北野病院

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北野病院
情報
正式名称 公益財団法人田附興風会医学研究所 北野病院
英語名称 Kitano Hospital, The Tazuke Kofukai Medical Research Institute
標榜診療科 内科、腎臓内科、糖尿病内分泌内科、血液内科、心療内科、精神科、神経内科、呼吸器内科、消化器内科、消化器外科、循環器内科、腫瘍内科、小児科、外科、整形外科、形成外科、脳神経外科、乳腺外科、呼吸器外科、心臓血管外科、小児外科、皮膚科、泌尿器科、産婦人科、眼科、耳鼻咽喉科、リハビリテーション科、放射線科、麻酔科、救急科、病理診断科
許可病床数 699床
一般病床:687床
精神病床:12床
機能評価 一般500床以上:Ver6.0
開設者 公益財団法人田附興風会
管理者 藤井信吾(病院長)
開設年月日 1928年昭和3年)2月
所在地
530-8480
大阪市北区扇町2丁目4番20号
位置 北緯34度42分19秒 東経135度30分24.5秒 / 北緯34.70528度 東経135.506806度 / 34.70528; 135.506806
二次医療圏 大阪市
特記事項 DPC対象病院・地域医療支援病院大阪府がん診療拠点病院地域周産期母子医療センター
PJ 医療機関
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北野病院(きたのびょういん)は、公益財団法人 田附興風会(たづけこうふうかい)が医学研究所として運営する病院で、臨床研究を行っている。大阪市北区扇町にあり、急性期総合病院としての機能を有している。本財団の設立は、綿業界で活躍した大阪の実業家 田附政次郎(たづけ まさじろう)が、京都帝国大学(現 京都大学)医学部で胸の病を癒されたことに感謝し、同大学の学術研究に資することを目的に提供した寄付金に基因する。

1925年、文部・内務両大臣の認許を受けて同大学医学部内に財団法人田附興風会医学研究所が設立され、1928年、研究事業遂行のための臨床医学研究用病院が大阪の地に付設された。医学研究の拠点を大阪市内としたのは、当時の大阪市当局から熱心な要望があったことと、人家が稠密で生計繁忙な大阪市が医学研究の豊富な資料を得るのに至便であったことと、そして何よりも、寄付者である田附の「大阪市民に最新医学の恩恵を与えん」とする希望を尊重したことによる。

財団名は、当時の京都帝国大学総長である荒木寅三郎(あらき とらさぶろう)によって命名された。病院名は当初は「嘉恵(かけい)」という名称が候補に挙がっていたが、「平易が望ましい」とする田附の希望に基づき、大阪市長(当時)であった關一(せき はじめ)によって「北野(きたの)」という名称が選定された。これは、病院が建設される地区が「北野(きたの)」と呼ばれていたことに由来する。

病院創設に向けて着々と準備を進めていた1927年昭和金融恐慌が起き、財団基本金を預けていた近江銀行が突如閉鎖、財団基本金の一部が切り捨てられることとなった。その煽りを受けて、病院規模を縮小せざるを得ない危機的状況に陥ったが、初代理事長 今村新吉(いまむら しんきち)を始めとする創設時の幹部達の働きにより苦難を克服し、予定期日を幾許も違うことなく1928年2月、開院の運びに至った。

昭和金融恐慌後の日本経済界は不況続きで、開院すれども北野病院の名声はなかなか市民に知れ渡らず、予算通りの業績を挙げることが困難な時代が長く続いた。しかしながら度重なる病院経営の抜本的改善を推し進めた結果、1934年以降の7〜8年間においては画期的な大発展を遂げ、隣接所有地を拡大させて、諸建築の斧鉞の音を聞かぬ年はないほどの黄金期を迎えることとなった。そして、各診療科がそれぞれの顧問教授(京都帝国大学医学部)から直接指導を受け得たことは、北野病院の特筆すべき特色として評された。

