マリア・ドロテア・フォン・ヴュルテンベルク
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マリア・ドロテア・フォン・ヴュルテンベルク(Maria Dorothea Luise Wilhelmine Caroline von Württemberg, 1797年11月1日 - 1855年3月30日)は、オーストリア大公でハンガリー総督だったヨーゼフ・アントン・フォン・エスターライヒの3度目の妃。
ヴュルテンベルク公ルートヴィヒ(1756年-1817年、ヴュルテンベルク公フリードリヒ2世オイゲンの次男)と、妃ヘンリエッテ・フォン・ナッサウ=ヴァイルブルクの長女として、カールスルーエ(現ポーランドのポコイ)で生まれた。妹にヴュルテンベルク王妃パウリーネ。
1818年8月24日、43歳のヨーゼフ・アントンとキルヒハイム・ウンター・テック(現在のバーデン・ヴュルテンベルク州の町)で結婚。5子をもうけた。
- エリーザベト(1820年、夭折)
- アレクサンダー(1825年 - 1837年)
- エリーザベト・フランツィスカ(1831年 - 1903年)
- ヨーゼフ・カール(1833年 - 1905年) マリー・アーデルハイト・フォン・ザクセン=コーブルク=ザールフェルト(ブルガリア王フェルディナンド1世の姉)と結婚
- マリー・ヘンリエッテ(1836年 - 1909年) ベルギー国王レオポルド2世の王妃