五色塚古墳

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五色塚古墳

五色塚古墳(1985年
国土交通省 国土画像情報(カラー空中写真)を元に作成。
位置 北緯34度37分47.47秒
東経135度2分45.18秒
所在地 兵庫県神戸市垂水区五色山4丁目
形状 前方後円墳
規模 全長194m、高さ18m
築造年代 4世紀末~5世紀初頭
被葬者 地方豪族か?
出土品 円筒埴輪
史跡指定 大正10年(1921年)国指定
  
前方部
後円部
後円部墳丘
夕暮れの後円部

五色塚古墳(ごしきづかこふん)は、兵庫県神戸市垂水区にある、兵庫県下最大の前方後円墳。別名「千壺(せんつぼ)古墳」。築造年代は4世紀末から5世紀初頭と推定されている。国の史跡に指定されている。

目次

[編集] 概要

墳丘は前方部を南西に向けた3段構築の前方後円墳で、全長194m、高さは前方部で11.5m、後円部で18mである。墳丘は葺石で覆われている。山陽電車と日本国有鉄道(現JR)の路線建設までは前方部が現在より3倍位の長さで、古墳全体の長さが300m以上にも及ぶ大型古墳であった[要出典]

「五色塚古墳」の呼称は、明石海峡を挟んで対岸の淡路島西南部の五色浜付近からを運んで葺かれたことに由来するという説もあったが、時間帯で変わる太陽の光によって葺かれた石が異なる色で反射することに由来するという説も出てきている。古墳の表面に使われている石は明石海峡内のものとされている。

日本書紀』神功摂政元年春二月の条に「播磨に詣りて山陵を赤石(明石)に興つ。仍りて船を編みて淡路嶋にわたして、其の嶋の石を運びて造る」という記事があり、これが、五色塚古墳に関する伝承と云われている。瀬戸内海の海上交通の重要地点である明石海峡を望む高台に造られていることから、神戸の西部から隣の明石にかけて相当大きな力を持っていた豪族の墓と考えられている。

(当時より空堀であったと考えられている)の中には前方部と後円部が接するあたりの東側に1辺20メートル、高さ5メートルの方形、および後円部の東側にも高さ1.5メートルのマウンドがある。当時は石が葺かれていた。

また、すぐ隣には、直径60メートルの円形の「小壺(こつぼ)古墳」(国の史跡)があり、 五色塚古墳より少し古い時代に造られたと考えられている(こちらは葺石はされていない)。

[編集] 復元整備

1965年(昭和40年)から1975年(昭和50年)の整備事業により、造られた当時の様子に復元されている。表面にはコブシくらいの大きさの石(葺石 ふきいし)が約223万個敷き詰められているが、前方部のものは発掘された葺石を利用し、後円部のものは新たに入れたものである。当初2200個ほど並べられていたと思われる高さ1メートルほどの筒型の円筒埴輪が、後円部の最上段のみにレプリカを置いて再現されている。

[編集] 所在地

兵庫県神戸市垂水区五色山4丁目

[編集] 見学

  • 午前9時から午後5時まで、無料。
  • 定休日:月曜、年末年始。
  • 駐車場あり

[編集] 交通アクセス

[編集] 周辺情報

[編集] イベント

毎年4月にれんげ祭りが開催され多くの親子連れで賑わう。 会場は古墳の西側の広場で行われる。

[編集] 関連項目

[編集] 外部リンク

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