ノート:仮名手本忠臣蔵

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2006年以前の議論[編集]

記事冒頭の、

>『菅原伝授人形鑑』『義経千本桜』とならぶ浄瑠璃の三傑作といわれる。

このうち、『菅原伝授人形鑑』は『菅原伝授手習鑑』ではないでしょうか?


例の「とかなくてしす」というやつに触れられていませんが、俗伝なのでしょうか?Tan--202.214.30.9 2006年1月6日 (金) 05:11 (UTC)[返信]

分割提案について[編集]

現在、この記事は

1    はじめに
2 主な登場人物
3 内容の大略
4 大序・鶴岡の饗応
4.1 あらすじ(大序)
4.2 解説(大序)
5 二段目・諫言の寝刃
5.1 あらすじ(二段目)
5.2 解説(二段目)
6 三段目・恋歌の意趣
6.1 あらすじ(三段目)
6.2 解説(三段目)
6.3 道行旅路の花聟
6.4 蜂の巣の平右衛門
7 四段目・来世の忠義
7.1 あらすじ(四段目)
7.2 解説(四段目)
8 五段目・恩愛の二つ玉
8.1 あらすじ(五段目)
8.2 解説(五段目)
9 六段目・財布の連判
9.1 あらすじ(六段目)
9.2 解説(六段目)
10 七段目・大臣の錆刀
10.1 あらすじ(七段目)
10.2 解説(七段目)
11 八段目・道行旅路の嫁入
11.1 あらすじ(八段目)
11.2 解説(八段目)
12 九段目・山科の雪転し
12.1 あらすじ(九段目)
12.2 解説(九段目)
12.3 本蔵下屋敷
13 十段目・発足の櫛笄
13.1 あらすじ(十段目)
13.2 解説(十段目)
14 十一段目・合印の忍び兜
14.1 あらすじ(十一段目)
14.2 解説(十一段目)
15 その後の上演
16 現行の歌舞伎での上演形態
17 刊行本
18 こぼれ話
19 ギャラリー
20 登場人物の実説との比較
21 脚注
22 参考文献
23 関連項目
24 外部リンク

という構成になっています。このうち、セクション3からセクション14まではいずれも通常の記事では「あらすじ」あるいは「ストーリー」にあたる内容ですが、文字数で全体の四分の三程度の分量があり、全体として見るとバランスを書いています。全体のバランスをとるために上に挙げた各セクションの内容を大幅に簡略化するという方策も考えられますが、これらのセクションは多数の利用者の加筆によって蓄積されてきたものであり、量が多いのは各利用者の嗜好を反映しているものです。その点を考えると全体のバランスをとるために簡略化するという方策は「もったいない」方法です。そこで、これらのセクションの内容を生かしたうえで全体のバランスをとる方策として、「仮名手本忠臣蔵の内容」としてセクション3からセクション14までを分割 し、セクション3からセクション14の代わりに、「あらすじ」のセクションを設け、セクション3からセクション14までの内容をそれぞれ最大でも数行程度に要約したものを「あらすじ」のセクションのサブセクションとして記載 することを提案します。ツバル会話2017年1月19日 (木) 12:18 (UTC)(2017年1月19日 (木) 13:04 (UTC)分割作成する記事名を変更)#「あらすじ」作成の提案と重複する箇所を除外。2017年1月21日 (土) 00:57 (UTC))[返信]

