第34師団 (日本軍)

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第34師団
創設 1939年(昭和14年)2月7日
廃止 1945年昭和20年)
所属政体 Flag of Japan.svg大日本帝国
所属組織 大日本帝国陸軍
部隊編制単位 師団
兵種/任務/特性 歩兵
所在地 中支-華南
編成地 大阪
通称号/略称 椿
補充担任 大阪師管区
最終上級単位 支那派遣軍
最終位置 江西省 九江
主な戦歴 日中-太平洋戦争
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第34師団(だいさんじゅうよんしだん)は、大日本帝国陸軍師団の一つ。

沿革[編集]

盧溝橋事件華北から華中華南へと戦線が拡大し日中戦争が泥沼化するなかで、占領地の警備や治安維持を目的として1939年昭和14年)2月7日に新設された歩兵三個連隊編制師団の一つであり、同時に第32師団第33師団第35師団第36師団第37師団が新設された。また同年6月30日には第38師団第39師団第40師団第41師団が新設された。

編成後ただちに中国戦線に投入、第11軍戦闘序列に編入され武漢方面の警備に従事する。同年12月からは南昌に移駐し同地の警備に従事する一方、1940年(昭和15年)の宜昌作戦、翌1941年(昭和16年)の錦江作戦などにも参戦する。

太平洋戦争開戦後も第11軍隷下華中に在り占領地の警備や治安作戦に従事していたが、1944年(昭和19年)5月から大陸打通作戦に参戦、湘桂作戦では長沙・岳麓山攻略などに従事する。

1945年(昭和20年)4月18日には支那派遣軍直轄部隊となり、南京方面に向けて移動中九江で終戦を迎える。

師団概要[編集]

歴代師団長[編集]

  • 関亀治 中将:1939年(昭和14年)3月9日 - 1940年(昭和15年)12月2日
  • 大賀茂 中将:1940年(昭和15年)12月2日 - 1942年(昭和17年)10月8日
  • 秦彦三郎 中将:1942年(昭和17年)10月8日 - 1943年(昭和18年)3月25日
  • 伴健雄 中将:1943年(昭和18年)3月25日 - 終戦

最終所属部隊[編集]

  • 歩兵第216連隊(大阪):石川明大佐
  • 歩兵第217連隊(大阪):木佐木清次大佐
  • 歩兵第218連隊(和歌山):沢多亮大佐
  • 第34師団工兵隊:森山正文大尉
  • 第34師団輜重隊:森三丸大佐
  • 第34師団通信隊:西川浩大尉
  • 第34師団第1野戦病院:高橋新吾軍医少佐
  • 第37師団第2野戦病院:番場新一軍医少佐
  • 第34師団病馬廠:倉田一良獣医大尉

関連項目[編集]