仮名手本忠臣蔵

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忠臣蔵:堀部弥兵衛堀部安兵衛 歌川国貞

仮名手本忠臣蔵』(かなでほん ちゅうしんぐら、旧字体:假名手本忠臣藏)は、元禄赤穂事件を題材とした人形浄瑠璃および歌舞伎の代表的な演目。

概要

『仮名手本忠臣蔵』は二代目竹田出雲・三好松洛・並木千柳の合作によるもので、太平記巻二十一「塩冶判官讒死の事」を世界としている。

沿革

人形浄瑠璃としての初演は寛延元年八月十四日(1748年9月6日)から同年十一月中頃(1749年1月初頭)まで大坂竹本座においてで、同年十二月一日(1749年1月19日)には大坂中の芝居で歌舞伎版が初演された。江戸では翌寛延二年二月六日(1749年3月24日)森田座で初演されている。

本作以前にこの赤穂事件を扱った歌舞伎や人形浄瑠璃の演目としては、事件後間もない元禄十四〜五年(1702–03年)の『東山榮華舞台』(江戸山村座)、『曙曽我夜討』(江戸中村座)や、宝永六年(1710年)の、『太平記さざれ石』、『鬼鹿毛無佐志鐙』、そして近松門左衛門作の『碁盤太平記』などがあり、その世界も「小栗判官物」、「曾我兄弟物」、「太平記物」などさまざまだったが、『碁盤太平記』あたりから世界が「太平記物」となり、それぞれの役の振分けも固定してくる。これを受けて忠臣蔵ものの集大成として作られたのが本作である。

外題

その外題は、赤穂四十七士いろは四十七字にかけて「仮名手本」、そして「忠臣大石内蔵助」から「忠臣蔵」としたというのが一般的。ただし「忠臣蔵」の方には異説もあり、蔵いっぱいにもなるほど多くの忠臣の意味を持たせたとする説、加古川本蔵こそが本当の忠臣だということを「本蔵」の間に「忠臣」を挟んで暗示したという説などがある(いろは歌の項の「暗号説」のくだりも参照されたい)。

位置づけ

『仮名手本忠臣蔵』は『菅原伝授手習鑑』『義経千本桜』とならぶ人形浄瑠璃の三大傑作といわれ、後代他分野の作品に大きな影響を及ぼしている。近代に至るまで支持されつづけている要因には、その構成が周到かつ堅牢なうえに、丸本歌舞伎にありがちな荒唐無稽さも少ない点があげられる。

本作は上演すれば必ず大入り満員御礼となる演目として有名で、かつては不況だったり劇場が経営難に陥ったりしたときの特効薬として「芝居の独参湯」と呼ばれることもあったほど。それだけに上演回数も圧倒的に多く、梨園ではこの『忠臣蔵』に限っては、どの役柄でも先人に教えを乞うことは恥といわれるほどである。


登場人物

『仮名手本忠臣蔵』があまりにも有名になったため、元禄赤穂事件に由来する格言には、史実における実在の人物の名よりも、本作における登場人物の名の方が用いられることが多かった。

登場人物 役柄 登場する段 役どころ モデル・備考
おおぼし ゆらのすけ よしかね 
大星由良助義金
立役実事   四・七・九・十・十一 塩冶家筆頭家老 赤穂藩浅野家筆頭家老大石内蔵助(良雄)。「ゆらのすけ」は「由良之助」と書かれることが多いが原作に拠る表記は「由良助」。
えんや はんがん たかさだ
塩冶判官高貞
立役・白塗り・辛抱役 一・三・四 伯州城主・御馳走役 赤穂藩主・浅野内匠頭(長矩)。史実の塩冶判官からは、その名と物語の発端となる逸話を借りる。「塩冶」は赤穂藩の名産物「赤穂の塩」にひっかけている。
こうの もろのう
高師直
敵役 一・三・四・十一 幕府執事 高家肝煎吉良上野介(義央)。史実の高師直からは、その名と物語の発端となる逸話を借りる。「高」は吉良上野介が「高家」だったことにひっかけている。
あしかが ただよし
足利直義
立役・白塗り 将軍足利尊氏の弟 勅使柳原資廉、同・高野保春院使清閑寺熈定など。史実の足利直義からは、その名を借りるのみ。
かおよ ごぜん
顔世御前
赤姫 一・四 塩冶判官の内室 浅野内匠頭正室・阿久利(瑤泉院)。史実の顔世御前からは、その名と物語の発端となる逸話を借りる。
いし
女房役 大星由良助の妻 大石内蔵助の妻・りく(香林院)
おおぼし りきや
大星力弥
立役・色若衆 二・四・七・九・十・十一 大星由良助の嫡男 大石内蔵助の嫡男・大石主税(良金)。「力弥」は「主税」を「ちから」と読むことにひっかけている。
もものい わかさのすけ やすちか
桃井若狭之助安近
立役・白塗り・若衆役 一・二・三・十一 浅野内匠頭と相役の
御馳走役
津和野藩主・亀井茲親。亀井茲親の官位は、はじめ能登守、のちに隠岐守で、「若狭之助」は若狭国能登国隠岐国の中間に位置していることにひっかけている。
かこがわ ほんぞう ゆきくに
加古川本蔵行国
立役・実事 二・三・九 桃井家家老 津和野藩亀井家家老・多胡外記(真蔭)
となせ
戸無瀬
女房役・片はずし 二・八・九 加古川本蔵の後妻で、
小浪の継母
こなみ
小浪
娘役 二・八・九 加古川本蔵の娘で、大星力弥の許婚
おの くだゆう
斧九太夫
老役 四・七 塩冶家家老 赤穂藩浅野家家老・大野九郎兵衛(知房)
おの さだくろう
斧定九郎
立役・色悪 四・五 斧九太夫の嫡男 大野九郎兵衛の嫡男・大野群右衛門
さぎざか ばんない
鷺坂伴内
半道敵 三・七・十一 高家家臣
はやの かんぺい しげうじ
早野勘平重氏
立役・白塗り・辛抱立役 三・五・六 塩冶家家臣 赤穂藩士萱野三平(重実)
 
おかる
娘役・女房役・傾城役 三・六・七 百姓与市兵衛の娘で、
早野勘平の女房、のち
一文字屋抱傾城
大石内蔵助の妾・二文字屋おかる
てらおか へいえもん
寺岡平右衛門
立役・白塗り・奴 七・十一 おかるの兄で、塩冶家足軽 赤穂藩足軽・寺坂吉右衛門(信行)
よいちべえ
与市兵衛
老役 平右衛門・おかる兄妹の父
 
