ストックカー・ブラジル
ストックカー・ブラジル選手権(Campeonato Brasileiro de Stock Car)は、ストックカーのブラジル国内選手権である。1979年初開催。
2007年以降の正式名称は「Copa Nextel Stock Car(ネクステルカップ・ストックカー)」であるが、同国では以前より単にストックカー(Stock Car)もしくはストックカー・ブラジル(Stock Car Brasil)と呼ばれている。
ストックカーV8選手権を本選手権とし、下位カテゴリとしてストックカーV8ライト(Stock Car V8 Light)、ストックJr.(Stock Jr.)のふたつを持つ。
概要
第1戦
1979年4月22日に、リオグランデ・ド・スル州のタルマ・サーキット(Autódromo de Tarumã)で初開催された。これは、自動車レース愛好家グループの古くからの要求に応えたものだった。
レギュレーションは主にコストを削減することに眼目を置いて作成されたが、ヨーロッパなど他国のレースと比較しても見劣りしないだけのカテゴリとすべく、コストを削減しつつパフォーマンスを保つ最良の均衡点が模索された。
最初のレースは19台の車で争われ、シボレー・オパラ(Opala)の6気筒エンジン版のワンメイクレースとして開催された。このレースでポールポジションを獲得したのはホセ・カルロス・パリャレス(José Carlos Palhares)で、1分23秒00というタイムが記録された。優勝はアフォンソ・ジアフォーネが挙げた。
この選手権にはF1参戦を終えたブラジル人ドライバーがしばしば参戦しており、中でも、1976年から1979年初めにかけフィッティパルディ(コパスカー)チームからF1に参戦していたインゴ・ホフマンは、1979年1月に開催されたブラジルGP限りでF1から去るとストックカーの第1戦に参戦し、以来、1989年から1995年までの7連覇を含め、12度のタイトルを獲得している(2006年現在、ドライバーとして現役)。
特徴
この選手権は、ストックカーと名乗っているが、レースはオーバルコースで開催されることはなく全て通常のサーキット(ロードコース)で開催される。開催地であるブラジル国内のサーキットの多くが、国際サーキットとして認められている広大なものであることともあいまって、アメリカ的なストックカーよりもむしろヨーロッパのツーリングカーに似た選手権であると言える。実際、隣国アルゼンチンで開催されている同種のレース、TC2000はツーリングカーを名乗っている。ただし、この選手権で使用される車体はレース専用に開発されたものであり、その点がこの選手権がストックカーを名乗る所以となっている。
レースそのものは、豊富なオーバーテイクやテールトゥノーズの白熱した争いを醍醐味とする。
トピック
- 基本的にブラジル国内のみの開催だが、例外として、1982年にはポルトガルへの遠征を行い、同地のエストリルサーキットで2戦を開催した。また、毎年、隣国アルゼンチンの首都ブエノスアイレスにあるオスカル・ガルベス・サーキットで1戦が開催されている。
- アルゼンチンにある同種の国内選手権TC2000とは交流があり、アルゼンチン・ブエノスアイレスでのレースと、毎年7月もしくは8月にブラジル南部の都市クリチバ(クリチバサーキット)において開催されるレースにおいて、両選手権の共同開催を実施している。
- 従来、車体のシルエットとして一貫してシボレーのみが用いられていたが、2005年より三菱自動車、2006年よりフォルクスワーゲンがこれに加わり、3メーカーによる争いの態を為すこととなった。加えて、2007年からプジョーが参戦することが確定している。
- NASCARに倣い、2006年にチャンピオン決定のためのプレイオフ制度が導入された。全13戦中、8戦終了時点の選手権ランキング上位10名に、ランキング1位から順に225ポイント、220、216、214、以下2ポイント刻みで、ランキング10位に206ポイント、と、配分され、最終5戦でチャンピオンを争うというものである。チャンピオン争いを長引かせるためのもので、初年度は結果として、8戦終了時点で116ポイントを獲得してランキング首位だったカカー・ブエノ(Cacá Bueno)はリードを失い、101ポイントを獲得して2位だったオーヴェル・オルシ(Hoover Orsi)から45ポイントを獲得して10位だったグト・ネグラオン(Guto Negrão)までの9名に大きく差を詰められることとなった。