反対 項目を「仮名手本忠臣蔵」と「仮名手本忠臣蔵の内容」の二つに分散させるのは、Wikipediaで「仮名手本忠臣蔵」の項を検索し読もうとする人にとって、利のある事とは思われません。それはひとつの項でまとめて読めるという事にまさるものなのでしょうか。--ものぐさたろう会話2017年1月20日 (金) 00:00 (UTC)[返信]
返信 (ものぐさたろうさん宛)仮名手本忠臣蔵#はじめに」に「本来ならその全十一段の「あらすじ」をまずまとめて示し、・・・」という文があります。この文は2013年4月26日 (金) 11:10にものぐさたろうさんご自身がセクションの構成を変更して「あらすじ」のセクションを廃止される際に書かれたものです。この編集は、ものぐさたろうさんご自身が、当時の「あらすじ」の内容が「あらすじ」としては肥大化しており、本来の「あらすじ」としての機能をしていないことを認識しておられたことを示しています。私が考える「あらすじ」の(ひとつの)機能は、例えば生まれて初めて歌舞伎あるいは文楽を見る人がいて、演目に「仮名手本忠臣蔵」の「五段目」と「六段目」があったときに、これらの段が仮名手本忠臣蔵のなかでどのような位置づけにある段なのかを知りたいと思ったときに役に立つというようなことです。私の提案のように各段の「あらすじ」が数行程度ならば「五段目」と「六段目」のあらすじを読むことは容易ですし、他の段のあらすじを読んで全体像を把握することも可能です。しかし、現在のように記述量が多いとそのような使い方は困難です。これが、私が分割を提案する理由です。ツバル会話2017年1月20日 (金) 11:28 (UTC)[返信]
返信 (ツバルさん宛)  「ものぐさたろうさんご自身が、当時の「あらすじ」の内容が「あらすじ」としては肥大化しており、本来の「あらすじ」としての機能をしていないことを認識しておられた」というのは違います。
今日における文楽・歌舞伎の演目は、本来の作品全体から見れば一部の場面しか上演されないことが多く、それによりその演目の「解説」も、現在上演されている部分が中心になります。
しかし『仮名手本忠臣蔵』は、文楽と歌舞伎いずれも全十一段がおおむね現行演目として上演されています。ゆえに全十一段にわたって「解説」が必要であり、また「解説」する事も段によっては少なくはない。ならば一段毎に「あらすじ」とその段についての「解説」を一緒にしたほうがよかろうと考えたにすぎず、肥大化云々と考えたことはありません。--ものぐさたろう会話2017年1月20日 (金) 23:58 (UTC)[返信]
コメント 私は門外漢、これがちょっと山陰地方と関係がある程度のことしか知りません。なので「コメント」までとしておきます。この記事についてまずやるべきことは、量を問題として分割することよりも、「あらすじ」の整理や検証可能性の向上であると思います。参考文献節にはとても多くの文献が挙げられているのですが、この記事の作成が始まった2005年ごろのウィキペディアの決め事のもとではかまわないのですけれど、2017年の今のウィキペディアのルール下では、Wikipedia:検証可能性Wikipedia:出典を明記するWikipedia:独自研究は載せないなどに鑑みると、ちょっと難があるように思います。出典や参考文献情報は、末尾に文献を列挙するgeneral reference型も許容されているので絶対ダメとはいいませんが、これだけの記事のボリュームとこれだけの文献数があるならば、より具体的で個別に参照可能な方式を採用するべきでしょう。とくに「実説との比較」のような節は適切に出典を示さないと独自研究を疑われる可能性があります。また、「あらすじ」の書き方を巡っては各所で議論が繰り返されているようでして、あまり突っ込んだ話はしませんが、全体のボリューム感からすると「あら」いレベルを越えているのではないかと感じます。あくまでも私の個人的な考えですが、すじを自ら大略と化すことは独自研究に陥る危険があり、理想的なのは「あらすじを書いた文献」を使うことだと考えます。--柒月例祭会話2017年1月20日 (金) 08:49 (UTC)[返信]
返信 (ものぐさたろうさん宛) 上にものぐさたろうさんへの返信があります。ツバル会話2017年1月20日 (金) 11:28 (UTC)[返信]
返信 (柒月例祭さん宛) 「全体のボリューム感からすると「あら」いレベルを越えているのではないか」というご意見について、私も同感です。「まずやるべきことは・・・「あらすじ」の整理・・・であると思います」(強調:引用者=ツバル)と書いておられますが、私の提案は、見方を変えると分割することにより「仮名手本忠臣蔵」本体のあらすじの整理をしようという趣旨の提案です。また、「まずやるべきことは・・・検証可能性の向上・・・であると思います」については、分割あるいはあらすじの整理と並行して作業することができる内容なので、このセクションとは別にご提案いただくとよいと思います。ツバル会話2017年1月20日 (金) 11:28 (UTC)[返信]