おかや
花車方 平右衛門・おかる兄妹の母
いちもんじや おさい
一文字屋お才
女房役 一文字屋女将 人形浄瑠璃では一文字屋主人・才兵衛として立役。
あまかわや ぎへい
天河屋義平
立役 塩冶家出入り商人 赤穂浪士を支援したと伝わる天野屋利兵衛
やくしじ じろうざえもん
薬師寺治郎左衛門
敵役 塩冶判官に非情な
切腹の上使
幕府大目付庄田三左衛門(安利)
いしどう うまのじょう
石堂右馬之丞
半敵役 塩冶判官に同情的な
切腹の上使
幕府目付多門伝八郎(重共)。「石堂」は「多門」を「おかど」と読むことにひっかけている。

上演形態

『仮名手本忠臣蔵』は全十一段からなり、現在でもほぼその全段が演目として残っている稀な浄瑠璃・丸本歌舞伎である。ただし歌舞伎の内容は人形浄瑠璃とは大きく異なっている。その主な違いは次の通り。

歌舞伎の上演形態
大序 省略なし。
二段目 ほとんど上演されないが、場所を建長寺に改めた歌舞伎独自の脚本もある。
三段目 後半部「裏門合点」を省略することが多い。
四段目 「花献上・花籠」がふつう省略される。
落人 歌舞伎では清元「落人」を挿入することがある。
五段目 省略なし。
六段目 省略なし。
七段目 省略なし。
八段目 通しの場合、「落人」を挿入して八段目を省略することが多い。
九段目 前半部「雪こかし」を省略することが多い。
十段目 ほとんど上演されない。
十一段目 まったく上演されず、現在では後人の補筆による台本によって討入りの場面を上演する。

さらに都合によって大幅に台本を省略することもある。

なお通常二・八・九段目は上演されないが、昭和49年 (1974) 国立劇場において、逆に二・八・九段目だけを上演するという試みがあった。こうしないと、力弥・小浪の絡みがほとんどわからないからである。

あらすじ

大きく分けて、次の4編の物語から成り立つ。

  • 本編
    • 義士の仇討ち
      幕府執事の高師直が伯州大名の塩冶判官をいじめ抜き、耐えかねた判官は師直を斬りつける。判官は事件の責任をとり切腹させられ、お家断絶。家老の大星由良助は京の遊里祇園で放蕩三昧の日々を送り、絶対に仇討ちは無いと師直側が油断したころに高の屋敷への討ち入りを決行。見事に師直の首級をあげる。史実の元禄赤穂事件を『太平記』の世界のなかで描いた物語。
  • 従編
    • おかる・勘平の絡み
      勘平は塩冶判官の武士。おかるは判官の妻・顔世御前の腰元。二人は夫婦。勘平は塩冶判官のお供で外出するが、一人抜け出しておかると逢い引きを楽しんでいた。勘平不在のその時に、判官が師直に刃傷に及ぶという大事件が発生。勘平は責任を感じて、切腹をしようとするも止められる。二人は、駆け落ちという道しかなかった。勘平は師直への仇討ちに加わるべく軍資金を確保しようとし、成功する。しかし入手した手段が侍の道にもとる非道なものだと誤解され、切腹する。その直後勘平の無実が判明する。討ち入り血判状に判を押し、討ち入り組の一人に名を連ねたところで絶命する。同志の義士は勘平の財布を形見にして仇討ちに臨む。創作物語である。
    • 力弥・小浪の絡み
      大星力弥・小浪は夫婦。力弥は判官側の人間で、小浪は判官の師直への刃傷を押しとどめた男の娘。小浪の父は、力弥に殺されることによって、自らの行為を許してもらおうとする。力弥・小浪は一夜限りの夫婦生活を持ち、力弥は討ち入りの準備に出発する。創作物語である。
    • 師直・顔世御前の絡み
      師直が、非道なことに他人の妻に横恋慕して、顔世御前にちょっかいをだすが振られる。これが師直が判官を挑発する直接の原因となる。「高師直」と「塩治判官」はともに実在した人物から名を借りるのみだが、この箇所に限っては『太平記』で高師直が塩冶判官の妻に横恋慕した逸話を使っている。

従編の物語はすべて恋と金が絡む世話物である。

大序

  • 別名:鶴ヶ岡社前の場
  • 別名:兜改めの場

解説

口上人形
左は大石良雄の衣装をつけた二代目市川左團次。右は旧ソ連の映画監督エイゼンシュテイン。歌舞伎ソ連公演中、モスクワにて、1928年。

天王立で幕を開ける荘重な場面であり、歌舞伎では現在演目として行われている数少ない大序のひとつ。かならず幕前で、「口上人形」と呼ばれる操り人形による「役人替名」(やくにん かえな)、つまり配役を説明する口上があるが、これはとりもなおさず人形浄瑠璃の名残である。

東西声で幕を引いた後も、登場人物たちは人形身と称して下を向いて瞳を開かず、演技をしないで、竹本に役名を呼ばれてはじめて「人形に魂が入ったように」顔を上げ、役を勤めはじめる。

切りは敵役の師直、勇みたつ荒事の若狭介、二人を押しとどめる和事の判官と、『壽曾我對面』の幕切れと同じ形式になっている。

物語

将軍足利尊氏の命により、討取った新田義貞の兜を探しだし、これを鶴岡八幡宮に納めるため将軍の弟足利直義が遣わされる。直義の饗応役に塩冶判官と桃井若狭介が任ぜられ、その指導を高家高師直が受持つ関係上、三人も直義に従って八幡に詣で、御前に控えている。そこへ、数多く集めた兜のうちより義貞のものを見分けるために、かつて宮中に奉仕し、天皇より義貞に兜が下賜されるのを目にしたことのある、顔世御前(判官の奥方)が召され、見事に兜を見分ける。直義および饗応役の二人が兜を神前にささげるためにその場を離れると、顔世の美貌に一目ぼれした師直が横恋慕のあまり言寄る。そこへ折りよく来合わせた若狭介が顔世を救い、その場を去らせると、怒り心頭に発した師直は若狭介に悪口を言いかけ、短気な若狭介は刃傷に及ぼうとするが、通りがかった判官の仲裁によって事なきを得る。

二段目

台本が二種類あり、それぞれ別物である。

桃井館の場

桃井館上使の場

「空も弥生のたそかれ時、桃井若狭之助安近の、館の行儀、掃き掃除、お庭の松も幾千代を守る勘の執権職、加古川本蔵行国、年の五十路の分別ざかり、上下ためつけ書院先」の床の浄瑠璃で始まる。若狭之助の家老加古川本蔵は、主人が師直から辱めをうけたと使用人らが噂しているのをききとがめる。そこへ本蔵の妻戸無瀬と娘小浪が出てきて、殿の奥方までも知っていると心配するので、本蔵は「それほどのお返事、なぜとりつくろうて申し上げぬ」と叱り奥方様を御安心させようと奥に入る。そこへ、大星力弥が明日の登城時刻の口上の使者としてくる。力弥に恋心を抱く小浪は母の配慮もあって、口上の受取役となるがぼうっとみとれてしまい返事もできない。そこへ主君若狭之助が現れ口上を受け取る。