1939年に人類史上最大の戦争となる第二次世界大戦が勃発。終戦の1945年には、連合国軍によって病院施設が接収される危機にさらされた。衛生部隊長 サムス大佐より執拗な強談判を受けたが、「米国では、個人の善意による寄附でできた病院を、寄付者の意思に反して取り上げることが認められますか」との三浦百重専務理事(当時)による問いかけに対して、大佐は一言の反論もなく沈黙し、1950年に病院施設が返還されることとなった(188床で全館同時に再開院)。

再開院後の診療整備が一段落した1955年。まだ順調とは言いがたい経営状態にあったが、研究活動を常に第一と考える第9代病院長 松浦篤美の決断により、戦争で途絶えていた「北野病院業績報告」が医学研究所機関誌「北野病院紀要」として再刊された。この出来事は、医学研究所病院という特性上、研究熱心であった多くの医師達に希望と活力を与えることとなった。

その後、救急指定病院、臨床研修指定病院、日本育英会学資金返還免除対象研究所などの指定を受けるとともに、麻酔科・脳神経外科・神経内科といった新しい診療科も新設。増改築を繰り返して、2001年に現在の場所に新築移転する。地上15階・地下3階・塔屋1階の建物規模で、株式会社日建設計によって設計され、鴻池・大成・大林・佐藤・ピーエス共同企業体によって施工された。

医療情報オーダリングシステムを拡充させ、ICU(集中治療室)・CCU(冠動脈疾患集中治療室)・SCU(脳卒中ケアユニット)・NICU(新生児特定集中治療室)を開設し、呼吸器・消化器・心臓・神経といった専門領域のセンター化を推進。さらに、大阪府がん診療拠点病院・地域医療支援病院・地域周産期母子医療センターなどの指定も受け、2011年11月1日には財団法人から公益財団法人へと移行した。

現在、医学研究所は12の研究部門と治験管理センターで構成され、医学研究所病院として、大阪における高度先進医療の基幹病院として、時代の変化に遅れることなく歩み続ける。

沿革

西暦 和暦 内容
1925年 大正14年 9月 医学に関する総合研究を行い、あわせて京都帝国大学(現 京都大学)医学部における学術研究を助成し、研究の成果の普及を図り、もって学術・文化の発展に寄与することを目的として、田附政次郎が寄付金を提供する。
1925年 大正14年 10月 文部、内務両大臣の認許を受ける。
1925年 大正14年 11月 財団法人田附興風会を設立する。
1928年 昭和 3年 2月 病床数120床をもって、京都帝国大学医学部に付属する臨床医学研究用として北野病院を開設する。

京都帝国大学工学部助教授 森田慶一博士がドイツ流の病院を参考に設計し、大正末期〜昭和初期の病院としては「モダンで重厚な外観」と評された。
建物中間に空地を画し、採光と通気面を拡大させた間取りで、耐震への力学的配慮も十分になされていたため、1995年の阪神淡路大震災でも、大きな被害は受けなかった。
敷地:東西三七間、南北二九間。 面積:一〇三七坪。
建物規模:本館:地上4階、地下1階/別館:地上2階、地下1階。
ちなみに院章も、森田慶一博士が考案したいくつかの意匠の中から選ばれた。

1928年 昭和3年 3月 本院講堂にて、開院式を挙行する。

主な出席者:田附政次郎、今村初代理事長、松本初代病院長、荒木京都帝国大学総長、田辺大阪府知事、關大阪市長、佐多大阪医学会長、薄大阪府医師会長など。

1929年 昭和4年 3月 研究所病院としての独自性を発揮し、各研究員の研究意識を向上させることを目的に、医学研究所機関誌として「田附興風会医学研究所北野病院 業績報告(現 北野病院紀要)」を発行する。

表紙を飾る題字は、医学研究所長でもある今村初代理事長によって手交されたが、誰の手によるものかは定かでない。
英文題字「Memories of the Kitano Hospital Osaka」は、今村が考案したものである。

