ジム・トイ (野球)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

これはこのページの過去の版です。123.225.185.253 (会話) による 2013年8月16日 (金) 09:12個人設定で未設定ならUTC)時点の版であり、現在の版とは大きく異なる場合があります。

ジム・トイ
Jim Toy
基本情報
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
出身地 ペンシルベニア州ビーバーフォールズ
生年月日 1858年9月20日
没年月日 (1919-03-13) 1919年3月13日(60歳没)
身長
体重
5' 6" =約167.6 cm
160 lb =約72.6 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 捕手一塁手
プロ入り 1886年
初出場 1887年4月20日
最終出場 1890年7月30日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

ジム・トイ(James Madison "Jim" Toy、 1858年2月20日 - 1919年1月31日)は、1880年代に活躍したアメリカメジャーリーグの野球選手。主なポジションは内野手ペンシルベニア州ビーバーフォールズ生まれ。右投げ右打ち。[1]現クリーブランド・インディアンズの愛称の元とされたルイス・ソカレキス以前にプレーしていた、メジャーリーグ史上最初のアメリカ・インディアンではないかという説がある選手。

来歴・人物

トイは1880年代半ばにプロの野球選手になり、当時のインターナショナルリーグに所属していたニューヨーク州ユーティカのチームに所属していた。チームは1886年のインターナショナルリーグを制覇した記録がある。トイは肩が強くどこでも守れる選手として知られていたという。1887年アメリカン・アソシエーションのクリーブランド・ブルースに入団。クリーブランドでは主に一塁を守ったが、捕手や外野などもこなしていた。クリーブランドには1年だけ所属し、その後はマイナーリーグのブルックリンで活動し、この時は主に捕手をしていた。

再びメジャーに登場するのは1890年のことで、この時は1年だけアメリカン・アソシエーションに参加したブルックリン・グラディエイターズの選手だった。出場は40試合ほどで、自打球を鼠蹊部に当てた怪我が元で野球を続けられなくなったという。メジャーリーグでのキャリアはこの2年だけで、1919年にペンシルベニア州で60歳の生涯を終えている。

彼はインディアンか?

現在、メジャーで最初のインディアンの選手は、同じクリーブランド・スパイダーズに在籍していたルイス・ソカレキスとするのが定説だが、1963年に野球記者のリー・アレンが、トイの父親がラコタスー族であり、彼が最初のインディアンの選手であるという可能性を主張した。ただトイが生まれた当時の出生記録は正確さを疑われており、現在この説は裏づけに乏しいとされている。

後年作家のエド・ライスがトイの経歴を調べ彼の死亡診断書を入手したが、診断書には『白人』と記載されていた。トイ自身がインディアンとして社会的に認知されていなかった(あるいはトイ自身がそういう振る舞いをしなかった[2])可能性が高く、最初のインディアン選手についての議論では、この点を重視する野球史研究家が大勢を占めている。

年度別打撃成績
































O
P
S
1887 CLB 109 423 56 94 20 5 1 56 8 - 17 - .222 .256 .300 127 - - - 2 - 0.556
1890 BRG 44 160 11 29 3 0 0 7 2 - 11 - .181 .238 .200 32 - - - 1 - 0.438
通算 2年 153 583 67 123 23 5 1 63 10 - 28 - .211 .251 .273 159 - - - 3 - 0.524

脚注

  1. ^ Retrosheetの選手記録による。資料により「左右不詳」とされている。
  2. ^ スポーツ界でのインディアン選手を取り巻く状況については、スー族のビリー・ミルズの項も参照されたい

出典・外部リンク