桃井館松切りの場

再び現れた本蔵は妻と娘を去らせ、主君に師直の一件を尋ねる。若狭之助は腹の虫がおさまらず師直を討つつもりだったことを明かす。本蔵は止めるどころか縁先の松の片枝を切り捨て「まずこの通りに、さっぱりと遊ばせ」と挑発する。喜んだ若狭之助は奥に入る。見送った本蔵は「家来ども馬引け」と叫んで、驚く妻や娘を尻目に馬に乗って一散にどこかへ去っていく。

鎌倉建長寺書院の場

幕末の七代目市川團十郎が始め、その台本が上方の中村宗十郎に伝わったという。掛け軸に記されている文字をめぐって若狭之助と本蔵とがやりとりをするという脚色。

三段目

進物の場・文使いの場(足利館城外の場)

進物の場

若狭助は師直を斬る覚悟をするが、若狭助の家老加古川本蔵が機転を利かせて師直に賄賂を贈る。ここでは師直は顔を見せない。賄賂を受け取る師直の家臣である伴内役者の腕の見せ所。

文使いの場

このあと、お軽は恋人勘平との逢瀬を目的に、顔世御前から師直あての文を、明日渡すはずを一日早く持って来る。そして、恋人同士の情事を仄めかす所で幕となる。このお軽の軽率さが次の場への悲劇への伏線となっていき、六段目の勘平の「色に耽ったばっかりに」の悲痛な後悔の台詞に繋がっている。筋としては重要な場面だが、今日は時間の都合で演じられない。

喧嘩場(足利館殿中松の間刃傷の場)

「おのれ師直真っ二つと、刀の鯉口息をつめ」と、登城した若狭助は師直を斬ろうとするが、既に、心付けを貰っている師直は「これはこれは若狭之助殿、さてさてお早いご登城」と卑屈に謝る。気勢をそがれた若狭之助は「馬鹿な侍だ!」と罵倒して去る。そこに判官が登城、「遅い!遅い!」と師直は侮辱された憤懣を判官にぶつける。折悪しくもその師直へ顔世からの求愛を断る手紙が届く。師直は判官を「鮒だ鮒だ。鮒侍だ!」「鮒侍とはあまり雑言、師直殿には御酒召されたか」「何だ、酒は飲んでも飲まいでも、勤るところはきっと勤る武蔵守」とさんざんに罵りいたぶる。たまりかねた判官は刀を抜こうとするが、殿中での刃傷は家の断絶と必死に我慢する。それでもなおも毒づく執拗な師直の嫌がらせに耐えかねた判官は、ついに師直へ刃傷におよぶが、屏風の陰にいた本蔵に抱き止められる。ここの作劇は高く評価されている。

若狭助が退場した後、判官登場までの間に師直が姿見で茶坊主に烏帽子に大紋素襖に着替える場面の演出がある。「姿見の師直」と呼ばれ三代目菊五郎が創作した。師直が着替えながら通りかかる大名たちに挨拶を交わすだけのものだが、明治以降は六代目菊五郎と二代目松緑が演じるくらいで、今日では全く廃れている。

裏門合点(足利館裏門の場)

早野勘平は腰元のお軽と情事の最中、主君の変事を聞いて慌てて裏門に駆けつけるが入ることを許されない。困った二人は纏わりつく伴内を振り切って駆け落ちする。この場は、次の「道行旅路の花婿」が人気狂言として定着した今日、ほとんど上演されることがない。

落人

この段のみ、「仮名手本忠臣蔵」ではないが、現在は一体化されて上演されている。浄瑠璃では三段目の結び。戦後の歌舞伎では四段目の後に独立した演目として設けられる。昼夜二部制では、落人で午前を終り、五段目からを夜の部にしている。「裏門合点」の代わりに上演される、楽しく色彩豊かな所作事。さわやかな清元を聞きながら、軽やかで華やかな気分を味わう演目。科白には地口も盛り込まれており、特に東京でよく出る。舞踊の定番の演目でもある。

おかる・勘平が駆け落ちを決行し、鎌倉から京都付近の山崎まで落ち延びる中途、戸塚(現在の横浜市)での出来事を描いている。戸塚は中途にはないはず、それでは逆戻りになるではないかなどというのは野暮というもの。もともとの設定は「夜」だったが、どう考えても「昼」としか言いようがない科白も出てくるが、これらはすべて時代物世話物を必ず合わせて上演した江戸時代の興行形態の名残りである。通常の「見取り狂言」の枠内でその場その場のみを上演すればまったく問題のない設定でも、「通し狂言」で上演すると前後のつながりが明白なので無理矛盾が生じてしまう。『仮名手本忠臣蔵』は通し狂言で上演されることが比較的多い演目なので、これが目立ってしまうのだ。

なおこの場で語られる浄瑠璃の詞章は、実は近松作の『冥途の飛脚』の一節の焼き直しである。

演出には三つの形がある。引き幕が引かれると浅黄幕の前で花四天が現れるもの、花四天を省略して浅黄幕だけを見せるもの(浅黄幕が引かれると、おかると勘平が連れ立って歩いている)、そして花四天が嘆き去った後に、花道からまずおかるが、次いで勘平が息荒げに走って現れるもの。

遠見に富士山も見える。おかるよ、ここで休もう。俺は主君(判官)を窮地に陥れてしまい、とても生きてはいられない。死後の弔いを頼むと勘平。そんなこと言っていないで、私の実家(京・山崎)に来て欲しいとおかる。あなたのためなら、機も織ります、賃労働も苦ではありませんとまで言わせる。よしわかったと勘平。

すると、おかるの上司で師直の部下である鷺坂伴内が花四天とともに登場。二人の旅路の邪魔をして、おかるをこちらによこせという(伴内はおかるを我が物にするつもりである)。勘平は不敵に笑い「ハテよい所に鷺坂伴内、おのれ一人食いたらねど、この勘平が細葱、料理一番食ろうて見ろエ」と下座に合せる律動的な調子で科白を廻し、派手に花四天をやっつける。おかる:「(判内さんよ、)それでは色(恋人)にならぬぞえ」。

二人が花道へ去ろうとすると、やっつけられてしまったはずの伴内が現れて、伴内:「勘平待て」。勘平:「なんぞ用か」。伴内:「その用は… 無い!」。勘平:「馬鹿め」。拍子木:「チョン!」 伴内が尻餅をつく。

幕が反対方向(下手から上手へ)に引かれる。伴内が幕に隠されそうになるが、途中から自分で幕を引く係になってしまう。幕開きの際、通常と逆に上手から下手へ引かれるのもこのためである。無事幕を引き終えて終了。

