日本製鉄瀬戸内硬式野球部
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(新日鐵広畑硬式野球部から転送)
チーム名(通称) | 広畑、日本製鉄広畑 |
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加盟団体 | 日本野球連盟 |
加盟区分 | 企業チーム |
創部 | 1939年 |
チーム名の遍歴 |
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本拠地自治体 |
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練習グラウンド | 日本製鉄広畑球場 |
チームカラー | 赤色 |
監督 | 米田真樹 |
都市対抗野球大会 | |
出場回数 | 33回 |
最近の出場 | 2024年 |
最高成績 | 優勝(2回) |
社会人野球日本選手権大会 | |
出場回数 | 17回 |
最近の出場 | 2021年 |
最高成績 | 4強 |
全日本クラブ野球選手権大会 | |
出場回数 | ※出場資格なし |
日本製鉄瀬戸内硬式野球部(にっぽんせいてつせとうちこうしきやきゅうぶ)は、兵庫県姫路市広畑区に本拠地を置き、日本野球連盟に加盟する社会人野球の企業チーム。
概要
[編集]1939年、日本製鐵の広畑製鐵所で『日本製鐵広畑硬式野球部』として創部。戦中の1942年、都市対抗野球に初出場する。
1950年、日本製鐵の財閥解体に伴い富士製鐵が発足したため、チーム名を『富士製鐵広畑硬式野球部』に改称した。1968年の都市対抗野球で初優勝を果たした。
1970年、富士製鐵と八幡製鐵が合併し新日本製鐵が発足したため、チーム名を『新日本製鐵広畑硬式野球部』に改称した。1971年の都市対抗野球では2度目の優勝を果たしている。
その後、鉄鋼不況の影響から新日本製鐵本社がスポーツ活動の見直しを進める中で、同チームも他の同好会同様に終業時刻後の活動を余儀なくされた。しかし、活動見直し初年度となった2003年の都市対抗野球では5年ぶりの本戦出場を果たした。
2012年10月、新日本製鐵と住友金属工業が合併し新日鐵住金が発足したため、チーム名を『新日鐵住金広畑硬式野球部』に改称した[1]。
2019年4月、新日鐵住金の商号変更に伴い、チーム名を『日本製鉄広畑硬式野球部』に改称した[2]。
2023年12月、『日本製鉄広畑硬式野球部』から『日本製鉄瀬戸内硬式野球部』へ改称。これに伴い、長年にわたって親しまれてきた「広畑」の2文字が消えることになった。
設立・沿革
[編集]- 1939年(昭和14年) - 『日本製鐵広畑』として創部。
- 1942年(昭和17年) - 都市対抗野球に初出場(初戦敗退)。
- 1950年(昭和25年) - 日本製鐵の財閥解体に伴い、チーム名を『富士製鐵広畑』に改称。
- 1968年(昭和43年) - 都市対抗野球で初優勝。
- 1970年(昭和45年) - 富士製鐵と八幡製鐵の合併に伴い、チーム名を『新日本製鐵広畑』に改称。
- 1971年(昭和46年) - 都市対抗野球で2度目の優勝。
- 1983年(昭和58年) - 日本選手権に初出場(4強)。
- 2012年(平成24年) - 新日本製鐵と住友金属工業の合併に伴い、『新日鐵住金広畑』に改称。
- 2019年(平成31年) - 日本製鉄への社名変更に伴い、『日本製鉄広畑』に改称。
- 2023年(令和5年) - 『日本製鉄広畑』から『日本製鉄瀬戸内』に改称。
主要大会の出場歴・最高成績
[編集]- 都市対抗野球大会 - 出場33回、優勝2回(1968、1971年)、準優勝1回(1990年)
- 日本産業対抗野球大会 - 出場5回
- 社会人野球日本選手権大会 - 出場17回、4強1回(1983年)
- JABA大阪大会 - 優勝1回(1974年)
- JABA四国大会 - 優勝1回(1985年)
- JABA伊勢大会 - 優勝2回(1953、1954年)
- JABA岡山大会 - 優勝1回(2021年)
