ハンガリー国王一覧
ハンガリー国王一覧(ハンガリーこくおういちらん)では、ハンガリー王国の成立から消滅に至るまでの国王、および王国成立以前の君主である大公、第一次世界大戦後の状況を一覧で示す。
目次 |
[編集] 概要
中世ハンガリーを支配したアールパード朝は、10世紀後半から11世紀前半のゲーザ(在位:972年 - 997年)、イシュトヴァーン1世(在位:997年 - 1038年)の頃に統一された。その後、王位を巡る内紛が起こって一時衰えたが、ラースロー1世(在位:1077年 - 1095年)やカールマーン1世(在位:1095年 - 1116年)、さらにベーラ3世(在位:1172年 - 1196年)の頃に対外進出して勢力を拡大し、最盛期を迎えた。
しかしベーラ3世の死後、王位を巡って争いが起こり、国力が衰退し始める。そして1205年、暗愚なアンドラーシュ2世(在位:1205年 - 1235年)が即位したことにより王権が著しく衰退し、大貴族の台頭を招くことにもなる。ベーラ4世(在位:1235年 - 1270年)の時代には、モンゴル軍の侵攻によって国内が荒廃した。
その後、ラースロー4世(在位:1272年 - 1290年)が王権強化を図ったが失敗し、暗殺された。そして1301年、アンドラーシュ3世(在位:1290年 - 1301年)の死によりアールパード朝は断絶し、選挙王制へと移行した。その選挙王制のもとでハンガリー王とポーランド王を兼ねたラヨシュ1世(在位:1342年 - 1382年)は、ハンガリーの「大王」として有名である。
[編集] 歴代国王
[編集] アールパード朝
895年から896年頃、後のハンガリー王国となった地を征服したアールパードは、それ以前の、宗教的指導者(kende)と軍事的指導者(gyula)から成る二大族長制を廃止し、単独の大公となった。死後はアールパードの子孫のみに大公・王位継承権があると定められた王朝がアールパード朝である。997年に大公に即位したイシュトヴァーンは、3年後に初代ハンガリー王となった。
[編集] ハンガリー大公
- アールモシュ(855年頃 - 895年頃)
- アールパード(895年頃 - 907年頃)
- ジョルト(ゾルタ)(907年頃 - 947年頃)
- ファリチ(ファイス)(947年頃)
- タクショニュ(947年頃 - 972年頃)
- ゲーザ(972年頃 - 997年)
アールパードの孫に当たるタクショニュ以前、大公の座を継承するのは、「アールパードの血を引く最年長の男子」とされていたが、キリスト教への改宗と共に、先代の長男が引き継ぐこととなった。そのため、アールパードとタクショニュの間の大公は明白ではなく、特にアールパードの末子でタクショニュの父に当たるジョルトの在位は、キリスト教化を経てからの後付けとも考えられている。
[編集] ハンガリー王
- イシュトヴァーン1世(聖王、997年 - 1038年)
- オルセオロ・ペーテル(1038年 - 1041年)
- アバ・シャームエル(1041年 - 1044年)
- オルセオロ・ペーテル(復位、1044年 - 1046年)
- アンドラーシュ(エンドレ)1世(1046年 - 1060年)
- ベーラ1世(1060年 - 1063年)
- シャラモン(1063年 - 1074年)
- ゲーザ1世(1074年 - 1077年)
- ラースロー1世(聖王、1077年 - 1095年)
- カールマーン1世(文人王、1095年 - 1116年)
- イシュトヴァーン2世(1116年 - 1131年)
- ベーラ2世(盲目王、1131年 - 1141年)
- ゲーザ2世(1141年 - 1162年)
- イシュトヴァーン3世(1162年 - 1172年)
- ラースロー2世(対立王、1162年 - 1163年)
- イシュトヴァーン4世(対立王、1162年 - 1165年)
- ベーラ3世(1172年 - 1196年)
- イムレ1世(1196年 - 1204年)
- ラースロー3世(1204年 - 1205年)
- アンドラーシュ(エンドレ)2世(1205年 - 1235年)
- ベーラ4世(1235年 - 1270年)
- イシュトヴァーン5世(1270年 - 1272年)
- ラースロー4世(1272年 - 1290年)
- アンドラーシュ(エンドレ)3世(1290年 - 1301年)
[編集] 空位時代