鷺坂伴内はもともと半道敵だが、この段に関しては完全な道化となっており、拵えも異なっている。

四段目

  • 別名:扇ヶ谷塩冶館の場
  • 異名:通さん場

解説

その名の通り、この段のみ上演開始以後は客席への扉を閉じて、遅刻してきても途中入場は許されない。出方からの弁当なども入れない。塩冶判官切腹という厳粛な場面があるためである。また、塩冶判官の役には厳しい口伝があり、出が終わった後には誰にも顔を合わせず口をきかず、すぐに家に帰らなければならない。江戸時代にはこれが堅く守られていた。

花献上・花籠の段

歌舞伎では花献上、浄瑠璃では花籠の段。蟄居して悶々と暮らしている判官に、腰元たちが一輪ずつ花を献上して慰める。通常は省略される。切腹の前にほっと心の安らぐ場面。

判官切腹

将軍家から石堂右馬之丞、薬師寺次郎左衛門が来訪、情け深い石堂に比べ、薬師寺は意地が悪い。判官は粛々と応対し、切腹を申し付けられる。家老の大星由良助が来るまではと待つが、なかなか現れず、「力弥、力弥、由良助は」「未だ参上仕りませぬ」「存命に対面せで、無念なと伝えよ。方々いざ、ご検分くだされ」と遂に短刀を腹に突き立てたときに由良助が駆けつける。「由良助か」「ハハッ」「待ちかねたわやい、何かの様子はきいたであろうな」「今はただ申すべきこともなく、尋常なるご最期を願わしゅう存じまする」判官は薄れゆく意識の中で最後の力を振り絞り「この九寸五分は汝が形見。切って恨みを晴らせわやい」と由良助に短刀を形見に渡し、由良助は胸を叩いて平伏する。これで判官の余の仇を討ての命令が下されたのである。判官は会心の笑みを浮かべて息絶える。成句「遅かりし由良之助」の語源である。由良助はここで初めて登場する。

評定

判官の死体が片づけられ、石堂は由良助に慰めの言葉をかけ薬師寺とともに奥に下がる。顔世御前が悄然と場を離れたあと、城明け渡し対応の会議をする。由良助はもう一人の家老斧九太夫と金の分配のことで対立し、九太夫は立ち去る。ここで由良助は、残った原郷右衛門、千崎弥五郎ら家臣たちに初めて主君の命を伝え、仇討のためにしばらく時節を待つように話す。やがて明け渡しの時が来る。由良助たちは「先祖代々、我々も代々、昼夜詰めたる館のうち」もう今日で終わりかと名残惜しげに去る。

城明け渡し(扇ヶ谷表門の場)

表門では仇討に意気込む息子力弥ら家臣達が険悪な雰囲気で立ち騒いでいる。由良助は郷右衛門らとみんなを説得させ退場させた後、一人残る。紫の袱紗から主君の切腹した短刀を取りだし、切っ先についた血をなめて復讐を誓うのである。釣鐘の音、烏の声に見送られ、由良助は花道の七三のあたりで座って門に向かい両手を突くのが柝の頭、門が引かれ無音で幕がしまる。(上方は柝を打ち続く)懐紙で涙をふき鼻をかみ、力なく立ちあがって、下手から登場した長唄三味線の送り三重によって去って行く。

上方では、1枚の板に門が描かれ、上半分をかえすと門が小さく描かれる「アオリ」を用い、どんどん門が遠くなっていく様を表している。

このときの烏の声は舞台裏で笛を吹く。初代中村吉右衛門の門人中村秀十郎は烏笛の名人だった。

五段目

  • 別名:山崎街道の場
  • 上方での別名:濡れ合羽

ここから、場面は京に程近い街道筋へと変わる。全段を通じて創作である。

勘平は猟師となり、おかると夫婦になる。勘平はこの時点で、師直への仇討ち謀議を知っており、その仲間に加わりたがっている。そのためには活動資金が必要であることも知っていた。おかるの父与市兵衛は、勘平のために、勘平には内緒で京の遊郭一文字屋におかるを百両で売り飛ばす交渉に成功した。与市兵衛は遊郭から支払われた前金の半金五十両を手にして、京から自宅への帰途につく。

時は旧暦6月29日(現在の真夏、7月~8月)の深夜。天気は雨、強烈に打ちつける雨が降っている(舞台構成上、これは強調されていない)。

鉄砲渡し

勘平は、この山崎で狩人(猟師)をして収入を得ている。あまりに雨が強いので、松の木の下で雨宿り。うかつにも商売道具である火縄銃の火が、雨で消えてしまった。そこに運よく灯り(提灯)を持った男が通りがかるではないか。「その火を貸してください」しかし、男は銃を所持している勘平を山賊だと思い込み、「俺はその手(軽く話しかけておいて、油断させる手口)は食わない、あっちに行け」と追いやる。勘平は、「自分は猟師だがこういう場所では盗賊と間違われるのも無理はない」と言い、鉄砲を男に渡してしまう。「武器はあなたに渡しましたから、私は丸腰ですよ。私はその火縄銃に種火をつけて欲しいだけ。あなたが火をつけて私に渡してくださいな」と言ったところで二人が顔を見合わせると、なんと二人は顔見知り。かつての塩谷判官の家臣,早野勘平と千崎弥五郎だった。

勘平は、「仇討ちの謀議にぜひ加わらせてくれ、連判状に自分も加えてくれ」と頼む。千崎は「コレサ、コレサ、勘平、はてさて、お手前は身の言いわけに取り混ぜて、御くわだての、連判などとは、何のたわごと」とわざととぼけ、亡君の石碑建立の御用金を集めている。合点か。と謎を掛ける。勘平は、すべてを飲み込み、金を用立てすると約束し、現在の住処を教える。千崎も承知し両名は別れる。

二つ玉

この部分は

  • 本行
  • 初代中村仲蔵より前の演出(現在でも上方歌舞伎に残る)
  • 初代中村仲蔵以後の演出(江戸歌舞伎)

がそれぞれ異なった演出となる。すなわち、六段目に次いで、江戸・上方の型が大きく異なるところである。

三人の登場人物が出てくるが、この三人を一人の役者が早替わりで勤めるというのも繰り返しとられる形である。

あらすじ

おかるの父与市兵衛は、勘平に渡すための金五十両を運んでいた。そのまま勘平に金が渡されればなんとも無い話である。ところが、道中山賊(盗賊)に殺され、金を奪われる。たまたまそのとき、勘平はその付近で猟をしており、盗賊を(しし)と間違えて偶然に誤射し、これも殺してしまう。勘平は盗賊が大金の入った財布を持っていることに偶然に気づき、持ち主を失ったその財布を横領してしまう。かくして、金五十両は勘平に直接渡らず盗賊を経由したがために、犯罪の金となってしまう。

