ヨーゼフ・アントン・フォン・エスターライヒ

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ヨーゼフ・アントン大公

ヨーゼフ・アントン・ヨーハン・フォン・エスターライヒJoseph Anton Johann von Österreich, 1776年3月9日 - 1847年1月13日)は、オーストリア大公神聖ローマ皇帝レオポルト2世と皇后マリア・ルドヴィカの七男。父レオポルトは元はトスカーナ大公であり、ヨーゼフ・アントンはフィレンツェで生まれた。1796年に兄レオポルト・アレクサンダー大公に代わってハンガリー副王:Nádor)となり、死去するまでその地位にあった。ハンガリー語名はヨージェフ・アンタル・ヤーノシュ(József Antal János)。

ハンガリーでは、ハプスブルク=ロートリンゲン家のハンガリーにおける分家の祖として名高い。

家族[編集]

生涯で3度の結婚をしている。

1799年10月30日、サンクトペテルブルクロシア皇女アレクサンドラ・パヴロヴナパーヴェル1世の娘)と結婚。1801年、長女アレクサンドリーネを死産したのち、アレクサンドラも急死した。

1815年8月30日、シャウムブルクで、アンハルト=ベルンブルク=シャウムブルク=ホイム侯女ヘルミーネと再婚。ヘルミーネは1817年に男女の双生児を出産後、急死した。また、この子供たちはどちらも生涯独身であったため子孫はない。

  • ヘルミーネ・アマーリエ(1817年 - 1842年)  
  • シュテファン(1817年 - 1867年)

1819年8月24日、キルヒハイム・ウンター・テックで、21歳のヴュルテンベルク公女マリア・ドロテアと結婚。マリア・ドロテアは先妻ヘルミーネの従妹であった。5子をもうけた。