1929年 昭和4年 6月 昭和天皇陛下 大阪行幸の砌、御差遣の侍従を迎える光栄に浴す。
1930年 昭和5年 3月 大阪府から「看護婦規則第二条第一項第二号の養成所」として指定を受ける。

 第1期卒業生は12名で、同年5月24日に卒業証書授与式を執り行う。

1935年 昭和10年 3月 中新館(北側)を増築する。

敷地:東西十一間五七、南北二十八間。 面積:三二四坪。
建物規模:地上3階、地下1階
診療室・検査室・物理療法室・医員室・看護婦寄宿舎・炊事場・病室8室13床 など

1938年 昭和13年 3月 十周年記念式と財団創立者 田附政次郎の肖像除幕式を挙行する。
1938年 昭和13年 4月 中新館(西側)の増築により、病床数が188床となる。

建築延面積:五九六坪五合三勺。
建物規模:地上4階、地下1階
治療室・看護師詰所・配膳室・炊事室・エレベーター・機械室 など
戦前の建築全盛期における建造のため内装・外装に趣向が凝らされ、
ヨーロッパ風からアメリカ風のデザインに移行する。この頃から、冷暖房設備が完備される。

1941年 昭和16年 8月 第二次世界大戦への参戦に伴い、数多くの医師が軍医として応召される。
1945年 昭和20年 6月 大阪大空襲により再起不能なまでの戦災に遭遇したため、即日閉院となる。

8月を以って病院事業を打切り、建物・薬品・その他の在庫品の一部を売却する。

1945年 昭和20年 10月 連合国軍に病院施設が接収される。
1950年 昭和25年 11月 連合国軍接収解除に伴い、188床で再開院する。

本年度の患者動態
延外来患者数10,963名、一日平均外来患者数97名。
延入院患者数7,389名、一日平均入院患者数54名。

1950年 昭和25年 12月 完全看護(一部)完全給食(全部)を実施する。承認番号:特看第二号/食第十六号
1951年 昭和26年 11月 212床に増床する。
1952年 昭和27年 7月 244床に増床する。
1952年 昭和27年 10月 電話を5回線増設して代表番号制とする。
1954年 昭和29年 12月 人間ドックを開設する。

結核病床の増設により、病床数が353床となる。

1955年 昭和30年 11月 医学研究所機関誌「北野病院紀要(旧 田附興風会医学研究所北野病院 業績報告)」を再刊。

表紙を飾る題字は、当時の理事長であった三浦百重の執筆に係るものである。
英文題字は、編集担当者がいくつか考案した中から、当時の病院長であった松浦篤実によって選定された。 

1955年 昭和30年 11月 再開院五周年記念式典をナニワホテルに於いて挙行する。
1956年 昭和31年 6月 大阪府から救急指定病院の指定を受ける。
1957年 昭和32年 7月 総合病院の承認を受ける。
1958年 昭和33年 6月 「北野病院紀要」が国会図書館から、国際交換図書に指定される。
1959年 昭和34年 6月 短期人間ドックを開設する。
1959年 昭和34年 12月 「関税免除機関」の指定を受ける。
1961年 昭和36年 11月 麻酔科を開設する。
1962年 昭和37年 1月 大阪市より土地(西館用地)の払下げを受ける。
1962年 昭和37年 4月 新館の増築により、病床数が510床となる。

敷地面積を最大限に活用するため、地上6階地下2階とする。
廊下を左右に二条とし、南北面に病室を配し、中央には階段室・EV・トイレ・処置室・詰所等を設けたコア様式とする。
パイピング及び換気ダクト用ピットを各1、汚物シュート及びダストシュート各1が各階に通じている。
詰所と各病室間には、インターホンによる相互通話が可能となる。
病室には酸素吸入用コックを設け、酸素室からパイプで送られるようになる。
地下1階に類例の少ない地下手術室を設け、換気調温のためのエアコンや採光・照明・消毒・殺菌・防湿等の特殊設備が施される。
中央材料室・電気・ボイラー室・機械室等が、地下2階に集約される。