後でそれが大変な悲劇、つまり六段目の勘平自殺につながる。すなわち、三人の登場人物はこの段、またはその次の段で全員死ぬことになる。鉄砲渡しの千崎も(物語には書かれないが)切腹自殺で終える。唯一死なないのは、猟師勘平に獲物として狙われていたはずの猪だけである。そこで、江戸時代に以下のような戯れ歌ができた。

五段目で 運のいいのは 猪(しし)ばかり

本行
安藤広重『忠臣蔵_五段目』より定九郎と与市兵衛

「又も振りくる雨の足、人の足音とぼとぼと、道の闇路に迷わねど、子ゆえの闇に突く杖も。直ぐなる心、堅親父」の床の浄瑠璃となる。花道より与市兵衛が現れる。上記のとおり、金を持っている。そこへ「おーい親父殿、待って下され」の声とともに怪しげな男が追いかけてくる。男は斧九太夫の息子・定九郎。親に勘当されて今では薄汚い盗賊である。「こなたの懐に金なら四五十両のかさ、縞の財布にあるのを、とつくりと見、つけてきたのじゃ、貸してくだされ」と無理やり懐から財布を取りだす。抵抗する与市兵衛に「エエ聞き分けのない。むごい料理をするが嫌さに、手ぬるう言えばつき上がる。サア、この金をここに出せ。遅いとたつた一討ちと、二尺八寸拝み打ち」と無残に斬りつけ、むごたらしく殺す。定九郎は与市兵衛の懐に手を伸ばし、財布を頂戴する。中身を確かめて「五十両」とほくそ笑む。 そこへ「はねはわが身にかかるとも、知らず立ったるうしろより、逸散に来る手負い猪。これはならぬと身をよぎる。駆け来る猪は一文字」の床の言葉どおり、猪が走ってくる。定九郎は草むらに隠れる。猪が現れて舞台の中を駆け抜ける。猪は上手に消える。定九郎は猪から逃げようと後ろ向きながら立ち上がる。その姿は猪のようである(猪のように見せなくてはならない)。ぬかるみに片足を取られてよろめく。

バーン!

背中を打ち抜かれた定九郎、血を吐き倒れこむ。

鳥屋から出てきたのは、今発射したばかりの火縄銃を抱えた勘平。片手で火のついた火縄の真ん中を持ち、先端をぐるぐると回しながら花道を通る。舞台で火縄銃の火を消し獲物に縄をかけるも、どうやら様子が変だ。「コリャ人!」薬はないかと死者の懐を探り財布の金を探し当て、自身が求める金が入ったと喜び「天の助けと押し戴き、猪より先へ逸散に、飛ぶがごとくに急ぎける。」の床の浄瑠璃通り花道を引っ込む(非常に技巧的に難しい)。

上方歌舞伎の演出

定九郎が与市兵衛に声をかけることは無い。冒頭、与市兵衛が現れてしゃがみこんだところ、突如二本の手が現れ、与市兵衛の足元をつかむ。定九郎の手である。そのまま引き込んで、与市兵衛を刺し殺す。定九郎は、与市兵衛を殺すまで一言も発しない。

また、定九郎のなりは山賊そのもののぼろの衣装である。通常、この役は端役として大部屋役者に割り当てられる。二代目實川延若は勘平、与市兵衛、定九郎三役早変わりの演出を行っていた。この型は三代目實川延若を経て今日では四代目坂田藤十郎に伝わっている。関西歌舞伎らしい見せ場に満ちたつとめ方である。

江戸歌舞伎の演出

初代中村仲蔵は、定九郎の人物設定そのものを変え、二枚目の役にした。黒羽二重の衣装で、非常に男前である。そもそも定九郎は、勘当される前は高級武士の息子だった。以後、定九郎は若手人気役者の役となった。また仲蔵自身も、門閥外だったにもかかわらず大きく出世した。

九代目市川團十郎は演出変更を多くおこなった。その一つが金を数える定九郎の科白である。「かたじけない」を取り「五十両…」だけにした。つまり、全編を通して、定九郎の科白がたった一つだけになったのである。

「二つ玉」の名の通り、江戸歌舞伎では勘平は銃を二発発射する。上方では、二つ玉の意味を二つ玉の強薬(つよぐすり)、すなわち「火薬が二倍使われている威力の強い玉」と解釈し、一発しか撃たない。

現行の『忠臣蔵』の演出は、五代目尾上菊五郎が完成させたもので、江戸歌舞伎にこれ以外の型はない。五代目尾上菊五郎は九代目市川團十郎とともに「團菊」とならび称される名優である。   「鉄砲渡し」の最初は勘平が笠で顔を隠している。時の鐘で笠をどけて顔を出す。まっ暗闇の舞台に勘平の顔が浮かび上がる優れた演出である。

挿話

猪役は「三階さん」と呼ばれる大部屋役者の役である。昔、ある大部屋役者が猪役に出ることになって、花道のかかりで待機していたら寝てしまった。夢うつつに「シシ、シシ」と叫ぶ声がするので、さあ大変出る場面を過ぎてしまったと大慌てで花見から舞台に走り出したら、丁度四段目、判官切腹の場面で猪が飛び出し劇がむちゃくちゃになった。「諸士」と舞台で言った声が「シシ」に聞こえてしまったのである。

ある大部屋役者が猪役で出た時、揚幕係がお前にも中村屋や成田屋みたいに声をかけてやろうというので、その役者は喜んだが何てかけてくれるのだろと思った。いよいよ本番、猪が花見から飛び出した。すると揚幕係が「ももんじ屋!」場内も舞台裏も大爆笑だった(ももんじ屋は猪料理店の名)。

昔はかなりいい加減な演出が行われていた。ある猪役の役者は本舞台にかかると、松の木に手をかけ見得をして「あすこに見えるは芋畑。どりゃひとつ食べてみるべえかい」と科白を廻したこともある。

背景説明

山崎街道とは西国街道を京都側から見たときの呼び名であり、西国街道とは山陽道のことである。山崎の周辺は、古くから交通の要衝として知られ、「天下分け目の天王山」で名高い山崎の戦いなど、幾多の合戦の場にもなってきた。この段の舞台は、横山峠、すなわち現在の京都府長岡京市友岡二丁目の周辺であり、大山崎町ではない。

与市兵衛はまったくの創作上の人物だが、友岡二丁目に「与市兵衛の墓」なるものが残っている。近代に観光用客寄せとして作られたものではない。与市兵衛と妻の戒名が記されている。無念の死を悼み、現在に至るまで花を手向ける人が絶えない。

