ゴシック・ロック
ゴシック・ロック(ゴスロック、ゴス)は、1970年代に誕生した、ポストパンクやオルタナティヴ・ロックのサブジャンルの一つである。暗いテーマと、ゴシック・ホラーやロマンチシズム、実存主義哲学やニヒリズムといった知的なものを扱う。ゴシック・ロックによって、ゴス文化は、ゴス・クラブやゴシック・ファッション、ゴス専門雑誌などの発展を見せた。
歴史
第1世代(1979~1985)
初期のゴシック・ロックバンドの多くはイギリス出身だが、Christian Death(ロサンゼルス)、Virgin Prunes(アイルランド)、Xmal Deutschland(ドイツ)などイギリス出身以外のバンドも存在する。
イギリス
ゴシック・ロックは、パンク・ロックやポスト・パンク、ニューウェイヴから派生していった。ゴスという単語がシーンをあらわすのに使われ始めたのは、1983年になってからである。1970年代後半や1980年代のいくつかのゴシック・ロックバンドは、自分でレーベルを持ち、インディーズからCDを発表していった(例:ベガーズ・バンケット・レコード)。
1979年にゴシックと呼ばれたポスト・パンクのグループは、ジョイ・ディヴィジョン[1]とスージー・アンド・ザ・バンシーズだった。 スージー・アンド・ザ・バンシーズのデビューアルバム『香港庭園』から『ノクターン』までの作品や、イアン・カーティスの自殺によって短命に終わったジョイ・ディヴィジョンの『アンノウン・プレジャーズ』、『クローサー』はゴス・シーンに影響を与えた。
また、バウハウス(当初バウハウス1919と呼ばれていた)やザ・キュアー、キリング・ジョーク、パブリック・イメージ・リミテッドもまたゴス・シーンに影響を与えた。
バウハウスは当初、無地のジーパンにTシャツといったファッションだったが、Gloria Mundiと同じ番組に出演してからは、イメージチェンジを行い、最終的には黒ずくめにメーキャップといういでたちとなっていった。デヴィッド・ボウイやT・レックスといったイギリスのグラム・ロックに影響されたバウハウスのデビューシングル「Bela Lugosi's Dead」は、本格的なゴシック・ロックの幕開けと呼ぶにふさわしい作品となっている。[2]スージー・アンド・ザ・バンシーズやザ・キュアーなどのバンドは後に音楽スタイルを変化させていったがバウハウスは1983年の解散まで、ステージパフォーマンスや音楽スタイルにおいて、ゴシックを貫いた。
ダムドのリードボーカルであるデイヴ・ヴァニアンは、ザ・キュアーやスージー・アンド・ザ・バンシーズ、バウハウスにファッション面で影響を与えた。
1970年代後半に結成されたUK Decay[3]は、1980年代に入って頭角を現しつつあるゴス・シーンに影響を与えた。また1980年から1981年にかけて、The Danse SocietyやTheatre of Hate[4]、The March Violets、Play Dead、シスターズ・オブ・マーシー、Gene Loves Jezebelが結成。1982年までに、Sex Gang Children、Southern Death Cult(後のThe Cult)、Skeletal FamilyやSpecimen、そしてAlien Sex Fiendの出現によって、ゴシック・ロックはより幅広いサブカルチャーになった。1983年にリリースされたSex Gang Childrenのファーストアルバム『Song and Legend』は、ポジティヴ・パンク[5]の名盤とされイギリスのインディー・チャートで1位を獲得した。[6]
ロンドンにあるSpecimenが主催するBatcaveは、イベントなどの開催場所を与えることでゴス・シーンに貢献した。ゴシック・ロックバンドのメンバーやその取り巻き、及びファンはBatcaveに集まり、ゴス・クラブのプロトタイプをつくっていった。1983年までイギリスの雑誌はBatcaveや他の類似する会場をとりあげ、ゴシック・ロックシーンを紹介した。
ドイツ・オーストラリア
バウハウスやChristian Deathが自分たちの国でバンドを結成させていたその頃、Geisterfahrer、Xmal Deutschland、Leningrad Sandwich、Malaria!、Belfegore、Pink Turns Blue、Girls Under Glassといったバンドがドイツで結成されていった。また毎年、ドイツのライプツィヒではダーク・ウェイヴ&ゴシック・フェスティバルである、Wave-Gotik-Treffenが開催された。
オーストラリアでは、ニック・ケイヴのザ・バースデイ・パーティ(1979年になって活動拠点をロンドンに移転)がゴス・シーンに影響を与えた。
日本
日本では現地のパンクシーンを体験しようと渡英し、バウハウス等のゴシックロック勢に衝撃を受けた元MARIA023のジュネが結成したオート・モッドがいわゆる日本のゴシック・ロックの始祖となった。オート・モッドは布袋寅泰等のメンバーを擁しながら1985年まで活動をした。
また、G-SCHMITT、Madame Edwarda、サディ・サッズ、パイディア(RUINSの吉田達也在籍)などのバンドが活動した。
これらのバンド・シーンに影響を受けたDEAD END、ガスタンク、BUCK-TICK、X、筋肉少女帯等が後に登場したがこれらのバンドは新たに日本で発生するビジュアル系の元祖と呼ばれるようになるバンドで、日本のゴシック・ロ ックのメインストリームはビジュアル系へと引き継がれる形となる。
第2世代
第2世代のゴスの波の中で、そのゴスという単語とスタイルがThe FaceやNMEといったイギリスの主要紙に注目されるようになっていった。またゴシック・ロックはよってゴス・サブカルチャーも広まっていった。1980年代を通して、ヨーロッパのゴス文化とデスロック・ムーブメントと、ニューロマンティックとの融合がしばしばあった。