1962年 昭和37年 6月 脳神経外科を開設する。
1962年 昭和37年 7月 厚生省から「インターン臨床研修病院」に指定される。
1968年 昭和43年 1月 専門内科外来を開設する。
1968年 昭和43年 7月 厚生省から「臨床研修指定病院」に指定される。
1980年 昭和55年 4月 神経内科を開設する。
1981年 昭和56年 3月 西館の増築により、病床数が741床となる。
1983年 昭和58年 4月 神経センターを開設する。
1985年 昭和60年 2月 文部省から「特定公益増進法人」の指定を受ける。
1986年 昭和61年 9月 地域医療研修センターを開設する。
1993年 平成 5年 3月 文部省から「日本育英会学資金返還免除対象研究所」の指定を受ける。
1998年 平成10年 4月 脳卒中センターを開設する。
1998年 平成10年 6月 新病院の地鎮祭・起工式を挙行する。(旧 扇町中学校跡地)

主な出席者:本庶佑理事長、田附政次郎理事、本田孔士京都大学附属病院長、菊池晴彦国立循環器病センター総長、京極俊明大阪府会議員、岡村平太北区医師会長など

1998年 平成10年 11月 医療情報オーダリングシステムを導入する。(入院)
2000年 平成12年 1月 形成外科を開設する。
2000年 平成12年 4月 救急部を開設する。
2001年 平成13年 5月 新病院竣工。
2001年 平成13年 9月 新病院開院。

敷地面積:9969.86㎡。延床面積:58532.02㎡。建築面積:5139.86㎡。
建物規模:地上15階、地下3階、塔屋1階。構造:SRC造、S造、RC造。
外観は半円の曲線を描くモダンなスタイルで、開放感あふれる院内環境とした。
全ベッドサイドに窓を設置し、太陽光や自然の風が豊富に取り込める明るい病室で、総室も最高4人までとした。

医療情報オーダリングシステムを拡充する。(入院・外来)
健診部を開設する。(現 健康管理センター)
老人性認知症センターを開設する。
NICU(Neurosurgical Care Unit 新生児特定集中治療室)を開設する。

2002年 平成14年 5月 小児外科を開設する。
2005年 平成17年 2月 北野健康クラブを発足する。
2005年 平成17年 4月 呼吸器内科消化器内科循環器内科を分科する。