- 2006年11月、NASCARの冠スポンサーとして知られる「ネクステル」ブランドを2007年以降のストックカー・ブラジル選手権の冠スポンサーとして迎える契約がまとまったため、2007年シーズンの正式名称は「Copa Nextel Stock Car(Nextel Cup Stock Car)」となり、NASCAR選手権の最高峰シリーズ同様「ネクステルカップ」を名乗ることとなった。
車体
以下、本選手権であるストックカーV8選手権についての記述である。
概要
車体は同国のコンストラクターであるZFモータースポーツが製造し、これにシボレー製のエンジンを搭載し、ロングストレートを持つクリチバにおいて、最高時速はおよそ265km/h以上に達する。
車体は鉄とアルミニウムの組み合わせからなるパイプフレーム製で、これにガラス繊維製の外装をかぶせて、市販車両と同一の外観をまとっている。
エンジンはシボレー製、排気量5,700ccのV8エンジンで、450馬力を出力し最大回転数は毎分6,000回転に達する。燃焼系は、NASCAR同様キャブレターを用いた方式である。これらはアメリカ合衆国で製造された後に輸入されたもので、ZFモータースポーツがチューニングを施している。燃料にはガソリンを用い、車体後方に搭載された燃料タンクの容量は85リットルとなっている。
ギアボックスは前段5速、後段1速のシーケンシャルシフト、タイヤは1979年の初開催以来一貫してピレリが独占供給している。
制限
最低重量はドライバーを含めて1,230キログラムと定められており、各セッション終了時に適宜計量が行われる。
現在、シボレー、三菱、フォルクスワーゲンの自動車メーカー3社が参戦しているが、各社、各チームとも、使用するシャシーとエンジンは同じであり、チーム側は与えられた道具に対してサスペンションなどの調整を施すことのみ許される。
外観の変遷
- 1979年 シボレー・オパラ(Opala, ~1986年) - 市販車をベースとしている
- 1987年 シボレー・オパラ(~1989年) - リアウィングなど空力パーツが装着されるようになった
- 1990年 シボレー・オパラ(~1993年) - 空力面で全体的に更新が図られた
- 1994年 シボレー・オメガ(~1999年) - パイプフレームを用いたレース専用の車体に変更
- 2000年 シボレー・ベクトラ(~2003年)
- 2004年 シボレー・アストラセダン
- 2005年 シボレー・アストラセダン、三菱・ランサーエボリューション
- 2006年 シボレー・アストラセダン、三菱・ランサーエボリューション、フォルクスワーゲン・ボラ(Bora)
- 2007年 シボレー・アストラセダン、三菱・ランサーエボリューション、フォルクスワーゲン・ボラ、プジョー・307セダン ※予定
-
シボレー・オパラ
(第2世代、1988年) -
シボレー・オパラ
(第3世代、1992年) -
シボレー・アストラ
(2006年) -
プジョー・307
(2007年)
ストックカーV8ライト
ストックカーV8ライト(Stock Car V8 Light)は、ストックカーV8選手権への参戦をより容易にするため、その下位カテゴリとして1993年に創設された。ストックカーV8選手権の直下に位置するステップアップカテゴリとして位置づけられている。
車体
使用する車体は基本的にストックカーV8選手権の物と同一である。
エンジンは2004年からV8選手権のそれと同じV8エンジンが使用されるようになったが、馬力は350馬力、回転数は毎分6,000回転がそれぞれ最大となるよう、リミッターが付いている。ちなみに最高速はクリチバにおいておよそ240km/hに達する。
最低重量はV8選手権よりやや重く、ドライバーを含めて1,250kgと定められている。
外観については、ストックカーV8選手権がアストラセダンのシルエットを用いるのに対し、V8ライトではアストラハッチバックのシルエットが用いられ、2006年現在、他車種の参入はない。V8選手権のアストラの識別点としては、V8ライトの車には車体上部に車載カメラ搭載用の小窓が付かないという差異があり、この点が両者の視覚的区別を容易にしている。2003年以前は、シボレー・オメガのそれが用いられていた。
ストックJr.