主な出身プロ野球選手
[編集]- 蔦文也(投手) - 退団後、全徳島を経て、1950年に東急フライヤーズに入団
- 高岡英司(投手) - 1965年ドラフト6位で中日ドラゴンズに入団
- 神部年男(投手) - 1969年ドラフト2位で近鉄バファローズに入団
- 高橋二三男(外野手) - 1970年ドラフト1位で西鉄ライオンズに入団
- 三沢淳(投手) - 高校在学時の1970年ドラフト3位で中日ドラゴンズから指名を受け、翌1971年に当チームに在籍したのち、シーズン終了後に入団
- 佐々木恭介(内野手) - 1971年ドラフト1位で近鉄バファローズに入団
- 白滝政孝(外野手) - 1971年ドラフト3位で中日ドラゴンズに入団
- 加納茂徳(捕手) - 1971年ドラフト外で阪神タイガースに入団
- 岩木哲(捕手) - 退社後に1974年ドラフト外で南海ホークスに入団
- 泉元寿光(投手) - 1975年ドラフト外で阪急ブレーブスに入団
- 藤城和明(投手) - 1976年ドラフト1位で読売ジャイアンツに入団
- 弓岡敬二郎(内野手) - 1980年ドラフト3位で阪急ブレーブスに入団
- 正田耕三(内野手) - 1984年ドラフト2位で広島東洋カープに入団
- 西村基史(投手) - 1984年ドラフト2位で日本ハムファイターズに入団
- 定詰雅彦(捕手) - 1990年ドラフト2位でロッテオリオンズに入団
- 的山哲也(捕手) - 1993年ドラフト4位で近鉄バファローズに入団
- 薮田安彦(投手) - 1995年ドラフト2位で千葉ロッテマリーンズに入団
- 塩崎真(内野手) - 1996年ドラフト3位でオリックス・ブルーウェーブに入団
- 三井浩二(投手) - 2000年ドラフト2位で西武ライオンズに入団
- 桟原将司(投手) - 2003年ドラフト4位で阪神タイガースに入団
- 河野秀数(投手) - 2012年ドラフト7位で北海道日本ハムファイターズに入団。
- 森原康平(投手) - 2016年ドラフト5位で東北楽天ゴールデンイーグルスに入団。現横浜DeNAベイスターズ。
- 坂本光士郎(投手) - 2018年ドラフト5位で東京ヤクルトスワローズに入団。現千葉ロッテマリーンズ。
元プロ野球選手の競技者登録
[編集]かつて在籍していた選手
[編集]- 中山拓郎(捕手) -高校在学時の1970年ドラフト7位でロッテから指名を受け入団拒否、三沢と同い年で同期入社で第42回都市対抗野球大会出場果たし住友金属から補強された山中正竹を毎試合リリーフして勝ち上がり、決勝でも丸善石油を降して優勝し、三沢共々小野賞を受賞(当時は若獅子賞創設以前)。三沢・中山の高卒新人バッテリーは、職場の先輩の同年の社会人ベストナイン内野手佐々木・土佐秀夫・小玉孝と共に同年9月大韓民国の首都ソウル特別市で開催された第9回アジア野球選手権大会野球日本代表にも選出され準優勝に貢献。
- 長島康夫(投手)
- 應武篤良(捕手) - ソウルオリンピック日本代表。
- 藤高俊彦(投手) - 西武ライオンズからの1981年ドラフト5位指名を拒否し残留。
脚注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]- ^ “チーム情報 2012年 登録・変更情報”. 日本野球連盟. 2016年12月18日閲覧。
- ^ “チーム情報 2019年 登録・変更情報”. 日本野球連盟. 2019年4月14日閲覧。
関連項目
[編集]- 社会人野球チーム一覧
- 都市対抗野球大会 (兵庫県勢)
- 日本製鉄グループの硬式野球部
- 日本製鉄室蘭シャークス(旧:新日本製鐵室蘭)
- 日本製鉄鹿島硬式野球部(旧:住友金属鹿島)
- 日本製鉄かずさマジック(旧:新日本製鐵君津)
- 日本製鉄東海REX(旧:新日本製鐵名古屋)
- 日鉄ステンレス硬式野球部(旧:新日本製鐵光)
- 日本製鉄九州大分硬式野球部(旧:新日本製鐵大分)
- 新日本製鐵釜石硬式野球部 - 1988年に廃部
- 新日本製鐵堺硬式野球部 - 1995年に休部し、2008年に廃部
- 新日本製鐵八幡硬式野球部 - 2003年に廃部