おきゅうと

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おきゅうとまたはおきうととは、福岡県福岡市を中心に食べられている海藻加工食品。「お救人[1]、「浮太」、「沖独活[1]とも表記される。

成分の内訳は96.5%が水分、残りのうちタンパク質が0.4%、炭水化物が3%、灰分が0.2%である[2]。すなわち栄養は高くないが、独特の食感などが評価されている。

歴史

伝来は諸説あるが、「佐渡の『いごねり(えごねり)』が、博多に伝わった」とする説がある[要出典]江戸時代の『筑前国産物帳』では「うけうと」という名で紹介されている[1]。もともとは福岡市の博多地区で食べられていたようだが、その後福岡市全体に広がり、さらには九州各地に広がりつつある。福岡市内では、毎朝行商人が売り歩いていた。福岡市内を中心に、おきゅうと専門の製造卸は1997年ごろでも約10店あった[3]

一方、1990年代から福岡県内では原料のエゴノリの不漁が続いており、2000年代では石川県輪島市などから仕入れている。また、主食が米飯からパンなどに移っていることからかつてに比べて消費が低迷している[4]

製法・食べ方

皿に盛られたおきゅうと

作り方は、原料のエゴノリ(「えご草」、「おきゅうと草」、博多では「真草」とも呼ばれる)と沖天(イギス、博多ではケボとも呼ばれる)やテングサをそれぞれ水洗いして天日干しする[1](状態を見ながら1~5回繰り返す)。この時の歩留まりは7割ぐらいになるが、この工程を省くと味が悪くなり黒っぽい色のおきゅうとができるため、手間を惜しまない事が重要である(ただし、テングサは香りが薄れるので自家用の場合は洗う回数を減らすことがある[1]。)。次に天日干ししたえご草と天日干しした沖天をおおよそ7:3から6:4の割合で混ぜ、よく叩く[1]。酢を加えて煮溶かしたものを裏ごしして小判型に成型し常温で固まらせる[1]。 博多では、小判型のおきゅうとをくるくると丸めたものが売られている。

おきゅうとの良し悪しの見分け方として、あめ色をして、ひきがあるものは良く、逆に悪いものは、黒っぽいあめ色をしている。また、みどり色をしたものは、「おきゅうと」として売られているがまったくえご草が使われていないものもあり、天草が主原料の場合は「ところてん」であり「おきゅうと」ではない。

新潟県長野県では、えご草のみを原料としたほとんどおきゅうとと製法が同じ「えご(いご)」「いごねり(えごねり)」が食べられている。 おきゅうととの製法上の相違点は、えご草を天日干しせず、沖天を使用しないところである。

食べ方は、5ミリから1センチ短冊状に切り、鰹節のうえに薬味としておろし生姜またはきざみねぎをのせ生醤油で食べるか、または芥子醤油ポン酢醤油やゴマ醤油などで食べるのが一般的である。もっぱら朝食の際に食べる[1]

語源

語源については諸説あり、

  • 沖で取れるウドという意味[1]
  • キューと絞る手順があるから
  • 享保の飢饉の際に作られ、「救人(きゅうと)」と呼ばれるようになった[1]
  • 漁師に製法を教わったため、「沖人」となった

などが挙げられる[4][5]

備考

  • 第二次世界大戦前、博多の町では明け方より、他の地方の“納豆売り”や“しじみ売り”のように、“おきゅうと売り”が売り歩いたという。
  • “おきゅうと売り”の掛け声は『おきうとワイとワイ、きうとワイ』というものだったという。
  • 山形県秋田県新潟県長野県安曇野地方で食べられている「えご」(「いご」「えごねり」「いごねり」ともいう)や宮崎県の「キリンサイ」も、形は少し違うが紅藻類海草を使う点で共通しており、同様の食品である[2]
  • えごは飢饉の際、漁師が見つけた海草を煮詰めて固めたもので、飢えをしのいだ事が由来とされる。
  • 福岡出身の実業家・出光佐三など、味を懐かしんで東京まで取り寄せて食べていたという例も多い[5]

脚注

  1. ^ a b c d e f g h i j 楠 喜久枝『福岡県の郷土料理』(第1版第2刷)同文書院東京都、1984年10月15日、40-44頁。 NCID BN06140416 
  2. ^ a b 大村浩久、他『福岡県における主要市販加工食品の調査 (2)豆腐およびオキュウト』 九州大学農芸学誌、Vol.29(1,2)、P.45-49、1974年
  3. ^ 朝日新聞 1997年8月13日付 朝刊、家庭面、P.21
  4. ^ a b 朝日新聞 2007年5月29日付 朝刊、福岡地方面、P.30
  5. ^ a b 朝日新聞 1998年5月16日付 夕刊、経済特集面、P.7