並行してやるのではなく、先に行うべきだと申し上げています。--柒月例祭会話2017年1月21日 (土) 07:28 (UTC)[返信]
コメント (返信の書き方について)複数の方への返信を書く場合、私自身は一番下に並べて書く書き方が好きなのですが、それぞれ書いたほうが見やすいというご意見を頂いたことがあるのでこのような形にしました。ツバル会話2017年1月20日 (金) 11:28 (UTC)[返信]
  • コメント提案者さんは、記事の「バランス」を問題とし、それを解消する方法として「分割」を提案しています。しかしバランスを是正する方法は分割だけではありません。そもそも検証可能性を欠く記述は、誰でも除去することができます。ほぼほぼ全部バッサリやることだってできるのですよ。
提案者さんはその検証可能性を欠く記述を「各利用者の嗜好」といい、「もったいない」から除去を検討からはずして分割をしようと提案なさっています。そこがおかしいのです。
そもそも論として、この記事が確かに「バランスが悪い」といえるのかは、わかりません。なぜわからないといえるのかというと、適切な出典明記を欠いているからです。もしも仮に「仮名手本忠臣蔵について書いた文献」を手に取ってみたら、その記述の7割が「あらすじ」にあてられていた、という場合には、この記事は適正なバランスだということになります。
ま、それはあくまで理屈でして、バランスが悪いならば、最初に検討すべき対処は2つです。足りないところを加筆するか、余計なところをカットするか。現在の記述が検証可能性を満たしているならば、「足りないところを加筆する」が有力な選択肢になるでしょう。
ベストなのは、適切な出典を使って書き直すことです。それにあたって、出典がない部分をいったん白紙化することは妥当です。それは「もったいない」ことではないし、記事の品質が向上するならば、これまでの執筆者に対する敬意を欠くことにもなりません。その作業をやった結果として、ボリュームがスリムになればバランスの問題は自ずと解決するかもしれませんし、記事全体を出典に基づいて手直しをして、それでもなおバランスが偏っているように見えるとするならば、それは気のせいとか無知からくる先入観とかであり、それが適正なバランスだったということです。
例をあげるとですね、イージーにググっただけですけども、コトバンクの「日本大百科全書(ニッポニカ)の解説」を眺めますと、ボリューム上、50%ほどが「本筋」の説明に充てられています。入り口としては、このコトバンクを「出典」として記事をリライトすることが可能です。同じコトバンク内の別の出典をみると、「あらすじ」はほとんど言及されておらず、文化史・文学史的な位置づけの解説があるのみです。このように実際の文献を複数当たると、各文献ごとの「バランス」は違っているでしょうから、そこらへんは努力と工夫は必要です。まあ、文献の数を増やせば増やすほど、共通する記述や「通説」がみえてきて、それがバランスを構成することになっていくでしょう。
ま、いくら「検証不能なことは誰でも除去できる」とはいえ、ただ消して回るだけなのは執筆者に対して敬意を欠くのではないか、という考えは立派だと思います。私も同感です。しかしこの記事の来歴を見る限り、ツバルさんご自身がこの記事に何かの寄与をなさったという形跡もなく(私もです)、そういう利用者が、実際に記事を成長させている利用者の反対があるのに、「バランス」だけを理由にして分割して回るというのは、それもやっぱり敬意を欠いている、と感じますよ。ツバルさんご自身が記事の信頼性向上にしっかり取り組んで、加筆やリライトを行って、それでもなおバランスが悪いというならば、説得力はだいぶ違ってくるはずです。
もちろん、実際にその作業をやっていない我々が、「検証可能性を満たす記述にシフトするべきだ」ということは言っていいのであって、2009年とかの頃の加筆を今更とやかく言うのは野暮なんですが、現役でこの記事に深く関わっていらっしゃる利用者:ものぐさたろうさんへ検証可能性を御案内し、記述を改めるべきだという申し入れをすることは悪いことじゃないです。まあ実際に記事の向上に手を動かさない立場としては、そこらへんまでじゃないでしょうかね。--柒月例祭会話2017年1月21日 (土) 08:07 (UTC)[返信]
返信 (㭍月例祭さん宛) 「並行して」と書いたのはAさんが作業aが作業bよりも重要(あるいは先行するべき)と思い、Bさんが作業bが作業aよりも重要(あるいは先行するべき)と思うなら、Aさんは作業aを、Bさんは作業bをそれぞれ並行して行えばよいだろうという意味合いです。㭍月例祭さんがまずやるべきと思っておられる作業をご自分でされることに反対するつもりはありません。実際に並行して複数の作業をすると互いに支障することがあるかもしれませんが、それはそのときに相談して調整すればよいことだと思います。もちろん、㭍月例祭さんがまずやるべきと思っておられる作業をされなくてもあれこれいう筋合いはありません。ツバル会話2017年1月21日 (土) 14:06 (UTC)[返信]