心療内科を開設する。

2005年 平成17年 5月 内視鏡部を開設する。

財団法人 日本医療機能評価機構から「病院機能評価 Ver.4」の認定を受ける。

2005年 平成17年 6月 免疫血液内科を、血液内科とリウマチ膠原病内科に分科する。
2006年 平成18年 4月 消化器センターを開設する。

乳腺外科を開設する。
ICU(Intensive Care Unit 集中治療室)を開設する。

2006年 平成18年 5月 SCU(Stroke Care Unit 冠疾患集中治療室)を開設する。
2006年 平成18年 6月 CCU(Coronary Care Unit 脳卒中集中治療室)を開設する。
2006年 平成18年 10月 特定非営利活動法人イージェイネット女性医師のキャリア形成・維持・向上をめざす会から「働きやすい病院評価」の認定を受ける。
2007年 平成19年 3月 心臓血管外科を新設して、心臓センターを開設する。
2007年 平成19年 05月 精神病床を20床に減床する。(許可病床707床)
2007年 平成19年 06月 呼吸器内科と呼吸器外科を統合して、呼吸器センターを開設する。
2007年 平成19年 7月 がん診療連携相談支援センターを開設する。
2008年 平成20年 2月 医療情報オーダリングシステムを拡充する。
2008年 平成20年 4月 糖尿病内分泌センターを開設する。
2008年 平成20年 8月 神経内科・脳神経外科を統合して、神経センターを再編する。
2009年 平成21年 4月 大阪府から「大阪府がん診療拠点病院」の指定を受ける。
2009年 平成21年 4月 総合診療センターを開設する。
2009年 平成21年 11月 大阪府から「地域医療支援病院」の承認を受ける。
2010年 平成22年 11月 禁煙タクシーを導入する。
2010年 平成22年 2月 大阪府から「地域周産期母子医療センター」の認定を受ける。
2010年 平成22年 4月 財団法人 日本医療機能評価機構から「病院機能評価 Ver.6」の認定を受ける。
2011年 平成23年 9月 北野病院附属画像診断クリニックを開設する。
2011年 平成23年 10月 骨髄移植推進財団から「非血縁者間骨髄移植施設」の認定を受ける。
2011年 平成23年 10月 骨髄移植推進財団から「非血縁者間末梢幹細胞採取施設」の認定を受ける。
2011年 平成23年 11月 公益財団法人に移行する。
2012年 平成24年 4月 厚生労働省から「DPCⅡ群病院」の指定を受ける。 
2012年 平成24年 5月 特定非営利活動法人イージェイネット女性医師のキャリア形成・維持・向上をめざす会から「働きやすい病院評価」の更新認定を受ける。
2013年 平成25年 2月 精神科病床数を12床に減少する。(許可病床699床)
2013年 平成25年 3月 腫瘍内科を新設する。
2013年 平成25年 4月 内視鏡手術支援ロボットを導入する。
2013年 平成25年 5月 森之宮医療大学と相互連携協定を締結する。
2013年 平成25年 7月 外来化学療法室を移設し、14床から26床とする。
2013年 平成25年 8月 腎泌尿器センターを開設する。
2014年 平成26年 4月 ブレストセンターを開設する。

財団の概要

事業目的

  • 医学に関する総合研究を行い、もって学術、科学技術、文化の振興・発展に寄与する。
  • 前条の目的を達成するため臨床医学研究用病院を設置し、臨床情報に基づく総合医学研究及びこの法人の目的を達成するために

  関連する事業を行うとともに研究成果の普及をはかる。

認許

  • 1925年10月10日

主たる事務所

  • 大阪市北区扇町2-4-20 公益財団法人 田附興風会 医学研究所 北野病院内

従たる事務所

  • 京都市左京区聖護院川原町54 京都大学医学部付属病院内

役員・評議員

  • (2013年12月現在)
理事長 藤井信吾 北野病院 病院長
常務理事 松田康孝 北野病院 副院長
理事 田附正夫 団体役員
理事 三嶋理晃 京都大学医学部附属病院 病院長
理事 成宮 周 京都大学大学院医学研究科 特任教授
理事 橋本信夫 国立循環器病研究センター 理事長
理事 森田陸司 医療法人医仁会 武田総合病院 病院長
理事 笹田昌孝 滋賀県病院事業庁 庁長
理事 中村孝志 独立行政法人 国立病院機構 京都医療センター 病院長
理事 安藤忠雄 東京大学 特別栄誉教授
理事 村田庄司 北野病院 事務統括部長
理事 湊 長博 京都大学 理事・副学長
監事 奥田 実 公認会計士、税理士
監事 國谷史朗 弁護士
評議員 上本伸二 京都大学 医学部長
評議員 塩田浩平 滋賀医科大学 学長
評議員 本庶佑 京都大学大学院医学研究科 客員教授
評議員 坪山直生 京都大学大学院医学研究科 教授
評議員 髙月 清 元北野病院 病院長
評議員 菊池晴彦 神戸市民病院機構 理事長
評議員 乾 賢一 京都薬科大学 学長
評議員 隠岐尚吾 大阪赤十字病院 病院長
評議員 小笠原敬三 公益財団法人 倉敷中央病院 常務理事・病院長
評議員 田中一成 静岡総合病院 病院長
評議員 上田孝典 福井大学 理事・副学長
評議員 福島雅典 公益財団法人 先端医療振興財団 臨床研究情報センター センター長
評議員 千葉 勉 京都大学大学院医学研究科 教授
評議員 岡崎和一 関西医科大学医学部 内科学第三講座 教授
評議員 河野浩二 大阪ガス株式会社 顧問