アンドラーシュ3世の死によってアールパード家が断絶した後、いずれもベーラ4世の血を引くボヘミア・ポーランド王家出身のヴァーツラフ3世、下バイエルン公オットー3世、ナポリ王家出身のカーロイ・ローベルトによって王位が争われた。
[編集] 選挙王制
1308年以後は選挙王制となり、まずアンジュー家のカーロイ・ローベルト(カーロイ1世)が即位する。
[編集] アンジュー家
- カーロイ1世(在位:1308年 - 1342年)
- ラヨシュ1世(大王)(在位:1342年 - 1382年、ポーランド王:1370年 - 1382年)
- マーリア(在位:1382年 - 1385年、1386年 - 1395年)
- カーロイ2世(在位:1385年 - 1386年、ナポリ王:1382年 - 1386年)
[編集] 諸家
- フニャディ・ヤーノシュ(ハンガリー王国摂政:1446年 - 1452年)
[編集] ハプスブルク君主国
1526年にラヨシュ2世から王位を継承したフェルディナーンド(フェルディナント)1世以降は、オーストリア・ハプスブルク家の当主(オーストリア大公)またはその嗣子によってハンガリー王位が世襲された。ただし初期に2人、中期に1人の対立王がいた。
- ハプスブルク家
- フェルディナーンド1世 (在位:1526年 - 1564年) 神聖ローマ皇帝フェルディナント1世
- サポヤイ・ヤーノシュ(対立王、在位:1526年 - 1540年)
- ヤーノシュ・ジグモンド(対立王、在位:1540年 - 1570年)
- ミクシャ1世 (在位:1564年 - 1576年) 神聖ローマ皇帝マクシミリアン2世
- ルドルフ (在位:1576年 - 1608年) 神聖ローマ皇帝ルドルフ2世
- マーチャーシュ2世 (在位:1608年 - 1619年) 神聖ローマ皇帝マティアス
- フェルディナーンド2世 (在位:1619年 - 1637年) 神聖ローマ皇帝フェルディナント2世
- フェルディナーンド3世 (在位:1637年 - 1657年) 神聖ローマ皇帝フェルディナント3世
- フェルディナーンド4世 (在位:1647年 - 1654年) ローマ王フェルディナント4世
- リポート1世 (在位:1657年 - 1705年) 神聖ローマ皇帝レオポルト1世
- ヨージェフ1世 (在位:1705年 - 1711年) 神聖ローマ皇帝ヨーゼフ1世
- ラーコーツィ・フェレンツ2世 (対立王、在位:1705年 - 1711年)
- カーロイ3世 (在位:1711年 - 1740年) 神聖ローマ皇帝カール6世
- マーリア・テレージア (在位:1740年 - 1780年) 神聖ローマ皇后マリア・テレジア
- ハプスブルク=ロートリンゲン家
- ヨージェフ2世 (在位:1780年 - 1790年) 神聖ローマ皇帝ヨーゼフ2世
- リポート2世 (在位:1790年 - 1792年) 神聖ローマ皇帝レオポルト2世
- フェレンツ1世 (在位:1792年 - 1835年) 神聖ローマ皇帝フランツ2世、オーストリア皇帝フランツ1世
- フェルディナーンド5世 (在位:1835年 - 1848年) オーストリア皇帝フェルディナント1世
- フェレンツ・ヨージェフ1世 (在位:1848年 - 1916年) オーストリア皇帝フランツ・ヨーゼフ1世
- カーロイ4世 (在位:1916年 - 1918年) オーストリア皇帝カール1世
[編集] 第一次世界大戦後
詳細は「ハンガリー王国 (1920-1946)」を参照
第一次世界大戦末期、ハンガリーはオーストリアから完全に分離独立し、ハンガリー民主共和国、ハンガリー・ソビエト共和国を経て新たなハンガリー王国が成立する。この「王国」はハプスブルク=ロートリンゲン家傍系のヨーゼフ・アウグスト大公を国王に推戴しようとしたが、協商国やルーマニアの支持が得られずに断念し、ソビエト政権打倒に功績のあったオーストリア=ハンガリー帝国海軍提督ホルティ・ミクローシュが摂政の地位に就き、国王は空位のまま独裁体制が敷かれた。「王国」は1944年のホルティ失脚後も、1946年にハンガリー第二共和国が成立するまで形式上存続した。
一方でオーストリア皇帝カール1世はハンガリー王退位を認めず、1921年には王国に復帰しようと試みた(カール1世の復帰運動)。しかしこの動きは小協商諸国やフランス、ホルティらによって阻止され、ハンガリー議会はハプスブルク=ロートリンゲン家の王位継承権を否定する議決を行った。カール自身は翌1922年の死まで退位を認めず、その後も長子オットー(元オーストリア皇太子)が名目上のハンガリー王を名乗った。