ストックJr.(Stock Jr., ストックジュニア)は、ストックカーV8ライトの下位カテゴリとして2006年に設けられた選手権である。年間24レースが開催され、その内の成績の良い12レースの結果を採用し争われる選手権である。
従来、ブラジルにおいて若手ドライバーのストックカーへのステップアップ手順としては、フォーミュラ・ルノーなど、ジュニア・フォーミュラを経た後のそれが一般的であったが、この選手権の創出により、レーシングカートを終えてすぐさまストックカー系のカテゴリに参加できるようになった。
ドライバーが負担する参戦費用を下げる試みもなされており、車体の整備には製造者であるZFモータースポーツのメカニックが専任であたり、ドライバー側では車体に改造を施す必要はなく、また、施すことはできない。
車体
車体は他に類を見ない、独特の形状をしており、重量は550キログラム、レース用四輪車両としてもきわめて小型である。上位のストックカー用の車両はドライバー以外にもう一人を乗せる(助手席)スペースがあるが、このカテゴリで使用される車両はドライバー一人分の乗車スペースのみ存在する。
構造としては、V8選手権同様、パイプフレームの車体にガラス繊維性のボディをかぶせたものとなっている。外観はキドニー・グリルを持ちBMWとの類似を感じさせるデザインとなっているが、同社とは無関係と考えられている。
エンジンはヤマハ製のそれにシーケンシャルの5速ギアを組み合わせ、これも上位カテゴリのそれに近接させている。排気量1,250cc、直列4気筒で毎分最大9,250回転、130馬力を発生するこのエンジンは、元々は二輪レース用のそれであり、V8選手権のそれ同様、アメリカ合衆国からの輸入品である。
シャシーは安全性に配慮し、コクピット部分を中心に守る構造となっており、小型ながら、最高時速は200km/h以上に達する(クリチバ)。
ストックカーV8選手権・歴代チャンピオン
年 | チャンピオン |
---|---|
2006年 | カカー・ブエノ(Cacá Bueno) |
2005年 | ジュリアーノ・ロサッコ(Giuliano Losacco) |
2004年 | ジュリアーノ・ロサッコ(Giuliano Losacco) |
2003年 | デビッド・ムッファト(David Muffato) |
2002年 | インゴ・ホフマン |
2001年 | チコ・セッハ |
2000年 | チコ・セッハ |
1999年 | チコ・セッハ |
1998年 | インゴ・ホフマン |
1997年 | インゴ・ホフマン |
1996年 | インゴ・ホフマン |
1995年 | パウロ・ゴメス(Paulo Gomes) |
1994年 | インゴ・ホフマン |
1993年* | インゴ・ホフマン、 アンジェロ・ジョンベッリ(Angello Giombelli) |
1992年* | インゴ・ホフマン、 アンジェロ・ジョンベッリ(Angello Giombelli) |
1991年* | インゴ・ホフマン、 アンジェロ・ジョンベッリ(Angello Giombelli) |
1990年 | インゴ・ホフマン |
1989年 | インゴ・ホフマン |
1988年 | ファービオ・ソット・マイオル(Fábio Sotto Mayor) |
1987年 | ゼッカ・ジアフォーネ(Zeca Giaffone) |
1986年 | マルコス・グラシア(Marcos Gracia) |
1985年 | インゴ・ホフマン |
1984年 | パウロ・ゴメス(Paulo Gomes) |
1983年 | パウロ・ゴメス(Paulo Gomes) |
1982年 | アレンカル Jr.(Alencar Jr.) |
1981年 | アッフォンソ・ジアフォーネ(Affonso Giaffone Jr.) |
1980年 | インゴ・ホフマン |
1979年 | パウロ・ゴメス(Paulo Gomes) |
* 1991年から1993年にかけて2人のドライバーが1台の車を共有したため、チャンピオンも2人に対して与えられた。
* マルコス・グラシア(ゴイアス州)、アンジェロ・ジョンベッリ(パラナ州)、デビッド・ムッファト(パラナ州)、カカー・ブエノ(リオデジャネイロ州)の4名を除く全てのチャンピオンをサンパウロ州出身者が占めている。
獲得回数
- 12回
- インゴ・ホフマン(1980年、1985年、1989年~1994年、1996年~1998年、2002年)
- 4回
- パウロ・ゴメス(1979年、1983年~1984年、1995年)
- 3回
- アンジェロ・ジョンベッリ(1991年~1993年)
- チコ・セッハ(1999年~2001年)
- 2回
- ジュリアーノ・ロサッコ(2004年~2005年)
- 1回
- アッフォンソ・ジアフォーネ(1981年)
- アレンカル Jr.(1982年)
- マルコス・グラシア(1986年)
- ゼッカ・ジアフォーネ(1987年)
- ファービオ・ソット・マイオル(1988年)
- デビッド・ムッファト(2003年)
- カカー・ブエノ(2006年)
主なドライバー
- アッフォンソ・ジアフォーネ
- 1979年の第1回レース優勝者で、1981年の選手権チャンピオン。1990年代後半にIRLに参戦していたアッフォンソ・ジアフォーネは息子。
- カカー・ブエノ
- 2006年の選手権チャンピオン、2003年から2005年にかけ3年連続で年間ランキング2位。2000年代を代表するドライバーとみなされている。
元F1ドライバー
- インゴ・ホフマン (1979年の第1回レースより)
- 2007年現在も現役。チャンピオン獲得回数、勝利数などでそれぞれ最多記録を持つ
- ラウル・ボーセル(1979年, 2003年 - 2005年)
- アレックス=ディアス・リベイロ(1980年代)
- チコ・セラ(1980年代 - )
- ウィルソン・フィッティパルディ(1980年代 - 1990年代初頭)
- タルソ・マルケス(2005年 - )
- クリスチャン・フィッティパルディ(2005年 - )
- ルチアーノ・ブルティ(2005年 - )
- エンリケ・ベルノルディ(2007年)
- リカルド・ゾンタ(2007年)