六段目

初代尾上榮三郎の早野勘平(初代豊国画)
  • 別名:早野勘平住家の場
  • 別名:早野勘平腹切の場
  • 異名:愁嘆場

おかるは祇園女将お才と源六とともに売られていく。勘平も仇討のため身を売った女房の心遣いに感涙する。そこへ戸板に乗せられた与市兵衛の死骸が運ばれ大騒ぎとなる。勘平が持っていた財布から、射殺したのは舅ではないかと姑のおかやに疑われてしまう。勘平も夜の闇の中で何者か知らないで取った財布だけに、自身が義父を殺害したものと思い込んで動転してしまう。そして訪れた同志(二人侍 千崎弥五郎、原郷右衛門)からも、駆け落ち者からの金は受け取れない、ましてやそのために悪事を働くとは何事か。「喝しても盗泉の水を飲まずとは義者のいましめ、舅を殺し取ったる金、亡君の御用金となるべきか。亡君の御恥辱。いかなる天魔が見入れし」とさんざんに責められる。

切羽詰った勘平は切腹。やがて勘平の疑いは晴れ、知らぬうちに養父の仇討をしたことが分かる。だが遅すぎた。同志の心遣いで瀕死の勘平の名は討ち入りの連判状に加えられる。涙にくれるおかやと同志に見守られながら勘平は息絶え「さらば、さらば、おさらばと見送る涙、見返る涙、涙の、波の立ち帰る人も、哀れはかなき」という悲痛な浄瑠璃で幕となる。

切腹し瀕死の勘平が後悔にふける「いかばかりか勘平は色にふけったばっかりに」という科白が有名。

上方と関東では演出がかなり違う。たとえば、勘平が刃を腹につきたてるのは、関東では「うちはたしたは舅どの」の科白で同志が「なな何と」と叫ぶのをきっかけに行い、傷を調べ勘平の無実が晴れるのはそのあとである。上方では同志が与市兵衛の傷を改めている間、勘平の無実が晴れる寸前に行う。これは「いすかの嘴の食い違い」という浄瑠璃の言葉どおりに行うという意味である。また勘平の死の演出は、「哀れ」で本釣鐘「はかなき」で喉を切りおかやに抱かれながら手を合わせ落ちいるのが現行の型だが、這って行って平服する型(二代目実川延若)もある。これは武士として最期に礼を尽くす解釈である。また、上方は、勘平の衣装は木綿の衣装で、切腹ののち羽織を上にはおる。最後に武士として死ぬ意味である。関東は、お才らのやりとりの時に水色の絹の衣装に着替える。この時点で武士に戻るという意味であり、光沢のある絹の衣装で切腹するという美しさを強調している。論理的な上方と耽美的な関東の芸風の相違点がうかがわれる。

勘平は十五代目市村羽左衛門初代中村鴈治郎、二代目實川延若、十七代目中村勘三郎がそれぞれ名舞台だったが、抜群なのは六代目尾上菊五郎の型である。菊五郎は絶望の淵に墜ちていく心理描写を卓抜した表現でつとめ、現在の基本的な型をなっている。おかやは老巧な脇役がつとめることで勘平の悲劇が強調されるのでかなりの難役である。戦前は初代市川延女、戦後は二代目尾上多賀之丞五代目上村吉彌が有名、今は二代目中村又五郎が得意とする。祇園一力の女将お才は花車役という遊里の女を得意とする役者がつとめる。十三代目片岡我童九代目澤村宗十郎が艶やかな雰囲気でよかった。お才につきそう判人源六は古くは名脇役四代目尾上松助の持ち役だったが、戦後は三代目尾上鯉三郎が苦み走ったよい感じを出していた。

七段目

  • 別名:祇園一力の場
  • 異名:茶屋場

一方、由良助は仇討ちを忘れてしまったかのように祇園で放蕩に明け暮れる。同志たちが説得に来るが由良助は相手にしない。怒った同志は斬ろうとするも、足軽でおかるの兄、寺坂平右衛門に止められる。同志に加わりたい平右衛門であるが、由良助は話をはぐらかして相手にせず、敵討など「人参飲んで首くくるような」馬鹿げたものだと言い放つ。平右衛門は呆れて去ってしまう。敵方に寝返った九太夫が由良助の真意を探ろうとするが、由良助はこれをかわす。酔いつぶれて寝てしまう由良助。九太夫と師直の家臣、伴内はこっそり由良助の刀を見るが、真っ赤に錆びついている。「ヤヤ、錆たりな赤鰯」と驚く二人。

その後、頬かむりをした力弥が顔世からの密書を由良助に渡す。由良助は密書を読むが、おかると縁の下に隠れていた九太夫に盗み見されてしまう。由良助は秘密を知ったおかるを不憫ながらも討とうと、わざと身請けするといって退場。夫のもとに帰れると喜ぶおかるだが、そこに兄の平右衛門が現れる。由良助の言葉を聞いて「残らず読んだそのあとで互いに見交わす顔と顔。じゃら、じゃら、じゃらと、じゃらつきだいて身請けの相談。オオ!読めた!」とすべてを察し、妹を殺して同志に入れてもらおうと、悲壮な覚悟でおかるに斬りつける。驚くおかるに平右衛門は己の事情を話し、父も勘平もこの世にいないことを男泣きに告げる。おかるは自害しようとするが、そこに由良助が現れ、敵と味方を欺くための放蕩だったと本心を語る。おかるの刀に手を添えて、「こやつの息子が殺したようなものだ。父と夫の仇を討て」と床下の九太夫を刺し、平右衛門に同志に加わることを許す。感激する平右衛門に「鴨川で水雑炊をくらわせやい」と九太夫の処置を頼む。

前半部の由良助の茶屋遊びの件では「見たて」が行われる。見たてとは、にぎやかな囃子にのって、小道具や衣装ある物に見たてることである。九太夫の頭を箸でつまみ「梅干とはどうじゃいな」酒の猪口(ちょこ)をの上に置き「義理チョコとはどうじゃいな」手ぬぐいと座布団で「暫とはどうじゃいな」といった落ちをつける他愛もない内容だが、長丁場の息抜きとして観客に喜ばれる。いずれも仲居や幇間役の下回り、中堅の役者がつとめる。彼らにとっては幹部に認めてもらう機会であり、腕の見せ所となっている。

六段目で暗く貧しい田舎家での悲劇を見せられた後、一転して華麗な茶屋の場面に転換するその鮮やかさは、優れた作劇法である。序曲というべき「花に遊ばば祇園あたりの色揃え」のにぎやかな唄に始まり、美しい茶屋の舞台が現れる。芸子と遊ぶ由良助は紫の衣装が映える。心中に抱いた大望を隠し遊興に耽溺する姿は、十三代目片岡仁左衛門が近代随一だった。彼自身祇園の茶屋でよく遊んでいたため、地のままにつとめることができたのである。平右衛門は、十五代目市村羽左衛門、二代目尾上松緑が双璧。おかるは、六代目尾上梅幸が一番といわれている。幕切れ近く「やれ待て、両人早まるな」の科白で再登場する由良助は鶯色の衣装で、心根が変わっているさまを表す。幕切れは、平右衛門が九太夫を担ぎ、由良助がおかるを傍に添わせて優しく思いやる心根で、扇子を開いて見得を切る。