医学研究所の概要

  • 臨床医学研究(日常診療の臨床の現場からの疑問を解くことをその考え方の基本として、先端科学との接点・応用を考え、

  臨床医学の現場に還元してゆくこと)を徹底的に追求することをその使命とする。

研究体制

第1研究部門 癌研究部門 Kitano Institute of Oncology
第2研究部門 心・血管・肺・血液障害研究部門 Kitano Research Center of Heart, Lung, Blood Diseases
第3研究部門 代謝・消化栄養・体液平衡障害研究部門 Kitano Research Center of Diabetes, Digestive and Kidney Diseases
第4研究部門 免疫・アレルギー・感染・病理研究部門 Kitano Research Center of Immunology, Allergy, Infection and Pathological Disorders
第5研究部門 精神・神経・感覚・運動器障害研究部門 Kitano Research Center of Mental Neurological, Sensory and Motor Organ Disorders
第6研究部門 発生・再生・発達障害研究部門 Kitano Research Center of Child Health and Human Reproduction and Development
第7研究部門 生体画像・医療機器学研究部門 Kitano Research Center of Bioimaging and Bioengineering
第8研究部門 予防・医療疫学・検査医学研究部門 Kitano Research Center of Preventive and Epidemiological Medicine
第9研究部門 薬学・生理学研究部門 Kitano Research Center of Drug
第10研究部門 看護学研究部門 Kitano Research Center of Nursing
第11研究部門 医療情報管理、経営企画研究部門 Kitano Research Center of Medical Information and Administration
第12研究部門 東西医学研究部門 Kitano Research Center of Oriental and Western Medicine
治験管理センター 治験管理部門

病院の概要

理念

  • 質の高い医療を実践し、信頼される病院をめざします。
  • 病む人の立場に立った安心の得られる病院をめざします。
  • 各自が医療人としての誇りをもって最善を尽くす病院をめざします。

基本方針

  • 地域の中核病院として先進の医療を実践します。
  • 人権尊重を基盤として情報公開とインフォームドコンセントを推進します。
  • 快適・安全・清潔な医療環境を提供します。
  • 医療水準の向上のために教育・研修および臨床研究に努めます。
  • 各自が自覚をもって経営の健全化に協力します。

歴代病院長

氏名 就任期間
初代 松本信一 1925〜1931
第2代 岡林秀一 1931〜1934
第3代 星野貞次 1934〜1937
第4代 盛 新之助 1937〜1940
第5代 服部峻治郎 1940〜1944
第6代 三浦百重 1944〜1945
第7代 菊池武彦 1945〜1951
第8代 後藤光治 1951〜1953
第9代 松浦篤実 1953〜1961
第10代 山本俊平 1961〜1965
第11代 荒木千里 1965〜1972
第12代 長石忠三 1972〜1984
第13代 日笠頼則 1984〜1990
第14代 松田 晉 1990〜1996
第15代 髙月 清 1996〜2003
第16代 山岡義生 2003〜2009
第17代 内山 卓 2009〜2010
第18代 藤井信吾 2011〜

概要

  • 建物構造:SRC造S造RC造
  • 建物規模:本館医学研究所病院棟―地上15階、地下3階、塔屋1階  第2健診棟―地上2階  別館医学研究所棟―地上6階
  • 職員数:1,350名前後(医師職270名前後・看護職750名前後・コメディカル職180名前後)

