ララ物資

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
LARAから転送)
移動: 案内, 検索

ララ物資(ららぶっし)とは、ララ(LARA;Licensed Agencies for Relief in Asia:アジア救援公認団体)が提供していた日本向けの援助物資のこと。

目次

[編集] 概要

2001年に建立された神奈川県横浜市の新港埠頭にあるララ物資の記念碑。[1]

ララはアメリカ合衆国救済統制委員会が1946年6月に設置を認可した日本向け援助団体。1946年1月22日にアメリカサンフランシスコ在住の日系人浅野七之助が中心となって設立した「日本難民救済会」を母体としている。

当時アメリカにおける対外的な慈善活動は海外事業篤志団アメリカ協議会(American Counsel of Voluntary Agency for Work Abroad)が担っていたが、その対象地域は欧州のみであり日本は含まれていなかった。そのため、日本に対する援助物資輸送のために新たな援助団体を設立する必要があった。反日感情が残るなかでの「アジア救援公認団体」認可に際しては知日派のキリスト友会員の協力によるところが大きい。

主な支援物資は長期間の輸送を考慮して脱脂粉乳と衣類であった。多数の国にまたがり、多くの民間人、民間団体からの資金や物資の提供であったためその救援総額は不明であるが、推定で当時の400億円という莫大な金額であったと言われている。

南北アメリカ大陸在住の日系人が寄附の中心であったが、日本国内での物資配付にあたっては連合国軍最高司令官総司令部の意向により日系人の関与について秘匿され、アメリカからの援助物資として配付された。

「アイスクリームにチョコレート、日本のみんなに下さった、ララのみなさんありがとう」という歌があったという。[2]

[編集] 年表

  • 1946年11月30日 第一便(ハワード・スタンズペリー号)が横浜港に到着。
  • 1946年12月24日 東京都永田町小学校において贈呈式が実施。
  • 1947年7月31日 衆議院本会議において感謝決議(救援物資の寄贈に関し亜細亜救援公認團体に対する感謝決議)がされた。
  • 1948年 東京、大阪、名古屋、京都、横浜、神戸の6大都市の約300カ所の保育所でララ物資による給食が開始
  • 1952年 ララ物資の終了

[編集] 脚注

  1. ^ 記念碑についての詳しい内容は横浜市の中区の歴史を碑もとく絵地図を参照。
  2. ^ 『桑原征平 粋も甘いも』ABCラジオ、2011年5月12日放送。

[編集] 関連項目

[編集] 外部リンク

個人用ツール
名前空間
変種
操作
案内
ヘルプ
ツールボックス
他の言語