八段目

  • 別名:道行旅路の嫁入

加古川戸無瀬・小波の母娘が、ある決意を胸に二人きりで山科へと東海道を上る様子を所作事で描く。義太夫には東海道の名所が織りこまれ、旅情をさそう。道具(背景)も旅程に合せて次々転換させたり、奴をからませるなどの演出がある。

浄瑠璃の言葉も東海道の名所旧跡を織り込んで、許婚のもとに急ぐ親子の浮き浮きした気分を表す。また「紫色雁高我開令入給」という性行為を経文のように表しているのも御愛嬌である。幹部級の女形と若手女形が共演する全段中最も明るい場面で、これが九段目の悲劇と好対照をなす。「八段目の道行は、九段目に続ける気持で踊れ」とは六代目中村歌右衛門の言葉である。

九段目

  • 別名:山科閑居の場

大星力弥と若狭助の家老加古川本蔵の娘小浪は許婚だった。小浪とその母戸無瀬が山科の閑居に来て、結婚を願うが、力弥の母お石に判官を止めた本蔵の娘は嫁にできぬと断られる。戸無瀬は申し訳なさに小浪ともども自害しようとする。お石は三宝に小刀を乗せ「本蔵の白髪首見た上で盃さしょう。サア、いやか、応か」と迫る。そこに「加古川本蔵の首進上申す」と、虚無僧に変装した本蔵が現れ、由良助父子の悪態をついてお石と争いになる。怒った力弥が現れ本蔵を槍で突く。そこに由良助が現れる。「一別以来珍しし、本蔵殿、御計略の念願とどき、婿力弥の手にかかって、さぞ本望でござろうの」娘の恋のためわが身を犠牲にする本蔵の真意を見ぬいていた。由良助は奥庭にある雪で作った親子の墓を見せる。覚悟のほどを示す感謝した本蔵は、死に際、由良助に小浪を嫁にと頼み、「婿へのお引きの目録」と称して師直邸の絵図面を渡す。由良助父子は師直討ち入りの作戦を本蔵に教える。本蔵は「ハハア、したり、したり、アハハハハ」と手負いの笑いを浮かべ死んで行く。力弥と小浪は夫婦になり、一夜の契りを交わして、力弥は討ち入りのため出立する。

本蔵と由良助、戸無瀬とお石との火花を散らす芸の応酬がみものである。本蔵は十一代目片岡仁左衛門、由良助は八代目松本幸四郎、二代目實川延若がよかったといわれている。また、戸無瀬は三代目中村梅玉、お石が中村魁車。芸の上でしのぎを削りあった両優のやりとりは壮絶だった。戦後は六代目中村歌右衛門の戸無瀬、七代目尾上梅幸のお石が素晴らしかった。力弥は十五代目市村羽左衛門が一番だった。

この段では、実際の赤穂事件を示唆する文言がある。由良助の妻「お石」は実際の「大石内蔵助」を指し、本蔵の「浅き巧の塩谷殿」は実際の「浅野内匠頭」と、赤穂の名産「塩」を利かせている。

2007年1月、大阪松竹座午後の部の「九段目」では、十二代目市川團十郎の由良助に、四代目坂田籐十郎の戸無瀬で、午前の部の『勧進帳』とともに、團十郎、藤十郎の史上はじめての共演が実現した。

本蔵や由良助をよくつとめた十三代目片岡仁左衛門は九段目がとても気に入っており「本当の美しさ、劇の美しさは九段目やね。…ここに出てくる人間が、まず戸無瀬が緋綸子、小浪が白無垢、お石が前半ねずみで後半が黒、由良助は茶色の着付に黒の上で青竹の袴、…本蔵は渋い茶系の虚無僧姿、力弥は東京のは黄八丈で、上方だと紫の双ツ巴の紋付…みんなの衣装の取り合わせが、色彩的に行ってもこれほど理に叶ったものはないですわな」と、色彩感覚の見事さを評している。   現在は全く上演されないが、幕あきに由良助が仲居幇間をつれて大きな雪玉をころがして出てくる「雪こかし」という端場がある。雪中の朝帰りという風情のあるもので、のちこの雪玉が後半部由良助が本蔵に覚悟のほどを見せる雪製の墓になる。1986年(昭和61年)の通し上演ではこの場が上演されている。

戸無瀬親子が大星宅を訪れる時、下女りんが応対しとんちんかんなやりとりで観客を笑わせる。「寺子屋」の涎くり、「御殿」の豆腐買おむらのように、丸本物の悲劇には道外方が活躍する場面がある。緊張が続く場面で息抜きをするための心憎い演出である。それだけに腕達者な脇役がつとめる。古くは中村吉之丞、現在では加賀屋鶴助が持ち役にしていた。

十段目

  • 別名:天川屋見世の場

討ち入りの武器を調達していた天川屋義平の店に捕手が来て、討ち入りの計画を白状しろと迫るが、義平はこれを拒み、長持ちに座って見得を切る。そこに由良助が現れる。捕手は判官の家臣たちで、義平の心を試したのだと謝る。討ち入りの合言葉は「天」に「川」と決められた。

「天川屋義平は男でござる」の名科白が有名で、戦前まで比較的よく上演されていたが、現在では内容が古すぎて観客の共感を呼べず、あまり上演することがない。戦後も二代目市川猿之助八代目坂東三津五郎、1986年(昭和61年)12月国立劇場の通しで五代目中村富十郎が、2010年(平成22年)1月大阪松竹座の通しで五代目片岡我當がつとめたくらいである。

十一段目

忠臣蔵十一段目夜討之図、歌川国芳
  • 別名:師直屋敷討ち入りの場

この段のみ、歌舞伎では、本行から完全に離れた台本となる。極端に言えば、上演ごとに異なった台本となる。そのためあらすじは一定せず、さまざまな変形がある。但し、いかなる場合でも物語の芯になるのは、由良助ら義士が師直を討ち取るという物語である。

高家討ち入りの場

由良助、力弥ら判官の家臣たちは表門と裏門に分かれて師直邸へ討ち入る。大立ち回りが演じられ、力弥が師直の子師泰と、勝田新左衛門が小林平八郎と斬り結ぶ。判官の家臣たちは炭小屋に隠れていた師直を引きずり出す。由良助は判官の形見の短刀を差し出し自害するよう勧めるが、師直はその短刀で突きかかって来る。由良助は短刀をもぎ取り、師直を突き刺す。由良助たちは遂に本懐を遂げ、師直の首をはねた。