診療科

  • 総合診療センター
  • 呼吸器センター
  • 消化器センター
  • 神経センター
  • 心臓センター
  • 腎泌尿器センター

医療機関の指定等

病院の種類

  • 一般病院
  • DPC対象病院(急性期入院医療診断群分類包括評価方式対象病院)

看護体系と体制

  • 体系 : 一般病棟 7対1入院基本料 / 精神科病棟 15対1入院基本料
  • 体制 : 継続受持制

施設認定

診療指定

救急指定

研修・実習指定

学会認定

患者・家族などを対象とした各種教室など

市民医療講座

春・夏・秋・冬の年4回、土曜日14時〜15時に開催される医療講座である。
事前予約不要。参加費無料。
各診療科医師(部長/副部長)、看護師、薬剤師、理学療法士などが交代で講師を務める。
担当窓口:広報委員会事務局

救急講習会(心肺蘇生法、講義)

「まさかの時」に適切な対応ができるよう、正しい対処法と知識を身につけるための講習会である。
奇数月は「心肺蘇生法の実習」を、偶数月は「気になる病気に関する講義」を行っている。
事前予約不要。参加費無料。
【心肺蘇生編】実際に成人と小児の人形を使って、胸骨圧迫とAEDの講習を行う。
【講義編】気になる疾患のアレコレについて講習を行う。
救急部看護師が講師を務める。
担当窓口:救急部 

糖尿病教室

原則、毎週水曜日(5週目以外)14時〜15時に開催される教室である。
事前予約不要。参加費無料。
糖尿病・循環器・腎臓・神経などの専門医、看護師、検査技師、薬剤師、栄養管理士、理学療法士が交代で、
糖尿病に関する基本的な事柄について講義を行っている。
担当窓口:糖尿病内分泌センター

腎臓病教室

原則、毎月第4木曜日14時30分〜15時45分に開催される教室である。
腎臓を専門とする医師、看護師、検査技師、薬剤師、栄養栄養士、理学療法士、医療ソーシャルワーカーが交代で、
以下のテーマについて講義する。
担当窓口:血液浄化センター

医師 腎臓について、慢性腎臓病について
看護師 禁煙のすすめ
臨床検査技師 検査でわかる事
薬剤師 腎臓病の薬について
管理栄養士 今日からできること!、食事療法の基本とコツ、季節の注意点
理学療法士 慢性腎臓病と運動療法
医療ソーシャルワーカー 利用できる副趾制度とは

リウマチ・膠原病教室

消化器病教室

出産準備クラス

安全で自然なお産を目的として開催している。
全クラス予約制で、定員40名。参加費有料。

  • 前期クラス(妊娠23週まで)

  日時:第3水曜日14時〜16時
  内容:妊娠経過、健康な体づくり、妊娠中の異常

  • 中期クラス(妊娠24週〜35週まで)

  日時:第2水曜日・第2土曜日10時〜12時、第3水曜日10時〜12時
  内容:お産のビデオを見よう、お産の経過、陣痛とうまくつきあう方法、呼吸法練習、
     自分にとって納得できるお産をするには?、入院生活

  • 後期クラス(妊娠28週〜35週まで)

  日時:第2水曜日・第2土曜日10時00分〜12時00分
  内容:心配な事はないですか、妊婦体操(実技)、入院物品と育児用品、産科病棟を見ておこう

両親クラス

新しい家族を迎えるためのお産や育児に関する勉強会。 月1回開催の4回コース。全コース予約制。参加費有料。

  • 第1回

  日時:第1・3土曜日10時〜12時
  内容:北野病院 産科のご紹介、妊娠経過とすごし方、パートナーの妊婦体験
      赤ちゃんを抱っこしてみよう(お人形)、赤ちゃんの心音を聞いてみよう

