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ケイ (アーサー王伝説)

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ケイ卿Sir Kay, Ceiとも)は、アーサー王伝説等に登場する伝説人物で、円卓の騎士の一人で、国務長官を司る。エクトル卿の子でアーサー王の義理の兄(乳兄弟)にあたる。他にカイカイウスクーとも。

ケイの物語の概要

万聖節の日(11月1日)に騎士となり、馬上槍試合においてアーサー(この時、まだ王ではなくケイの弟である)とともに登場する。 このとき、ケイは自分の剣を父親の宿所に置き忘れ、アーサーに取りに行かせる。 アーサーは剣を取りに戻るも、宿所は閉まって入れず、大聖堂前の広場に石の台座に刺さった剣(カリバーン)を抜いてケイに持ってくる。 アーサーが持ってきた剣があの大聖堂にあった剣だとわかった瞬間、ケイは父エクトル卿のもとへ行き、この剣を抜いたので自分がイングランドの王になれると言った。 エクトル卿は息子ケイの嘘を見抜き、大聖堂にアーサーと共に連れて行き、真実を語らせた。 ケイは真実を語り、アーサーはもう一度剣を戻して抜いて、かくして王となった。アーサーが即位すると、ケイは国務長官に任命された。 

ノーサンバーランド王のカドールの娘アンドリヴェートと結婚し、ガランヴィングロノシス、という息子とケレモンという名の娘の三子に恵まれ、グウィナム・ゴズウフ・ヒルという名の馬を愛馬とした。

アーサー王がローマに進軍した時は随行し、フランスのモン・サン・ミシェッルの地でアーサー王、ベディヴィアとと共にモン・サン・ミッシェルの巨人を討伐した。

シニカルな性格で、「永遠の毒舌家」と言われた。それは、ガウェイン卿の弟、ガレス卿をボーメイン(Beaumains, ボーメンとも)といってあげつらったりした所などにでている。

ケイ卿の最期には諸説あり、ウェールズ系の文献では一貫してグウヴィザグに殺されたり(アーサー王は後に義兄の仇を討ち取っている)、ローマ軍との戦いで戦死したりするものがあるが、モードレッドとの戦いで果てたのが通説になっている。

さまざまな本にでてるケイ卿の像

初期の頃の物語では義弟アーサーの忠臣(マロリー版より前の作品ではアーサー王の側にガウェインと共にいる)として働いた(例えばアーサー王にベディヴィアと伴われてモン・サン・ミッシェルの巨人を討伐した、など)が、後に付与される伝説で次第に悪人的もしくは道化的な要素を持つようになる。

その例として挙げるハルトマン・フォン・アウエの『イーヴェイン』では、ケイはケノンに話を求め、ケノンが自分の体験した泉での不思議な出来事を語る。そのあとケイが「そんな話はウソだろう。」と、嫌味を言うのだが、そのあまりのひどさに王妃ギネヴィアはケイに地獄に堕ちろと言わんばかりの言い方でケイをしかる始末である。 また、フランスの「聖杯」の散文物語『ペルレスヴォ』ではもっと酷くなり、アーサーの息子ロホルト(『アーサー王の死』に登場するボーレと同一人物とも)を殺害し、島々のブリアンと共にアーサーに反旗を翻してしまうのである。

しかし、『マビノギオン』ではベディヴィアと共に超人ばりな特技を披露し(九日九晩水の中にいても息が続け、九日九晩寝なくて働けて、人に傷を負わさせれば絶対にその傷は治ず、機嫌のいいときは背が伸び、おまけに手から出る熱で洗濯物もすぐ乾かしてしまう、など)、「キルッフとオルウェン」では、巨人ウルナッハのもとに単身乗り込み、機知でもってウルナッハを討ち取った。

関連項目

  • アーサー王物語
  • 円卓の騎士
  • 燃えろアーサー 白馬の王子 この作品では子供の頃から無鉄砲なアーサーのサポート役として登場。アーサー王伝説のケイとは違い生真面目で優しいお兄さんという性格。
  • 王様の剣 この作品では主人公ワートとの差を強調させるために無責任で少し間抜けな大男となっている。(原作の『永遠の王』にはそのような描写は一切ない)