山田大記
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名前 | ||||||
カタカナ | ヤマダ ヒロキ | |||||
ラテン文字 | YAMADA Hiroki | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 | 日本 | |||||
生年月日 | 1988年12月27日(35歳) | |||||
出身地 | 静岡県浜松市 | |||||
身長 | 173cm | |||||
体重 | 66kg | |||||
選手情報 | ||||||
在籍チーム | ジュビロ磐田 | |||||
ポジション | MF | |||||
背番号 | 10 | |||||
利き足 | 右 | |||||
クラブ1 | ||||||
年 | クラブ | 出場 (得点) | ||||
2011- | ジュビロ磐田 | 29 (5) | ||||
1. 国内リーグ戦に限る。2011年12月23日現在。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
山田 大記(やまだ ひろき、1988年12月27日 - )は、静岡県浜松市出身のプロサッカー選手。Jリーグ・ジュビロ磐田所属。ポジションはミッドフィールダー。
経歴
ジュビロ磐田の下部組織でジュニアユースまでプレーし、高校は静岡の名門藤枝東高に進学。その後明治大学へ進学。大学では1年の時からリーグ戦に出場していた。大学3年の頃にはユニバーシアード代表にも選ばれ、銅メダル獲得に貢献した。
大学卒業後、ジュビロ磐田と鹿島アントラーズからオファーが有ったが[1]、ジュニアユースまで所属していたジュビロに入団。同期入団は、小林裕紀と金園英学。
2011年、1年目にして背番号10を任されるなどシーズン前から期待をされていた。開幕戦はベンチスタートで途中出場だったが、期待通りの活躍を見せ、第2節以降スタメンに定着する。キレのあるドリブルやパスで勝利に貢献し、モンテディオ山形戦ではプロ初ゴールを決めるなどした。中心選手として活躍していたが、シーズン終盤に左下腿の肉離れをしていまい、続けて今度は右第5中足骨を疲労骨折し、手術のため離脱し、終盤は試合に出られなかった。それでもシーズンを通して5得点を記録し、FWの選手を除けばチーム最多得点者となった。
2012年、日本代表候補トレーニングキャンプメンバーに初召集される[2]。
エピソード
所属クラブ
アマ経歴
- ヤマハジュビロSS浜松(U-12)
- ヤマハジュビロSS浜北(U-15)
- 2004年 - 2007年 静岡県立藤枝東高等学校
- 2007年 - 2011年 明治大学
- 2010年6月 - 同年12月 ジュビロ磐田 ※特別指定選手
プロ経歴
- 2011年 - ジュビロ磐田
個人成績
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国内大会個人成績 | |||||||||||
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年度 | クラブ | 背番号 | リーグ | リーグ戦 | リーグ杯 | オープン杯 | 期間通算 | ||||
出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | ||||
日本 | リーグ戦 | ナビスコ杯 | 天皇杯 | 期間通算 | |||||||
2011 | 磐田 | 10 | J1 | 29 | 5 | 5 | 0 | 2 | 0 | 36 | 5 |
2012 | |||||||||||
通算 | 日本 | J1 | 29 | 5 | 5 | 0 | 2 | 0 | 36 | 5 | |
総通算 | 29 | 5 | 5 | 0 | 2 | 0 | 36 | 5 |
- 特別指定選手としての試合出場は無し
その他の国際公式戦
- 2011年
- スルガ銀行チャンピオンシップ 1試合0得点