  • 第2回

  日時:第1・3土曜日10時〜12時
  内容:心と体の準備、入院物品と育児用品の準備、おむつ交換を体験してみよう、妊婦体操(実技)、産科病棟を見ておこう

  • 第3回

  日時:第1・3土曜日14時〜16時
  内容:どんなお産がしたいですか、お産の経過、陣痛とつきあう方法(実技)、呼吸法練習、入院時期と方法

  • 第4回

  日時:第1・3土曜日14時〜16時
  内容:育児、お産後経過、母児同室、母乳育児、マタニティブルー、赤ちゃんの沐浴(お人形で実技)

患者会

パンジーの会(糖尿病)

  日本糖尿病協会に加入する糖尿病友の会。
  全国1,400の病院・診療所にあり、医療者と患者によって独自の勉強会や歩く会などを開催している。

北心会(循環器)

  北野病院循環器内科に入院または通院の経験がある方を対象とする。
  心臓病患者間の親睦、情報交換、健康管理、知識の向上などを活動目的とする。

クレソンの会(乳がん)

交通アクセス

その他

  • 2004年11月5日、皇居・宮殿で2004年度の瑞宝重光章の親授式が開かれた。公益財団法人田附興風会評議員・元北野病院長の髙月 清に、長年にわたる血液学での功績を称え、天皇陛下が勲章を授与された。九州などの海浜地帯によく見られるレトロウイルスの一種、HTLV-1感染によって起こされる成人T細胞白血病(ATL)の発見者であり、ATLの病像の解明、診断法の確立、疫学調査など、著しい進歩をもたらした。また、ATL以外の血液疾患全般について臨床に基づく研究を推進し、HIV研究にも先鞭をつけた。


  • 2009年2月、大阪市で民間病院を運営する財団法人が、同市に対して病院の固定資産税などの賦課決定処分の取り消しを求める訴訟を起こし、最高裁判所が市の上告不受理を決め、市の敗訴が確定していたことがわかった。市は過去7年分の課税額と還付加算金計約17億円を法人に返還するとみられる。市は「病院を固定資産税の課税対象外とした判決は極めて珍しい」としている。財団法人は、大阪市北区で医学研究所北野病院を運営する田附興風会。市によると、同会は2001年に病院を建て替え、新病院の運営を開始。翌年から市に土地・建物の固定資産税と都市計画税を課税された。地方税法では財団法人自らが学術研究を行う施設は非課税とされることから、同会は2003年に市を提訴。2006年に大阪地方裁判所が「売店や食堂などを除いて非課税とすべきだ」などとして市側の訴えを退け、大阪高等裁判所も控訴棄却。市側が上告受理を申し立てていた。大阪市内では、病院運営主体の多くが医療法人のため課税対象で、財団法人にも同様に課税しているという。市の担当者は「決定を厳粛に受け止めたい」。法人側は「画期的な司法判断」とする談話を出した。


  • 2012年7月、同病院において筋弛緩剤を紛失した問題で、大阪府警察に適正管理を怠ったとして薬事法違反容疑で書類送検されていた管理責任者の医師と法人としての病院について、大阪地方検察庁は2013年4月1日、不起訴処分とした。大阪地方検察庁は、処分理由を明らかにしていない。病院側は「誤廃棄の可能性が高い」と説明していた。


  • 2013年11月3日、皇居・宮殿で2013年度の文化勲章の親授式が開かれた。京都大学名誉教授・公益財団法人田附興風会評議員の本庶佑ら5人に、天皇陛下が勲章を授与された。本庶氏は「長いことぶれずに研究を続けてきたことへのご褒美。私どもの研究分野の若い人にとって大きな励みになる。」と話した。

脚注


参考文献

  • 財団法人田附興風会医学研究所 北野病院「再開十五周年記念 北野病院史」(非売品) 1966年3月30日発行
  • 財団法人田附興風会医学研究所 北野病院「創立五十二周年/再開三十周年 記念史」(非売品) 1980年11月16日発行

関連項目

外部リンク