今木清志

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

これはこのページの過去の版です。Kiyo-now (会話 | 投稿記録) による 2022年10月14日 (金) 17:11個人設定で未設定ならUTC)時点の版 (出典を追加)であり、現在の版とは大きく異なる場合があります。

いまき きよし

今木 清志
生誕 (1962-08-05) 1962年8月5日(61歳)
日本の旗 日本 兵庫県姫路市
出身校 東京大学文学部フランス文学科卒業
職業 演出家
プロデューサー
西日本短期大学メディア・プロモーション学科教授、学科長
活動期間 1986年 - 現在
影響を受けたもの 横山秀夫
山田太一
蜷川幸雄
テレビ番組はぐれ刑事純情派
土曜ワイド劇場』ほか多数
肩書きテレビ朝日番組プロデューサー
公式サイト 今木清志 (@kiyoshi_imaki) - X(旧Twitter)
今木清志 (@kiyoshi_imaki) - Instagram
今木清志 (kiyoshi.imaki) - Facebook
テンプレートを表示

今木 清志(いまき きよし、1962年8月5日 - )は、演出家プロデューサー西日本短期大学メディア・プロモーション学科教授、学科長。専門はテレビドラマを中心としたメディア研究。元テレビ朝日番組プロデューサーで『はぐれ刑事純情派』『土曜ワイド劇場』など多くを手掛ける。兵庫県姫路市出身。東京大学文学部フランス文学科卒業。

概要

1986年昭和61年)4月、テレビ朝日に入社。情報番組ディレクターなどを経てドラマ番組プロデューサーとなり、『はぐれ刑事純情派』『土曜ワイド劇場』など 数多くのドラマを手がけた後、管理職に。その後、「これまでのキャリアで得た学びを若い世代に伝えたい」との思いで定年前の転職を決意[1]

2022年令和4年)西日本短期大学メディア・プロモーション学科の学科長に就任。『メディアと政治』『テレビドラマ論』『ジャ ーナリズム論』『映画論』等の授業で教鞭をとりながら、アイドルユニット『西短MP学科さくら組』をプロデュースしている[1]

経歴

兵庫県姫路市生まれ。兵庫県立姫路西高等学校東京大学文学部フランス文学科を卒業[2]

大学時代は学生劇団に所属。演劇活動に熱中する。俳優から始め、脚本演出を手掛けた。文学部フランス文学科では現代フランス不条理演劇を研究。卒論テーマはフランス不条理演劇の代表的作家イヨネスコ。演劇の脚本・演出経験からテレビドラマの制作を志望するようになった[2]

1986年昭和61年)4月にテレビ朝日に入社。音楽番組・バラエティ番組のアシスタント・ディレクター(AD)として『歌謡ドッキリ大放送』『ミュージックステーション』を担当[2]

1987年(昭和62年)2月から情報番組ディレクターとして『新アフタヌーンショー』『布施明のグッDAY』を担当[2]

1988年(昭和63年)4月からバラエティ番組のディレクターとして『欽ちゃんのどこまで笑うの』『欽どこTV』を担当[2]

その後『お昼のマイテレビ』『モーニングショー』『森田健作の熱血テレビ』『気になるテレビ』を経て、1992年平成4年)4月よりドラマ番組のプロデューサーを(以後、2008年5月までに全232 作品をプロデュースする)。1993年(平成5年)から『土曜ワイド劇場』を担当(以後51作品をプロデュース)[3]

1995年(平成7年)7月、営業局業務部に異動。スポンサー、広告会社などとテレビ広告に関する調整・交渉業務に携わる。同時にCM考査を担当[2]

1997年(平成9年)10月からドラマ番組のプロデューサーに復帰。1999年(平成11年)から人気刑事ドラマ「はぐれ刑事純情派」をプロデュースする(以後、全158作品)。従前からの『土曜ワイド劇場』に加え、連続ドラマ、単発ドラマを多数担当[2]

2000年(平成12年)5月『はぐれ刑事純情派』が第8回橋田賞を受賞。2007年(平成19年)『母とママと、私。』が全日本テレビ番組製作社連盟第24回ATP賞』優秀賞を受賞した[2]

2008年(平成20年)6月から広報局宣伝部に異動。PR番組プロデューサーとして、バラエティー番組「ぷれミーヤ!」「ぷちミーヤ!」等を制作。2010年(平成22年)6月、宣伝管理 担当副部長、2011年(平成23年)7月宣伝管理担当部長、2014年(平成26年)1月、編成制作局執行予算管理担当部長を歴任[4]

2017年(平成29年)11月、心筋梗塞を発症。心臓カテーテル手術で一命をとりとめたが、この体験を機に、「人間、いつ死ぬか分からない。せっかく助かったからには、生きているうちに、これまでの人生で得た学びを若い世代に伝えたい」と思う。全国の大学・短大のメディア系の学部・学科を調べる中で、西日本短期大学メディア・プロモーション学科を知る。講義でメディアについて教えるだけでなく、演劇公演、マスメディア出演、アイドル活動など、この学科独自の様々な表現活動の現場での指導において、これまでの人生での経験を活かせると直感した。2019年令和元年)単発の特別講義を行う。

2020年令和2年)3月、定年前にテレビ朝日を退職。2020年(令和2年)4月、教授として着任、1才年下の妻を横浜において単身、福岡へ移住。メディア・プロモーション学科の副学科長に就任する。『メディアと政治』『テレビドラマ論』『ジャーナリズム論』『映画論』等の授業で教鞭をとる[5]

2020年(令和2年)5月、コロナ禍で世の中が暗雲となる中、アイドルの歌で元気や癒しを届ける「コロナに負けない!プロジェクト」を企画する。アイドルユニット『西短MP学科さくら組』を立ち上げ、プロデュースする[6]。2020年(令和2年)7月、デビュー曲『miso soup』の楽曲制作、ミュージックビデオ制作をプロデュース。2021年(令和3年)2月、セカンド曲『あかるいほうへ』をプロデュース[1][7]

2022年(令和4年)3月、第1回『能古島国際映画祭』実行委員を務める[2]。4月1日、西日本短期大学メディア・プロモーション学科の学科長に就任。10月、『西短MP学科さくら組』3曲目となる『しあわせになりたい!』をプロデュース[8][9]

所属学会

  • 日本メディア学会
  • 社会情報学会

人物

  • 趣味は演劇鑑賞。学生演劇時代から現在まで一貫して続けている[2]
  • 影響を受けた人物は作家の横山秀夫、脚本家の山田太一、演出家の蜷川幸雄とインタビュー時で名前をあげている[2]

作品

テレビ朝日時代

ディレクター
プロデューサー

ほか多数

西日本短期大学 学科長時代

プロデュース

出演

テレビ

ラジオ

  • Departure Lounge』(LOVE FM
  • 『キラリ、星空キャンプ場』(CROSS FM)
  • 『あんたっちゃぶる』(RKBラジオ)
  • 『サトコノヘヤ』(KBCラジオ)
  • 『Toi toi toi』(RKBラジオ)
  • 『スイッチオン! DAYTIME』(LOVE FM)

新聞

脚注

注釈

出典

関連項目

外部リンク