取り下げ 分割提案を取り下げます。ツバル会話2017年2月23日 (木) 08:35 (UTC)[返信]

「あらすじ」作成の提案[編集]

上記分割提案で示したとおり、現在仮名手本忠臣蔵には「あらすじ」のセクションがありません。「仮名手本忠臣蔵#あらすじ(大序)」等各段についてのあらすじは書かれていますが、各段のあらすじは各段が別個に上演されることが少なくない上演形態に対応したものになっており、ストーリー全体を把握することを目的としたものではありません。そこで、現時点の「3.内容の大略」から「14.十一段目・合印の忍び兜」までとは別に、ストーリー全体および各段について数行程度の「あらすじ」のセクションを作成することを提案します。なお、この提案は先の分割提案の一部を分割したものになっているので、分割提案から「あらすじ」作成の部分を削除します。ツバル会話2017年1月21日 (土) 00:49 (UTC)[返信]

ツバルさんにお尋ねしたい事が二つあります。
 ツバルさんは現状の『仮名手本忠臣蔵』の項から、「仮名手本忠臣蔵」と「仮名手本忠臣蔵の内容」のふたつに分けるべきというご主張に、今も変わりは無いのでしょうか。
 現状の『仮名手本忠臣蔵』に「ストーリー全体を把握することを目的としたもの」が無いとのご意見ですが、それは「3.内容の大略」に相当すると自分は思っていたのですが、ツバルさんの目から見て、現状の「3.内容の大略」の中身では不足があるということでしょうか。--ものぐさたろう会話2017年1月23日 (月) 00:00 (UTC)[返信]
  • 返信 (ものぐさたろうさん宛)
    質問②について 私は現状の「3.内容の大略」の中身は「あらすじセクション」の「全体のあらすじ」としては不足があると考えています。不足があるというと、量が少ないといっているように聞こえるかもしれませんが、私が不足だと感じているのは「要点を絞り込む」作業です。同様に「4.1 あらすじ(大序)」などのセクションについても「各段のあらすじ」としては要点の絞り込みが不足していると考えています。
    質問①については、#分割提案についてで質問されるべき内容で、このセクションで質問されるのは間違いだと思います。ツバル会話2017年1月24日 (火) 05:29 (UTC)[返信]
ツバルさんが現状の「3.内容の大略」に対してどのような不足があると考えているのか、詳しく聞かせていただけますか。現状の「3.内容の大略」において「要点を絞り込む」とは、実際にどのような作業を指すのでしょうか。--ものぐさたろう会話2017年1月24日 (火) 23:58 (UTC)[返信]
  • 返信 (ものぐさたろうさん宛) 「どのような不足があると考えているのか」については先にお答えした通りです。「現状の「3.内容の大略」において「要点を絞り込む」とは、実際にどのような作業を指すのでしょうか。」というご質問ですが、私は「内容の大略」において要点を絞り込む作業をする必要があるとは書いているわけではありません。現在の「内容の大略」は「あらすじ」ではないと書いているだけです。すこし大雑把な書き方で書くと「あらすじとしては、だらだらと長くて読みにくい」というだけのことです。ところで、ものぐさたろうさんに質問ですが、現在の「3.内容の大略」にかかれていることはあらすじのセクションとしてすべて必要な内容だとお考えですか。ツバル会話2017年1月26日 (木) 14:06 (UTC)[返信]
先にお答えした通りです。」とは、ツバルさんの書き込みのどの箇所を指すのでしょうか。「私は現状の「3.内容の大略」の中身は「あらすじセクション」の「全体のあらすじ」としては不足があると考えています。」とあるだけで、ツバルさんが考える「3.内容の大略」の「不足」がどのようなものなのかの説明が無いように見えるのですが。申し訳ありませんが今一度、ツバルさんが考える「3.内容の大略」の「不足」についてご説明いただけないでしょうか。
「3.内容の大略」にかかれていることはあらすじのセクションとしてすべて必要な内容だとお考えですか。」というお尋ねですが、「3.内容の大略」は原作の本文から見ればかなり端折ったものになっており、各段の内容を数行程度で説明しています。よって現状の「3.内容の大略」の中身は文章の表現に推敲の余地があるとしても、おおむね不必要な箇所は無いと思います。またこれが「だらだらと長くて読みにくい」というほどの長さとは思われません。「3.内容の大略」の文章量が、なぜツバルさんには「だらだらと長くて読みにくい」ように見えるのでしょうか。--ものぐさたろう会話2017年1月26日 (木) 23:56 (UTC)[返信]