1980年代のオルタナティブ・ロックの幕開けは、ゴシック・ロックの幕開けをも意味し、将来を期待されていたミュージシャンにシスターズ・オブ・マーシー、Fields of the Nephilim、Rozz Williamsが脱退した新生Christian Death、元シスターズ・オブ・マーシーのWayne Hussey率いるThe Mission、Mephisto Walz、そしてChristian Deathの作曲とギターを以前担当していたBarry Galvin(通称・Bari-Bari)などがいた。
シスターズ・オブ・マーシーのデビュー・アルバム『First and Last and Always』はイギリスの音楽チャートトップ10に入りを果たした。
Clan of Xymox、デッド・カン・ダンス、コクトー・ツインズといった4ADレコードのミュージシャンの楽曲は、イギリスの大学やラジオ局でオンエアされた。
デペッシュ・モードが体現した、ゴスとポップとインダストリアルの融合とシンセサイザーを使用した楽曲は、Camouflage、 Secession、 Celebrate the NunやRed Flagといったシンセポップのミュージシャンに影響を与え、ついにゴシック・ミュージックはクラブ・ミュージックとつながりを持ち、シンセポップ感がゴシック・ロックの中に現れ出した。
第3世代
1990年代に入っても、イギリスからはChildren on Stun、All Living Fear、VendemmianやRosetta Stoneといった新人バンドが現れ、 The Crüxshadows、The Last Dance、Sunshine BlindやThe Shroudも活動を開始した。
ドイツでは、Apocalyptic Vision、Apollyon Rekordings、Deathwish Office、Dion Fortune、Glasnost Records、Hyperium Records、Sounds Of DelightやTalitha Recordsといったレコード会社が、Love Like Blood、Mephisto Walz、The Merry ThoughtsやTwo Witchesといったバンドの楽曲を収録したゴシック・ロックのコンピレーションアルバムをリリースした。
1990年代半ばから後半にかけて、大手レコード会社(特にアメリカやドイツ)では、‘ゴシック・バンド’や‘インダストリアル・バンド’として、マリリン・マンソン、エヴァネッセンスやウィズイン・テンプテーションといった実際はゴシック・ロックのミュージシャンとして活動していないハードロックやヘヴィメタルの人気バンドを扱いだした。またアメリカのマスコミはゴス文化とコロンバイン高校銃乱射事件に関連性があると指摘し中傷した。
2000年に入ってから、一部のゴス・ロックファンが1980年代の第1世代のファッションや音楽をとりあげ、リバイバル・ムーブメントに参加するようになる。Cinema Strange、QuidamやBlack IceといったDeathrock.comというウェブサイトに関係するバンドは第1世代のゴシック・ロックのスタイルへの回帰に貢献し、ニーナ・ハーゲンは2005年にニューヨーク市で行われたDrop Dead Festivalで大々的に活躍した。
チェリーレッド・レコードがヨーロッパで初期のゴス・ロックのCDを再発している一方、Dancing FerretやProjekt Records、Metropolis Recordsはアメリカの市場でゴス・ロックの楽曲を発表し、新たなゴシック・ミュージックがStrobelight Recordsといったヨーロッパのレコード会社からリリースされている。
このように、2011年現在はゴシック・メタルやオルタナティヴ・メタルとの交わりで本来の意味合いが失われつつあったゴシック・ロックであったが、ザ・ホラーズの登場により、再評価が成され始めている。他にもアリエル・ピンクズ・ハウンテッド・グラフィティやセレナ・マニッシュなど第一世代のゴシック・ロックに影響を受けたアーティストが登場しつつある。
音楽スタイル
マイナー・キーや暗い曲調が一般的だが、メジャー・キーも使われている。
クリーン系や、暖かなオーバードライブのかかったギターサウンドはコーラスやフランジャー、アナログを用いたディレイによって生み出された。また、ゴシック・ロックにおけるエレキ・ギターの音は個性的な奏法になっている。この奏法は、パンク・ロックにおけるダウンストロークからきていて、濃厚な和音の代わりに、尖ったメロディーラインを強調するのに役立っている。
ゴシック・ロックのアーティスト
ポジティヴ・パンク御三家
ポジティヴ・パンク御三家[7]
脚注
- ^ Reynolds, Simon. Rip It Up and Start Again: Postpunk 1978-1984. Penguin, 2005. p. 352
- ^ Reynolds, Pg. 359
- ^ 最初にパンク・シーンの分流としてのゴスを扱った文章は、UK rock weekly Sounds誌で、スティーヴ・キートンがUK Decayについて書いた'The face of punk gothique'という記事である(1981年2月21日)。
- ^ 後にギターのBilly Duffyが解散したSouthern Death CultのIan AstburyとThe Cultを結成する。
- ^ 1983年2月のNME誌の記事において、「ポジティヴ・パンク」という単語が、頭角を表しつつあるシーンの呼称として使われた。
- ^ [1]
- ^ 小野島大 『UKニュー・ウェイヴ』 シンコー・ミュージック、2003年、154頁。