勢多型砲艦

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勢多型砲艦
基本情報
艦種 砲艦(河用)
命名基準 勢多、保津、比良、堅田
前級 鳥羽型
次級 熱海型
要目
排水量 基準:330t 常備:338t 公試:383t
全長 56.08m
最大幅 8.23m
吃水 1.02m (公試平均)
主缶 ロ号艦本式混焼缶2基
主機 直立2段膨張レシプロ2基2軸 2,100hp
速力 16.0kt
航続距離 1,750NM / 10.0kt
燃料 石炭20t 重油74t
乗員 62名
兵装 40口径8cm単装高角砲2門
留式7.7mm機銃6挺
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勢多型砲艦(せたがたほうかん)は、かつて大日本帝国海軍が保有した砲艦の艦級の一つ。大正9年計画艦。同型艦4隻を一挙に作り砲艦の充実を目指した。製作は国内の播磨造船と三菱神戸が2隻ずつ担当し、中国へ分解輸送、現地で組み立てた。

同型艦

保津を除いた三隻は近江八景から名付けられている。

  • 勢多(せた)
    • 1922年4月29日 播磨造船にて起工
    • 1923年1月25日 上海東華造船会社で組み立て
    • 1923年6月30日 進水
    • 1923年10月6日 竣工
    • 上海で終戦。中国軍が接収、「長徳」と改名
    • 1945年9月30日 除籍
  • 保津(ほづ)
    • 1921年8月15日 三菱神戸造船所にて起工
    • 1922年4月17日 揚子機器有限公司で組み立て
    • 1923年4月19日 進水
    • 1923年11月7日 竣工
    • 1944年11月26日 安慶にて敵機の攻撃を受けて大破かく座
    • 1945年5月10日 除籍
  • 比良(ひら)
    • 1921年8月15日 三菱神戸造船所にて起工
    • 1922年4月17日 揚子機器有限公司で組み立て
    • 1923年3月24日 進水
    • 1923年8月24日 竣工
    • 1944年11月26日 安慶にて敵機の攻撃を受けて大破
    • 1945年9月30日 除籍
  • 堅田(かたた[1]
    • 1922年4月29日 播磨造船にて起工
    • 1923年1月25日 上海東華造船会社で組み立て
    • 1923年7月16日 進水
    • 1923年10月20日 竣工
    • 1945年4月2日 上海にて敵機の攻撃を受けて大破かく座
    • 1945年5月3日 除籍

参考文献

  1. 雑誌「丸」編集部、写真|日本の軍艦 第9巻 軽巡Ⅱ、光人社、1990年

脚注

  1. ^ 海軍大臣達 『2月』第11画像 (大正10年2月17日付 海軍大臣達第26号)。『世界の艦船 増刊第47集 日本海軍特務艦船史 p.98』でも読みは「かたた」であり、「かただ」ではない。

関連項目