ものぐさたろうさんの 2017年1月27日 (金) 00:00 (UTC)の質問にお答えする前に、2つお聞きしておきたいことがあるので、質問します。現時点の仮名手本忠臣蔵には「本来ならその全十一段の「あらすじ」をまずまとめて示し、その後に作品の内容について解説すべきであるが、」という文章があります。この文章は、2013年4月26日 (金) 02:10(UTC)の編集の際に、ものぐさたろうさんご自身が書かれたものです。私は、この文章を読むと、「この記事には「全十一段の「あらすじ」」はありません」と書いておられるように感じるのですが違うのでしょうか。もう一つの質問も同じ編集に関するものです。この編集で、ものぐさたろうさんは「大きく分けて、次の4編の物語から成り立つ。」ではじまる2013年3月21日 (木) 20:58時点における版の「あらすじ」のセクションの冒頭の部分を削除した上で、「あらすじ」のセクション自体なくしておられるのですが、このことは先にあげた文章とともに、上記編集以降の記事には全十一段の「あらすじ」がないとものぐさたろうさんが考えておられることを示しているように思われるのですが違うのでしょうか。ツバル会話2017年1月27日 (金) 13:32 (UTC)[返信]

一つ目のご質問についてですが、それは上の「分割提案について」で既にツバルさんに答えています(2017年1月20日 (金) 23:58 (UTC)の書き込み)。「「この記事には「全十一段の「あらすじ」」はありません」」と考えたこともありません。なぜ同じ事を二度もお尋ねになるのでしょうか。
次に二つ目のご質問について。「上記編集以降の記事には全十一段の「あらすじ」がないとものぐさたろうさんが考えておられることを示しているように思われるのですが違うのでしょうか。」というのは、一体何のことでしょうか。全十一段の「あらすじ」はあります。それは一段づつ「解説」とともに、「4.大序・鶴岡の饗応」をはじめとしてひとつの節(セクション)の中に収まっていますが、それがどうして全十一段の「あらすじ」がないことになるのでしょうか。
おそらくツバルさんが仰っている「あらすじ」というのは、「ストーリー全体を把握することを目的としたもの」の事でしょうが、結局それは他の利用者の方が付け加え、現在「3.内容の大略」として『仮名手本忠臣蔵』の中に入っています。ですから「3.内容の大略」が、ツバルさんの目からは「ストーリー全体を把握することを目的としたもの」として認められないのかという事を、最初からお尋ねしています。これについてお答えいただけませんか。--ものぐさたろう会話2017年1月27日 (金) 23:59 (UTC)[返信]


