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日本製鉄瀬戸内硬式野球部

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
日本製鉄瀬戸内硬式野球部
チーム名(通称) 広畑、日本製鉄広畑
加盟団体 日本野球連盟
加盟区分 企業チーム
創部 1939年
チーム名の遍歴

  • 日本製鐵広畑 (1939 - 1949)
  • 富士製鐵広畑 (1950 - 1969)
  • 新日本製鐵広畑 (1970 - 2012)
  • 新日鐵住金広畑 (2012 - 2019)
  • 日本製鉄広畑 (2019 - 2023)
  • 日本製鉄瀬戸内(2023 - )
本拠地自治体

練習グラウンド 日本製鉄広畑球場
チームカラー 赤色
監督 米田真樹
都市対抗野球大会
出場回数 33回
最近の出場 2024年
最高成績 優勝(2回)
社会人野球日本選手権大会
出場回数 17回
最近の出場 2021年
最高成績 4強
全日本クラブ野球選手権大会
出場回数 ※出場資格なし

日本製鉄瀬戸内硬式野球部(にっぽんせいてつせとうちこうしきやきゅうぶ)は、兵庫県姫路市広畑区に本拠地を置き、日本野球連盟に加盟する社会人野球の企業チーム。

概要

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1939年日本製鐵広畑製鐵所で『日本製鐵広畑硬式野球部』として創部。戦中1942年都市対抗野球に初出場する。

1950年、日本製鐵の財閥解体に伴い富士製鐵が発足したため、チーム名を『富士製鐵広畑硬式野球部』に改称した。1968年都市対抗野球で初優勝を果たした。

1970年、富士製鐵と八幡製鐵が合併し新日本製鐵が発足したため、チーム名を『新日本製鐵広畑硬式野球部』に改称した。1971年都市対抗野球では2度目の優勝を果たしている。

その後、鉄鋼不況の影響から新日本製鐵本社がスポーツ活動の見直しを進める中で、同チームも他の同好会同様に終業時刻後の活動を余儀なくされた。しかし、活動見直し初年度となった2003年都市対抗野球では5年ぶりの本戦出場を果たした。

2012年10月、新日本製鐵と住友金属工業が合併し新日鐵住金が発足したため、チーム名を『新日鐵住金広畑硬式野球部』に改称した[1]

2019年4月、新日鐵住金の商号変更に伴い、チーム名を『日本製鉄広畑硬式野球部』に改称した[2]

2023年12月、『日本製鉄広畑硬式野球部』から『日本製鉄瀬戸内硬式野球部』へ改称。これに伴い、長年にわたって親しまれてきた「広畑」の2文字が消えることになった。

設立・沿革

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  • 1939年(昭和14年) - 『日本製鐵広畑』として創部。
  • 1942年(昭和17年) - 都市対抗野球に初出場(初戦敗退)。
  • 1950年(昭和25年) - 日本製鐵の財閥解体に伴い、チーム名を『富士製鐵広畑』に改称。
  • 1968年(昭和43年) - 都市対抗野球で初優勝。
  • 1970年(昭和45年) - 富士製鐵と八幡製鐵の合併に伴い、チーム名を『新日本製鐵広畑』に改称。
  • 1971年(昭和46年) - 都市対抗野球で2度目の優勝。
  • 1983年(昭和58年) - 日本選手権に初出場(4強)。
  • 2012年(平成24年) - 新日本製鐵と住友金属工業の合併に伴い、『新日鐵住金広畑』に改称。
  • 2019年(平成31年) - 日本製鉄への社名変更に伴い、『日本製鉄広畑』に改称。
  • 2023年(令和5年) - 『日本製鉄広畑』から『日本製鉄瀬戸内』に改称。

主要大会の出場歴・最高成績

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主な出身プロ野球選手

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元プロ野球選手の競技者登録

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かつて在籍していた選手

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脚注

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注釈

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出典

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  1. ^ チーム情報 2012年 登録・変更情報”. 日本野球連盟. 2016年12月18日閲覧。
  2. ^ チーム情報 2019年 登録・変更情報”. 日本野球連盟. 2019年4月14日閲覧。

関連項目

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外部リンク

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