柴部屋焼香の場

  • 別名:財布の焼香

裏門引き上げの場

一同は引き揚げる。花水橋(両国橋に相当)で桃井若狭之助(または服部逸郎)と出会い、若狭之助は一同の労をねぎらう。由良助たちは再び行進し、判官の墓所のある光明寺へ向かう。

上演規制

江戸時代

この元禄赤穂事件は、武家社会の醜聞であり、やり方によっては幕政批判に通じかねないことから、上演は繰り返し弾圧されてきた。50年近くも経ってようやく上演されても無害と考えられるようになったのである。

米国による占領時代

第二次世界大戦後の占領軍は、軍国主義につながるものすべてを禁止していった。歌舞伎は忠義(愛国につながる)という理念の宣伝媒体だったといわれ、最も強硬に弾圧されていった。数年は古典歌舞伎の上演ができないものと考えられたくらいである。その禁を少しずつ解いていったのが、GHQ総司令官の副官フォービアン・バワーズ陸軍少佐である。

バワーズ自身の述懐によると、バワーズは交戦前に日本滞在の経験があり、実は大の歌舞伎好き・見巧者だったという。彼は歌舞伎の根底に流れているのが危険な軍国主義ではなく人間のドラマであることを知っていたので、次々に禁止演目を縮小していった。最後に残った大演目が仮名手本忠臣蔵だった。バワーズは、松竹社長の大谷竹次郎に対して、以下の条件を満たせば忠臣蔵の上演が許可されると告げた。それは

  • 現在の歌舞伎界で最高の役者たちを揃えること
  • その中に関西歌舞伎の高砂屋(三代目中村梅玉)を加えること

高砂屋こそ、新駒屋(中村魁車、戦災で死亡)とともに関西歌舞伎を支えてきた名女形であり、関東の好劇家のなかでその実力の高さが密かに話題になっていた名優だったのである。その他の全ての配役も、バワーズ自身が事実上の指令として出したもので、次の通りだった。

役者
塩冶判官
戸無瀬
三代目中村梅玉
高師直
早野勘平
六代目尾上菊五郎
大星由良助
不破数右衛門
七代目松本幸四郎
顔世御前
一文字屋お才
お石
七代目澤村宗十郎
桃井若狭之助
寺岡平右衛門
加古川本蔵(九段目)
初代中村吉右衛門
足利直義
おかる(落人)
十六代目市村羽左衛門四代目中村もしほ
   (一日替わりのダブルキャスト)
おかる(六・七段目) 三代目中村時蔵
石堂右馬之丞
千崎弥五郎
七代目坂東三津五郎
定九郎
薬師寺次郎左衛門
九代目市川海老蔵
大星力弥 七代目尾上梅幸
鷺坂判内 二代目尾上松緑
判人源六(六段目) 四代目市川男女蔵
小浪 六代目中村芝翫

これは当時考えられる最高の配役といえるものであり、バワーズは非常に歌舞伎に精通していたと考えられる。上演は昭和22年 (1947) 11月東京劇場で行われた。初日から満員御礼で切符を求める客が殺到する大当たりとなった。

英訳

  • Dickins, Frederick Victor, Chiushingura - or the Loyal League, Yokohama, 1874–75.
    • 英字新聞 The FarEast に連載。
  • Dickins, Chiushingura - or the Loyal League, London, 1875.
    • 上記の単行本。
  • Masefield, John, The Faithful, London, 1915.
    • マンスフィールドは、刃傷の原因を色恋沙汰ではなく、吉良が藩領拡張を画策して浅野の領地を狙ったからと書き替えている。
    • 邦題『忠義』 小山内薫
    • 二代目市川左團次が歌舞伎化。また新国劇版もある。

外伝

落語と忠臣蔵

落語では、仮名手本忠臣蔵がくすぐり落ちとして使われることもある。仮名手本忠臣蔵そのものを題材とする場合もある。以下に、段と演題を挙げる。

  • 大序
    • 村芝居』- 農村の秋祭りに地元の男たちで忠臣蔵の芝居をすることにしたが、師直の烏帽子の中に蜂の巣が入っていて・・・。
  • 二段目
  • 三段目
  • 四段目
    • 蔵丁稚』- そのまま『四段目』という演題でも演じられる。
    • 淀五郎』- 判官切腹の場面が落ちとなる。
  • 五段目
    • 中村仲蔵』- 定九郎の役をもらった役者・中村仲蔵の話。通常落ちは無い。
    • 軒づけ』- 主人公の失敗譚として噺の序盤に登場する。
  • 六段目
    • 鹿政談』- くすぐりが使われる。
  • 七段目
    • 役者息子』- そのまま『七段目』という演題でも演じられる。芝居好きの若旦那が丁稚と二階の部屋で平右衛門とおかるの件を演じ、丁稚が階段の一番上の段から落ちて「怪我はないか」「なあに、七段目」という落ちになる。これを得意とした二代目三遊亭円歌は、出囃子も七段目幕開きの音楽だった。
  • 九段目
    • 噺はあるが、落ちが分かりにくいためあまり演じられていない。
  • 十段目
    • 天野屋利兵衛』- いわゆる「バレ噺」。女と間違えられた天野屋利兵衛が、「天野屋利兵衛は男でござる」と言う落ち。

八段目十一段目を題材とした落語は存在しないといわれている。

花柳界と『忠臣蔵』

花柳界では、人気のある芝居を伏線とする唄が作られることがある。『仮名手本忠臣蔵』では笹や節が代表である。

『忠臣蔵』を元とした浪曲『義士伝』が直接の参照元といわれ、俗曲に分類される曲でありながら、浪曲的な歌い方をする個所がある。

歌詞については流派により異なるが、内容としてはほぼ同じなため、以下に歌詞の一例をあげる。

笹や 笹笹 笹や笹 笹はいらぬかすす竹を 大高源吾は橋の上 あした待たるる宝船
赤の合羽に 饅頭笠 降りくる雪も いとわずに 赤垣源蔵は 千鳥足 酒にまぎらす いとま乞い
胸に血を吐く 南部坂 忠義にあつき 大石も 心を鬼に いとま乞い 寺坂来たれと 雪の中

参考文献

  • 戸板康二『忠臣蔵』東京創元社 1957年 現在に至るまで忠臣蔵研究の決定版
  • 渡辺保『忠臣蔵-もう一つの歴史感覚』(『中公文庫』)、中央公論社、1985年12月。ISBN 4-12-201285-6
  • 関容子『芸づくし忠臣蔵』1999年 文藝春秋社 『仮名手本忠臣蔵』の古今東西の演出や役者の芸談を分かりやすく載せている。

外部リンク