(ものぐさたろうさんの2017年1月27日 (金) 23:59 (UTC)の編集を読んで)
どうも、わたしの考えている「あらすじ」・「全十一段の「あらすじ」」とものぐさたろうさんが考えておられる「あらすじ」・「全十一段の「あらすじ」」が少し違うものを指しているように思います。
ものぐさたろうさんは2017年1月27日 (金) 23:59 (UTC)に投稿された文の中で「おそらくツバルさんが仰っている「あらすじ」というのは、「ストーリー全体を把握することを目的としたもの」のでしょう」と書いておられますが、私の考える「あらすじ」とは少し違います。私の考える「あらすじ」は「ストーリー全体が把握しやすいように簡略にまとめたもの」です。学術論文ではタイトルの後、本文の前にabstractがおかれ、論文全体を読まなくても内容が把握できるように書かれます。新聞では、見出し、リード(前文)、本文という形で、本文の内容をまとめた「リード(前文)」が書かれ、本文を読まなくても事件の概要を把握することができます。私が「あらすじ」に求めているのはこのabstractやリードの機能です。
私が考えている「全十一段の「あらすじ」」は「全十一段のストーリーを一つにまとめたもの」です。例えば、2017年1月27日 (金) 13:32(UTC)の2つ目の質問で挙げている「「大きく分けて、次の4編の物語から成り立つ。」ではじまる」冒頭の部分のようなものを指しています。「3.1 内容の大略」もタイトル(セクション名)に「あらすじ」と書かれておらず、文中にあらすじという言葉は現れないものの、私が使っている意味でいう「全十一段の「あらすじ」」にあたるかもしれません。「全十一段の「あらすじ」」をこのような意味で使うと、「ものぐさたろうさんは2013年4月26日 (金) 02:10(UTC)の編集で「全十一段の「あらすじ」」を削除し、代わりに「本来ならその全十一段の「あらすじ」を・・・」の文章を書かれた」ということになります。(なお、「内容の大略」のセクションがものぐさたろうさんにより設置されたのは2015年8月4日 (火) 00:00(UTC)で、2013年4月26日 (金) 02:10(UTC)の時点では設置されていません。) しかし、ものぐさたろうさんは「全十一段の「あらすじ」」という言葉を各段のあらすじを並べたものという意味合いで使っておられるようです。私の理解が正しいとすれば、「「本来ならその全十一段の「あらすじ」を・・・」という文章は、各段のあらすじを通常冒頭に並べるところを分散して配置したということを示している文章である」ということになります。
以上のように、私がものぐさたろうさんが使っておられるのとは違う意味合いで言葉を使っているということをご理解いただいた上で、2017年1月27日 (金) 13:32 (UTC)の質問についてお答えいただくようお願いします。ツバル会話2017年1月28日 (土) 05:11 (UTC)[返信]

