ティフ・ニーデル
ティフ・ニーデル | |
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基本情報 | |
フルネーム | ティモシー・ニーデル |
国籍 |
イギリス ( イングランド) |
出身地 | 同・ハンプシャー州ハヴァント |
生年月日 | 1951年10月29日(72歳) |
F1での経歴 | |
活動時期 | 1980 |
所属チーム | '80 エンサイン |
出走回数 | 2 (1スタート) |
優勝回数 | 0 |
表彰台(3位以内)回数 | 0 |
通算獲得ポイント | 0 |
ポールポジション | 0 |
ファステストラップ | 0 |
初戦 | 1980年ベルギーGP |
最終戦 | 1980年モナコGP |
ティフ・ニーデル Tiff Needell | |
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生誕 |
1951年10月29日(72歳) イギリス |
職業 |
テレビ司会者 ジャーナリスト コラムニスト |
ティモシー・"ティフ"・ニーデル(Timothy "Tiff" Needell, 1951年10月29日 - )はイギリスの元レーシング・ドライバー、テレビコメンテーター。テレビ番組『フィフス・ギア』などにて活動中である。ティフ・ニードルと表記されることもある。
略歴
- 1951年10月29日にイングランド、ハンプシャー州南東のハヴァントにて生まれる。
- 1970年代にフォーミュラ・フォード、F3などのレースにて活躍。1979年にはF1に参戦するかと思われたが、国際自動車連盟(FIA)からスーパーライセンスの発給を拒否され実現しなかった。しかし翌1980年、事故で下半身不随となったクレイ・レガッツォーニの後釜としてエンサインからF1に参戦。ベルギーGP(リタイア)とモナコGP(予選落ち)の2レースに出走した後、ヤン・ラマースにシートを譲っている。
- その後は主にクローズドボディの車(いわゆる「ハコ車」)のレースに主に出走する。
- 1980年代は日本でも、全日本耐久選手権にトヨタより、全日本F2選手権にルマン商会、Team Ikuzawaより出場した。
- 現在ではイギリスではドライバーとしてより自動車のテレビ番組のコメンテーターとして有名。1987年から2001年まではBBCの『トップ・ギア』に準ホストとして出演していたが、長らく続いていた番組が終了してしまうと新興民放局・チャンネル・ファイブに移籍し、自ら『フィフス・ギア』を立ち上げた。
- 豪快なドリフト走行とパワースライドを得意とし、現在でも『フィフス・ギア』の中でその腕を見せることがある。
- 2010年にはザ・スティグの解雇に伴って、ゲストへの運転アドバイザーとして『トップ・ギア』へ復帰している。2011年のシリーズ16でも、アリエル・アトム V8運転の代役として出演した。
補足
- 『トップ・ギア』、『フィフス・ギア』などでは常に笑顔を絶やさず自動車の解説をするのが大きな特徴。
- 過去に出した最高スピードはサルト・サーキット(ル・マン24時間レースの舞台)のマルセーン・ストレートにおける時速230マイル(=約368km)との事。同時に人生最大のクラッシュもそのときに経験しているという。
- マクラーレン・F1とロータス・エランが「夢のクルマ」であるという。
- 2005年12月現在BMWの545iを所有(以上3点の情報は『フィフス・ギア』のオフィシャルサイトより)。
- 1997年に発売された(日本版は1998年)TOCA ツーリングカーチャンピオンシップでは日本語版と英語版でのコメンテーターを務めた。
F1での年度別成績
年 | 所属チーム | シャシー | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 11 | 12 | 13 | 14 | WDC | ポイント |
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1980年 | ユニパート (エンサイン) | N180 | ARG | BRA | RSA | USW | BEL Ret |
MON DNQ |
FRA | GBR | GER | AUT | NED | ITA | CAN | USA | NC (33位) |
0 |
(key)
関連項目
外部リンク
- Fifth Gear - 『フィフス・ギア』のオフィシャルサイト(英語)