桜井駅跡

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桜井駅跡(さくらいえきあと・さくらいのえきあと)は大阪府三島郡島本町桜井一丁目にある古代律令制度下の駅家の跡。1921年大正10年)国指定の史跡である。

石碑「楠公父子訣別之所」、揮毫は陸軍大将乃木希典

概要[編集]

続日本紀』には711年和銅4年)の出来事として「摂津国嶋上郡に大原駅を設ける」という内容の記述があり、この大原駅が桜井駅のことであるとの説がある。京都から西宮へ出る西国街道に面している。

この駅跡は、「楠公父子訣別之所」として知られ、「太平記第十六巻」の「正成兵庫に下向の事」(湊川の戦い)において1336年延元元年・建武3年)、足利尊氏を討つべく湊川に向かう楠木正成が、嫡男の楠木正行河内国に帰らせたと伝えられている。(→楠木正成桜井の別れの項を参照)

1876年明治9年)に開通した東海道本線(JR京都線)は長らくこの地に駅を設けなかったが、2008年平成20年)に島本駅がすぐ傍に開業した。ちなみに、同線と併走する阪急京都線水無瀬駅上牧駅は、それぞれ、「桜井ノ駅駅」(さくらいのえきえき)、「上牧桜井ノ駅駅」(かんまきさくらいのえきえき)の駅名で開業している。

桜井駅跡には、陸軍大将乃木希典筆「楠公父子訣別之所」の碑、海軍大将・元帥東郷平八郎筆「子わかれの 松のしづくに 袖ぬれて 昔をしのぶ さくらゐのさと」(明治天皇御製)の碑、1876年(明治9年)11月に駐日イギリス大使パークスが楠木正成の精忠に感じて、表に「楠公訣児之処」と刻し、裏に英文で因由を記した碑・大隈重信手植の松などがある。

青葉茂れる桜井の」と唱歌に歌われたように、駅跡は森の中にあって静謐な雰囲気であったが、島本駅の開業により一変した。北側は駅東自転車駐車場の設置によって、南側は駅前広場の整備によって町立歴史文化資料館(旧・麗天館、大阪府立青年の家)まであった森が伐採され、静謐な雰囲気はなくなってしまった。

桜井駅を題材にした楽曲[編集]

桜井駅を題材にした演劇[編集]

主人公・楠正成の台詞より

「日本国民の勤王心と申すは、まづもって、至尊天皇は決して悪をなし給わずと確信する一念である。(慄然と云い放つ。少しの間ありて)されば、天子の御側近くあることは、常に善と共にあることである」
「天皇は悪をなし給わず、天皇は悪をなし給わず、天皇は悪をなし給わず(三たびまで同じ語を打誦して)と確信するところに、わが国の国体が厳として存立し、わが皇室の威厳が存在するのだ」

交通[編集]

周辺情報[編集]

座標: 北緯34度52分52.4秒 東経135度39分49.7秒 / 北緯34.881222度 東経135.663806度 / 34.881222; 135.663806