「ストーリー全体を把握することを目的としたもの」というのは、ツバルさんの書き込み(2017年1月21日 (土) 00:49 (UTC))から取っているのですが…違うということならそれはそれで結構です。
確認のため申し上げますが、自分はツバルさんの「ストーリー全体が把握しやすいように簡略にまとめたもの」があることに反対だなどといっているわけではありません。
自分が大幅に手を入れたときは、自分が考えるところの「あらすじ」だけで充分だろうと判断していましたが、のちに他の利用者の方から「あらすじ」の節名で現在の「3.内容の大略」に当たる部分が書き加えられました。これは「ストーリー全体が把握しやすいように簡略にまとめたもの」が必要な人もいるようだが、「あらすじ」(各段に在るもの)のほかに「あらすじ」があるのはおかしいと、節の名を「3.内容の大略」に改めたにすぎません。
そして自分はこの「3.内容の大略」を、現状そのままでツバルさんの「ストーリー全体が把握しやすいように簡略にまとめたもの」として認めろといっているわけでもありません。ツバルさんから見て現状の「3.内容の大略」に「不足」があるのなら、それは何なのかをお尋ねしています。--ものぐさたろう会話2017年1月29日 (日) 01:29 (UTC)[返信]
(追伸)まことに勝手ながら、ツバルさんにひとつお願いがあります。
双方で「あらすじ」の意味するところが違うのはわかりました。そこでツバルさんにはこの「ノート:仮名手本忠臣蔵」に限り「あらすじ」という言葉を使うのはご遠慮いただき、「ストーリー全体が把握しやすいように簡略にまとめたもの」(または「全十一段のストーリーを一つにまとめたもの」)という表現を使っていただけないでしょうか。自分にはこれまで通り「あらすじ」の言葉を使わせて下さい。そうやって表現を分けないと話がややこしく、またここを見る人にとってもわかりにくいと思います。どうかよろしくお願い致します。--ものぐさたろう会話2017年1月29日 (日) 01:50 (UTC)[返信]

直接ものぐさたろうんさんの質問に答えることにはならないかもしれませんが、私がイメージしている「あらすじ」セクションの構成と目的について書きます。なお、この構成は分割をしないという前提で書いています。

3.あらすじ
3.0 「ストーリー全体が把握しやすいように簡略にまとめたもの」現在の「3.内容の大略」または以前の「あらすじ」の冒頭部と同様のものにります。「3.内容の大略」を残す場合には最後に{{seealso|#内容の大略}}を置きます。なお、セクション「3」のタイトルとサブセクション「3.1」の間の部分を「3.0」と書いています。実際には「3.0というセクション番号はつきません。
3.1 大序 「大序のストーリーを簡略にまとめたもの」最後に{{seealso|#あらすじ(大序)}}を置きます。
3.2 二段目 「二段目のストーリーを簡略にまとめたもの」最後に{{seealso|#あらすじ(二段目)}}を置きます。
3.3 三段目 「三段目のストーリーを簡略にまとめたもの」最後に{{seealso|#あらすじ(三段目)}}を置きます。
3.4 四段目 「四段目のストーリーを簡略にまとめたもの」最後に{{seealso|#あらすじ(四段目)}}を置きます。
3.5 五段目 「五段目のストーリーを簡略にまとめたもの」最後に{{seealso|#あらすじ(五段目)}}を置きます。
3.6 六段目 「六段目のストーリーを簡略にまとめたもの」最後に{{seealso|#あらすじ(六段目)}}を置きます。
3.7 七段目 「七段目のストーリーを簡略にまとめたもの」最後に{{seealso|#あらすじ(七段目)}}を置きます。
3.8 八段目 「八段目のストーリーを簡略にまとめたもの」最後に{{seealso|#あらすじ(八段目)}}を置きます。
3.9 九段目 「九段目のストーリーを簡略にまとめたもの」最後に{{seealso|#あらすじ(九段目)}}を置きます。
3.10 十段目 「十段目のストーリーを簡略にまとめたもの」最後に{{seealso|#あらすじ(十段目)}}を置きます。
3.11 十一段目 「十一段目のストーリーを簡略にまとめたもの」最後に{{seealso|#あらすじ(十一段目)}}を置きます。

