市出身の日本の作曲家。『長崎は今日も雨だった』など、1960年代後半から1970年代にかけてのムード歌謡のヒットメーカーとして知られる。2010年代に入ってからはVOCALOIDを使用した作品を「まさP」名義でニコニコ動画に投稿し、「史上最年長ボカロP」として若い世代にも名を知られるようになった。2014年には彩木雅夫 feat.初音ミク名義でアルバム「手紙 - The Letter -」をリリースした。札幌市在住。
概略
- 株式会社ミュージックキャップ・サッポロ代表取締役
- 株式会社ミュージックキャップ・トーキョー代表取締役
- 社団法人北海道映像関連事業社協会理事
- 北海道放送ラジオ局の元ディレクターである。
略歴
- 1933年8月5日 北海道帯広市に生まれる
- 1952年3月 北海道帯広柏葉高等学校卒業
- 1956年3月 北海学園大学経済学部卒業(3期生)
- 1958年3月 東京の電気通信専門学校卒業
- 1958年4月 北海道放送株式会社に入社、帯広放送局に配属(技術職)
- 1965年 札幌本社に転勤
- 1966年4月 ジャッキー吉川とブルーコメッツ『愛の終りに』で作曲家としてデビュー
- 1970年6月 楽曲管理会社・株式会社ミュージックキャップ・トーキョー設立
- 1975年4月 北海道放送株式会社を退社
- 1975年5月 北海道放送株式会社に嘱託さる
- 1976年4月 番組制作会社・株式会社ミュージックキャップ・サッポロ設立
- 1982年9月 株式会社エフエム北海道取締役就任
おもな作品
- 愛の終りに(演奏:ジャッキー吉川とブルーコメッツ) - 1966年、CBS(日本コロムビア)/ミュージックキャップトーキョー
- 花と蝶(歌:森進一、作詞:川内康範、編曲:森岡賢一郎) - 1968年、日本ビクター/愛プロ
- 年上の女(歌:森進一、作詞:中山貴美・補詞:水沢たけし、編曲:森岡賢一郎) - 1968年、日本ビクター/渡辺音楽出版株式会社
- 逢わずに愛して(歌:内山田洋とクール・ファイブ、作詞:川内康範、編曲:森岡賢一郎) - 1969年、RCA(日本ビクター)/愛プロ
- 長崎は今日も雨だった(歌:内山田洋とクールファイブ、作詞:永田貴子、編曲:森岡賢一郎) - 1969年、RCA(日本ビクター)/渡辺音楽出版株式会社
- さいはての女(歌:藤圭子、作詞:石坂まさを、編曲:池多孝春) - 1971年、RVC/日本芸能出版
- さだめのように川は流れる(歌:杏真理子、作詞:阿久悠、編曲:馬飼野俊一) - 1971年、日本コロムビア/音楽出版ジュンアンドケイ・ミュージックキャップトーキョー
- 港の五番町(歌:原みつるとシャネル・ファイブ、作詞:阿久悠、のちに五木ひろしがカバー) - 出版:ミュージックキャップトーキョー
- 女の純情(歌:殿さまキングス、作詞:千家和也) - 1974年、ビクター音楽産業/シンコーミュージック・パブリッシャーズ
- なみだの操(歌:殿さまキングス、作詞:千家和也) - 1973年、ビクター音楽産業/シンコーミュージック・パブリッシャーズ
- 夫婦鏡(歌:殿さまキングス、作詞:千家和也) - 1974年、ビクター音楽産業/シンコーミュージック・パブリッシャーズ
- わが故郷は心のふるさと(歌:森進一、作詞:たかたかし) - 1986年、ビクター音楽産業/渡辺音楽出版株式会社
- 港の五番町(歌:五木ひろし、作詞:阿久悠) - 1988年、出版:オフィス・トゥー・ワン
- 長崎の今日は晴れだった(歌:後川清&ホットファイブ、作詞:ヒロアキ) - 2005年2月23日 出版:ミュージックキャップトーキョー
脚注
- ^ “彩木雅夫ホームページ”. ミュージックキャップ・サッポロ (2013年3月22日). 2013年3月20日閲覧。