「3 内容の大略」は「3.0」と重なるので、廃止するか、残してより内容を詳しくすることになります。「4 大序・鶴岡の饗応」以降についてはそのままです。

「大序・鶴岡の饗応#あらすじ(大序)」と「あらすじ#大序」というように同じような名称のサブセクションが共存することになります。重複すると思われるかもしれませんが、私はそうは思いません。現在の各段の「あらすじ」群はその段を鑑賞する際に読む資料としてはよいのかもしれませんが、他の段を鑑賞する際に読む資料としては詳しすぎます。私の提案している各段の「簡略にまとめた」あらすじ群は、その段自体を鑑賞するときに読むのではなく、他の段を鑑賞する際に「ここまでの話」「この後の話」として読むことを想定したものです。「ストーリー全体が把握しやすいように簡略にまとめたもの」についても、同様に、鑑賞者が、その公演で上演される段が全体のストーリーの中でどのような位置づけにあるかを知りたいときに読むことを想定しています。ご存知の通り、「仮名手本忠臣蔵」の全段が初演時のように通しで上演されるということは、まず考えられません。2016年10月、11月、12月に開催された「国立劇場『通し狂言 仮名手本忠臣蔵』」の場合は、10月の「第一部」が「大序、二段目、三段目、四段目」、11月の「第二部」が「道行旅路の花聟、五段目、六段目、七段目」、12月の「第三部」が「八段目、九段目、十段目、十一段目」でした。2016年12月の文楽『通し狂言 仮名手本忠臣蔵』の場合は「第一部」(昼の部)が「大序、二段目、三段目、四段目、五段目、六段目」、「第ニ部」(夜の部)が「七段目、八段目、九段目、十段目、十一段目」でした。どちらも「通し狂言」ではあるものの、各部の公演で上演される段が一部の段であることに変わりはありません。ツバル会話2017年1月29日 (日) 04:55 (UTC)[返信]

とりあえず分割はしないという事なら、上記ツバルさんの「あらすじ」案を受け入れます。ただ、単に「あらすじ」と称する節名はやはりどうかと思うのですが…その点はまた後ほど議論したいと思います。それでツバルさん案の「あらすじ」の編集についてですが、もしよければ自分がしてみたいと思うのですがどうでしょうか。--ものぐさたろう会話2017年1月29日 (日) 08:24 (UTC)[返信]

返信 (ものぐさたろうさん宛) ものぐさたろうさんが「あらすじ」のセクションを作成してくださるというのならば、このようなありがたい話はありません。また、私のほうから分割を取り下げるつもりはありませんが、ものぐさたろうさんが引き続き分割に反対されるということならWikipedia:ページの分割と統合#ページの分割に従って処理することになると思います。ツバル会話2017年2月1日 (水) 06:58 (UTC)[返信]

度々で申し訳ありませんが、ツバルさんに確認したい事があります。
ツバルさんがいうところの「あらすじ」を自分が作成し、さらにこの〈「あらすじ」作成の提案〉での話が決着するまでの間、「分割提案」についての議論は停止と考えてよいのでしょうか。--ものぐさたろう会話2017年2月2日 (木) 00:03 (UTC)[返信]

お返事が遅くなってすみません。分割の提案についてはものぐさたろうさんが反対しておられる以上合意が成立せず、私が取り下げるまでもなくルールに従って自然消滅すると考えておりました。どうも「消滅」ということにはなっていないようなので、明確に取り下げとします。ツバル会話2017年2月23日 (木) 08:33 (UTC)[返信]


下書きを以下に掲出します。「摘要」というのは、やはり「あらすじ」というのが自分としてはどうも抵抗があるので一応このような節名としましたが、これは上でツバルさんが「abstract」という語を出しているので、それに添ったものです。これによれば日本語に訳すと「摘要」や「要約」という意味だそうなので。この下書きについてツバルさんのご意見を伺いたいと存じます。おおむねこれでよければ「3.内容の大略」と差し替えます。--ものぐさたろう会話2017年2月27日 (月) 00:32 (UTC)[返信]


(ここにあった下書きは削除しました)--ものぐさたろう会話2017年3月21日 (火) 00:26 (UTC)[返信]


終了 下書きを掲出して三週間が過ぎましたが、ツバルさんからは何の御意見もありませんでした。「よろしくお願いします」とありながら、まずこの下書きについてよいとも悪いとも無いのでは、お話にならないといわざるをえません。よって「あらすじ」作成の提案についてはまことに勝手ながら、「提案者との意見調整ができないことにより、「あらすじ」の作成を中止する」としてものぐさたろうが終了を宣言させていただきます。ここに出した下書きも使いません。ツバルさんにはあしからずご了承ください。--ものぐさたろう会話2017年3月21日 (火) 00:26 (UTC)[返信]